木喰さんを訪ねる旅(11)
猪名川町天乳寺
(兵庫県川辺郡猪名川町万善)

 木喰さんに会いたいと思われる方にはぜひお勧めのお寺です。詳しいことは前回の記録木喰さんを訪ねる旅(3兵庫猪名川町を見ていただきたいと思います。
 今回、ご住職にお会いし、お話しを聞かせていただき、交流会で紙芝居を拝見して、「ああ、やっぱりあの文章は、このご住職がお書きになったのだな」と再認識しました。道の駅「いながわ」から数分で行ける場所にあります。
 天乳寺には3体の木喰仏があります。(!)木喰仙人躰(自刻像)(2)観音菩薩像(3)勢至菩薩像です。観音菩薩、勢至菩薩は、阿弥陀如来の脇侍で、三尊形式になる仏です。いくら木喰は自分が仙人になるように阿弥陀様から言われたからと言っても、自分を中尊にして観音菩薩、勢至菩薩を侍らすようなことは考えられないと思います。ご住職もおっしゃっていましたが、あそらく最初は、この寺の本尊である阿弥陀如来の脇侍として造られたのでしょう。自刻像は独立して彫られたのだと思われます。現在このような配置で祀られているのは、収まりがよいからという理由のようです。
 「では、自刻像右脇の小さな像は何?」と思われることでしょう。私も、ここで拝めるとは思っていなかったのですが、住職が個人蔵の「松尾大権現像」をご準備下さっていたのでした。

(1)明満仙人躰倚像(自刻像)
(89.5cm)

 この木喰自刻像、色々なところに、墨を塗られています。眉毛と数珠は最初から色が塗られていた可能性があります。口の中も朱が入れられていたかもしれません。しかし、目、頬、口の横や髭、足の指などに墨が塗られているのは、この寺が寺子屋をやっていた時代の子どもたちのいたずらだと聞きました。大らかな和尚さんと子ども達との関係だったのだなと思います。
 円空さん同様、木喰さんも子どもたちの川遊び、ソリ滑りなどにおつきあいされたそうで、それを見た大人が注意すると、夢に現れて、「なぜ叱るのか」と注意されたという話が残っているのだそうです。まるで「日本昔話」の世界です。
 材は松だそうです。木喰さんの台座はなかなかモダンで山形になっています。手許を隠すように衣を持ち上げています。
 背銘ですが、以下のように書かれています。


日本千タイの内  作
九十才(花押)
天下和順 木喰神通光明
(ナウ)明満仙人躰 カセイ 六十才
日月清明           大工與清 
文化卯歳 五月十八日ニ
 
 自刻像だけの制作順で言うと、まず毘沙門堂(4/9)で、次に東光寺(5/14)で、最後に天乳寺(5/18)を彫っています。このあと自刻像は残されていませんので、木喰最後の自刻像と言うことになります。ちなみに木喰自身像は15体だそうです。(生誕290年「木喰」庶民信仰の微笑仏」小島梯次論文「木喰の作品」2008)より
 毘沙門堂のところでも書いたのですが、カセイ大工與清60才と、青柳與清(清右衛門)さんに対して、気を使って感謝しているのが見てとれます。この像には與清さんの年令が書かれています。その他のことについては毘沙門堂に書きましたので省略します。
   

(2)勢至菩薩と観音菩薩

 この二つの像はどういうわけか、黒く色が塗られています。ご本尊が漆塗りで黒かったので、それに合わせたのかもしれません。

(1)得大勢至大菩薩立像
(103cm)

 長い髪の毛を肩にまで垂らしておられます。頭の形が何ともユニーク。まるでクリスマスの冠りものみたいです。合掌しておられます。髪の毛の下に見えるのは天衣だと思うのですが、チョッキのようにも見えてなかなかオシャレなデザインです。蓮座の下は、鉄兜みたいに見えます。この座の形式はかなり早い時期に確立したようです。
 何と言ってもこの眉毛の太さが特徴的です。仏像彫刻で眉毛を強調することは珍しいと思うのですが、木喰さんのは大きくて太い。鼻は団子鼻で頬が出ていて口元は笑っているように奥まっています。
 背銘は自刻像と形式は同じです。違うのは尊名。そして種字は「サク」。作像年月日は文化四卯歳四月廿日。カセイ與清はありますが、大工はありません。

(2)聖観世音大菩薩立像
(103cm)

 聖観音が両手で蓮の花を持っておられるのは、来迎図などで見ることがあります。そう言えば、京都大原三千院の阿弥陀三尊像は、正座して観音様は蓮を両手に持ち、勢至菩薩は合掌しておられます。木喰さんは来迎形式の三尊をお作りになったようです。
 背銘です。種字は「サ」。カセイ大工與清とこの像には大工があります。日付は文化四卯歳四月廿一日とあり、誓至菩薩の次の日に完成したことになっています。木喰さんの場合、一体一体彫っていたのか、ある程度下ごしらえをしておいて、細かいところを仕上げていくという形だったのか。私は後者だったのではないかと思うのです。ある程度出来上がっている像を仕上げにかかるという方法で彫ったのではないかと思うのです。例えば、蓮座やその下の鉄兜のような台座や全体の姿は大工與清が造っていたのではないでしょうか。木喰さんは群像が多いので、そう言う流れ作業を二人でやったのではないでしょうか。そうでなければ、このスピードで仕上げるのは困難なように思います。あくまで想像ですが。
 観音菩薩は阿弥陀様の化身として、慈悲を表し、誓至菩薩は智恵を表されているのだそうです。
 この観音様も中々ユニークな髪型です。長い髪を相当固めないとこうはなりません。やや肥満傾向です。頬がかなり出ていて、やはり眉毛が太く目が垂れ下がり、口角が上がって木喰スマイルです。初めて見たとき、頭に頭巾を被っておられるのかと思いました。しかし、髪型だとすると、江戸時代にこういう髪型を発想する木喰はすごい才能です。このズボンか袴のような着衣もおもしろいと思いました。

(3)松尾大権現倚像
(45.6cm)

 大変にこやかな可愛らしい神様だなと思います。烏帽子を被っておられます。襟元にひだひだの飾りのようなものが見えます。私はこれを見るたびにキリスト教の宣教師を思い浮かべます。神主さんの衣冠束帯姿で表しているようです。坊主頭にしたら自刻像に近くなるかなと思います。
 この像は、個人蔵ですが、天乳寺のご住職がお借りして下さり見せていただくことができました。この像のことが、2008年発行「木喰 庶民信仰の微笑仏」に取りあげられています。この本はその年に行われた「木喰展」のために作られたもので、この像も出品されました。
 松尾大権現は京都西京区にある松尾大社の祭神です。松尾大社はやまぶきで有名な神社で、四条通を真っ直ぐ西へ行き桂川を渡ったところにあります。酒の神として有名です。地元伏見はもちろん灘の酒造会社等全国の酒造会社の崇敬を集める神社です。京都でも賀茂社や祗園社と並ぶ古社です。
 この像の持ち主のお宅は以前造り酒屋をしておられた関係でこの像が彫り置かれたようです。注目すべきは、その背銘にある「二千体」という文字と造像年月日です。「千体の内」から「二千体の内」に変わっているのです。これは京都蔭涼寺の自刻像背銘にもあり、謎の一つになっています。蔭涼寺のあとに猪名川で造像したのですから、猪名川の像全てに「二千体の内とあれば、それまでに千体彫り終わり、二千体に目標を立て直したという想像がつくのですが、どうもはっきりしないのです。
 造像年月日は文化四年七月四日です。猪名川での最後の仕事だったようです。この同じ日の背銘を持つ像が、あと三体あります。東京都目黒区日本民芸館にある「人麿大明神」、京都の某美術館にある「玉津嶋大明神」、そして兵庫県明石市無量光寺にある「山邊赤人尊」です。この三体、和歌三神と呼ばれているそうで、木喰が和歌に対して並々ならぬ関心を示していたことが伺えます。そして、この松尾大権現像を含めた四体が、このお宅で造られたことも確認できるということになります。
 HPへ戻る  木喰さんを訪ねる旅   円空さんを訪ねる旅 日本の石仏巡り   
木喰さんを訪ねる旅(1)
京都丹波清源寺 
 木喰さんを訪ねる旅(2)
滋賀蒲生町竹田神社
木喰さんを訪ねる旅(3
兵庫猪名川町
木喰さんを訪ねる旅(4)
新潟上前島金比羅堂
 
木喰さんを訪ねる旅(5)
新潟長岡寶生寺
 
木喰さんを訪ねる旅(6
新潟柏崎西光寺
 
 木喰さんを訪ねる旅(7)
新潟長岡真福寺
 
 
 木喰さんを訪ねる旅(8)
岐阜下呂温泉寺
木喰さんを訪ねる旅(9)
猪名川毘沙門堂 
木喰さんを訪ねる旅(10)
猪名川東光寺
木喰さんを訪ねる旅(11)
猪名川天乳寺 
木喰さんを訪ねる旅(12)
南丹市清源寺