かばのしっぽの
四国八十八カ所スクーター遍路旅3日目
〔8月16日(月)・徳島3・11番〜22番〕

 8月16日(月)3日目。徳島発心の旅3。今日訪ねる寺11カ寺 12番札所(焼山寺)〜22番札所(平等寺)
 今朝の出発8:13分。出発時のメーター290km。ということは昨日は83km走行したことになる。

(1)第12番札所焼山寺

第12番札所焼山寺
(しょうさんじ
本尊 虚空蔵菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 役小角
088−677−0112
名西郡神山町下分地中
 標高930mにある寺。難所を「遍路ころがし」と言うのだが、11番から12番への道は88カ所中でも難所中の難所だという。。歩きだと12.5kmで、男性の足で6時間。女性の足で7時間とか。スクーターは遠回りして43km。最後にくねくねした山道を登った。
 着いたらどなたも見かけなかった。朝まだ早かったからかもしれない。杉の大木が出迎えてくれる。参道を登り切ったら、上の写真の場所へ出た。正面が本堂、右が大師堂。手前に面白い形の石塔があった。
 この寺の名前おもしろそうなので説明を読んでみた。何でも弘法大師がこの山の毒蛇を退治したらしいのだが、そのときに山が焼けたのだとか。その蛇が幻火を操り、弘法大師の入山を阻止しようとしたらしいのだが、結局敗れたということらしい。
 納経所におられたお坊さんに「ここに住んでおられるのですか」と伺ったら自分は麓の集落から通っているが、住職は住んでおられると言っておられた。失礼ながらこんな山の中でくらすのはざぞかし不便なことも多かろうなと思うような場所であった。
 9:45出発。

(2)第13番札所大日寺

第13番札所大日寺
(だいにちじ)
本尊 十一面観音
宗派 真言宗大覚寺派
開基 弘法大師
088−644−0069
徳島市一宮西丁

 焼山寺から大日寺までも25kmある。かなりな距離で「まだかな?」という気持ちになる。
 駐車場がお寺から少し離れた場所にある。川沿いの道をしばらく歩いていくとこの大日寺と一宮神社が向かい同士であった。ここは一宮神社の別当寺になったことがあったようで、一宮寺とも言ったようだ。
 大日寺なのに本尊が十一面観音というのも解せぬ話だが、これはそれまで仲良く神仏習合できたものを、明治維新後の廃仏毀釈で一宮神社にあった十一面観音がこの寺に移されて本尊になったためらしい。そして大日如来は脇侍仏になったとか。
 たいへん狭い境内の寺。門左手に本堂があり、右手に大師堂がある。
 一宮神社。あれ?阿波の一宮って大谷焼の里近くにもあったのではなかったっけ。一宮が二つあるのかな?ここが阿波国一宮でとあれは鳴戸国一宮かな?
 分からないまま10:45出発。

(3)第14番札所常楽寺

第14番札所常楽寺
(じょうらくじ)
本尊 弥勒菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
088−642−0471
徳島市国府町延命
 先の13番大日寺から第17番井戸寺まではそれぞれ1km〜3kmぐらいの距離にあり、徳島市内の比較的狭い地域に密集している感じである。
 常楽寺は一番奥の駐車場まで入ると少し高台になっていて、そこからさらに境内へ階段を登る。境内は流水岩の岩盤が露出していて不思議な景色の庭園である。奥に本堂。右手に大師堂。その間に「アララギ」の霊木が枝を広げている。
 11:05出発。

(4)第15番札所国分寺

第15番札所国分寺
(こくぶんじ)
本尊 薬師如来
宗派 曹洞宗
開基 行基
088−642−0525
徳島市国府町矢野
 門を入ったところにベンチがありそこにお年寄りが一人座っておられる。その方が遍路姿の女性二人を相手に今の世の中がいかにだめで、今の天皇がお亡くなりになったら日本はむちゃくちゃになると力説しておられる。自分の知り合いの道後温泉の大きなホテルの某がどうしたのこうしたのと話しておられる。女性遍路の方は「もっと聞いていたいけど、時間がないので…」と言って離れられた。
 昨日も藤井寺で若い人を相手に蘊蓄を垂れているお年寄りを見たが、巡礼者相手にこういう時間の使い方をするお年寄りがおられるのだなと思った。私は目を合わさないようにこの人の前を通ったが、私の後から来た人はつかまって話を聞かせてもらっていたようだった。
 国分寺ということばに私は魅力を感じる。聖武天皇が奈良東大寺を建てたときに、全国には国分寺と国分尼寺を同時に建てたというのだが、全部に建てたのかどうかと私は思ってきた。今まで丹後と若狭で国分寺を見たことがあったが、四国八十八カ所には各国の国分寺があるようだ。ここは阿波の国の国分寺である。本堂は大仏殿をイメージしたような感じの立派なものであった。山門近くに大きな礎石があった。これは七重塔の礎石だとか。立派な礎石であった。七重塔はさぞかし当時の人々を圧倒したであろうと想像した。回廊跡や陶磁器や土師器なども出土しているらしく境内全体が県史跡に指定されているのだそうだ。
 写真の遺跡のようなものは焼けた大師堂跡。向こうに見えるのが江戸時代再建の本堂。
 長宗我部の兵火で伽藍が焼失したのを江戸時代阿波藩の命で再建したらしくその時に曹洞宗になったらしい。
 開基が行基を名のる寺の中で国分寺となると、うーんそれもあるかなと思わせる。しかし行基が四国まで来ただろうか。
 11:25出発。

(5)第16番札所観音寺

第16番札所観音寺
(かんおんじ)
本尊 千手観世音菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
088−642−2375
徳島市国府町観音寺
 観音寺は町の中の普通のお寺である。山門をくぐると正面に本堂があり、右手に大師堂があった。左に納経所があり、その前が数台しか駐められない駐車場である。札所のお寺は境内が広く、最近建てられたような宿坊や仁王や四天王などの仏像があるというのとは違う。先の大日寺も境内が狭かったが、ここは本当に町の中の普通に檀家の人が拝みに行く寺というイメージだ。納経所で次の井戸寺へ行く道を丁寧に教えていただいた。
 今日最初の焼山寺の駐車場で京都宇治ナンバーの60ccカブに乗った人が私と同じ旅をしていることに気づいた。「おお宇治からきてはる人がやはる」と思った。私が拝み終えて駐車場に戻ったらこのバイクはなかった。その後いくつかの場所でいっしょになった。私の方が早く着いたり遅かったりであった。
 そして16番観音寺でまたいっしょになり、少し話した。私より少し若いようだ。今朝神戸からフェリーで高松に着き巡っておられるのだそうだ。テントも持っているとおっしゃっていた。カブの後部座席に荷物を箱に入れておられた。まったく宿泊場所は決めていないとのこと。
 「今日帰らはるのか」と聞かれた。「いや、まだしばらくは回るつもりでいる」と言ったら、「自分は今までに何度か巡ってきたが、今回は初めての場所を巡っている」とおっしゃっていた。「今日はどこまで?」と聞かれたので「23までと思ってる。今日は日和佐町に宿をとっている」と言ったら、「かなり強行軍やな。日和佐町辺りには泊まれるところが多いらしい」とおっしゃった。そうか強行軍なのかと思った。

(6)第17番札所井戸寺

第17番札所井戸寺
(いどじ
本尊 七仏薬師如来
宗派 真言宗善通寺派
開基 天武天皇(勅願)
088−642−1324
徳島市国府町井戸北屋敷

 広い駐車場が山門と反対方向で、境内へ入っていったら急に大きな本堂に出た。コンクリート造りのようだ。大師堂は山門から見ると右手にあった。いつもどおりに拝ませていただいた。広い境内である。
 ここに「面影の井戸」という井戸がお堂の中にあった。弘法大師の伝説パターンの一つである水不足に悩む村人を哀れんで錫杖で一夜のうちに井戸を掘ったという井戸である。井戸寺という名前からしてありがたそうだったのでしっかり拝んできた。
 納経所で納経をすませて、次の恩山寺への道を確かめるために地図帳を見ていたら、さっき観音寺で会った宇治の人が入ってこられた。私より先に出発されたのだが、食事をとっておられたのかもしれない。
 それで、次の18番恩山寺は遠そうだと思い住職に行き方を尋ねた。納経所の方は「県庁に向かって行けばよい」と教えて下さった。宇治の人は「徳島市内の渋滞を避けて眉山を通るルートの方が巻き込まれなくてよいと聞いている」とおっしゃったら、「もう阿波踊りも昨日で終わったから大丈夫だ。ましてバイクならなおさら」とおっしゃった。
 私たちは冷たい麦茶を入れてもらい、飴を3個いただいた。私は少し早く出発した。
 しかし駐車場を出てそのあと大きな道路に出て迷ってしました。どっちへ向いて走ったら県庁なのかが分からないのである。でもその後から豊橋ナンバーの乗用車が駐車場から出てきて右方向へ向かった。私はそちらへ向かうことにした。まったく主体性がないのだが、この女性お二人(母娘)とも今日何カ所かでいっしょだったので18番札所へ向かわれると思った。方向は合っていた。

(7)第18番札所恩山寺

第17番札所恩山寺
(おんざんじ)
本尊 薬師如来
宗派 高野山真言宗
開基 行基
0885−33−1218
小松島市田野町恩山寺谷
 17番から18番まで20kmあるらしい。市街地の20kmは全く見当がつかない。井戸寺から県庁に向かって走った。何とか県庁への道が分かり順調に走っていたのだが、徳島市内ど真ん中辺りで分からなくなった。ちょうど阿波踊り会館の前にいるのだが、どちらへ向いていいのか分からなくなった。ここでその辺りにおられた男性に聞いたら、丁寧に教えて下さった。その通り走ったら、昨日阿波踊りのメイン会場だった県庁前の大通りを通ることになった。パイプ椅子席がしつらえていた。
 県庁前を右折して国道を走ったのだが、小松島市の表示が出てきた。大きな橋を越えたら今度は20番札所の鶴林寺の案内が出てきた。また迷った。通り越したのではないかと引き返した。でもどうも間違っていそうにないので、また引き返し走ってみることにした。そして18番恩山寺へ入る道の案内が見つかった。狭い道で「本当にこれでいいのかな」と思った。年配の方に聞いたら「合っているあともう少し」と言ってもらえてやっとたどり着けそうな気がした。
 この寺は弘法大師が修行していたときに母親が讃岐から訪ねてこられた場所で、女人禁制の道場だったそうだ。弘法大師は母親に会うために一週間滝に打たれて修行され、女人禁制の秘法を修めて対面を果たされたのだそうだ。弘法さんのお母さんはここで髪を切って出家されたという。弘法大師は自分が何とかしたいと思えば何とでもなる秘法をお持ちだったようだ。
 13:40出発。
 

(8)第19番札所立江寺

第19番札所立江寺
(たつえじ)
本尊 延命地蔵大菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 行基
0885−37−1019
小松島市立江町若松
 私が到着して間もなく宇治の人も豊橋の人もお着きになった。私と同じように道を迷われたのかなと思った。この後のお寺では私はお会いしなかった。
 ここは門前町のようであった。写真に私のバイクが写っている。この門を入ると正面に本堂があり、左に大師堂。そして右に納経所があった。こざっぱりしたお寺である。
 これは後から知ったことであるがここは「阿波の関所寺」と呼ばれているそうだ。邪悪な心や罪を犯した人には罰が下り、この先進めるかどうかを見極める関門だったそうである。私は何とか通していただけたようだ。

(9)第20番札所鶴林寺

第20番札所鶴林寺
(かくりんじ)
本尊 地蔵菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
0885−42−3020
勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾
 19番からは15kmの道のり。急勾配4kmの参道は焼山寺に次ぐ難所だそうだ。バイクで山の中の道をくねくね走りながら考えた。こんな場所に鶴が来るかな…と。弘法大師が桓武天皇の勅願を受けて来られて時には、杉の木の上で二羽の鶴が黄金の地蔵菩薩像を守っていたのだそうだ。
 上の写真は本堂だが、左右に一対の鶴がいるのが分かる。この右手に三重塔があったが山中でなかなか立派なものだなと思った。
 参道に「丁石」があった。中に貞治2年(1363)のものがあるらしい。急いで登ってきて気がつかなかった。

(10)第21番札所太龍寺

第21番札所太龍寺
(たいりゅうじ)
本尊 虚空蔵菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 桓武天皇
0884−62−2021
阿南市加茂町龍山
 駐車場に着いた。ここからロープウェイに乗って600m山頂付近の太龍寺へ向かうことになる。ロープウェイのなかった時代は、焼山寺、鶴林寺とともに「阿波の三難所」と呼ばれ、最大の難所だったとも言われているそうだ。今でも車で行くと駐車場から2km歩くそうである。
 ロープウェイは全長2775m、所要時間約10分。往復料金2400円。定員は100名の乗り物である。私は3:20に乗車した。何と乗客は私一人であった。ガイドの方と二人で100人乗りに乗ったのであるから贅沢この上ない。ガイドの方は私一人に説明して下さった。
 まず、谷の向こう右手に作られているものが二つあった。一つは5頭のオオカミの像であった。昔はこの谷に住んでいたそうだ。そんな中で弘法さんは修行されていたのだろうか。
 もう一つは弘法大師像である。この像、虚空蔵求聞持法の修行をしたと伝わる舎心ヶ嶽頂上に座しておられる。この修行は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えると、超人的な記憶力が身に付くという秘法で、大師は100日間の苦行で神秘的な体験をしたのだそうだ。
 左手鶴林寺の三重塔が遙か彼方の山に見えた。山頂駅近くからは淡路島が見えるのだそうだ。
 太龍寺は「西の高野」と呼ばれているそうである。なるほどそう言われるだけのことのあるスケールの大きいお寺であった。伽藍もそれぞれ立派で手入れの行き届いたお庭が広がっていた。
 納経所横の持仏堂の廊下の龍図を見てくるようにガイドさんが言ってくれたので見てきた。それがこのページの龍である。私は人間ぽい表情だと思った。龍はもっと長い顔をしているように思ったのだが。
 納経所で念珠を購入。龍の絵が書いてあるもので2000円であった。これは私の左手の本目の念珠である。
 4:00にロープウェイに乗って降りてきた。今度は私とガイドさんの他に4名乗っておられた。ロープウェイは5時までの営業だそうだ。

(11)第22番札所平等寺

第22番札所平等寺
(びょうどうじ)
本尊 薬師如来
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
0884−36−3522
阿南市新野町秋山
 四国88カ所加盟のお寺は午前7時から午後5時まで納経所を開けると決めておられるらしい。だから私も4:30頃にはお寺に着いている必要がある。ちょうどいい時間に到着した。
 写真は平等寺の山門であるが、この前に駐車場があった。登っていくと、さらにかなり傾斜のきつい階段が本堂まで続いていた。本堂へ登るのはきつかったが、てっぺんから見下ろす景色がなかなかよかった。それがこのページ最初の写真である。この階段の一つひとつに1円玉が置かれていた。何だろうと思ったのだが、あとから厄除け祈願のお賽銭を置くのだと分かった。
 大師堂納経所前に若い人がいて、「こんにちは」と元気よくあいさつしてくれた。彼は私が拝み終えてもまだ自分がインターネットで調べた資料の整理をしていた。私と同じように今日はここで打ち止めにする人があと何人かおられた。
 今日会った宇治の人も豊橋の人もいなかった。今日はどこまで行かれたのだろう。
 私はこの後、23番薬王寺のある日和佐町まで約23km走った。
 5:23に今日宿泊する国民の宿「うみがめ荘」に到着した。総走行距離457km。今日は167km走った。今日は昼食をとらなかった。
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 2日目 8/15(日)  徳島2 2番〜11番  3日目  8/16(月)  徳島3  12番〜22番 
 4日目  8/17(火) 徳島4・高知1  23番〜30番  5日目  8/18(水)  高知2  31番〜36番 
 6日目  8/19(木) 高知3・愛媛1  37番〜41番  7日目  8/20(金)  愛媛2  42番〜52番 
 8日目 8・21(土) 愛媛3  52番〜64番  9日目  8/22(日)  愛媛4・香川1  65番〜77番
10日目  8/23(月) 香川2  78番〜88番  11日目  8/25(水)  和歌山  高野山奥の院