かばのしっぽの

四国八十八カ所スクーター遍路旅6日目
〔8月19日(木)高知3・愛媛1第37番〜41番〕

 
 8月19日(木)今日は37番札所(高知四万十町・岩本寺)39番までは高知県。40番から愛媛県に入り41(宇和島市龍光寺)まで。昨晩は高知県土佐市の国民宿舎「土佐」に泊まった。ここから出発する。
 出発前の距離は726.6km
 今朝6時15分から風呂へ行って、歯を磨いて、朝食へ。6時45分からだったが6時30分に行ったら用意してくれた。朝食後トイレへ行ってひげを剃っていなかったのでもう一度風呂へ。今日は距離を走らなければならない。
 7:27出発。よく晴れている。37まで60km。車で1時間40分の予定。
 すぐ土佐市から須崎市に入った。海岸公園のような場所になぜか武市半平太の銅像があるというので写真を撮りによった。なぜ須崎に武市半平太?と思った。それにしても高知は銅像が好きだ。しかもみな巨大である。岩崎弥太郎だけ撮れなかったが、このあと足摺でジョン万次郎の銅像があった。
 須崎市内に入った。国道沿いの店とか見ながら、そうや、ここの文化会館で去年高知県作文の会研究大会があって話したなあと思い出した。JRがすぐ近く走ってたなあとか、海が近かったなあとか思い出したが、さっぱりどの辺りなのか分からない。
 そのうちに四万十市に入った。ずっと海岸線を通っているように思った。
 9時に37番に到着した。二つ駐車場があり手前の山門が見える駐車場に停めた。すぐ前に果物を売ってる店があった。家へみやげでも送ろうかと思ったが高知の果物のイメージが湧かなかったのでやめた。

(1)第37番札所岩本寺

  第37番札所岩本寺
(いわもとじ)
本尊 不動明王
宗派 真言宗智山派
開基 行基
0880−22−0376
高岡郡四万十町茂串町
 女性が竹ぼうきで掃除しておられた。
 このお寺の本尊は不動明王 聖観音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩なんと五体おられる。本尊が五体というのはすごい。だから、みんなで私たち家族をお守り下さいとお願いしておいた。
 ここからの話は信じる方も信じられない方もおられると思うが書いておくことにする。
 昨晩の宿で私は何か分からないが、私にくっついているものを感じた。鏡に影が走るように見えたり(自分の影だったが)、外から虫がさかんにガラス戸を打って音を立てた。そのうちに背筋にゾッとするものを感じ始めた。
 こういう感覚になるのは2回目で、1回目は奈良の柳生街道で夕日観音を拝んだ後、人家のある場所へ出るまで、だれかが私を呼んでいるように感じた。絶えず背中の辺りにぞくそくする感覚があった。この時は「だれか、私を呼んでいますか」と林に向かって声をかけたが、返事はなかった。その話をしたら、それは霊が連れて帰ってもらいたがっているのだから声をかけたらだめだと言う人がいた。
 自分の恐怖心がこういう感覚を起こさせるのであろうが、死後の世界があって、「霊」という概念を導入すると上手く説明できるものなのだなと思った。
 そのことを思い出して、ひょっとしたら私に背負われている霊があるのかもしれないと思った。
 それで、もし私が何か霊を背負っているのなら、岩本寺の五体の本尊さんと弘法さんにお願いして成仏させてあげてほしいとお願いした。私に背負われたい人がいるのなら私は背負って行かざるを得ないが、こういう感じは初めてなので、どうしていいのか分からない。
 先祖なのかどうか、私に恨みを持っているものなのか、たまたま四国霊場でついてこられたのか、それは分からない。こういうものは背負っていかなければ仕方ないなと拝みながら思った。
 今日はその供養から始めることにした。
 幸い今日1日、そのことをお願いしたら、その後ゾクゾクする感覚も背負っている感覚もなくなった。
 岩本寺本堂には、格天井に絵がはめ込んである。昭和53年に全国から公募されたものらしい。それがこのページの上の写真である。マリリン・モンローや花の絵鳥の絵様々である。大師堂の横に八角の形をした歓喜堂があった。納経所で念珠を買っている女の人がいた。「あんた何年?」と電話しながら干支を聞いておられた。プレゼントだろうか。朝早くから念珠を買いにくる女性…小説の冒頭に使えそうだなと思った。
 9:00着 9:15出発。

(2)第38番札所金剛福寺

    第38番札所金剛福寺
(こんごうふくじ)
本尊 三面千手観世音菩薩
宗派 真言宗豊山派
開基 弘法大師
0880−88−0038
土佐清水市足摺岬
 
 37から38は約100kmあって所要時間2時間半の予定。とにかく遠い。急がなければと思った。幡多郡に入った。道の駅ビオスおおがたで休憩。10:00着。中村市へ入った。ここへも2回来たことがある。
 足摺へ向かう。四万十川と中筋川の間の道がきれいだった。サニーロードとかいう名が付いていた。
 土佐清水市へ入る。いよいよ足摺岬の方へ。
 11:25着。
 駐車場からのお寺の入り口に立つと亜熱帯植物が繁茂しており、ちょっと異国情緒を感じる寺である。補陀洛院の名の如く足摺岬が補陀洛に最も近い場所なのでここが補陀洛の東門とされたのだそうだ。とにかく広い敷地である。
 境内に石仏や金仏がいっぱいおられて、多すぎて置き場に困っておられる仏さんもおられるのかなという印象を持った。庭も池があって立派な石が配置してあって、アオサギがいた。石塔の普通四面仏が描かれる場所にクジラが描かれていて高知らしいと思った。
 お寺の前の駐車場は足摺岬公園と兼用のようであった。公園入り口にジョン万次郎の銅像があった。髪型がちょんまげでなく端整な顔立ちであった。この人の生涯も波瀾万丈そのものである。明治維新になってからどういう風にくらされたのかを私は知らない。記念館があったようだが、行かなかった。展望台へ登った。金剛福寺の塔が見えた。灯台も見えた。椿油をおみやげに売っていた。
 11:50出発。

(3)第39番札所延光寺

  第39番札所延光寺
(えんこうじ)
本尊 薬師如来
宗派 真言宗智山派
開基 行基
0880−66−0225
宿毛市平田町中山
 38から39までもかなり強烈であった。73.8kmで予定では2時間強。
 地図で2ページだったのでもっと近いと勘違いした。途中の道の駅で休憩。昼ご飯を食べようと入ったが食堂はなくて自販機があって、地元産の野菜を売っていた。仕方がないので食べられるものと飲み物を買って食べることにした。
 寺の仁王門入ったら、赤がめの甲羅の上に梵鐘を載せた像があった。このお寺に延暦11年(911)銘の重文梵鐘が伝わっているそうで、赤ガメが背負ってきたという伝承があるらしい。。
 境内に「目洗い地蔵」さんがおられた。横にわき水があって、弘法さんがやはり水不足で困っておる住民のために錫杖をついて井戸を作られたとか。この井戸は「眼洗いの井戸」といい、その水は今でも眼病に効果があるとか。私はそれを少し汲んで口にした。大丈夫かなと自分でも思った。口も目も近いからまあいいか。
 高知の霊場はここでおしまい。
 40番から愛媛県に入る。高知の霊場は16ヶ寺で四国の中で最も少ない。霊場間の距離が相当あるところが多くて移動に時間がかかった。太平洋側の海岸をその海岸線にそってたくさん走ったなあと思う。
 2:20出発。

(4)第40番札所観自在寺

第40番札所観自在寺
(かんじざいじ)
本尊 薬師如来
宗派 真言宗大覚寺派
開基 弘法大師
0895−72−0416
南宇和郡愛南町御荘平城
 39から40まで30,2kmで約1時間。ここも遠かった。愛媛県に入った。
 ここは1番霊山寺から一番遠い場所らしく。四国霊場の裏関所と呼ばれているらしい。『観自在』と言えば「観自在菩薩 行深般若波羅密多時…」という般若心経最初の文句で、観音様のことだから、このお寺の本尊は観音様だろうと思っていたら薬師如来であった。薬師如来さんも如来さまなのだからもちろん「観自在…自在に物事を広い立場で観る」ことの出来る方だから矛盾しないのかなとか考えてしまった。
 かえるの置物があった。親ガエルの上に2匹乗っている。案内本には「かわいい『栄かえる』をなでてみよう」と書いてあったが、「かわいいか?」と突っ込んでしまった。
 本堂左に干支の守り本尊八体仏が並んでいた。後ろに自らの祠を背負うような形で彫られていた。私は丑年なので虚空蔵菩薩である。あれ?今まで気がついてなかったが、虚空蔵菩薩と言えば、弘法大師が「虚空蔵菩薩求聞持法経」を信じて室戸岬で修行されたというあの仏さんである。その真言を百万遍唱えれば、記憶力が増進するという知恵の仏さんだ。金星(明星)とも関係があるらしくて、弘法さんが「明星来影す」とおっしゃったのは、虚空蔵菩薩の姿を見たという意味かもしれない。この虚空蔵菩薩の真言が難しい。覚えられない。1回も言えないのに到底百万遍は言えない。
 だれかを教祖などにまつりあげようと思ったとき、何かの生まれ変わりだとか何とかいうパターンがよくある。仏教は生まれ変わり輪廻すると考えているから無理なくこの考えが受け入れられるのだろうが、自分の前世は○○だったなどと歴史上の人物を言われると「コノヒトオカシイノカナ」と思ってしまう。
 先に霊を肯定するようなことを書いた。霊のことも輪廻のことも、そういう概念を導入すればうまく説明がつくということなのだろうと思う。実証できないことは押しつけられると迷惑だ。さらに、こういうことを利用して他人を不安に陥れたり、人の弱みにつけ込んで金儲けをすることは悪質な犯罪だ。それははっきりしている。

(5)第41番札所龍光寺

第41番札所龍光寺
(りゅうこうじ)
本尊 十一面観世音菩薩
宗派 真言宗御室派
開基 弘法大師
0895−58−2186
宇和島市三間町戸雁
 40から41までも50.8km1時間半。宇和島市内を通り抜けるのに時間がかかった。なかなかたどり着けなかった。時間がなかったので間に合うか心配した。この辺りは三間というらしい。次の仏木寺と二つ霊場が連なっているのだが、やっとこの寺だけ間に合った。
 弘法大師がこの地で稲穂を背負った白髪の老人に出会われたとか。弘法大師は日本の神と仏教をうまく出会わせた仏教者。いかにも弘法大師らしいお話しだと思う。神仏習合の寺で稲荷神社と十一面観音が仲良く鎮座しておられたらしいのだが、明治の廃仏毀釈の時代に旧本堂は稲荷神社の社殿になったとか。今も境内に赤い鳥居があった。
 5:00出発。今日の宿泊場所を決めなければならない。

(6)四国の南西を走った

■今日の走行距離332km
 この日、仏木寺も行きたかったが、時間が足りなかった。41や42の近辺には宿泊施設はなく、43明石寺まで行けば何とかなりそうだったので、走った。距離は11kmなのであるが、峠を一つ越えなければいけなかった。遠いなあと思いながらまだかなと思いながら少し心細くなった。途中民宿があって少し心動いたが43まで行くことにした。
 左へ行けば明石寺という場所でビジネスホテルの看板を見つけ、泊まれるか尋ねたらOKだった。5:40頃西予市宇和町のビジネスホテルに到着。最後総走行距離は1052km。だから今日は332km走ったことになる。これはこの旅で最長の走りではないだろうか。相当な距離であった。五ヶ寺しか遍路できなかったみたいだがよく走ったなあと思った。

■バイクで走りながら歌う歌
 スクーターで走りながら口をついて出てくる歌がある。今日は加藤登紀子の「生きてりゃいいさ、生きてりゃいいさ、そうさ生きてりゃいいのさ、喜びも悲しみも立ち止まりはしない、そうさ生きてりゃいいのさ」という歌を歌いながら走った。なぜなのか理由は不明。題名が思い出せない。
 次が、山本コ−タローの「岬めぐり」。これは足摺岬の影響だろう。「あなたがいつか話してくれた…あの激しさであなたをもっと愛したかった、岬巡りのバスは走る、まどに広がる遙かな海よ、悲しみ深く海に沈めたら、この旅終えて、町にかえろ」を歌った。これ失恋の歌やったんやと思った。
 岬と言えばどこかで海底が見える船にのってサンゴ見ようと思ったら、えらいよってもどしたことがあったなあと変なこと思い出した。
 もう一つ口をついて出てきた歌。「喜びも悲しみも幾年月」。この歌を口ずさんだわけは、先に書いた。とんでもない勘違いだった。最近流行った歌はない。
■夕食の中華
 夕食を食べに出た。来るときに確か中華料理店があったなあと思ってスクーターで少し道を戻った。その店の料理人は松山の全日空ホテルで仕事をしていたそうでなかなかおいしかった。水餃子・スープ・あげ焼きそばを頼んだのだが、この店はコースで食べたほうがもっとおいしかったかもしれない。スクーター乗って来てるのでビールは飲めない。
 帰りにホテル近くのコンビニでビールと冷凍したカルピスを買って帰った。冷蔵庫が部屋になかったので冷凍にしたのだが、こういう飲み物を売っているのも初めて知った。
 日目  月日曜日 遍路県名  遍路した札所・訪問先   日目  月日・曜日  遍路県名  遍路した札所・訪問先 
    かばのしっぽ四国八十八カ所スクーター遍路旅スタート  1日目 8/14(土)  徳島1   1番札所・徳島市内 
 2日目 8/15(日)  徳島2 2番〜11番  3日目  8/16(月)  徳島3  12番〜22番 
 4日目  8/17(火) 徳島4・高知1  23番〜30番  5日目  8/18(水)  高知2  31番〜36番 
 6日目  8/19(木) 高知3・愛媛1  37番〜41番  7日目  8/20(金)  愛媛2  42番〜52番 
 8日目 8・21(土) 愛媛3  52番〜64番  9日目  8/22(日)  愛媛4・香川1  65番〜77番
10日目  8/23(月) 香川2  78番〜88番  11日目  8/25(水)  和歌山  高野山奥の院 
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