かばのしっぽの
四国八十八カ所スクーター遍路旅8日目
〔8月21日(土)愛媛3・52番〜64番〕
かんぽの宿「道後」を出発7:45。1273,7kmでスタートする。昨日は201km走った。出来るだけ前へ進もうと考えていたのでどこまで行けるかなと思っていた。結局52(太山寺)〜64(前神寺)の13の寺を巡礼することができた。
(1)第52番札所太山寺
第52番札所太山寺 (たいさんじ) 本尊 十一面観世音菩薩 宗派 真言宗智山派 開基 真野長者 089−978−0329 松山市太山寺町 |
とにかく手間取った。道が分からない。、松山市内で時間を浪費した。川沿いの公園も見たし、松山城を一周したし。三津港とか松山観光港へ行きそうになったし。これはだめだとガソリンスタンドに入ったら、その辺りの地理に暗い若い子で、全く違う方向を指して「あっちだ」と言いながら、「近くのコンビニで聞いてくれ」とのこと。道を引き返した。その途中で自転車に乗っている私ぐらいの年格好の人に聞いたら親切に教えてくれた。やっと自分のいる場所が判明した。市街地が本当に分からない。 やっとたどりついた。本来なら、車で1時間、距離は13キロだそうだ。私は25kmで1時間50分。参った。 この写真の本堂は鎌倉時代のもので国宝である。四国に国宝は数少ないがその中の一つである。私は失礼ながら四国八十八カ所霊場で国宝建築や国宝や重文の仏像を鑑賞したいとは全く思っていなかった。それは奈良や京都で十分だと思っている。石手寺や太山寺に国宝建築があると後から知って「へえ…」と思う。この本堂も確かに立派だが、それほど心が動いたわけではない。国宝だと言われるから心が動くのかもしれない。 この国宝本堂に重文の十一面観音が七体安置されているらしい。貴重な文化財を多数保存されている太山寺である。これも後から知ったのだが、この寺の三重塔の礎石を新品のタワシでこすると痔が治るらしい。なぜ?と言ってもだれも答えられないだろうなと思った。 |
(2)第53番札所円明寺
第53番札所円明寺 (えんみょうじ) 本尊 阿弥陀如来 真言宗智山派 開基 行基 089−978−1129 松山市和気町 |
52番と53番は名前がややこしい。円明寺は「えんみょうじ」で、延命寺は「えんめいじ」であるが、逆でも不思議ではない。 「四国遍路とは何か」(角川選書・頼富本宏・種智院大学学長著2009著)という本に、「若者遍路」が紹介されている。明治期が特に盛んだったようだ。松山周辺や芸予島嶼部に顕著だった習俗のようで、旧和気郡が特に盛んだったとか。この円明寺辺りのことのようだ。 これは若者が数人から十数人が走りながら遍路したというものである。2,3年に一度行われたそうで、成人になる通過儀礼の一つであったようだ。参加年齢は20才まで。修行や参拝が目的ではないので、様々な宗派のものが半強制的に参加させられた。丸亀や金比羅さんでは女郎屋へ行ったりすることが習慣になっている村もあったとか。羽目を外して他の村の若者遍路のものと喧嘩もしたようで、その悪行は有名だったらしい。 また格好も遍路の白装束ではなく、「伊予のカラスヘンド」とか「伊予の紺ぞろい」などという出で立ちで、「伊予」の「い」や「イ」を図案化した印の入ったものを着た集団であったらしい。別名「ハシリヘンド」とも言われ、走りながら札所門前から「拝み文句」を唱え始めて本堂へ、それから大師堂へ走り、賽銭をあげる間もなく走り去っていったという。ここを読んで、私は笑ってしまった。遍路してるものには迷惑な集団だなと思いながら。 そして、今も昔も若者気質というのは変わらないのだなと思った。徳島で阿波踊りを見てきたのだが、髪を金髪にしてそろいの派手な衣装で踊る「連」があった。徒党を組んで他の同じ様な集団ともめ事を起こすというのは、現代もしょっちゅうあることだ。 成人への通過儀礼的な意味合いの参拝は、伊勢参りでもそうだったのではないだろうか。 円明寺境内にキリシタン灯籠があった。かくれキリシタンのものではないかという。四国のこの地にもキリスト教の信仰が広がっていたのだなと思った。 9:58出発。1301.2km。 |
(3)第54番札所延命寺
第54番札所延命寺 (えんめいじ) 本尊 不動明王 宗派 真言宗豊山派 開基 行基 0898−22−5696 今治市阿方甲 |
松山市から今治市へ約38kmを移動する。ここへ行く道もまたまた迷った。今回はガソリンスタンドで聞いた。「『えんみょうじ』へ行きたいのだが、国道196へ出るにはどう行けばいいのか」と聞いたら、年配のおじさんが、「えんめいじ」か「えんみょうじ」かどっちだという。「今円明寺を出てきたから「延命寺」だと言ったら、「今ここが196号だ」と走ってきた道であっていると教えてくれた。その後も何度も降りて地図で確かめた。そしてやっと着いた。 何でも53番と同じ円明寺という名だったのを明治になってから改名したのだとか。そう言えば延命措置という言葉があったなあと思い出していた。長命はいいけど延命は無理矢理伸ばしているみたいでイメージはよくないなと思った。 ここを11:15分に出発している。 |
(4)第55番札所南光坊
第55番札所南光坊 (なんこうぼう) 本尊 大通智勝如来 宗派 真言宗醍醐派 開基 行基 0898−22−2916 今治市別宮町 |
今治の市街にあるお寺。本堂と山門の真ん中に駐車場がある。国道沿いに立派で新しい山門。真新しい色鮮やかな四天王がおられる。顔立ちも凛々しい。今境内は新しく整備中のようで寄進を募る看板が立てられていた。納経所で私の前で朱印されていた方はご寄付されていた。 ここは大三島にある大山祇神社の別宮として建てられたらしい。そう言えば、外から見たときに神社じゃないのかなと思った。大山祇神社は日本の国宝重文の武具(刀剣・甲冑など)の宝庫で興味のある人には必見の場所で、「しまなみ海道」の中にある。名だたる武将らが奉納した一級品が集まっている神社である。 この寺の本尊は珍しい。さてどういうお姿なのか想像もつかない。如来も色々おられるが、初めて見るお名前であった。もちろん秘仏。お寺でいただいた御影でお姿を確かめたら、まるでインドの仏様のようで、足を組んだ座像で上半身裸形。両上腕部に飾りのリボン。両手を前で合掌しておられる。 11:55発。 |
(5)第56番札所泰山寺
第56番札所泰山寺 (たいさんじ) 本尊 地蔵菩薩 宗派 真言宗醍醐派 開基 弘法大師 0898−22−5959 今治市小泉 |
地図を見ていたら、泰山寺へは南光坊を出て伊予銀行と大丸のある場所を右折するようだ。いよいよ市街の一番にぎやかな場所を通るのだなと思った。確かに大丸とおぼしき建物があったがどうも閉店しているようであった。大丸が閉店か…と思いながら右折した。京都にある大丸と同じなのかどうか知らないが、デパートが流行らないのか、今治が元気がなくなっているのかどうなのだろうと思った。お店一つでこういう感想を持たれるのであるから、怖いなと思った。 太山寺へ行く上の写真の景色は印象に残った。城の石垣のようであった。梅雨の時期になると氾濫を起こす蒼社川は多くの人命を奪うため「人取川」と呼ばれたらしい。弘法大師が堤防を築かせ加持祈祷をしたらしい。 12:25発。 |
(6)第57番札所栄福寺
第57番札所栄福寺 (えいふくじ) 本尊 阿弥陀如来 宗派 高野山真言宗 開基 弘法大師 0898−55−2432 今治市玉川町八幡甲 |
栄福寺の駐車場で転倒。くわしくはスタートページに書いたので省略するが、いやはやどうしようかと思った。 この後のすべての本堂、大師堂で、一日中感謝の気持ちを言った。すり傷程度のけがですんだのは全く幸いであった。バイクも壊れず旅も続けられた。巡礼慣れして警戒心が少なくなっていることに対する警告のようにも思ったし、私には本当にいい薬だった。 すぐ横着になって警戒心がなくなる私に各寺院の本尊と弘法さんが戒められたのかなと思った。そしてこれぐらいで終われたことを感謝した。色々な仏様に護られているのだと思った。 不思議だが、そのときに私の数珠がバラバラになっていた。栄福寺で数珠を出そうとしてびっくりした。これも私の身代わりになってくれたのだと思った。ありがたいことである。 夜になっておしりが痛いのに気づいた。きっと溝にはまったときの打撲傷だ。 打撲もすり傷も2週間ぐらいで治った。数珠は見てもらったら修理できるとのことで2週間経って以前よりシャンとして戻ってきた。私の数珠は梵天という形式だそうで初めて知った。 このお寺に足の不自由な少年が歩けるようになり奉納した箱車があったらしい。そう言えばあったようななかったような…もう一カ所そういう場所があったので混同しているかもしれない。四国遍路へ病気平癒を祈願する旅に出た人も多かったらしく、奇跡的なことも起こったらしい。そういう話の一つなのだろう。 1:00発。 |
(7)第58番札所仙遊寺
第58番札所仙遊寺 (せんゆうじ) 本尊 千手観世音菩薩 宗派 高野山真言宗 開基 越智 守輿 0898−55−2141 今治市玉川町別所甲 |
仙遊寺へ行くのに山の中へ入っていった。途中で立派な山門があったが、降りて写真撮る気が起こらなかった。 名前がいいなあと思った。仙人が遊びながら空を飛びまわっているみたいで。 でもこの名前の由来は阿坊仙人という高僧が40年ここで修行しておられて、ある日突然雲にたわむれるがごとく消えてしまったために名付けられたとか。その後寺が荒れたというのである。この話、失礼だが笑ってしまった。私は「まさしく雲がくれしたんやな」と思った。高僧だからそんなことはしないだろうけど、寺の財宝を売り飛ばしてでもしていたらと不謹慎な想像してしまった。こんなこと思うから転倒するのだろうか。 本堂でも大師堂でも、先ほどの幸運を報告してこの後の安全を祈願した。 ここの千手観音はお出ましになっていた。やっぱりご本尊を拝めるというのは親近感が湧く。四国霊場の本尊は絶対秘仏が多く、本堂の前で拝んでいても手応えがないというか頼りない。それに比べると、大師堂の弘法大師はそのお姿をはっきり見せておられて、お話ししやすい。その大師像であるがなぜあんな不自由な三鈷の持ち方をしておられるのであろうか。何か理由がありそうである。 京都に今熊野観音寺という西国33カ所霊場の一つである寺がある。このお寺に子どもにまとわりつかれている弘法大師の像がある。弘法大師が子ども好きという話は聞いたことがなかったし、そういう像は初めてだったので印象に残った。しかし衛門三郎の子8人を殺した弘法大師が子ども好きのはずがないと思う。あの衛門三郎伝説を作った人たちは、あの話で弘法大師が尊敬を深めると思って創作したのであろうが、今聞くとおかしな話だと思う。弘法大師の名誉のためにもあの話は根も葉もない話だと言った方がいいように思うのだが。因果応報を説くために弘法大師を悪者にしてはいけないと思うのだが…。 1:30出発。 |
(8)第59番札所国分寺
第59番札所国分寺 (こくぶんじ) 本尊 薬師如来 宗派 真言律宗 開基 行基 0898−48−0533 今治市国分 |
国分寺も四国に入って3つ目。ここは伊予国分寺。この寺の書院に展示室があって貴重な文化財があるそうだが、全く気づかなかった。私の見るところ国分寺だった面影はなかった。創建当初は七道伽藍立ち並ぶ豪壮な寺だったとか。 この寺に面白いものがあった。上の写真のお大師さんであるが、「握手大師像」と言って願いを込めて握手すると願いが叶うらしい。だれが考えるのであろうか、こういう弘法大師像。弘法大師の像と言えば、笠をかぶって歩いておられる姿だと思うのだが、これが現代に適応しておられる弘法大師なのかもしれない。ということは弘法大師も自らお近づきになる必要をお感じになっておられるのであろうか。その横に薬師如来の薬壺があった。祈りながら触るとどんな病も治るとか。私はなんやこれ?と思いながら通り過ぎたが、何か気になって写真に撮った。しまった、しっかり触って賢くなるようにお願いすればよかった。 2:20出発。 |
「順打ち」だから札所の番号順に行くところだが、私は「るるぶ四国八十八カ所88カ所」の59から61へ行く方が効率的というアドバイスに従って遍路することにした。その後、62,63,64,そして最後に60へ行くことにした。
(9)第61番札所香園寺
第61番札所香園寺 (こうえんじ) 本尊 大日如来 宗派 真言宗御室派 開基 聖徳太子 0898−72−3861 西条市小松町南川甲 |
いやはやもうびっくりしたとしか言いようがない。ここは鉄筋コンクリートのお寺。大師堂も本堂も一体化していた。昭和51年と言うからそれほど新しいビルではないが、度肝を抜かれた。これからの寺院がこうなるのかなと思った。これもまた今の時代だと思う。大聖堂というらしい。名前もキリスト教みたいだなと思った。何でも700席以上座れる大講堂が1階にあるという。それだけの信者が集まられる機会のあるお寺だと言うことである。 いい名前だな、この寺と思いながら、床几に座っておそい遅いサンドイッチとコーヒー牛乳の昼食を食べた。 |
(10)第62番札所宝寿寺
第62番札所宝寿寺 (ほうじゅじ) 本尊 十一面観世音菩薩 宗派 高野山真言宗 開基 聖武天皇 0898−72−2210 西条市小松町新屋敷甲 |
国道11号を2kmで到着。 ここは伊予一宮だったらしく明治になって廃仏毀釈の時に廃寺になったが、再建されたらしい。このページの一番上の道標の写真はこの寺の入り口で撮ったものだが、四国八十八カ所で最古の道標だそうだ。4つの中のどれなのか私は分からなかったが、この道標たちは撮ってほしそうにしていた。 |
(11)第63番札所吉祥寺
第63番札所吉祥寺 (きちじょうじ) 本尊 毘沙門天 宗派 真言宗東寺派 開基 弘法大師 0897−57−8863 西条市氷見乙 |
成就石という石の案内があった。本堂から目をつぶって願い事を念じながら成就石に近づいて金剛杖を成就石の穴に通したら願いが叶うとか。 この寺での弘法大師の伝承はやっぱり井戸を掘ったといういうもの。おばあさんに水をもらった弘法さんはそれが遠くから運んできたものだと知り、井戸を掘られたとか。 |
(12)第64番札所前神寺
第64番札所前神寺 (まえがみじ) 本尊 阿弥陀如来 宗派 真言宗石鉄派 開基 役行者 0897−56ー6995 西条市州之内甲 |
役行者が石鎚山で修行した時に開創したそうです。石鎚山は西日本一の高山1982m。春に来たときにはまだ冠雪していた。 この真言宗石鉄派というのも初めて聞く宗派であった。石鎚山修験道の総本山だそうである。弘法大師は『三教指帰』に石鎚山のことであろうと思われる修行地のことを書いている。本堂修復中で、薬師堂が仮本堂になっていた。 広い。すごく広いなあと思った。近くに石鎚神社もあった。昔は神仏習合でいっしょに仲良くあったのであろう。 近くに温泉があるらしく私の前に納経所で書いてもらっていた方が温泉のことを聞いておられた。歩いてすぐのようにお寺の方は言っておられた。 4:10出発 |
(13)第60番札所横峰寺
第60番札所横峰寺 (よこみねじ) 本尊 大日如来 宗派 真言宗御室派 開基 役行者 0897−59−0142 西条市小松石鎚 |
国道から15km。なかなか届かない。くねくね道はいつまで続くのかと思った。バイクで山登りは車より楽である。対向車との離合がそれほど気にならないからだ。途中から有料道路になる。バイクは350円。 私が追いついたので3台続きで駐車場に着いた。駐車場へやっと着いたら雨がぱらぱら。 傘があるので歩きは心配ない。早足で歩く。もう時間がないのだ。到着が4:40分ぐらいだったと思う。駐車場からもかなりあった。下り道なので帰りがきついなと思いながら歩いた。雨はぱらつくし距離はありそうだし、時間はないしで多少焦りながら歩いた。 先に大師堂で拝み、後から本堂を拝んだ。他の人は先に朱印帳もって、納経所へ。私は最後になった。と思ったらしばらく前の札所でいっしょだったバイクに乗った人が駆け込んできた。必死で間に合わそうと走ってきたようだ。すでに有料道路の人はいなくなっていたようで、通行料を納経所で払っておられた。 無事参拝を終わって駐車場へ戻ったら、今日よくいっしょになったご夫婦がお店でゆっくり休憩しておられた。雨が降ってきた。「助かったな」と参拝を終えて車の人は言っていたが、私は困る。私も水がなかったのでここでアクエリアスを頼んだ。山の中だったので特別料金200円だった。おいしかった! 急いで肩に担いでいるバッグのものをバイクの荷台に入れて私はたぶん山の中だけのしぐれだと思ったので多少濡れてもいいかと思い雨合羽を着けずに出発した。 5:00ちゅっきりお寺巡りの行動終了。ダム湖沿いに西条の市内へ降りることにした。総走行距離1427km。今日は154km走った。 |
■ステーションホテル西条に宿泊
5時40分ぐらいにフロントで「泊まれますか」の話をしたらOKだった。宿泊に関してはいつでもどこでも何とかなるもんだといういうことがよく分かった。このホテル伊予西条駅のほん前にある。いくつもビジネスホテルがあるので競争しているようだ。大手のアーバンホテルもあった。
駅前へ行ったらビジネスホテルがあり何とかなる。朝食サービスで、4910円。現金ならこの値段。カードなら5100円とか。
夕食は近くのラーメン屋さんへ行った。Bセット(豚骨ラーメン・からあげ・チャーハン半人前)850円と生ビール2杯(1000円)、そしておでん3本(300円)で2150円であった。
■ビジネスホテルの使い方
私の使い方である。
@荷物を広げ自分の使いやすい状態にする。
Aシャワーで体を洗い、ひげも剃る。
B夕食に出かける。
C帰ってきたら洗濯をする。
Dあとは自由時間
私は文章をうった。明日の地図を見て計画を立てる。今「三教指帰」を読んでいる。
E湯船に湯をはって、ゆっくり入浴して歯を磨く。
F寝る。
納経所でいただいた本尊の御影をUPするのを4日目から忘れていたので、4,5,6,7日のものをここに紹介します。
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日目 | 月日曜日 | 遍路県名 | 遍路した札所・訪問先 | 日目 | 月日・曜日 | 遍路県名 | 遍路した札所・訪問先 |
かばのしっぽ四国八十八カ所スクーター遍路旅スタート | 1日目 | 8/14(土) | 徳島1 | 1番札所・徳島市内 | |||
2日目 | 8/15(日) | 徳島2 | 2番〜11番 | 3日目 | 8/16(月) | 徳島3 | 12番〜22番 |
4日目 | 8/17(火) | 徳島4・高知1 | 23番〜30番 | 5日目 | 8/18(水) | 高知2 | 31番〜36番 |
6日目 | 8/19(木) | 高知3・愛媛1 | 37番〜41番 | 7日目 | 8/20(金) | 愛媛2 | 42番〜52番 |
8日目 | 8・21(土) | 愛媛3 | 52番〜64番 | 9日目 | 8/22(日) | 愛媛4・香川1 | 65番〜77番 |
10日目 | 8/23(月) | 香川2 | 78番〜88番 | 11日目 | 8/25(水) | 和歌山 | 高野山奥の院 |