木喰さんを訪ねる旅(9)
兵庫県猪名川町毘沙門堂

 猪名川町の毘沙門堂の木喰さんに会うことができました。7体がこの毘沙門堂におられます。
 このお堂の由来は聖徳太子まで遡ります。本尊は毘沙門天。木喰さんは本尊の左(2体)右(5体)おられました。このお堂には七仏薬師(一体は盗難にあったそうです)と自刻像が残されています。猪名川へ来て最初に彫ったのがこの場所で、その後、天乳寺(3体)、個人宅像(一戒大黒天立像1体)、東光寺(15体)、個人宅像(松尾大権現倚像1体)と彫っています。文化4年3月から7月まで留まり、33体彫りましたが、現存しているのは27体だそうです。
 27体という数は小島梯次「木喰仏入門」(2014)を参照しました。「猪名川町の木喰仏」(猪名川町教育委員会2015)というパンフには26体とあります。東光寺の焼けて炭状態になっている行基像(泉行塞菩薩とも言われている)をカウントするかどうかの違いだと思われます。

(1)猪名川町?WHERE?

 猪名川木喰会の方々の説明に、何度も登場したのが「屏風岩」でした。秋里籬島(懐かしい名前です。「都名所図絵」を書いた方で、京都検定で覚えました)著「摂津名所図絵」で紹介されている名所だそうです。私が宿泊した旅館の部屋から見えましたし、その囂々と流れる川音は迫力がありました。
 京都に住む私の感覚で言うと、宝塚と丹波篠山の間で、亀岡から西で行きやすいというところでしょうか。猪名川へ行く前に、木喰さんは、南丹市八木町の清源寺で造像しています。能勢の妙見さんに立ち寄りながら向かったのかなと思いながら地図を眺めたことがありました。
(3)七仏薬師と妙満仙人倚像(自刻像)
(1)妙満仙人倚像(自刻像)
(90.5cm)
背銘
日本千タイノ内 作
          神通光明
天下和順       九十才(花押)
(ナウ) 明満仙人自刻蔵(像)
日月清明  カセイ大工與清

 眉を墨で塗り、口は赤く塗られています。髭を生やし、剃髪で僧形姿に彫られていますが、実際の木喰はこんなすっきりした姿ではなかったようです。
 京都南丹市八木町の清源寺で「東方から紫雲が降り阿弥陀三尊が来迎され、『お前の願望は莫大なものだ。だから、600歳まで寿命を伸ばしてやろう。これからは、『神通光明明満仙人』という名に改めよ』とのお告げ」を受けた木喰さんは、猪名川で「仙人」を名乗っています。600歳の寿命をもらえばそりゃ「仙人」です。
 ここでは、今までに千体は彫り切れていないと言う意味の「千タイ内」と書いています。「天下和順 神通光明」は「無量寿経」の一節だそうです。
 「カセイ大工與清」は、大工の與清(よせい)さんが手助けしてくれたの意味だということが分かっています。新潟県長岡市上前島金比羅堂を管理しておられる青柳家のご先祖與清(清右衛門)さんが(詳しくは
新潟上前島金毘羅堂」をご覧ください)木喰さんに同道して、手伝ってくれたことに感謝して書いています。それも大きい字で。
 猪名川に自刻像が3体あります。この自刻像の材は樫です。堅い木に彫っています。天乳寺は松、東光寺は杉で彫っています。
 梵字「ナウ」は陀羅尼菩薩のことで、二十五菩薩のお一人。「陀羅尼」の言葉で仏法を守るのだそうです。舞ながら袖を持つ姿だというのですが、確かに袖は持っています。

(3)七仏薬師像

 七仏薬師というのは、初めて聞きました。薬師如来は東方におられて、七つの浄土をお持ちになっておられます。薬師如来の浄土は善名称吉祥王如来から始まって、一番遠い所におられるのが、薬師瑠璃(光王)如来。そこを浄瑠璃国とか浄瑠璃浄土と呼びます。
 七仏薬師を並べて祈るというのは天台宗の良源が摂関家のために始めたそうです。良源は元三大師とも言われており、平安時代中期、おみくじを始められたことでも有名で「比叡山延暦寺中興の祖」と呼ばれている方です。
 そして一体盗まれてなくなっているのは、宝月智厳音自在王如来という薬師のようです。
善名称吉祥王如来(ア) 金色寶光妙行成就王(ボ) 無憂最勝吉祥王(シラ)
     
薬師瑠璃(光王)如来(バイ)  法界雷音如来(ダー)  法界勝慧遊戯神(通)如来(ア) 
     
 法界雷音如来は髭を蓄え、目をむいてやや恐い顔をしていますが、他の薬師さんは柔和な笑顔で木喰仏の微笑を浮かべておられます。
 薬師瑠璃光王如来はさすがに中尊の威厳があり、一人薬壺を持たれています。他の方の中には宝珠を片手もしくは両手に持っておられる方もおられますし、何も持たず両手を広げておられる方、両手を握りしめておられる方、様々です。聞いた話では、もともと薬師如来は薬壺ではなく宝珠を持っておられるのだとか。大きさは94Cm〜100Cmまであり、ほぼ同じ大きさです。
 この頭は如来さんらしくないものです。女性が髪を結っているようです。
 背銘はみな明満仙人像と似ています。違うのは、月日です。文化四卯歳三月廿六日が二体、廿七日が一体、四月二日。三日、四日にそれぞれ一体ずつ彫ったようです。すごいスピードで彫っています。法界雷音如来には「加セイ與清」の文字が大きく書かれ、法界勝慧遊戯神(通)如来には、「カセイ大工 アオヤギ與清」とフルネームで大きく書かれています。
 とにかく木喰さんの仏像は大きい上に、樫の木を使っているのですから重い。加勢がなければ90歳の身にはさぞかしきつかったことでしょう。私は與清さんは、新潟でも、京都でもここ猪名川でも手伝っているうちに、木喰さんの仏像の彫り方をマスターしたのではないかと想像します。大工さんですから、器用でしょうし、鑿は使い慣れておられたでしょうから、実際仏像を彫っておられたのではないかと思います。加勢というのは、ただ彫りやすいように木の大きさを整えるだけではなかったのではないかと考えています。
 各薬師の種字が違います。私は薬師は「バイ」だと思ってきたのですが、それは中尊だけで、あとは違うので、名前の横に種字を書いておきます。

(4)薬師瑠璃(光王)如来

 本尊の写真を一番多く撮りました。見てもらいます。

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