かばのしっぽ日記2015

かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。 
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレってと、思う今日この頃であります。
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2月21日(日)
京都3区
 
 連日ワイドショーで報道されている宮崎謙介前議員の選挙区(京都3区・京都市伏見区と長岡京市などの旧乙訓郡)に私は住んでいる。
 前回の選挙の時投票所を訪れた彼を見た人が「オーラが出ている。なかなか腰の低い感じのいい青年だ」と好印象を語っていた。
 ところが、ここに来てそのオーラがキラキラではなくぎらぎらしたものだったのではないかと思わざるを得ない事実の続出である。さぞかし、がっかりしておられることだろう。その結果、補選が行われることになり、一躍全国的に注目を集める選挙区になった。
 小選挙区制になって最初の選挙で、寺前巌氏(共産党)がこの選挙区を制した。その次の選挙で、自民党の市会議員の方が勝った。共産党は寺前氏を降ろし、新人を立てて破れた。民主は泉健太氏が初挑戦し、健闘したが及ばなかった。泉健太氏は若さを前面に押し出しながら、2回目の挑戦で小選挙区を制した。「そうだ、ケンタがいるじゃないか」というポスターが新鮮だった。その後は泉健太氏が勝った。前々回、公募で東京出身の宮崎謙介氏が自民公認候補として立った。接戦だったが宮崎氏が勝った。前回も宮崎氏が大接戦を制した。いつのまにか共産党候補は勝てない選挙区になった。
 あるTV局が、この選挙区は35歳以下の候補が勝つ選挙区になっていると報じていた。また、京セラなどの京都のIT産業本社がある働く若い世代の選挙区であるとも言っていた。伏見区も長岡市・向日市・大山崎町も、京阪電車や阪急電車そしてJRで、京都市内なら2,30分、大阪市内なら4,50分の通勤圏である。
 この10年余りで伏見区は徐々に変貌してきた。酒蔵の多くは規模を縮小し、マンションに変わった。旧伏見区内は総じて高齢化が進んでいる。伏見最大の商業地である大手筋通り及びその周辺には、マンションと医院ばかりが目立つ。京阪電車の特急が停車する丹波橋と中書島駅前は、商店街が連なり、繁盛していたが、今は乗り継ぎ機能が主な駅になり、駅前も活気がない。
 早々に泉健太氏が名乗りを上げたらしい。自民は中央と府本部で分裂状態。共産とおおさか維新は前向きに候補を立てる方向とか。野党共闘が実現するのかどうかに注目が集まる。
12月23日(水)
イカの塩辛
 
 昨日、夕飯にイカを甘辛く炊こうと2ハイ買ってきた。しかし他の料理を予定していて出番がなかった。
 昨晩、「イカの塩辛」って作り方難しいのかなとひょっと思った。学生の頃自前の塩辛をごちそうしてくれた人がいた。ひどい臭いでよく腹をこわさなかったと今でも思うのだが、その彼は青森で仕込みを習ったと自慢しての一品だった。
 早速インターネットで調べたら、塩を使う程度でそれほどの手間がかかるわけでもなく、一晩冷蔵庫でねかせればよいようだ。今朝から手順通りやってみた。皮を剥くのにキッチンタオルを使用すると書いてあって、意味が分からなかったが、確かに使ってみたら剥きやすい。内臓と皮を剥いたイカを塩をふった状態でねかせた。明日にでも味付けして食してみようかと思う。
 今、ニシンと大根のこうじ漬けと大根のぬか漬けが漬けてある。
 明日はニシンと大根の漬け物とイカの塩辛が食べられる。楽しみだ。
  
12月11日(金)
雨の日
 
 昨晩雨音が大きかった。叩きつけるような雨というのはああいうのを指すのだろう。今朝起きたら天気予報は軒並み雨で、今朝テニスを予定していた私は予定が狂って、サッシのガラス拭きを頼まれた。ちょうど濡れていていいと。それもそうだとサッシを拭いた。確かに汚れていて少しは明るい陽が入ってきそうだ。
 円空の神像で美並町にある「八面荒神」を真似てしばらく前から彫っている。何しろ日曜大工センターで買ってきた建築材を三枚貼り合わせたもので彫っている。彫ると言うより、割れたりむしり取ったりの連続で思うようにならない。全部思うようにならないのだがとりわけ顔が難しい。円空のような顔にならない。八面もある。もう勝手に好きなように彫ることにした。そう決めたら少し気が楽になった。
 家の中は木くずが散乱して嫌がられている。散らかす気はないのだがスリッパの裏についていたり服に付いていたりがあちこちに落ちる。
 今日は気温が高いそうだ。雨が降らない時を狙って畑で仕上げをすることにする。
 
 12月10日(木)
前向きに
 こたつの中でうたた寝をしてしまう。風邪をひくきっかけになるのは分かっているのだが、ついその寝心地の良さに負けて、次の日喉が痛くなり、鼻の奥が痛くなった。もともと副鼻腔炎を起こしやすいのだから気をつければいいのだがそれが出来ずに毎年同じ事を繰り返している。すぐに耳鼻咽喉科へ行ったのだが、一日で治ると言うことはなかった。今日も明け方から右鼻の奥が刺すようにいたい。喉の奥も異常を来している。
 ここは処方されたお薬を使って直すしかない。今日は大人しく家で養生することにする。
 火曜日にいつもの通りバイクでテニスへ行こうとしたらバイクがかからない。プスンプスンいう心細い音とともに切れた。プラグかなと思ったどうもバッテリーらしい。これも予兆があった。すぐに持っていけば、よかった。
 ダイコンは順調にしんなりと乾いてきた。ぬか漬けの方は2〜3週間乾燥する必要があるようで今月半ばに漬け込み、出来上がりは来年初頭。こうじ漬けの方は塩漬けが2〜3日でいい。今日漬け込んだ。1年たてばすっかりやり方も準備物も忘れている。今年は仏像教室で、本場敦賀の人とお知り合いになって、昨年の簡易的なつけ方でない方法を伝授していただいた。され、どんな「ニシンと大根ニンジンのすし」(こうじ漬け)が出来上がるのかこちらも待ち遠しい。こちらは今月末、クリスマス頃に食べ頃になる。
 私は今まで食材を買ってきて、その場で料理するというようなモノしか食してこなかったので「漬け物」作りが楽しい。おいしい「すし」が出来上がりますように。
12月8日(火)
京都ぎらい
 
 朝日新書から「京都ぎらい」(井上章一)が出版された。9月末に出て11月10日にもう4刷りであるからよく売れているようだ。
 井上章一さんは2010年に「ハゲとビギニとサンバの国 ブラジル邪推紀行」という本を出しておられる。大変楽しく読ませていただいた。
 京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了後、京大人文科学研究所助手の後、現在国際日本文化研究センター教授で、副所長だそうだ。建築学者で、美人論、関西文化論など広い分野に渡って日本文化について発言しておられる。
 この井上さん、京都の妙心寺近くで生まれ、嵯峨でお育ちになったそうだ。そして京大で学ばれ、現在は宇治市にお住まいだそうだ。阪神タイガースのファンで、関西のお笑いについても論究されている。私はずっと京都も奈良も大阪も神戸もお好きなのだろうと思ってきた。
 ところがこの本の題名である。「なんで?」である。
 この本で嫌われている対象の「京都」は「洛中京都」であり「洛中のひと」である。その中華思想の鼻持ちならない尊大さを非難し揶揄しからかっておられる。それゆえ、ご自身を「京都人」と呼ばれることすら拒否しておられる。嵯峨出身の自分を小馬鹿にした洛中の人間を決して許さないという固い信念を披瀝しておられる。そして京都市生まれと書かず、京都府生まれと拘っておられる。
 私は伏見区に住んでいるが、元々伏見は紀伊郡だった時期や伏見市だった時代があって、京都市になった歴史は浅い。京都市の中で洛中と呼べるのは下京と中京と上京ぐらいなもので、あとのその周辺の行政区は洛外である。豊臣秀吉が洛中を囲った御土居の中と外という意識が洛中の人には染みこんでいるのであろう。それを知らない周辺部の田舎者である洛外の人間が「そもそも京都は…」などと話すのを決して許さない気概が洛中の人にはあるのだろう。
 嵯峨でもそうだったのかと思ったことがある。三条や四条の繁華街へ出ることを伏見の私たちも「京都へ行く」と言っていた。だから、自分たちは京都の者ではないと自覚していたことになる。今はそんな言い方はしないが、洛中では未だにこの中華思想が残っているぞ、気をつけろ周辺部の田舎者たちよ、井上さんはそんな警鐘を鳴らしながら、おもしろおかしく花街と僧侶について、北朝と南朝について、会津が京都に残したものについて語っている。おもしろかった。 
12月4日(金)
穴を掘る 
 今年の3月頃ぬか漬けやこうじ漬けをやった。この冬はダイコンが安いうちに買おうと行ったら、1本99円であった。立派なもので大人の下肢ぐらいの太さである。自家菜園でも大根を作っているのだが、まだ間に合わないし、あんな立派なものは出来ない。
 きっと深く土を耕すのがコツだろうと思うのだが、これがなかなか骨の折れる作業で、元々住居が建っていた場所の上に腐葉土と山土を入れた畑なので、すぐ小石や粘土の層に突き当たる。これを掘り起こして1立方メートルの穴を掘る(堆肥づくりのため)だけでも大変で、1〜2日仕事である。これを順番にやっていけば何年かで全部深く掘れることになるのであるが。
 穴を掘りながら考える。よくTVの刑事ものやサスペンスで死体を埋めるという場面がある。又実際にそういう事件もあるのだが、あれ大変だろうなと想像する。小さい穴を掘るだけでも結構な時間かかるのに、まして人間を埋めるとなると…などとつまらないことを想像する。
 原野を開拓して田畑や牧草地にした人たちや、水を得るために井戸を掘った人々を想像した方が人間の偉大さを思って気持ちがすっきりするかもしれない。でもそういう生産的な穴掘りのことは思わないで先のような穴掘りを想像するのはなぜなのだろう。
 11月9日(月)
先週
 先週は予定にないことの連続であった。普段は畑耕したり、テニスしたり、パソコンさわったりの日を過ごしている。
 まず、テニス仲間のバーベキューに参加して午前11時から夜中まで飲み食い続け最終のカラオケまで参加ししっかり二日酔いになった。翌日の仏像彫刻教室が辛かった。辛くなるまで飲まなくてもいいのに…。
 金曜午後に息子が結婚式を挙げた。夜本人と親兄弟だけのお祝いの食事会。そして翌土曜日午後から高校の同窓会。そして夜に私の親族だけの結婚披露食事会となった。
 日曜日はテニス大会が予定されていたのだが、雨天中止。
 息子夫婦が土曜日から泊まっていたので、日曜日は息子夫婦と過ごした。
 さて、日常が戻ってきた。何からはじめようかと考えている。
11月2日(月)
11月京都奈良展覧会 
 10月が思いの外早く過ぎ去った。この2,3日寒くなってきて衣替えが必要になってきた。急ぎホームごたつの用意をした。
 紅葉情報がぼちぼち出始めた。
 様々な博物館の催しも本格化している。
 京都国立博物館は「琳派京を彩る」光悦・宗達・光琳・乾山・抱一が豪華に並んでいる。光琳の「紅白梅図屏風」や、『八橋図』六曲屏風二隻がないのは寂しいが長年見たいと思ってきた「舟橋蒔絵硯箱」(光悦)や「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(光悦筆・光琳画)は圧巻であった。私が行ったときは抱一の「風神雷神図」はまだ揃っていなかった。しかし抱一の繊細さは心に残ったし、抱一以降の江戸琳派鈴木基一などにも興味を持った。中村芳中の犬がかわいい。
 奈良国立博物館では恒例の「正倉院展」が11月6日まで。急がなければあと少しだ。日曜美術館を見ていたら、その工芸品の超絶技巧ぶりを上手に紹介していた。細かいところまで見られるグラスが必要だなと思った。
10月12日(月)
体育の日
 
 今日が体育の日と言われても体育の日は10月10日やろと思ってしまう。子どもの頃に体育の日が制定されて(東京オリンピック後だった)私の地域の秋祭りもこの日に合わせて行われるようになった。それがすっかり自分の中では定着していて最初の思いに繋がる。
 TVを見ていたら、各都道府県毎の子どもの体力テストの結果を報道していた。
 学力同様、福井、秋田が高く、大阪、京都、滋賀、奈良は低いという。大阪は男女とも46,45位と言うから、全国47都道府県でほぼ最下位に近い。
 「学力テスト」と「体力テスト」で秋田や福井が好結果を出し続けている理由を深めるような報道がない。私は秋田や福井が両テストに「強い」のはなぜなのかを文科省がどう分析しているのか知りたい。そして近畿各府県が「弱い」のはなぜなのか。
 こういう調査をして結果を公表するだけなら、教師の力量や教育委員会の指導の問題だけになる。それでいいのだろうか。こういうテストを繰り返せば繰り返すほど両テストに適応した教育体制が主流になる。少なくとも京都では「学力(テスト)重視」のテスト体制が出来上がっている。模擬試験もどきの過去問題の学習に力が入っている。体力テスト対策は「学力テスト」対策ほどは問題にならないだろうけど。でも「学力はもう一つですが、体力は抜群」という都道府県があってもいいのに、どうもそうではないようで「文武両道」らしい。
 シルバー世代の社交場はスポーツクラブだという新聞記事を今朝見た。週3回以上、体を鍛えているシルバー世代が増え続けているとあった。私はスポーツジムへ行ったことがないが「なるほど」と思う。お金に若干余裕があり時間もある人が、さて、何をしようかと言うときに、毎日でも行けるジムは健康にもよかろう。出かかったお腹を引っ込めてくれるかもしれない。友だちもできるかもしれない。何より汗がかける。運動終えて風呂に入って帰ってくれば、いい暇つぶしだ。
 これからますますシルバー世代が増大する。きっとスポーツジムは年寄りに乗っ取られることだろう。
 9月22日(火)
今どきのスポーツ事情

 日本ラグビー代表が世界大会で南アフリカに勝った!錦織中心のテニスチームがコロンビアに団体戦で勝利!しばらく前には予想も出来なかったことが実現している。
 柔道、レスリングに体操、バレーボール、卓球、水泳で日本選手が良い成績を残しても、私の世代のものはそれほど驚きを持たないのではないか。ずーっと強さを堅持しているとか、前はもっと強かったとかどこかで思っているからだ。
 柔道の山下、体操の遠藤や具志堅、水泳の山中、バレーボールの東洋の魔女や大仁・横田・猫田、卓球の小野などの活躍にもっとワクワクしたからだ。今の選手は大変だ。世界のレベルが格段にUPしている中で、結果を残さなければならないのだから。 
 サッカー選手は一番大変なのではなかろうか。世界中にファンがいて、最高一観客動員数が多い人気のあるサッカー。一番運動能力の高い選手がサッカーをしている国が大半というこのスポーツでNO,1になる選手が日本から生まれたら、これはすごい盛り上がりになるだろう。
 この後、ラグビーが尻すぼみにならす次も期待以上に溌剌とフェアーなプレーでベスト8に残ってほしい。
 大谷翔平選手は、再来年ぐらいには大リーグへ行かせてあげてほしい。
 国内に目を転じて、相撲は照富士の時代が来たようだ。他の力士を圧倒している。
 今どのスポーツもおもしろい。
 9月17日(木)
じいさん目線
 一昨日、植物園へ行ってきた。
 そろそろ萩も彼岸花も咲き始めている。女郎花もふじばかまも咲いている。私は日本固有種の植物が植栽されているところを歩くのを楽しみにしているのだが、絶滅危惧種等と書いてあると見入る。青い花が咲いているのが目に付いた。この季節はそうなのだろうか。私が分かったのはつゆ草とミズアオイだけだったが、その他にもいくつもあった。
 平日、バギーを押している女性が多い。そして老夫婦も多い。一、二才の女の子が走り回っている。「おはな、おはな」とはしゃいでいるようだ。こけないかなと心配しながら私も見ている。「かわいいですね」と声をかける年配の女性。何とも心許ない走り方だが元気いっぱいでこれ以上楽しいことはないという風に全身で表現している。
 私の二人の子どもは、どちらかというと内気で大声を出して はしゃぎ回るような子たちではなかった。ああいう孫がいたらおもしろいし、かわいいだろうなと、すっかりおじいちゃんになった気分で見ていた。
9月7日(月)
秋雨前線
 
 曇か雨か。毎日うっとうしく晴れ晴れしない日が続いています。また、台風が近づいているとか。猛暑が続くのも困りますが、こういう天気も気が滅入ります。
 メダカが次々死んでいきます。昨年孵り、冬を越して今年いっぱい卵を産んだメダカがその寿命を終えるのです。仕方ないことですが、こう毎日死んでいるのを見つけると辛いものがあります。死期が近づくとメダカは急に太りだし、泳ぐのが辛そうに見えます。ああ、可哀想にと思うのですが何もしてやれません。冬越しをしたメダカが50匹近くいたのですが、もうあと5匹です。
 昨日ジャガイモを植えました。今日、自宅菜園を耕しました。白菜や大根を育てる予定です。今年はナスやキュウリの出来はそれほどでもありませんでした。やはり連作の影響でしょうか。
 イチジクは今年もたくさんできました。カラスに負けないように収穫しなければなりません。柿も今年は去年より順調です。ミカンはまだ実をつけていませんが、随分大きくなりました。
 明日はテニスが出来るかな。雨が降りませんように。
8月30日(日)
学校へ行かなくても
 
 夏休み明け、学校が再開する。前期後期の二学期制が強引に入ってから、「いよいよ二学期が始まる」とは言わなくなり、8月末最終週から学校は始まるようになった。今年は夏休み明けに児童生徒の自殺問題がクローズアップされている。
 私は先輩から夏休み明けには「8月31日の夜」という題で詩を書かせると教えていただいた。こんな詩とともに。

また、あしたから
ハチにさされたような
赤いはなの先生に
「バカモーン」と
どなられるのかと思うと
なかなか ねられません
けど もう どうでもいいと思って
その日のばんは
ぐっすり ねました

あしたから 学校が始まる
宿題は ちゃんとかばんの中
みんな 夏休みの間
かわっているだろうな
ねるとき むねがドキドキした

 子どもは、何を書いてもよいと指導されている。だから自由に思ったことを書く。先生が気にするかもしれない大きな鼻のことも、あまり名誉でもない叱り方「バカモーン」のことも。
 友だちのことを気にかけているし、夏休みの宿題が出来ていないことも気にかけながら学校へやってくる。。
 いつの時代も夏休み明けは緊張感があるもので、「子どもの現在(イマ)」を知るためにもこの実践は今も参考になる。
 最近発表された不登校新聞社からのメッセージや鎌倉図書館からの呼びかけは、現代の学校と子どもの抱えるいじめ・自殺・不登校問題の深刻さを如実に表している。「行きたくなかったら休んでもいいんだよ」「学校へ行かなければならないと自分を追いつめないで」「あなたのことを理解しようと思っている人は、学校の外以外にもいるんだよ」…あのメッセージは子ども達にそう語りかけている。
 私は、「なるほど、そういう働きかけも大事なのだろうな」と理解しながらそれだけでは不十分なのではないかと思っている。やはり学校へは行く方がよいと思う。「行きたくないから行かない」子どもは、その後どういうケアをしてもらえるのか、どういう道が開かれているのかを次に明らかにしなければ、いけない。
 図書館に、平日午前に小学校高学年の子や中学生がいたら、「あれ?」と周りのものは思う。何か事情があるのかな、学校は知っているのだろうか、図書館員や司書は知っているのか、等々思って、親切な人であればあるほど「君、学校じゃないの」と声をかけないか。
 大阪寝屋川の中1生徒二名の事件では、大人の声かけがないことが問題になった。学校へ行けない子ども達が安心して通える場所の紹介情報は、どのくらい浸透しているのだろう。  
8月14日(金)
日本人選手の活躍
 
 久しぶりに大リーグからビッグニュース。岩隈投手がノーヒットノーラン達成。
 海外から届くスポーツニュースにワクワクするというのは人によっても違うのだろうと想像するのだが、私の場合、申し訳ないがオリンピックや世界選手権で金メダルを取ったというのには、「へえ、すごい選手なんだなあ」とは思うがそれはその場限りである。
 では、今までワクワクしたニュースを思い出してみると…。
@野茂英雄投手の活躍
Aイチロー選手の活躍
Bブンデスリーグデビュー時のサッカー香川選手。
Cそして最近のテニスの錦織圭選手
 これぐらいかな。ダルビッシュや田中はケガが残念だ。サッカー選手では中田や中村も活躍したと思うが、世界でも抜きんでているという印象はなかった。松井選手も国民栄誉賞をもらうぐらいの活躍をしたと思うが、日本ではあれだけのホームランバッターでも、大リーグでは30本打てないんだなと言う印象の方が強い。香川が一時の輝きを失っているのは残念。
 私はゴルフに興味を持っていないので、最近で言えば松山もすごいのだろうけど、分からない。
 錦織圭選手の活躍には脱帽である。自分もテニスを楽しんでいるからよけいに肩入れしたくなるのだろう。正直男子の世界ランキング10位以内に日本選手は絶対入れないと思っていた。それが、今日の活躍ぶりである。近い将来グランドスラム大会優勝もあるかもしれないと思わせてくれる。2mを超える選手に、時速230kmを超えるサーブを打たれても、勝つのだからすごい。178cmの彼が、2mを超える選手の健闘を称えて、肩を叩くシーンを見ると心底から「すごい選手だな」と思う。
 
8月11日(火)
教訓 
 鹿児島県川内原発が再稼働した。
 フクシマから何も学ばなかったのか、この国は。いや、原発再稼働反対の声は、どの世論調査でも過半数を超えている。にもかかわらずの再稼働である。 この決断をした電力会社、お墨付きを与えた原子力規制委員会、そして原発を主力電源とする基本政策を推進している政府与党。相変わらずの原子力村でお金と安全を天秤にかける議論。いや本当は原子力発電より、将来核兵器保有のために、原発を残すことが大切というのが本音か。
 原子力発電の安全神話は完全に崩壊した。昨日テレビで九州には、日本全土に大影響を与える可能性のある火山が5カ所あるとある学者がおっしゃっていた。そんな場所にである。どこが安全なのか?
 原発事故の責任は結局誰もとれない。これもフクシマの教訓ではなかろうか。膨大な金を使っても、もとの生活や環境は取り戻せない。無念のうちに失望しておられる方々にだれも責任がとれない。
 この2年間、原発がなくてもやってこられたではないか。日本が、再生可能エネルギーの最先端技術を追求する科学立国になる道を選べば世界中の注目を浴び、世界の人々に恩恵を与え、尊敬を受ける国になると信ずる。
 結局、フクシマの責任追及が曖昧なまま経過してきていることが、川内再稼働に繋がっている。
 フクシマ事故後色々発言した方々の声が最近は聞こえてこない。マスコミの問題なのか本人の問題なのか。 
8月7日(金)
京大有志の会声明文
 
声明書
戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災い
をもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い
傷を負わせる。
精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ち
こまなくてはならない。
     自由と平和のための京大有志の会

わたしの『やめて』
くにと くにの けんかを せんそうと いいます
せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません
せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます
わたしの こころは わたしのもの だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの だれかの どうぐに なりたくない
うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない
げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい
がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない
じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ
だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ

      じゆうとへいわのための きょうだいゆうしのかい 

 全国作文教育研究大会in京都のパネラーとして登壇された小児科医の尾崎先生が、京大有志の会の声明についてふれられました。私はこの声明を知りませんでした。友人が「京都市つづり方の会会報」で取りあげてくれました。時機に応じているだけでなく普遍的な価値をもつ立派な声明です。「わたしの『やめて』」は子ども向けに訳された方のものだそうです。
 より多くの方の目にふれればいいなと願います。そしてこの声明が拡散しますように。『希望ある陰謀』のために。
8月4日(火)
浜矩子講演
希望ある陰謀 
 533名の方々がご参加下さった全国作文教育大会in京都、無事へ閉幕しました。ご参加下さった方々、ご協力下さったみなさまありがとうございました。
  浜矩子さんは「経済活動は人間を幸せにするもの」であり「人権の礎となるものだ」から始まり、「弱者救済」こそが経済政策の役割だと断言された。
 また、「経済合理性を考えると原発再稼働もやむを得ない」という論調にも欺されてゃならないおっしゃった。
 現在日本は「豊かさの中の貧困」状態にあり、これは一番厄介で難しい問題になると指摘された。日本の貧困率16,1%はデンマークの約3倍。貧困家庭(年間所得120万円以下)が、こんな豊かな日本にあって貧者が多くおられることは、弱者救済のための「分かち合い方」の下手さに由来し、本来の経済活動が出来ていないためだとおっしゃった。労基法違反のブラック(企業)問題、非正規雇用問題など弱者を切り捨てることを手助けするような経済政策は経済の名に値しないと喝破された。
 今年4月の安部首相のアメリカでの発言「日本における、アベノミクスと外交安全保障政策は表裏一体」という発言は、いみじくも安部氏の本音と本質を吐露したものである。そして第一次安倍内閣のスローガン「戦後レジュームからの脱却」と考え合わせると「彼は戦前の富国強兵の大日本帝国への回帰を画策しており、その経済政策は「アホノミクス」であり、安保法制は「アンポンタン法制」であると。
 トルクダウン政策が破綻したことはアメリカでレーガンが、イギリスでサッチャーが失敗したことで証明されており、大企業が儲かるようにすれば下々におこぼれがくることはなく、格差が広がり富の偏在を産むことは明らかである。
 株も上がったし、景気もよくなったし、少しは給料も上がった程度のことで喜んでいてはならない。彼のねらいは富国強兵のための、大日本帝国再建にある。
 そうならないためには
@原点回帰(そもそも経済とはにたちかえって、経済政策を見る
Aバランス感覚を持つ
「己が欲することに従えども、矩(まともな人間の節度・行動規範・倫理)をこさず」(孔子のことば)
B三つの道具
   ・耳(傾聴する耳・反対の意見や微少だが大切な声) 
   ・目(人の痛みを自分のものとし、涙する目、もらい泣きできる目)
   ・手(困っている人にさしのべる手
質疑応答の中でさらに付け加えられて
   ・口(おかしいことはおかしいと声を上げられる口)
 私たちは力強い「希望のための陰謀」をはりめぐらなさなければ、勝てないともおっしゃった。
 冒頭安部氏の経済政策を「アホノミクス」と言ったのは、私が言っているうちに、この言葉を他の人も言うようになり、最後にはアベ氏本人も、間違って「アホノミクス」というかもしれないからと言って、私たちを笑わしておられたが、「アホノミクス」「アンポンタン法案」を共有する「希望のための陰謀」を張り巡らせるために「自民党感じ悪いわね」と言い続けてデモをしている高校生も、言葉の魅力に気づいているように思う。
 7月31日(金)
明日
全国作文教育大会
 龍谷大学大宮学舎で明日から第64回日本作文の会全国大会が始まる。
 日本の作文教育は、戦前からあり、「つづりかた教育」と呼ばれていた。「読み方教育」「書き方教育」と並び称されてきた。「つづりかた教育」は文字通り文を綴ることを学ぶ教育である。始まった明治や大正時代は、美文調の文章や、手紙文などの実用的な文章を書き写すことが、この教育の方法であったと言う。「つづりかた」の教科書はなかったらしく、教材は比較的自由であったようだ。
 大正デモクラシーの時代に入り、児童生徒の表現の面白さに着目した北原白秋や鈴木三重吉らがによって「童謡集・赤い鳥」に児童生徒の詩が紹介され、それが高い評価を受けるようになると、子どもの表現そのものに教育界も目を向けるようになったようである。
 そういう風潮の中でとりわけ、実生活と書かされる美文調の文章とのあまりの落差を感じていた教師たちは、子どもが本当に思っていること、願っていることを「ありのまま」に表現することこそが、大切なのではないかと考え、リアリズムを標榜するようになる。東北の教師たちは、自分たちの生活の土台に立脚した自己表現を目指す。高知の小砂丘忠義は、元来子どもの持つエネルギー(自らの内に内包する成長発達の源泉)に着目した綴方教育論を展開する。生活を綴ることは、自己を見つめる表現だということを教育の根幹に据えようとした。
 しかし、滅私奉公の教育と自己解放を目指す教育は相容れず、生活綴方教育を推進した教師は、大弾圧を受け、教職を追放されたり投獄されたりした。
 日本作文の会は、戦前の教師たちの遺産に学びながら、戦後すぐに民間教育団体として結成され、子ども、青年の表現のあり方を追求してきた団体である。
 今、子どもの表現を育て励ます教育はどうなっているのか、また、学校以外の場で子ども青年はどのように自己表現しているのか、などなどを私たちは話し合う。現代の教育の課題と結びつけながら三日間真剣に学びあう。ぜひご参加願いたいと思う。 
7月30日(木)
中学生の表現 
 岩手のいじめ自殺事件にはよく分からないことが多い。全部が全部報道できないこともあるだろうとは思うのだが。
 私は担任教師と生徒たちが交わしていた「生活ノート」に書かれていた自殺を示唆する記述に対する教師のコメントが、不可解だ。「鈍感なひどい教師もいたものね。だからダメなのよ今の教師は」という教師批判を導くために使われているように思えて仕方がない。
 大体、今どき中学生と「生活ノート」で交流している学校がまず少数だと思うし、それはそれで素晴らしい取り組みだと思う。中学校教師が、自分の空き時間を使って、「赤ペン」を入れて返すという仕事は中々困難なことだろう。私は北海道の中学校で日記指導をしている教師の国語(作文)の授業を参観させていただいたことがある。この教師のクラスの子ども達は、本当のところ(願い・本音)を「教師に護られながら」表現していた。余程教師に強い指導性があるか、魅力がなければ、書かないだろうし、書けないだろう。
 岩手の場合はどうだったのだろう。担任や学年や学校は、何の手だても本当に打ってこなかったのかどうか、結果が結果だから、謝るしかないという側面もあると思うが、本当のところが知りたいものだ。
 今、「生活ノート」を複数の目で見ることが、いじめ対策防止策だと言われているらしい。複数の目で見る生活ノートは、中学生にとって頼りになる「生活ノート」なのかどうか。本当のことなんて、よほど信頼する人にしか書けないものだと思うのだが。
 「いじめられているのではないか?」と聞いても「大丈夫」だと答える子もいるという。「大丈夫」(と言い健気にがんばるボクを見てほしい)のか、「先生に言っても上手く行かないよ」「話が余計にこじれてボクが苦しむだけだ」というあきらめや絶望の「大丈夫」なのか、こういう中学生の表現をどう読むのかが指導のポイントになろう。
 生活ノートを有効に生かしながら、中学生の本当の願いを実現していくためには、何に取り組めばよいのか、よくよく考える必要がありそうだ。「複数の目で見る」は安易な思いつきに思えるののだが。
  
 7月28日(火)
作文大会私の3日間
 第64回全国作文教育研究大会in京都まであと4日となった。
 私は、1日目は全体会の舞台そでで滞りなく司会進行が進むか見守る役目で、司会進行のシナリオを書いた。浜矩子同志社大学大学院教授は、「子どもを幸せにする経済のあり方」という演題で記念講演してくださるのだが、舞台ソデで楽しんで聞かせてもらおうと思う。
 2日目は「生活綴方の理論と歴史」分科会で「京都綴方の会の歴史から学ぶ」というレポート報告をする。私の教師生活と京都綴方の会の歴史は重なり43年になる。京都綴方の会で私が何を学んできたかをお話しさせてもらう。このレポートづくりに時間がかかった。資料として、京都綴方の会と京都市つづり方の会の歴史年表を作った。近畿作文の会結成にも関係してきたので、この年表もこの機会に作成した。結成当時の資料をまとめたり、話題になった作品についてもまとめた。当時のメンバーの問題意識が鮮明になればと願っている。そういえば、私がこの日本作文の会大会に参加するのは連続で42回になる。よくもまあ、飽きもせず参加したものだ。
 3日目は、移動講座で講師をする。私は伏見の幕末の史跡巡りを担当する。寺田屋から薩摩藩邸跡まで、龍馬が伏見奉行所の追っ手から逃れた後を歩くことがメインだ。その他に土佐・長州藩邸跡、酒蔵のある風景、月桂冠記念館、長健寺、寺田屋お登勢の墓、薩摩八烈士の墓など私の知る限りの伏見を紹介しようと思う。8月3日(月)午前9時中書島北口集合である。
7月20日(月)
安保法制アベ政治
 
 7月18日(土)京都市円山公園で安保法案反対の集会が行われた。満杯であった。これは私の印象だが、女性が多かった。従軍看護婦の身なりをした女性たち、ギター片手の人、打楽器を持った人、手製のプラカード持ってる人、様々にアピールしていた。「戦争法案憲法違反」「アベ政治を許さない」 と表裏に書かれた紙を受付でもらった。
 いつもの通り祗園四条から四条河原町を北上し京都市役所までデモ行進した。私はデモ行進のかなり後ろにいたのだが、行進を終えた人たちが、その沿道に並び、デモをする私たちを拍手で迎え、自分の持っている紙を振って迎えていた。長い長い隊列であった。
 新国立競技場はゼロベースで見直す、安保法制衆議院通過翌日の発表であった。理由は「国民の賛同が得られない」。あれ?そういうのってご都合主義っていうんじゃないの。民意を大切にするのなら、辺野古の基地建設問題も、原発再稼働も、安保法制問題もTPP問題も、ゼロベースにすべきなのでは?
 「自民党感じ悪いよね」っていうのがこれ以上広がらないために点数稼ぎに新国立問題が利用されてるってだれだって思う。もちろん新国立はもっと早くに見直すべきだったと思うけど。
 あれは元々民主党政権時代に決められたと言う言い訳もみっともない。民主党政権時代に決められた都合の悪いこと(原発政策・消費税増税など)はみな帳消しにしてきたのに。
 北朝鮮の拉致問題が急展開して、被害者の方々が無事帰国されるというようなサプライズが起これば政権には都合がいいだろうけど、そんな機運はない。
 アベ政治はやはりアメリカと財界に向いている。アメリカのご機嫌を損なわないように、財界が儲かるようなこと(軍需産業・大手ゼネコン・大企業)は熱心だ。安保法制が国民の支持を得られていないことを、理解されていないと強弁し、数の論理でごり押しするなんぞは、「感じ悪いよね」を通り越している。我々は危ない人を総理大臣にいただいている
。 
7月18日(土)
作文教育全国大会
 
 8月1日(土)〜3日(月)京都で表記の大会が行われる。詳しくは研究会案内 でお確かめを。
 今、何とか千名規模の大会にならないかと現地実行委員会は毎週会議を行い奔走している。
 学習指導要領(文部科学省が教科内容を決め、教科書はそれを本に編纂される)から「作文」という言葉がなくなり、普段のくらしのあれこれを題材に書くことは、教科書からなくなった。報告文や依頼文、教科書教材の説明文のまねごとなどを「書くこと」は増えたが、自分の普段くらしのあれこれを題材に感動を伝えあったり、問題意識を表明したりする現場教師の仕事は、年々細っていかざるをえない。
 一方で、「いじめ自殺問題」(最近では岩手でおこった)などがおこると「自殺の予兆を発していなかったのか」ということが問題になる。今回の岩手は「生活記録的な担任とのやりとりノート」があったようだ。しかし一部報道で報告されている担任のコメントは、私からみると、被害者の生徒の心に届くようなコメントではない。せっかくのノートが役に立っていない。それがなぜなのか、そこが分からない。教師が日記などに入れる言葉を「赤ペン」と言ってきた。どんな赤ペンを入れ、子どもを励まし、学級にある問題を解決するのか、私たちが開催する全国大会では話し合い学びあってきた歴史がある。
 今、この時代この全国大会を成功させる意義は大きい。
 ぜひ、教師はもちろん、教師でない方のご参加もと願っている。
 参加費は、前売り券で3日間現役教師5000円、退職者、父母、学生3000円。1日券もある。当日券は500円高くなる。申し込みは、私のメールでも受け付けます。
 7月16日(木)
祇園祭前祭
 祇園祭前祭巡行は明日17日。台風接近で明朝五時に実施か中止か決定されるという。さぞかし気をもんでおられることであろう。今晩大荒れになることも予想される。鉾や山を風雨から守るだけでも大変なご苦労であろうことが察せられる。宵山をあてにしておられた人は肩すかしで痛手であろう。
 私は15日の午前中に山鉾を自転車で見て回った。天気は最高だったが、何しろ暑かった。今まで祇園祭見学は夕刻から出かけた。歩行者天国になってから人に揉まれながら歩いた。各町内の会所も見て回りたかったが、何しろ数が多い。山鉾の胴掛け、前掛け及び見送りなどの装飾品に興味もあったのだが、まだ半透明のものがかかっている所も多かった。
 写真撮ってたら、写真家を名乗るおじさんに、「あなたは、何のために写真を撮っているのか?今鉾の先と雲がいい具合にマッチしているのを狙っていたようだが…」と話しかけられた。さて、何と答えようかと考えて、いやあ、自分の気に入った写真が撮れたら、自分のHPにでも載せようかと思って」と言ったら「あなたはえらいな」と誉められた。「?」わけが分からないが、一応愛想笑いしておいた。
 6月30日(火)
圧倒的な数の不安

 全国的に今年の梅雨は猛威を奮っているようだ。鹿児島中心に九州地方はTVで見ているだけの情報でしかないが大変だろうなと思う。
 箱根、口永良部、浅間山、御嶽山、桜島など火山活動、地震活動が続くニュースが気になる。
 日本列島周辺だけでなく地球規模で起こっている自然界の変化は想像を絶するものであることは氷河期や間氷期を繰り返してきた事実だけでも十分だろう。それは急に起こるのではなく万年単位で徐々に進行する。人間が全てを管理下に置けるはずがない。
 「想定内」という言葉は怖い。「想定外」の事態が起こったとき「想定内」と言っていた人は責任のとりようがないのだから。東日本大震災と福島原発事故被害はその最たるものだ。
 京都も梅雨に入っているが、それほど大きな問題にはなっていない。夜に降って朝にはあがっているとか、自分が外出やテニスを予定しているときに降っていないので「かなんな」という程ではない。こういう生活感覚で「何とかなる」ことや「何とか出来る」ことは自己責任ですむ。
 自然や命に対しておごりと傲慢としか思えない行いで引き起こされる原発事故や戦争が「想定外」の事態を引き起こさぬよう国会議員は重い責任を負っている。沖縄の歴史や民意を侮辱することが平気で行われていた学習会の参加者が最高権力者のお友だちや応援団であることが怖い。
 世論調査では原発再稼働反対は7割、安全保障関連法案賛成の世論は徐々に減り、疑問を持つ人が増え、急がなくて良いという意見が半数を超えている。
 しかし、各電力会社の株主総会では原発再稼働方針が通り、内閣はそれを先導している。安保保障関連法案も国会では、推進する与党が圧倒的な数を持っている。
 民意や世論と、政治権力との間の乖離と矛盾…政権が交代してもおかしくない事態である。マスコミに圧力をかけ新聞社を潰すなどということを真面目に考えている人たちは焦っているのかもしれない。「アベノミクスの経済効果」に期待する人たちがいつまで我慢できるか、それを心配しているとしか思えない。
6月20日(土)
自転車に乗る

 
 1週間に1回は自転車乗って京都市内へ出かける。ここ2、3ヶ月乗って帰ってくるとドッと疲れていた。「何でかな、年のせいかなあ」自転車に乗ったぐらいで疲れるのはこれしか思いつかない。私の住んでいる伏見より京都市内の方が標高が高い。京都市内は盆地で、北から南へ鴨川が流れているように高低差はあるが、それほどでもない。(北の大通りから十条東寺までの高低差は国宝東寺の塔の高さと同じ)要するに疲れを感じるほどの負荷がかかっているとは思えないのにこの疲れようは年令以外に考えられない。。
 前から気になっていたのだが、今日乗ろうと思ったら、自転車の空気が随分減っている。いつもバイクのことでお世話になっているお店によって空気を入れていただくことにした。
 入れていただき乗ってすぐに気がついた。自転車のペダルが軽い。ハハーンこれだったのかと思った。私が疲れていたのは年のせいではなく、空気のせいだったのだと。こう思うとますますペダルは軽い。今日は疲れを感じることなく帰宅した。
 何とか自分の年齢のせいではないと思いたがっている。こんな悪あがきはない。わかっちゃいるけどやめられない。(こんなこと言うやつは年寄りだ!)自分の年令を素直に受け止めきれないことは幸せなのか不幸せなのか、私はおもしろがっているのか悩んでいるのか。たぶんおもしろがっているから大丈夫だと楽観的に思うことにする。 
6月14日(日)
ボクも元気やで
 
 写真展会場から帰るため久しぶりに市バスに乗った。乗り込んだら結構乗客でいっぱいだった。後部座席に空きはあったが、無理する必要もないかと思い、ポールを持って立つことにした。
 それを見ていた修学旅行中と思われる3人連れの女子中学生(一人座っていた)が立ち上がり、「どうぞ」と私に席をゆずった。「いや、大丈夫やで」と遠慮した。すると彼女は「いえ、私は元気ですから」と言う。それでなくても席を譲られるほどの年寄りではないと思っている私は、その状況に困惑していた。私の口から出たのは「いや、ボクも元気やで、病気でもないし」という言葉だった。彼女は困ったように「いえ、どうぞ」と言う。このやりとりを聞いていた後部座席の私より少し若い男性は笑っている。
 これはこれ以上固辞すると彼女は困るだろうなと思い「ありがとう」と言って席を譲っていただいた。優しい娘さんであった。
 それにしてもである。席をゆずられるという経験はこれで2度目である。1度目は小学校の時の友人と介護保険料引き落とし通知があったという話をしていたのを前の席の若い人が聞いていた時であった。この時は、そういう年寄りじみた話をしていたことと、友人の風貌が年より上に見えたからだろうと思うことにしたのであるが、今回は逃れようがない。
 明らかに私を見て席を譲らなければと言う判断を彼女はしたのである。どなたが見ても私は年よりの仲間に入っているのだ。 
 6月8日(月)
5+One写真展
 5+One写真展が12回目になった。今年は何人が出品するのか確かめていないが、最初は6人で始まった。だれが、+Oneなのかを話題にしてみんなでワイワイ言い合ったものだ。12回の間にメンバーの出入りがあったが、現在は5+Threeが正確か?
 写真のテーマは人によって様々。鳥を撮り続けている人。様々な集会へ出かけて出会った人を撮り続けている人。季節の移ろいの中で心動いたことを撮っている人。
 私はここ2回ほど参加しなかった。積極的にお知り合いに呼びかけて見に来ていただく意欲に欠け葉書が出せなかった。今回は葉書を出した。このHPにもUPした。
 写真を並べて思ったのであるが、私は自然の景色や風物の模様のような美しさが好きで撮っている。清水寺・植物園などの四季の移ろいなどを12枚見ていただこうと思う。愛宕念仏寺の石仏写真を10枚出品しようと思っている。愛宕念仏寺には故西村公朝さんの異形の仏たちと、素人仏師の五百羅漢群像がある。私は円空に通じるものを愛宕念仏寺の諸像に感じている。
 私の彫った仏像も並べようと思う。円空風に彫った十二神将や不動三尊、それについ最近彫った阿弥陀如来を見ていただく。
 会場は市バス今出川大宮下車、北へ5分。京民家『古武』。
 日時は6月13日(土)10:00〜17:00〜14日(日)10:00〜16:00。
  
6月3日(水)
体内年令 
 私の体重が8kg近く落ちて現在65〜66kgを行ったり来たりするようになって1年近くになる。この間体重計が壊れて新しいものを購入した。車内食堂の昼食メニューで反響を呼んだ「タニタ」の製品である。
 この製品おもしろい。年令や身長を最初に入力するのだが、体重だけでなく色々なものを告知してくれる。何のことか分からないのだがBMIの数値、筋肉量、骨量、脂肪率、体内脂肪率などである。薄っぺらい体重計に乗っただけで、何でそんなことまで分かるのかと思いながら注視している。何でも足裏から微量の電気が流れ測定するとか。
 私は、脂肪率は標準だが、体内脂肪率がやや過剰なのだそうだ。
 筋肉量56kgあまり、骨量は2.8kg、これはほぼ変わらない。ということは残りの脂肪とか水分量で体重が変化しているということか。
 一番おもしろいのが、体内年令を表示することである。この表示システムデータはどういう計算で行われるのか分からないが、私は51歳と表示されるか54歳と表示されるかどちらかである。現在66歳の私としては悪い気がしない。体内であろうが、体外(こっちの方がうれしいかな?)であろうが年令より若いと云われれば気分がいい。
 素直に喜べばいいのに、いや、そういう利用者をおだてる設定になっているんではなかろうかと疑う自分はひねくれている。 
 5月22日(金)
川柳
 今医療専門学校で国語を教えている。
 3回目の講義で川柳を取りあげた。ユーモア川柳・シルバー川柳など昨今の川柳ブームの作品、鶴彬や時実新子の作品、番傘や古川柳作品も紹介した。そして和歌・連歌・俳諧・川柳という歴史も教えた。
 若い彼ら(高校を卒業してすぐ入学したという人が大半だが、20,30,40、50代の人もいる)の共感が多かったのは、同世代の高校生川柳であった。
 彼らの講義後の川柳に対する感想である。

・普段言えないようなことも川柳だと言えるし、言葉遊びとして高いレベルにあると思います。
・知的な遊びだと思います。考える時間に趣があります。
・川柳は若い人たちにも慣れ親しみやすく自由であると感じました。自由であるため本音を語る川柳が多く、いつもは言えないこと、自己表現ができるいいものだと感じました。
 
自己表現の手段として川柳を評価していること、表現する楽しさに言及している感想が多く、若者の自己表現の手段として川柳がもっと見直されてもいいのではないかと思う。

 彼らに実作もしてもらった。@課題「人を待つ」A前句付け「恥ずかしくもあり おもしろくいもあり」B自由題の三種どれで作句してもよいということにした。

@「人を待つ」
・人を待つ 湖岸道路の 路側帯
・待ち合わせ 「今来たところ」と うそをつく
・ひだり腕 何度見ても 時たたず
・待ち合わせ 久々に見る 母の顔
・“今起きた” 駅で見るLINEのむなしさ
・ポケットに 小箱にぎって 君を待つ
・待つ時間 その場に腰掛け スマホ出す

A前句付け「恥ずかしくもあり おもしろくもあり」
・部分痩せ したい所が 大部分
・朝起きて 髪を見ると ボンバーマン
・好きでもない ただただ会いたい お母さん
・ダイエット 塩分控えて 食べ過ぎた
・快便だ トイレがつまり 出られない
・トイレにて 放屁かました 夏の夜
・傘を持つ あの娘の靴は ぬれている
・授業中 眠さにたえる 繰り返し
・授業中 寝ても覚めても うわの空
・恋人の 名を呼ぶ かすれ声

B自由題
・骨模型 見るたびいつも 目が合うよ
・細胞が 夢に出てきて うなされる
・モテるやつ 明るいイケメン おれ根暗
・気合い入れ 朝から戦争 満員電車
・おはようと 元気に言うも 目は開かず
・授業料 考え出したら 寝てられへん
・五月なり もう勉強 疲れたよ
・朝起きて 妻の名前を 間違える(大変ことになりました)
・テスト前 睡眠と成績 どっちとる
・スマホでね 新聞読むとき 指なめる
・授業中 一度目を閉じ チャイムなる
・五限目に 考えることは 晩ごはん
・カレーパン カレーライス カレーパン
・IとYOU いつも心に 愛と優
・勉強を 今日からしよう また明日
・おもい人 時がたっても 想い人
・勉強を やろうと思う 寝る手前
・朝起きて いくら待っても 飯はなし

 今青春真っただ中を感じるもの、初めての下宿生活で親の存在をふり返るもの、学業に対する向き合い方など彼らの「現在(イマ)」が見える。
 先日日本作文の会の合宿研で俳句をどう考えるかという問題提起があった。ある元中学校の先生が「連歌に可能性がある」という趣旨の発言をされた。短時間の発言だったので本意は測りかねる。
 私は俳句も和歌も教材として取りあげ、実作してみる価値があると思っているが、川柳もまた小学校高学年ぐらいから取りあげたらおもしろいと思っている。
5月5日(火)
こどもの日 
 先日の作文教育の研究会で興味深い話を聞いた。
 2年生でクラスがえのあったクラスを担任をしている先生が話されたことである。国語の時間、文学教材で「自分が思ったことや感じたことをノートに書きましょう」と言ったら、「先生、思ったことって何ですか?」と質問されたと言うのである。
 今、教室では学力向上が至上命令になっていて、その一環としてノート指導を徹底するように教師は強い指導を受けている。各教科ともにその形式は決められている。とりわけ学習指導要領で「言語活動重視」が言われてから、ノートをしっかりとれることが「書く」言語活動と結びつけられ、子どもは決められたことを決められたようにノートに書くように指導されている。もちろん、そんなことに囚われない教師が大勢いることも確かであろう。しかし自分なりの学力向上に対する自信や実践の見通しがないと、教師が管理職や指導主事からの「指導」通りが無難だと言うことになる。
 先程の「先生、自分が思ったことって何ですか?」である。
 この子は1年生の時に、教師から文学作品を読んでどのように思ったか、感じたかを問われることがなかったのである。これは由々しき事態だと私は思った。これだけ個性とか創造性とかが大事だと言われている時代に、現場では文を読んでどう思ったか、感じたかが大切にされていないのである。
 ついでながら、子ども求められているのは、先生が板書した内容を正確に美しくそして素早く書くことなのである。つまり大人の考える「正解」を書く力なのである。
 日本の子どもがもっと幸せになりますように。 
 
 5月4日(月)
みどりの日
 みどりの日…いい名前だなと思う。この日が誕生日である私はいい名前の祝日になってよかったと思う。この祝日、なんか余裕があっていい。みどり求めて郊外へでもいかが?と誘われているような気分になるネーミングである。 
 5月3日(日)
憲法記念日に

 日本は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼している国である。(憲法前文より)
 日本は平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ国である。(憲法前文より)
 日本は国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄している国である。(憲法9条より)
 そしてその目的のために陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない国である。(憲法9条より)
 第二次世界大戦という未曾有の戦争を起こした責任を大反省した結果この「日本国憲法」を定めた。
 結果日本は戦後70年経過して世界にも稀な名誉ある国になった。
 日本は戦後戦争で人を殺していない。
 日本は唯一の被爆国として核兵器を保有していない。
 日本は治安が安定していて安全な国である。
 最近こんなことを言うと「平和ぼけ」していると言われるらしい。いいではないか。日本中「平和ぼけ」している人ばかりならかえって尊敬を集めるのではないか。「あの国は我々とは違う哲学を持った犯しがたい道徳性をもつ人々が、人類の叡智と文明を共有している国だ」と世界中に思っていただける国になるのは素敵だと思う。「あの国は、世界中で恐れられる巨大な軍事力を所有している国とお友だちで、自らの戦力もなかなかで、手を出したら大やけどする」と思われるより。しかもお友だちのためなら、同胞(沖縄)の民意は無視して強権発動して問答無用の恨みを何度も重ねる愚を犯すのは許されるものではない。 
4月14日(火)
京都市動物園
 
 日曜日(4/12)京都市動物園へ行ってきた。二年ぶりぐらいに京都市動物園へ行ったのであるが、現在大改造中であった。この夏に完成するらしい。順次動物舎がリニューアルしていて、お客さん目線の改革が行われている。旭山動物園の成功が京都市をその気にさせているように私は思うが、動物にとって以前に比べよいことだと思う。
 チンパンジーもゴリラもライオンもトラも歩き回れるスペースが確保されていた。私はライオンの雄と雌がじゃれ合っているのを初めて見た。この二頭仲良しなんだと妙に感心した。象は四頭加わって前からいる象と合わせて五頭もいる。それだけのスペースをぬかるみ状態にして飼っている。何とキリンも四頭いて、少し走れるぐらい広くなっていた。カバのツグミちゃんはカバ舎の中で食事中だったが、色つやがよくなったように見えた。
 夏のリニューアル完成後にもう一度見に行こうと思った。
 4月11日(土)
吉田玉男襲名
 大阪日本橋国立文楽劇場第138回公演は二代目吉田玉男襲名披露が行われている。
 「今日はどの演目も、力入ってたな」
これは第一部終了後同じ出入り口から出てきた女性が同行者に語った最初の感想。「そう言えば…」と私も思ったが、今日は玉男襲名だという先入観がそう思わせているのかも知れない。
 私が初めて文楽を鑑賞したのは平成19年の1月公演だからそう昔のことではない。2回目の4月公演のパンフレット「技芸員に聞く」で当時の玉女さんがインタビューに答えておられる。副題は「師匠の持ち役に全て挑戦したい」である。そして8年後の今回玉男としてのインタビューには「基本に忠実にーそして新しい玉男を目指して」とある。この8年間の精進と自信が感じられる。
 平成18年9月に師匠であった人間国宝初代玉男さんは亡くなられた。歌舞伎は世襲という大きな壁があり、大きな名跡の家に生まれた子とそうでない子の差は歴然としている。自らの実力で看板を背負うまでになるのは並大抵ではなさそうだ。それに比べると文楽は実力が重んじられる世界のように思うのは私の無知か。新玉男さんは背筋がシャンとしている。表情が変わらない。女性の人形の動きはしなやかであり、男の人形の動きは大きく豪快である。
 それにしても文楽の襲名披露の口上は華やかで澱みがない。浄瑠璃、三味線、人形それぞれの師匠たちがそれぞれの役割で口上を語る。私は蓑助さんが人形遣いの代表で口上を述べられるのかと思ったら、勘十郎、和生という同期のライバルが述べられた。これからそう言う時代だと蓑助さんが思っての人選だとしたらそれも慧眼である。
 満席であった。4月26日が千秋楽。口上は16日から二部(夜の部)になる。詳しくはhttp://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html
4月8日(水)
紙芝居を見た
 
 知人が紙芝居の実演をある催しですると知らせてくれた。前に彼が自作の紙芝居を作り(絵は別に作者がおられる)実演していると教えてくれていた。一体どんな紙芝居なのか興味を持っていたので出かけた。
 彼の1時間余りのステージは、紙芝居2本と絵本の読み聞かせ2つとトークで構成されていた。統廃合で閉校になった元小学校の作法室を使った会場であった。前列の座布団席に小学生、後列の折りたたみイスに大人が座って、彼のステージを楽しんだ。彼はギターが上手で、音楽センスは抜群で、作曲もできる。
 彼の紙芝居は「会話」と「地の文」と「歌」で進行する。落語のようであり、音楽劇のようであり、一人芝居のようであり、漫談のようでもある。観客の反応に応じてアドリブを入れる。
 なるほどなあ、こういう紙芝居のやり方もあるのだなと思った。
 お客さん参加形式を取り入れるテクニックもあった。クイズ形式を取り入れる、みんなで同じセリフを唱和するなど。
 彼は「紙芝居師」と紹介されていた。この「師」という言い方は「屋」とか「家」と違う。私が子どもの頃毎日町内を回ってきた紙芝居のおっちゃんは「紙芝居屋のおっちゃん」であった。「屋」が入るとそれを生業にしているという印象が強い。「八百屋」「魚屋」など。落語家は「家」だ。漫談も「家」だし、「芸術家」という言い方もある。漫才は漫才師だ。「師」は「師匠」「教師」「医師」などと使われる。きっと秀でた技能を持つ人という意味なのだろう。一方で江戸時代は「絵師」と言われていた絵描きさんは「画家」と変化した。この違いはどこから来るのだろう。
 彼が自分で「紙芝居師」と自ら名乗っているのか、他の人がらそう呼ばれているのか知らない。でも、きっと「紙芝居師」という名乗りに自負を感じた。
4月5日(日)
教え子のコンサート 
 先月24日某女子高校音楽部の卒業コンサートが、京都コンサートホール小ホールであり行ってきた。小学校1年生の時担任した子が独唱するというので、それは聴かなくちゃと思った。
 入口で整理券を持っていない私が「整理券持っていないのですが」と言うと、受付係の高校生は「分かりました。お友だちですか」とおっしゃる。女子高校生のお友だちが、こんなおじいちゃんに近いおっさんのはずないやろ、と自分で突っ込みながら微笑んで誤魔化した。  
 ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」がロビーコンサートで奏でられていた。
 プログラムが進行するにつれてほぼ満席になった。
 お目当ての子は「ああ愛する人の」「愛のよろこびは」の2曲をイタリア語(だと思う)で詠った。アルトの素敵な歌声であった。ありふれた感想だが「大きなったなあ」と思った。ずっと笑顔を絶やさなかった。そして舞台を去るとき一人客席に向かって手を振った。コンサートが終わりロビーへ出ると彼女は大勢の人に囲まれていた。私は声をかけそびれそのまま失礼した。その後彼女のFaceBookで進学したことを知った。ずっと笑顔だっだ。よかった。
 4月2日(木)
せわしい
 せわしいで漢字変換したら「忙しい」と出た。へえ!と思った。忙しいというより、急な変化で気が急く(せく)、追い立てられたような気分になるという意味だと理解している。
 「今年の春はせわしい」ということが言いたくて書いているのだが、桜の開花宣言から満開までが早すぎるのだ。今日急いで行きたいところへカメラもって回ろうと思う。
 
3月20日(金)
訃報
 
 桂米朝さんがお亡くなりになったと今朝新聞で知った。
 これからしばらく米朝さんのことがマスコミで話題になるだろう。この2,3日前にもCD聴いた。やるべきことはやりつくしてあの世に旅立たれたように思うがこればかりは本人しか判断できないことだ。
 私はお弟子さんの枝雀さんの落語会へ行ったのを契機に上方落語ファンになった。30年ほど前のことだから若い頃から落語好きでというわけではない。 「おもしろい!」私はどんな噺が上方落語にはあるのか全部聴きたいと思った。米朝さんのカセットテープ「桂米朝上方落語大全集」を聞いた。これは40歳台の米朝さんの録音で70歳台の「特選、米朝落語全集」より私は好きだ。
 米朝さんが主催しておられる安井の金比羅さんの落語会へ行って毎回若手からベテランまでの噺を聴かせてもらった。この頃は米朝さんはトリで最後に小品の噺をしておられた。毎回枝雀、ざこば(当時朝丸)さんなども出ておられた。この落語会そのものも楽しかったが、その反省会が凄いと読んで知っていた。米朝さんの感想、ダメ出しが徹底していたという。一度どういう反省会なのか参加してみたいと思ったが、何のつてもない私はきっと今頃徹底的に批判されている弟子や孫弟子がいるのだろうなと思って家路についた。
 「米朝の袈裟懸け」とざこばさんが噺のマクラで言っていた。舞台そでで次の出番を待っている米朝さんが、その前に演じて楽屋へ戻ろうとする弟子に一言辛らつな言葉を浴びせるという。大爆笑で気分よく高座を降りてきたら「あないに笑わしてどないすんねん」とか「自分の出番順の役割が分かってない云々」とか「××ということばは発音が違う」とか、「あの言葉は噺の時代にはない」とか。「普通にしゃべったら笑えるようにできてるのに、ようそんだけ笑えんようにできるなあ」とおっしゃったという。
 見える人には分かるのだ。しかしそれを注意したり教えたりしてもおそらくすぐに直せる弟子は少なかったのではなかろうか。米朝さんの育てた弟子は次々米朝さんのライバルになった。枝雀・ざこば・吉朝・南光…。
 「桂米朝」という落語家を私は生で聞いた。おかげで米朝さんの速記本を読んでもその口調で読める。これからもその著作やCDを楽しみながら読み聴くことにする。ご冥福をお祈りしたい。
3月19日(木)
春めく 
 この2〜3日の雨と暖かさで畑の変化が顕著だ。
 野菜は軒並み一回り大きくなった。タマネギも白菜もレタス小松菜などすべて急に伸びた。しばらく前に畑を耕してジャガイモを植え、ホウレンソウの種まきをした。芽ぶきも早いかも知れない。
 梅は散り、ラッパスイセンが咲き、チューリップも大きくなり小さい品種が咲き始めた。フジ、ぼたん、桜、レンギョウ、遅咲きの椿みんなほころびかけている。何かうれしくなってくる。
 メダカの動きも急に活発になった。水面付近に姿を見せるようになった。
 
3月13日(金)
塩加減 
 こうじ漬食べている。ダイコンを塩漬けするときの濃度が濃すぎたようだ。それにこうじ漬けの基にも塩分が入っているようで塩分オーバーになるようだ。私はそれほどでもないのだが、妻は塩辛いという。塩分控え目に越したことはない。仏像教室に敦賀から通っておられる方がおられて、「ニシンと大根のこうじ漬け」の話をしていたら奥さんにレシピを聞いてきて下さった。私がやったものに酒やみりんも加えるやり方で、さらにおいしそうだ。次回はこうじ漬けの基を使わずにやってみようと思う。 
 3月8日(日)
ニシンとダイコンの
こうじ漬け
 北陸の漬け物「ニシンと大根のこうじ漬け」に挑戦した。
 美味く漬かったかどうかはあと四日後に判明する。ここ数年食べたいなあと思ってきた。インターネットの情報でそのレシピが分かるのだから便利な世の中になったものだ。
 手順を簡単に紹介する。
@大根を塩漬けにする。(私は二日乾して乱切りにし、5%の塩水で一晩漬けた)
A身欠きニシンを米のとぎ汁に一晩つけておく。
Bこうじ漬けの基(700g)に水200ccを加えてこうじ床を作る。
C@とAとニンジンの乱切りしたもの(色取りのため)をBにつけ込む。(漬け込むと言うより混ぜるという方が正確かも知れない。
 これで、4〜5日すれば出来上がるらしいのだが、私は小さい漬け物樽に入れて重しを載せた。
 インターネットの情報とこうじ漬けの基の情報に私の勝手な憶測を足してこのように漬けてみたのだが果たして結果は?
 これで、大根のぬか漬け、日野菜・赤かぶの塩漬け、ニシンと大根のこうじ漬けと3つ挑戦した。塩漬けは塩を入れすぎて、塩出しする必要があった。次回から塩の分量を色々加減してみようと思う。漬け物づくりなかなかおもしろい。 
3月7日(土)
確定申告
 
 今まで、年末調整をしていれば特別なことはする必要もないと思ってきた。節税とか蓄財とかについての知識がそもそもない。確定申告という言葉は自営業の方がされるものだと思ってきた。何の自慢にもならないけど知らない。
 今年何人もの方が「確定申告をしているか?」とおっしゃる。「通院にかかる費用は交通費も売薬の費用も控除の対象になる」とか「年金生活者になって3年分を一度に申告したらたくさんお金が返ってきてうれしかった」とか。「確定申告しないと必要以上に税金を払っていることを知らないままになるからしたほうがいい」とか。先月名古屋で地下鉄に乗ったら私より年配の方がやはり確定申告しに行った話をしておられた。その方も数万円の返金があったとおっしゃっていた。妻は数年前からやっていて返金があるという。
 昨年7月末に無職になり年金生活者になったので、私も確定申告をするべく税務署へ出かけた。必要な書類は年末に送ってきてきたものを残していた。パソコンで入力すれば提出するだけで済むので時間もかからないし、おおよその返金額も分かると聞いていた。が、邪魔くさいので、直接行くことにした。どんな雰囲気で確定申告するのかに興味もあった。
 9時から受付開始で私が着いたのは9時20分。受付番号は65番。現在40番が受付中であった。それからおよそ30分で私の書類作成開始。思っているより早い。一人に一人付いて作成してくださる。計算機片手に私の持ってきた書類を見ながら区分けし書き込んでくださる。それが終わったら、次パソコンに打ち込む作業をするところへ誘導された。そこにはアルバイトの方がおられて、すぐに私の書類は作成された。
 結果である。私は5100円不足していて、郵便局の払込用紙が渡された。
 エ〜〜〜ッ!である。私はてっきり返金されるものだと思いこんでいた。念のために「私、ここへ今日来なかったら、徴収されることはなかったのでしょうか?」と聞いてみた。すると、アルバイトの方はお困りになったようで、税務署員を呼んでこられた。「いいえ、調べて徴収することになったはずです」とのこと。疑い深い私はホンマカイナ、ソンナ丁寧ナコトシテル?と思った。もう一つ質問した。「私と同じような年金生活者の方の話では、たいてい『返金があった』とおっしゃっているのだが、私が徴収されるというのは、私の収入が多いのでしょうか」と聞いた。これにはお二人とも口ごもられて、何とも答えようがないという反応であった。未だに私はなぜお知り合いの方は返金で私は徴収なのかがよく分からない。
 「とんで火に入る夏の虫」か…と思いながら郵便局で払い込んで家へ帰ってきた。妻に話すと「ハハハ、がっかりやね」と笑う。何とも時間の無駄遣いをしたようで、おもしろくない。  
3月1日(日)
漬け物を漬ける 
 NHKの「野菜の時間」という番組を見ている。家で作ったダイコンを保存し活用する方法として「ぬか漬け」を紹介していた。
 前から家で漬け物を漬けてみたいと思ってきた。漬け物樽を使って漬けてみたいのである。
 自分のうちで作ったダイコンで漬け物を漬けたいのだが、土の耕しが浅すぎるのか、今まで太くて長いダイコンは作れていない。今年こそと思っているが。
 しかしせっかくぬか漬けの方法が分かったので今年挑戦することにした。
 まず、道具と材料を揃えなければならない。コーナンで、プラスチックの漬け物樽と重し(15kgと8kg)とポリ袋購入。食材はスーパーで買った。ダイコン一本180円を6本、食塩、赤トウガラシ、昆布、ダシ用乾燥魚を買った。いつも買う米屋さんはぬかを無料でくれるのでぬかはそこでもらった。それでこの初期費用をダイコンの漬け物1本分で計算すると、えらい高額漬け物になることが分かった。このことは最初コーナンで樽と重しを買うときに気づいたのだが、こんなことで止めてはいけないと思うことにした。
 ダイコンを2つに切って干すこと二週間。もう漬け込みができるようになったので漬けた。さて、どんなぬか漬けができるか楽しみである。
 ダイコンを干している間、せっかく樽や重しを買ってきたのだから「塩漬け」なら簡単だろうと日野菜と赤かぶの塩漬けをしてみた。こちらの方は2〜3日干して、漬けて2日ほどで食することができた。今回は昆布だけ入れて漬けたが、ここに色々なものを加えたらオリジナルのさらにおいしいものができるかも知れない。
 子どもの頃、一回きりだったが大きな樽でダイコンの塩漬けをしたことがあった。寒い時期だったが祖母と母がやっていた。大量のダイコンを干して漬けていた。漬かり頃はもちろん、浅いものもおいしかった。少し古くなってすっぱさがでると、大名煮にして食べた。
 漬け物と言えば、北陸のニシンと大根をこうじ漬けした漬け物がおいしい。あれが漬けられないものかと思う。そうだ、白菜はよくできるののだから、白菜のぬか漬けや、キムチにも挑戦してみようかなと今思った。
 「どこに置くの?」それもそうだ。ま、色々考えてみることにする。
 
2月25日(水)
古文書解読講座
 
 先週、京都府立資料館が主催する表記の講座に行ってきた。3日間連続で2時間の講座であった。
 2日目から参加した。その日は近世の土御門家による陰陽師支配について(資料は土御門家の家司若杉家文書)、そして3日目は子爵石井行昌の写真趣味についての講義であった。二つの講義共に私の未知のことであった。
 陰陽師と言えば安倍清明。晴明は平安時代に式神を使って不思議な現象を起こす超能力者で、比較的最近アニメや映画で取りあげられ、京都の清明神社は急に有名になった。土御門家は晴明の子孫の一家で江戸時代全国の陰陽師を支配していたというお話しであった。私は神道や仏教が加持祈祷、時には呪術も行っていたと思ってきたので陰陽師独自の役割が理解できないでいる。元々中国の陰陽五行説から発したようだが、日本独自の発展を遂げたようだ。天文学・暦学・数学・祈祷などの専門家という理解でいいのかなと思ってきた。
 しかし卜占・猿楽等の呪術的芸能や予祝芸能を行った声聞師、易学者、天文暦算者などを陰陽頭(土御門家他)が支配したというのであるから、これは江戸時代の身分制の中ではどう位置づけられるのかなと思いながら聞いた。しかし明治になると「迷信」という一言で片付けられたというのであるから哀れである。現在高知県の山村部に残る「いざなぎ流」という大土公祭文(だいどくさいもん)を唱える大夫のことをTVで見たことがあるが、あれが現在現役でおられる陰陽師の姿らしい。
 明治〜大正の写真の講座のことである。この当時カメラを持っていたというだけでも貴族趣味であったことは推し量れる。講義の結論が極めて単純でおもしろかった。石井行昌の□写真趣味 ・関心のあるものを写した・普通の写し方をしている・家族を写した □人物像 ・人好き ・新しいもの、話題のものが好き というものであった。結論があまりに普通でおもしろくて笑えた。
 私が興味を持った写真は讃岐の薬売りを撮影したものであった。当時京都市内を売り歩いていたというのである。私の子どもの頃(昭和30年代)は富山の薬売りであった。へえ、香川にもあったのかと思った。その薬売りは目立つ工夫をしていて、西洋傘に店の名や薬の名を書いて売り歩いていたという。
  
2月9日(火)
続「おもろいこと」

 
 「おもろいこと」を集まってやる話を前回書いた。
 何人かの人に話してみた。NPOにするとかどこかに登録すればとかアドバイスしてくれる人がいた。NPOのことも登録のことも何も知識がない。
 こんな話をしてくれた人がいた。「自分はみんなと話を合わしたり、集団行動をとるのが苦手で、それが煩わしい。仕事なら我慢もできようがそういう趣旨の活動をする自信がない」なるほど。
 「そんな相当な時間いっしょにいたら、何もかもお互いの生活が分かってしまう。そんなことを今どきの人は望むかなあ」という意見もあった。確かに浅く広く干渉しない適度な距離感が保てる関係の方が今主流だ。
 ここ数ヶ月の間に3つのテニスクラブに参加するようになった。次々人のつながりで誘ってくださるようになった。テニスをするという目的だけのおつきあいで、時々飲み会がある。自分がやりたい「おもろいこと」をこの指とまれでそれぞれにやるというのが現実的かも知れない。
 でもしょっちゅう集まって「何かおもろいことやってる」という仲間がいれば楽しいと思うけどなあ。 
 
2月6日(金)
 おもろいことをする
 夢みたいな事を考えている。それは、退職して時間に余裕のできたものが仲間と共に生き生きと自分のしたいことができるような場と機会が作れないかということである。
 きっかけはいくつかある。
@母親が介護施設のお世話になるようになって老後の生活が身近な問題になったこと。
A同年代や同級生の中に病死したり身体に障害が出たり痴呆が始まっているという人の話を聞くようになったこと。
B退職後時間はある。しかし何かしようと思うがすることが見つからない人。したいことはあるがいっしょにする仲間がいない人。
 私たち団塊の世代のものは、退職したとはいえまだ体は丈夫で、多少鈍くはなっているが頭の回転はまだそこそこだと思っている。昔取った杵柄で色々な特技や技能や人脈を持っている人もいる。こういうことを生かせないものかと思う。別に世の中のために役立てることを第一義に考えているわけではない。何か集まって「おもろいこと」ができひんやろかと思うのである。
 例えば、こんな活動ができないかと思っている。
1,講演会・演奏会・落語会などの開催
 定期的に学習会や講演会を開催する。例えば「歴史」「文化」「経済」「科学」など聞きたい旬の話ができる人に講演してもらう。落語会を開催したり音楽の演奏会も開催する。
2,日常的に集まってサークル的な活動をする
 テニスなどのスポーツ、写真、絵画、彫刻、音楽(バンド)活動、サイクリングなど
3,時々外へ出る活動も計画する
 ハイキング、写真撮影会、食事会、バス旅行、銭湯温泉巡りなど。
4,たまり場がある。行けばだれかいるようにする。お茶を飲んだり昼ご飯いっしょに食べたりする。
 こういう活動をするためには次のような条件が必要だ。
@自分たちがやりたいことを提案し合議制で計画実行すること。
A経済的負担をできるだけ抑えること。
B5人ぐらいこの趣旨に賛同し発起人になる人がいること。
C活動拠点(たまり場)に見通しがあること。
 老人介護施設にお世話になるほどではなくて、何か自分のしたいことを実現できる場を探している人たちの選択肢の一つになるグループ…こういうグループがたくさんあればもっと退職後が楽しくなると思うのだがどうだろう。
 
2月2日(月)
朔日餅 
 「朔日餅」をご存知だろうか。
 朔日餅は赤福が毎月一日伊勢神宮早朝訪れる参拝者のために特別販売する餅菓子である。発売開始は昭和53年らしくそう歴史のあるものではない。1月元旦は販売しない。今月は「立春大吉餅」。その他、「よもぎ餅」「さくら餅」 「かしわ餅」「麦手餅」など多彩である。
 無事に一ヶ月過ごせたことを感謝し、今月無事に過ごせるよう願って食するということらしい。朔日餅の包装紙が伊勢千代紙だというのも素敵だ。値段は月によって違う。6個入りで千円以内である。
 この朔日餅京都では手に入らない。妹夫婦がいつも大阪へ行って私の分も買ってきてくれる。私は別に赤福の回し者ではないのだが楽しみにしている。
1月29日(木)
「廓」を読む
 
 今年の夏「幕末の伏見」をテーマにガイドすることになった。
 長建寺、月桂冠大倉記念館、寺田屋、そして長州、土佐の藩邸跡、そして寺田屋主人伊助やお登勢の墓、有馬新八の墓を経て薩摩藩邸跡を歩こうかと思っている。基本的には龍馬が寺田屋から薩摩藩邸まで逃れたコースをたどると言うことになろうか。
 港町伏見は中書島がその中心であった。元禄時代の伏見奉行は地元と協力して近在の遊郭をこの地に集め大歓楽街とした。寺田屋は歓楽街の入口蓬莱橋の北に位置する。長建寺は弁財天を祀る寺で、遊郭で働く女性たちの信仰を集めた寺であった。
 私が小学校低学年だったころ売春禁止法が成立した。かなり最近まで蓬莱橋のすぐ南に大きな遊郭の建物があった。現在中書島は飲食街に変貌し現在「遊郭」の面影を残すところはほとんど残っていない。
 西口克己の小説「廓」を一気に読んだ。私の知っている西口克己は伏見区で抜群の知名度のある日本共産党の府会議員であった。又一方で「廓」や「祇園祭」(これは中村錦之助主演映画にもなった)などを書く小説家でもあった。東大出で元々中書島で遊郭の主であったということも有名な話であった。
 私が高校生の頃には新潮文庫にあった。しかしさすがにこの題名の本を購入して持ち歩くことがはばかられて興味はあったが読むことはなかった。今回図書館で借りて読んでみた。書庫から出てきた本は上下二巻で、西口克己小説集(新日本出版)の中の2冊であった。
 おもしろかった。彼とその父親の二代にわたる小説なのかノンフィクションなのかその境界は曖昧だが、「廓」に吸い寄せられていく人間模様とその中で葛藤する主人公が描かれている。三部形式で、第一部は創業者の父親が土地の暴力団や同業者の中で頭角を現していく過程が描かれている。第二部は戦時下廓内で顔役になっている父親が政治家に働きかけ遊郭の存続を図る過程と、従軍慰安婦の悲劇が描かれる。そして第三部は西口克己本人が東大は卒業するが、戦後職をなくし、やむなく二代目として楼主となるが失敗し廓を手放し、人間として再生する緒につきかけているという場面で終わる。
 おかげでしばらく前の「廓街中書島」のイメージが蘇った。図書館になければamazonでも手に入りそうだ。
 1月8日(木)
自粛という名の圧力
 今朝の朝日新聞に「あれ?」と思う記事があった。
 NHKのお正月寄席番組「初笑い東西寄席2015」で爆笑問題の政治家ネタが没にされたらしい。ちょっとその新聞記事の関係者の発言部分だけを引用する。爆笑問題は7日未明のラジオ番組「JUNK爆笑問題カーボーイ」でこういう発言をしたというのである。
 田中「全部ダメって言うんだよな。あれは腹立ったな」
 大田「プロデュサーの人にもよるんだけど、自粛なんですよ。これは誤解してもらいたくないんですけど、政治的圧力は一切かかっていない。テレビ局側の自粛っていうのはありますけど。問題を避けるための」
 田中「色濃くなってるのは肌で感じるね」
 NHK広報部「放送にあたって娯楽番組の際の通常の打ち合わせの中身に関することについては、普段からお答えしていません」
 やっぱりそうかと思う。権力者に対しては厳しく追及するのがマスコミとしてのプライドではないかと思ってきたがそうではないのかと思った。やはりNHK会長を安部首相お気に入りの籾井勝人氏に交代させた効果が「自粛」という形で出ているのだなと思った。痛くもかゆくもない風刺や揶揄、弱者や仲間内のいじめをネタにした笑いは許されても、政治家を直撃するような耳の痛い笑いは排除するのだ。
 1980年〜90年頃、「コントレオナルド」というコンビがいた。レオナルド熊と石倉三郎が時の総理大臣中曽根康弘氏をネタにコントをしていたのを覚えている。あれはおもしろかった。労務者風の熊は中曽根氏と昔からの知り合いだと言い、家の中へ入ろうとする。その熊に「どういう知り合いだ」と石倉は聞く。「あいつを男にしたのはオレだ」という。「どうして」と言われ「選挙の時に、田んぼの中まで入ってきて、握手して『どうしても私を男にしてください』って頼むから、オレが男にしてやった」というのであった。
 最初から批評精神のない人は別にして、TV出演者は、権力の痛いところを痛烈に突き続けると使われないことを身にしみて痛いほど知っている。当人たちは余計に自粛するだろう。これはこの後大きく取りあげられるのか、なかったことにするのか。朝日新聞が池上彰氏の『新聞ななめ読み」を掲載しなかったことも問題だが、NHKのこの問題は受信料を取り公共放送を名乗っているだけに深刻だと思う。
  
2015・1・1
大雪 
 新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 京都市内は58年ぶりの大雪だそうで16cmも積もっている。昼過ぎから積もり始めるというのも珍しい。58年ぶりと言っても私が小学校3年生の時で全く記憶がない。自宅前も10cm以上雪が積もっていて、雪になれていない私はびびっている。タイヤはスタッドレスだが雪道で走行したことが2、3回しかない。明日車で出かけなければならないのだが困っている。
 雪国の方にしたら何を言っているのかと笑われそうだが雪になれていない私は困惑している。