木喰さんを訪ねる旅(10)
猪名川町東光寺とふるさと館

 1)東光寺の木喰仏
 猪名川で木喰仏を一番多く所蔵されているのが東光寺です。東光寺へは2回目の訪問でした。ここには14体の木喰さんがあります。まず、山門入ってすぐ左の観音堂にに立木子安観音立像。そして薬師堂に十王像、葬頭河婆座像、白鬼立像、自身像などがあります。自身像はその中で一番大きな像で107cmあり、ここでは樫で彫っています。
 以前訪れたときの記録が『木喰さんを訪ねる旅(3)猪名川町の木喰仏』にあります。興味ある方はそちらをご覧下さい。重複しないように気をつけて書いてみます。
 東光寺の子安観音は、写真撮影OKですが、薬師堂の諸仏は以前からダメですので絵で紹介します。
 木喰さんは、几帳面に背面に、いつその仏像を彫ったのかを書き残しています。
 それによりますと、現在残っている像としては、自身像が文化4年5月14日、十王像は6月2日〜20日。葬頭婆座像が6月6日、白鬼立像が6月12日となっています。
 東光寺は昭和27年(1952)火災にあっています。その時黒こげになった像が一体あります。泉行塞菩薩とも行基菩薩とも言われている像です。泉行塞菩薩という菩薩はおられないようです。泉(和泉)生まれの行基菩薩という解釈は、猪名川に行基開基の49院の一つ、楊津院があったことから東光寺に残したのではないかという説です。
 猪名川の木喰仏の存在は柳宗悦の発見、調査ではなく、昭和26年、地元の関西学院大学史学科教授栗野頼之祐「北摂における木喰上人」から始まりました。そして猪名川高校教諭牧野正恭により、より詳しく調査研究され、未発表だったものも含め、昭和56年「90才の微笑仏」で解明されました。(猪名川木喰会通信「すまいる」2014号外より)
 先程の焼けこげの一体は写真が残されています。小栗山漢音童の行基像に似ており、背銘も似ているそうです。又、栗野氏が「泉」と読んだ字は「称」の旧字、「塞」と読まれた字も「基」ではないかと指摘したのが牧野氏であったとのことです。(猪名川木喰会通信「すまいる」2014号外より)
 元々東光寺になった像で、他にも今は移座されている像が2体あります。鳥取民芸美術館蔵制誉和尚と、川西市小童寺の地蔵です。ということは、本来17体東光寺で彫られたのではないかと考えられます。

その1、立木子安観音

 
 立木に彫るというのは特別な意味があるのでしょう。この像は明治の初め頃に落雷のため、木を伐り観音堂に祀られました。猪名川木喰会通信「すまいる」2014号外によりますと、雷が落ちた木は霹靂木(へきれきぼく)と言い、神が宿った霊的なものだと日本では信じられてきたとのことです。
 山口や萩、四国中央にも木喰さんの立木仏があります。子安観音、地蔵、薬師如来と立木でも多様です。
 この横を向いた子どもを抱いた子安観音像は木喰さんがよくく造るものです。
 絵を描きながら思ったのですが、木喰さんの像はどれも眉毛がすごい。太くうねっています。そして頬が出っ張っていて、口元が窪んでいます。憤怒像では大きく目を見開いて睨み付けているようです。微笑仏では目尻が垂れ下がっています
木は樫。この像の制作年月日は明らかではありませんが、東光寺での造像時期のどこかなのでしょう。

その2,十王像

 左が閻魔大王(えんが王偏に火を二つ上下に重ねる字)座像、そして、右は十王座像の内の一つ(尊名不明)。
 閻魔は大きな口を開けて、怒りの表情だが、他の十王の中には、冥想していたり、笑顔を浮かべているような像もある。なかなかイケメン。十王は死者の裁きを担当する裁判官。生前に拝んでおけば少しはましな世界にところに行けるかもしれないという願いに応えての造像のようだ。円空は十王像を彫っていない。木喰には他にも十王像がある。元禄から文化の間に民衆にこの信仰が広がったのだろうか。
 例の通り、この十王の背銘には興味深いことが書かれている。種字はその像も地蔵菩薩の「カ」であり、これは閻魔大王の本地仏が地蔵菩薩であるため。
 カセイ六〇才大工與清(花押)がどの像にもあります。興味深いのは、名和善内、父母、ホタイノタメカイ町名和善内、サカミイセハラヒャクヤ金次郎大丈ホタイノタメ、江戸亡喜八ホタイノタメの文字が書かれている像があること。父母の菩提を弔うためというのは理解できる。しかし後の3人は金銭面で自分を助けてくれた人たち。名和善内は、甲斐町で34年前に木喰に3両寄進した人物。江戸喜八は同じく一両、相模伊勢原表具屋の金次郎大丈も同様旅立ちの時に寄進したことが分かっている人物である。このことを木喰は良く記憶していて、律儀に菩提を弔う旨の書き置きをしている。余程嬉しかったのであろう。

その3、葬頭河婆座像・白鬼立像

 葬頭河婆(背面にはショウツカバ々と書かれている・種字は「バン」)はご存知の通り三途の川の手前で、亡者の衣服をはぎ取る役の老婆。そこから三途の川を渡って閻魔庁へ行き、閻魔大王から裁きを受けるということになっている。閻魔の庁では鬼が裁きを受けた亡者を地獄の責め苦にあわせるという役どころ。
 東光寺の各像は、落語の「地獄八景亡者戯」の登場人物が色々と。
 木喰の葬頭河婆は中々豊満な乳房の持ち主である。髪型も中々オシャレで装飾性に富んでおりおもしろい。背銘中「父母ホタイノタメ」の文字がある。ひどい目に遭わしてやってくれるなという木喰の願いであろう。
 白鬼(種字「ウン」)はかわいい。ねじれた金棒を持っており、岩の上に立っているが動きがあり、装飾性に富む。地獄の鬼と言えば赤鬼、青鬼が代表的だ。白も黒もピンクがいてもおかしくないが、なぜ白鬼なのだろう。彩色せず、白木のままにしたからかなというのが無難な結論か。

(2)ふるさと館

 猪名川町の郷土資料館で、その一つのコーナーに木喰真筆5点が展示されていました。「寿」「年徳」「大慈大悲」「九字呪文」「諸神尊名と自戒句書書跡」です。新潟から参加しておられた宝生寺のご住職が「うちに同じ物がある」とおっしゃっていたのが記憶に残りました。木喰がどこに残していったものか分かりませんでしたが、各地で求めに応じて同じ文句で和歌や俳句、書、版画などを残していったのだなということが分かる資料でした。中々達筆です。
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