えひめとべ動物園のかばさんたち
(愛媛県伊予郡砥部町上原町240 рO89−962−6194)

 ここには、雄カバのハグラーとその奥さんのミミ、そしてその子どものモモコの三頭がいます。
 とべ動物園はもともと道後にあった動物園を敷地が狭いことや近隣の生活環境を守るために移転したようです。確かに広いです。ゆったりしていて何度も書きますが、京都市動物園しか知らない私はどこへ行ってもその広さに感心します。
 すぐカバのいるゾーンへ急ぎました。カバは入り口から一番遠いところに住んでいました。
 プールに二頭が泳いでいました。雌カバミミとモモコのようです。
 

(1)ミミとモモコ

 どちらが母親のミミでどちらが娘のモモコなのか、その見分け方がパネルにしてありました。
@右足に白っぽい部分があるのがモモコ
A左目の上にあざがあるのがミミ。
 だそうですが、@は確認できません。とにかく水の中です。足に斑紋があるというと名古屋東山動物園の重吉・福子の子孫かなと思います。
 「だからカバの話」(宮嶋康彦著・朝日文庫1999)によると…。重吉・福子は16頭の子を産み、27年間に玄孫(やしゃご)まで誕生させました。「日本国内には67頭のカバが飼われていて、そのうち半数以上が重吉・福子の血縁だというのである。」そのしるしが福子の足にあった「白っぽい斑紋」だそうだ。調べたらミミ重吉・福子のひ孫でモモコは玄孫のようです。
 母親のミミは徳山動物園(山口)で86・5・4生まれ。23歳。父親ムーミン(上野から73・8・28生)と母親カバ子(京都から57・11・15生)の子。父親が重吉・福子の孫にあたります。
 左目の上にあざというのですが、これがよくわかりませんでした。上の写真の下がミミのように思いました。大きくて悠然と泳いでいました。上の方は小さくてプールの中の木ぎれを口の中に入れて遊んでいました。たぶんモモコ(97・6・8)12歳だなと思います。
 ミミは臆病なカバだそうで、いかなるときも自分はあとから部屋に入ったりするなど娘に先に行動させるそうです。モモコはおてんばだとか。カバが臆病というのはよく聞くことです。

(2)日本全国河馬めぐり『カバに会う』(坪内稔典著・岩波書店・2008)という本

 一昨年のくれ(2008)に京都の本屋さんでたまたまこの本を見つけました。羨ましいことをした方がおられるのだなと思って買ってきて読んでみました。
 著者は坪内稔典。俳人・歌人。佛教大学教授、京都教育大学名誉教授。1944年愛媛県生まれ。俳句グループ「船団の会」代表。
 この方の好きなものが、あんパンと柿とカバだそうです。まあ、これだけでもなかなかおもしろいことに興味をもっておられる方のようです。
 「桜散るあなたも河馬になりなさい」「水中の河馬が燃えます牡丹雪」などが坪内稔典の河馬の句としては有名だそうです。正直「ナンノコトヤネン」と思いました。現代俳句に全く興味をもっていない私(いえ、俳句そのものを真剣に考えたことのない私)はその程度の関心の持ち方でした。しかし、私の卒業した大学の名誉教授で河馬が好きな「ネンテン」などというお腹の病気みたいな名前の学者さんがおられることは印象に残りました。
 昨年の12月(2009)大阪の綴方の会で何の話からだったか思い出せないのですが、坪内稔典を知っておられる方がおられて、その会に参加しておられる教育学者の方は坪内稔典主催の俳句の会の会員だそうです。さらに数日後今度は滋賀作文の会の学習会で講演して下さった学者さんもご存知で、スラスラと上の二つの俳句を吟じられました。
 それで一年ぶりにもう一度この本を読み直してみました。
 1回目よりは俳句や和歌に気をつけて読むことができました。「赤い河馬」を夏の季語にという提案をされているようです。私は季節ごとの河馬にはあまり関心を持っていませんでした。カバが赤い汗をかくことは聞きかじっておりましたがおもしろく読みました。
 私はカバを論じた著作は「だからカバの話」しか知りませんでしたが、「カバに会う」はカバ的文芸論という新しいジャンルの著作でした。
 私が一番共感して読んだのはそのあとがきのこの一節。
「気分が沈滞すると言葉も元気を失う。感性とか思考とかも鈍る。いつのころからか、そのように考えるようになった私は、意図して自分の気分を刺激し、わくわく感を醸そうとした。それが、毎朝必ずあんパンをを食べるとか、柿を訪ねるとか、カバに会うという行動になった。過剰なまでに何かを愛することが私の気分を刺激した。その愛する何かは、一般的にはあまり高く評価されていないものがよい。どちらかといえばバカにされたり見過ごされたりしているもの。そういうものを過剰に、しかも意識的にこだわって愛するとき、気分がわくわくする。」
 いいなあ、坪内稔典さん。あれ、私もいつのまにか知り合いのように「ネンテンさん」などと呼んでいました。 

(3)ところでハグラーは

 とべ動物園のカバと言えば、モモコの父親ハグラー(87・11・15サンフランシスコ生まれでワシントン動物園より来園)にぜひ会いたいと思ってきました。
 このカバさん1才でで砥部へやってきました。88・3・25のことです。なかなかの豪傑で、横浜の検疫所を逃げ出して横浜の運河を三日間泳ぎ回り、陸に上がっているところを捕獲されたという。その際両目の上をすりむいて今もうっすらけがのあとがあるという強者なのです。先の「カバに会う」によると、日本の河川を泳いだ唯一のカバさんということになります。
 ハグラーは室内のプールでむこうを向いてだらしなく浮いていました。では、とべ動物園カバ舎紹介がてら写真です。

(4)とべ動物園のカバ…その他

(ア)ヒポヒポランチ

 とべ動物園はカバとのふれあい企画をしています。その名は、「ヒポヒポランチ」
 
日曜、祝日に、エサやり体験ができるそうです。カバが、近くまできて口を開けるので、エサをあげられるそうです。時間は13:30〜 30名定員で100円。定員  30名 
 稔典さんは、この時にカバに触ったとか。「厚いゴム」みたいだったそうな。次回は日曜日に行きたいものです。

(イ)カバの足跡とクッキー

 とべ動物園は運動公園内にあります。駐車場から動物園までの道に、色々な動物の実物大の足跡が金属で作ってあって動物の歩幅に合わせて埋め込まれています。その中にカバのありました。
 ショップにカバクッキーを売ってました。
   

(5)砥部焼とカバ

 愛媛松山からすぐの所に砥部町はあります。動物園と砥部焼の窯はすぐ近くです。それで、もう一つの楽しみである砥部焼の歴史や品物を展示している砥部焼伝統産業会館へ行ってきました。近くの窯も行きたかったのですが、動物園で時間をとりすぎて時間不足。それで松山への帰路にあった砥部焼陶芸館というお店に寄りました。30以上ある各窯の品物が揃っていました。そこでパン皿を買ってきました。もう一つ、カバの置物発見。これは砥部焼伝統産業会館にはないものでした。輝山窯製作のかわいいカバさんです。何種類かあって少しずつ違うのです。その中で首のリボンが決め手になって下のものを買ってきました。1,575円でした。

(6)おまけ…トラの母子

 私は、とべ動物園へはカバに会いに行ったのですが、カバ舎と同じぐらいの時間トラ舎にいました。トラの赤ちゃんが8月に生まれたそうです。トラのお母さんは3頭のオスの子どもを育てていました。動物園のHPによりますと、5頭生まれたそうですが、2頭は育たなかったそうです。普通トラ2〜3頭を生むそうです。
 トラの子どもはとにかくちょこまかと動き回ってケンカもどきのじゃれ合い、追いかけ合いをしています。どうも狩りのけいこらしいのです。3頭の内の2頭は気が合うようで常にじゃれ合っています。残りの1頭が入りきれないようです。母親はその子が不憫なのか一番気にかけて世話するというか近寄ってなめたりさわったりしていました。2頭が急に暴れ出します。すると母親はびくっとして飛び退きます。そして相手するのです。
 いやあ、トラのお母さんも大変やなあと身につまされる思いがしました。お母さん、がんばれ!

2010・1・2(土)作成

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