かばのしっぽの

四国八十八カ所スクーター遍路旅2日目
〔8月15日(日)徳島2〕

(1)今日から本格的にスタート

 第2日目 8/15(日)今日は2番(極楽寺)〜11番(藤井寺)まで。徳島発心の旅
 6:30起床 6:50朝食。ホテルで身支度してバイクに荷物を積み込んでいたら、出発は7:45になった。
 道路案内にあわせて一番霊場へ向かう。途中でガソリンを入れる。京都からの走行距離は207kmで、ガソリンは8g入った。だから1g辺り25km走ったことになる。車のこと思うと安い。入れ終わったら8時少し前。店が開いたばかりだった。今日は日曜日。

(2)第2番札所極楽寺

第2番札所極楽寺
(ごくらくじ)

本尊 阿弥陀如来
宗派 高野山真言宗
開基 行基
088−689−1112
鳴門市大麻町檜段の上
第2番札所極楽寺は山門の左側が広い駐車場になっていて、本堂も大師堂も右にあった。長命杉という弘法大師お手植えの杉という伝承のある樹があった。
 慣れないので荷物の段取りに戸惑う。数珠を出して、お経の本を出して、お賽銭とローソクやお線香代を用意して…カメラを出して、それを袋に入れてと段取りがある。
 この寺に白人の女性のグループがいた。その後のいくつかのお寺でも会った。自転車のようだ。もう一人の年輩の女性は完全装備である。第五番地蔵寺でも会った。この人は歩き遍路のようであった。さて、何でまたこの日本で四国遍路をしておられるのであろうか。よけいなお世話である。
 自分もしていながら人のことが気になる。極楽寺出発は8:30。私の前に若い男の子でしっかりお経をあげている人がいた。この人は自転車遍路で相当荷物も重そうだった。ここも人が多かった。

(3)第3番金泉寺

第3番札所金泉寺
(こんせんじ
本尊 釈迦如来
宗派 高野山真言宗
開基 行基
088−672−1087
板野郡板野町大寺亀山下

 山門入ると本堂が見えた。左手に大師堂。家内安全、健康増進など願ってローソク献灯。大師堂から多宝塔が見えた。新しそうで内部を公開しておられるようであったが見に行く気になれず失礼した。
 納経所は左手庫裡の方にあった。奥さんだろうか大変丁寧にお話しされた。「お気をつけていってらっしゃいませ」とことばをかけてくださった。この言葉いくつかの札所で聞くことになった。「ようこそお参りくださいました」というのもあった。各お寺本尊の御影を下さるのであるが、ここではわざわざ袋に入れてくださった。そうかと思うと「ありがとうございます」と言っても返事もせずに、納経帳を突き返すように返す係の人もいる。様々である。
 私と同じバイクの若い人が遍路している。別にお経を上げるわけでもなく納経帳を書いてもらうだけだからこの人は早い。自転車の若い人は坂道で自転車を押していた。歩きも大変だが自転車も大変だ。巡る人も様々である。

(4)第4番大日寺

第4番札所大日寺
(だいにちじ)

本尊 大日如来
宗派 東寺真言宗
開基 弘法大師
088−672−1225
板野郡板野町黒谷
 この寺の住職は真鍋俊照という画家でもあり文学博士でもあり大学の学長でもあるという方である。週刊朝日百科「仏教を歩く」シリーズで「仏教アートへようこそ」というページを担当されていた。ご自身のお寺の中におられる江戸時代の西国三十三カ所の観音像のことを書いておられてので、それは見てみたいものだと思っていた。
 大日寺の鐘楼門を入ると、睡蓮が池にも鉢にもきれいに咲いていた。本堂から大師堂への廊下に三十三体の観音像がケースに入っておられた。
 夏の草花が咲いているお寺だった。

(5)第5番地蔵寺

第5番札所地蔵寺
(じぞうじ)
本尊 勝軍地蔵菩薩
宗派 真言宗御室派
開基 弘法大師
088−672−4111
板野郡板野町羅漢林東
 この寺の駐車場のいろいろな場所から境内に入れる。おもしろい寺である。大師堂の欄間彫刻が最近色が塗られたようで鮮やかである。イチョウが大きい。何でも樹齢800年とか。
 奥の院の五百羅漢が見事。何でも大正時代の再建らしい。庭で掃除をしておられた方が、私が座って次の霊場のことを調べていたら話しかけて来られた。「どこの庭が美しかったか」というのである。そして「自分はほかの寺へ行ったことがないので分からない」とおっしゃっていた。「私はまだ遍路始めたばかりで…」返事した。「季節の花を咲かせている寺は京都でも人気がありますよ」と言ったら、自分の携帯にある紅葉の絨毯の写真を見せてくださった。そして大きなイチョウの葉が散る頃に写真を撮る人が落ち葉をそのままにしておいてくれということなど話しておられた。
 たぶん納経所で記帳してもらったらわざわざ五百羅漢を見に来る人は少ないのだろう。五百羅漢の石仏は去年石見銀山の寺で見たが、木造の勢揃いは初めてだ。弥勒堂・釈迦堂・大師堂がこの字型に建てられていて、その間の三カ所の廊下に羅漢さんが配置されているというものである。等身大で大きい。
 このお寺、納経所が離れていてわかりにくい。私はすっかり記帳してもらうのを忘れて出発してしまった。10:00出発。結局私は納経所で記帳するのを忘れたまま次の安楽寺へ出発した。しかし道を逆送してしばらくして地図を見直した。すぐ間違いに気づいてよかった。国道12号へ出たのだが右だか左だか分からなくなったら案内表示があった。第六番札所、無事安楽寺について納経帳を出したら、「五番へは行かなかったのか」と尋ねられた。「えっ?」と思ったが、「忘れました」と言ったら、「よく忘れるんです」と二人声を合わせておっしゃった。どうも私だけでもなさそうだ。第五番地蔵寺。この寺では道は間違うし、納経し忘れるしどうも何か失敗の連続であった。

(6)第6番札所安楽寺

第6番札所安楽寺
(あんらくじ)
本尊 薬師如来
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
088−694−2046
板野郡上板町引野

 この寺の多宝塔は立派であった。
 薬師如来の真言は「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」と言うのだそうだ。真言を唱えたらどうなるのか私はまったく分かっていないのだが、この薬師如来の真言は愉快だ。コロコロのせいかどうか分からないが、楽しい。そして薬師如来に話しかけることははっきりしていて頼みやすい。家族や自分や自分の知っている人の心と体の健康をお願いすればよい。
 しかし、お釈迦さんに何をお願いするかというと…ちょっと困る。
 阿弥陀さんには「どうか極楽へお導き下さい」とお願いすればよいのであろうか。そうなると、「南無阿弥陀仏」と言わなければならないような気がしてくる。四国八十八カ所の寺はたいていが真言宗の寺だ。弘法大師のお寺で「南無阿弥陀仏」はまずいのではないかと思うと何と言えばよいか迷った。
 観音さんが本尊のお寺は「そのお力で私の至らぬ所をお助け下さい」とお願いすることにしている。お地蔵さんもその慈悲で苦しいところを助けてほしいとか、子どもをお守り下さいなどとお願いすればよい。しかし先ほどの地蔵寺の勝軍地蔵さんはどうしたものかと思った。
 大師堂では弘法大師とお話することにした。自分のことをふり返ってみることにした。そして十善戒と照らしてみることにした。話しているうちに自分の考えがまとまったり散らばったりした。静かに目を閉じて自分のことを話す…こういう時間がもてたのは初めてでそれを88回したことは意味があったかもしれない。
 ここでまた理屈っぽいことになるのだが、四国八十八カ所巡礼は「弘法大師さん」を尊敬しないことには成り立たない。「南無大師遍照金剛」であり、「同行二人」であるのだ。しかし私の場合弘法大師のことを特に尊敬しているわけでもないし、頼りに思っているわけでもない。よく知らないから尊敬のしようがないのである。断片的に知っていることで言えば、行基や空也の方が人々のために働かれたであろうと思うし、叡尊や忍性も偉いと思う。また、親鸞の自己洞察の深さにも魅力を感じる。
 大師堂で拝みながら、とりあえずお話するお相手をしていただいた。
 10:30安楽寺出発。地蔵寺へひきかえす。10:50地蔵寺再出発。
 納経帳に記帳してもらい、第七番札所十楽寺へ向かう。ここでまた異変に気づく。すぐのはずなのになかなか着かないのだ。引き返したらやっぱり十楽寺の案内を見落としていた。

(7)第7番札所十楽寺

第7番札所十楽寺
(じゅうらくじ)
本尊 阿弥陀如来
開基 弘法大師
088−695−2150
阿波市土成町高尾法教田
 十楽というのは四苦八苦の8つの苦を阿弥陀如来の慈悲で乗り越えて、極楽浄土での十の楽しみが得られるという意味だそうだ。十楽は極楽の意味にも使うらしい。
 「安楽」でも「十楽」でもどっちでもいいが、その反対の『苦』について仏教は上手に説明しているなと思う。
 四苦は生・老・病・死のこと。八苦はそれに「怨憎会苦」(嫌いな憎い人と会わなければならない苦)「愛別離苦」(愛するものとの別れの苦)「求不得苦」(ほしいものが手に入らぬ苦)「五取蘊苦」(心身を構成する5つ(色受想行識)の要素から生じる苦・見たり聞いたり想像したりで思い悩む苦)が加わったものらしい。
 だれだって「苦」より「楽」の方がいい。お釈迦さんの教えは「執着」「こだわり」が原因で人間の苦しみは発するということらしい。全てのも事象は『空』であって空しく実態のないものだから、何事にも執着せず生きる方が「楽」だということらしい。しかしこれが難しい。
 十楽寺の門は竜宮城みたいな門であった。。中へ入ると本堂や大師堂より、、右手にある新しく建てられた会館のようで宿泊所のような納経所が目立つ。11:30出発。お昼近くになってきた。。

(8)第8番札所熊谷寺

第8番札所熊谷寺
(くまたにじ)
本尊 千手観世音菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
阿波市土成町土成前田
088−695−2065

 私は駐車場で見事なご詠歌なのか詩吟なのかよく分からないお年寄りの声を聞いた。どんなおじいさんやろうと思いながら多宝塔についたら、だれもおらずスピーカーからの声だった。階段を上って行くと、門があって毘沙門天なのか何なのか男前の像が護っていた。本堂から急な階段を上ったところに大師堂があった。ここの納経所も離れているが、ここは忘れなかった。
 ところで、本堂前でも大師堂前でも静かにお経を詠みたいと思う。大きな声で横でお経をあげられたりすると困る。そしてバスツァーの団体さんがいるとそれが気になってどうしようもない。そういう時はしばらく待つか、離れて一人になって詠むかするようにした。
 駐車場から出てきて気がついた。もう一つ仁王門があったのだ。これこれ!と思った。以前徳島自動車道を通ったときに、この仁王門が見えた。何というお寺かなと思った。大変立派で、田んぼの中から山手へ向かって参道があってその途中に仁王門が見えた。「あれ何やろな、ひょっとしたら八十八カ所の寺かもしれんな」と思っていた。
 それで、バイクを前に置いて記念写真を撮った。それが「かばのしっぽの四国八十八カ所スクーター遍路旅」表紙のバイク写真である。
 出発12:00。

(9)第9番札所法輪寺

第9番札所法輪寺
(ほうりんじ)
本尊 涅槃釈迦像
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
088−695−2080
阿波市土成町土成田中

 昼時になっていたのだが、適当な食べる場所が見つからなくて法輪寺へ行くことにした。お遍路道を行ったのだが、自動車道ではなかったのではないかと思う。ここは田んぼのど真ん中にあるような印象の寺だ。ここの納経所で私の鈴が大きな音を立てるので困った。りーんりーんと鳴ってる分にはいいのだが、あちこちに当たって大きな音を立てるのだ。納経所の方がびっくりしておられた。ここの納経所は立派だ。何かそんなことばかり気になる。12:25出発。前にかき氷などやって店があったが昼飯を食う気にならずパスした。

(10)第10番札所切幡寺

第10番札所切幡寺
(きりはたじ)
本尊 千手観世音菩薩
宗派 高野山真言宗
開基 弘法大師
0883−36−3010
阿波市市場町切幡寺観音
 ここへ行く道もやや迷った。ここでも間違ったのではないかと引き返したが、今度は合っていてもう一度同じ道をまっすぐ行った。小学校の校門で前でスクーター止めて考えていたら、子どもがいそうな気がして学校をのぞいてみた。今日は夏休みでしかも日曜日。子どもはいない。
 切幡寺へあと少しという場所にこの寺の門前町のような一角があった。狭い道なのだが昔ながらの遍路に関係する店が現役であった。ちょっとびっくりした。旅館や表装の店などがあった。
 駐車場で駐めて歩き出した。
 333段の階段。しんどかった。参った。上りきったら、同じようにばてている若い子がいた。無理もない。この子は歩き遍路のようであった。靴を脱いで裸足になって疲れをとろうとしている様子だった。表情も仕草もかなり疲れているようだった。
 この寺の納経所のおばあさんがおもしろかった。私が入っていってもガラス戸を開けようとなさらない。私はどうしたものかとしばらく見ていたのだが、意を決して戸を開けて「お願いいたします」と申し上げた。おもむろに筆を取り上げて無言でお書きになった。「ありがとうございました」と戸を閉めようとしたら、「開けておいてください」とおっしゃった。お話しされてびっくりした。
 とにかく暑い!今度はコーラを飲むことにした。
 1:05出発。まだ昼食を食べていない。

(11)第11番札所藤井寺

第11番札所藤井寺
(ふじいでら)
本尊 薬師如来
宗派 臨済宗妙心寺派
開基 弘法大師
0883−24−2384
吉野川市鴨島町飯尾
 問題は次の第11番札所藤井寺である。どうもこれは感なのだが道が複雑そうなのだ。
 で、ゆっくり地図を見たのだが頭に入らない。バイクは確かめる時も止まって地図を出さなければならない。
 寺を出ると11番札所藤井寺の案内の小さい表示〔歩き遍路用)が目についた。それを追いかけて進んでいたら、急にその表示を見失った。さあ、困った。全く今どこにいるのか分からない。そのうち中規模のスーパーの前に出てきた。早く食べないと夜におなかがすかないと困るので、スーパーで何か買って次の藤井寺で食べることにした。ジャムパンとおにぎり(梅)とお茶を買った。その前に店員さんに藤井寺の行き方を聞いた。親切に教えてくださった。大きなスーパーに出たら(名前を忘れた)そこを右折。ずっと行ったら突き当たりを左。そこまで言ったら案内表示ありという情報であった。私はその通り走った。
 ずっとまっすぐ行くと吉野川を渡ることになった。阿波大橋という大きな橋だった。地図にあったか?と思い心配になったが出てくる地名が鴨島という今日泊まるホテルのあるところだったのでええい行ってしまえと思い進んだ。すると突き当たりに出て、左に曲がると確かに藤井寺の表示があった。あとはすぐに行けた。
 藤井寺は門がいい感じだ。今までの仁王門は豪華なものや竜宮城みたいなのやら漫画のセットみたいなのが多かった。その点、ここはひなびていて質素だ。境内の藤棚が立派だ。その名前の由来になっているのだろう。ここの本堂や大師堂内の絵や仏像がいい。薬師如来は平安時代末のものでなかなかいい顔をしれおられた。こういう風に見せてもらえるのもいい。天井の龍もよかった。
 戦国時代長宗我部のために戦火にあって焼失していたのを、江戸時代に臨済宗の禅師が再興されたらしい。だから四国八十八カ所では珍しい臨済宗なのだそうだ。
 この寺に自分の納経帳の自慢をしている人がいた。若い子を相手に得意になって話していた。どうも自分の全人生を語っているようだった。若い女の子がいやがらずに聞いてあげていた。えらい子がいるなあと思った。隣に男の子がいたのだが、その子も「行こう」とも言わず付き合っていた。こういう年配の方を何カ所かで見た。それにお付き合いしている方がおられるのがすごいなあと思った。
 何でまた私がそんな話をいっしょに聞くことになったかというと、境内で遅い昼食を食べたためである。
 この11番から12番への山道が最初の遍路転がしとして有名な難所なのだそうだ。その入り口だけ見た。
 だいぶ考えた。12番まで往復で4時間として6時には帰ってこれる。でも明日があるさとやめて、鴨島周辺を楽しむことにした。2時15分出発。
■江川の湧水
 まず、江川源水という名水百選の表示があったからそこへ行こう!と決めた。さっきの道の途中から入るようだ。飲めるのか飲めないのか、何の説明もなかったが飲むことにした。ペットボトルに入れたら冷たかった。すぐボトルに水滴が着いた。無味無臭の井戸水のようだ。吉野川がすぐ横に流れている。環境省の日本の名水百選に選ばれているらしい。
■鴨島温泉
 3時には鴨島温泉「鴨の湯」へ行った。市営の温泉で天然100パーセントの湯だそうだ。なかなかよかった。私は2時間ぐらいいた。サウナも入ったし、イスに寝ころんだし、十分楽しんだ。くせのない湯で地元の人でいっぱいだった。
 それで5時近くになったので予約していたホテルへ行った。鴨島駅の辺りをうろうろしていたら、駅前通でどうもお祭りをするような雰囲気だったのでホテルで聞いたら、今晩阿波踊り大会が行われるとのこと。へえ!阿波踊りってあちこちでするんだと初めて知った。吉野川市の阿波踊り大会が鴨島駅前通で行われるのだ。
■吉野川市阿波踊り大会
 6時になったので外へ夕食を食べに出た。手打ちそば屋さんで夕食をすませた。
 その後6時30分ぐらいに阿波踊り会場に到着した。みな自分の席を確保していて、私も座った。隣の人に聞いたら7時かららしい。どうも吉野川市の阿波踊り大会は、3日間行われ、今日は2日目らしい。徳島市内は今日でおしまいなので、明日の方が人は多く出るのだという。昨日は6000人集まったとか言っていた。幼稚園の連や徳島県阿波踊り協会に参加している連など実力も様々のようだった、昨日のNHK徳島は舞台発表形式の阿波踊りだったが今日はパレード形式のものだった。
、市内各地の保育園や学童が参加していた。それを見るために大勢来ておられるようでもあった。
 九時前まで見て帰ってきた。
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    かばのしっぽ四国八十八カ所スクーター遍路旅スタート  1日目 8/14(土)  徳島1   1番札所・徳島市内 
 2日目 8/15(日)  徳島2 2番〜11番  3日目  8/16(月)  徳島3  12番〜22番 
 4日目  8/17(火) 徳島4・高知1  23番〜30番  5日目  8/18(水)  高知2  31番〜36番 
 6日目  8/19(木) 高知3・愛媛1  37番〜41番  7日目  8/20(金)  愛媛2  42番〜52番 
 8日目 8・21(土) 愛媛3  52番〜64番  9日目  8/22(日)  愛媛4・香川1  65番〜77番
10日目  8/23(月) 香川2  78番〜88番  11日目  8/25(水)  和歌山  高野山奥の院