かばのしっぽの
四国八十八カ所スクーター遍路旅4日目
〔8月17日(火)・徳島4&高知1・第23番〜30番〕

 今日は4日目。徳島から高知へ入る。23番札所薬王寺だけが徳島。24番最御崎寺から高知へ入り、30番善楽寺までが今日の予定。
 前日うみがめ荘に泊まった。前は国民宿舎だったそうだが今は国民の宿だそうだ。一体どこが違うのか分からない。目の前が海岸で、以前は皇室関係の人も訪問された宿だとか。うみがめがこの宿前の浜へ産卵に訪れるのだそうだ。もし運がよければ夜館内放送が入るということであったが、残念ながら入らなかった。7月末から8月初めに産卵に来る確立が高いそうで9月に入ったら今度は孵化した子ガメが海へ戻るのが見られるらしい。
 うみがめ荘、設備が老朽化していた。国民宿舎が最近流行らないらしいわけが分かったように思った。風呂と便所が部屋にない。エレベーターがない。部屋の畳が古い。しかし接客対応はいい。料理もがんばっている。私は大浴場があれば何も部屋にお風呂は必要ないと思うが、トイレはやはりある方がいい。この後もう一度国民宿舎「土佐」に泊まったが、ここも部屋に風呂とトイレがなかった。そして電話予約時にそれを念押しされた。きっとそう言う苦情が多いのだろうなと思った。
 8:10うみがめ荘出発。

(1)第23番札所薬王寺

第23番札所薬王寺
(やくおうじ)
本尊 厄除薬師如来
宗派 高野山真言宗
開基 行基
0884−77−0023
海部郡美並町奥河内字寺前
 昨日宿へ行く前に薬王寺横のGSでガソリンは満タンにした。
 薬王寺の駐車場は相当広い。その一角に温泉施設がある。昨日気づいていたら入ってから宿へ行ったのになあと少し心残りであった。
 三叉路の要にお寺が立っている。山門が立派だが、多宝塔が異様。天に向かって4本(あれ5本だったかな)の矛のように尖ったものが突き出ている。相輪が複数出ているように見える。山門を入り左へ行くと男厄坂とか女厄坂とか書いてある。このお寺は厄落としのお寺だそうで、その厄坂に賽銭を置いていくという方法で厄払いするようだ。
 8:40出発。
 ここから国道55号を延々75km行く。歩き遍路の人は22時間かかるそうである。22時間と言えば多分三日がかりだ。歩けども歩けども札所が見えないという思いになるのではないだろうか。バイクで走りながら相当数の歩き遍路の方を追い越した。はじめ「がんばってね」と心の中で声をかけていたが、途中から「ご苦労様です」と思うようになった。歩き遍路はなまじっかな覚悟ではできないだろうと思った。歩き団体さんには会わなかった。お一人が多いように思った。一人で歩いていたら、たぶん色々なことを考えながら歩くことだろう。バイクは走行中に物思いにふけったりしない。そんなことしていたら危険だ。車の場合もそうだ。基本的には次へ行くための走行に集中している。
 いくつもの港町を通過した。東映の映画の最初に出てくる岩に波が押し寄せるあのカットのような景色の場所がいくつもあった。
 和歌山の橋杭岩とまではいかないが、夫婦岩という名の奇岩が集まった場所もあった。外国の海岸を知らないから比べられないけれど、日本の海岸線って美しい景色だなと思った。

 もう少しで室戸岬だというところで「御厨入窟」という場所があった。あれ?大きな洞窟が口を開けているのが道を通過している私にも見えた。しかし別に珍しくもないと思い通過した。
 しかし後から「三教指帰」という弘法大師空海の24歳の時の著作の現代訳を読んで、しまったと思った。
 その場所は弘法大師が確かにここで修行したと書いておられる有力な場所のようであった。
 それを引用するとこのようである。
 「このみほとけのことば(もし人がここに示された修法によってこの真言を百万遍となえれば、一切の教えの文章や意味を暗記することが出来る『虚空蔵菩薩求聞持法経』)を信じて私は、昔の人が火をおこすのに木や石で錐もみし続けたように絶え間なく努力してみました。郷土の四国へ帰って阿波の大滝嶽によじ登って修行したり、土佐の室戸岬に行って修行し念誦しました。山中で一人修行して大声で真言をとなえていますと、こだまがすぐかえってきて、自分の心の手ごたえになりましたし、また清々しい朝夕の明星を仰いでいると、自分の胸の内にも、みほとけの霊応を感得することができました。(序章の中の小見出し「熱心な修行と仏道への熱き思い」より) 
 読み下し文では「阿国大滝の嶽にのぼりよじ(漢字が難しすぎる)、土州室戸の崎に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す」とある。(『三教指帰』ビギナーズ日本の思想角川ソフィア文庫加藤純隆・加藤精一訳)
 四国八十八カ所霊場が間違いなく弘法大師が開かれたと信じておられる方々には申し訳ないが、私はこのように読んだ。ということは、四国霊場の中で空海自らが修行の場としてあげているのは太龍寺とこの最御崎寺しかないということになる。確かなのは2カ所なのかと思って読んだ。それで太龍寺のロープウェイの途中で座す空海の像があったのかと納得した次第である。
 しかし「明星来影す」ってどういうことだろう。私の持って行った「るるぶ四国八十八カ所」にはこんな風に書いてあった。「弘法大師が19歳の時、室戸岬の御厨入窟(みくろど)という洞窟で修行していたところ、空に輝く明星が口に飛び込んだことで求聞持法が成就したことを悟ったという。大師の自叙伝「三教指帰」には「土州室戸の崎に勤念す。〔中略)明星来影す」とある」
 口の中に飛び込むことかな、来影って。それって怖いだろうな。これは空海が金星を拝んでいるうちに、何か幻想的で不思議な感覚に陥ったということなのだろうなと私は思った。
 親鸞は比叡山でいつまでたってもその不思議な感覚が訪れないことを悩んだようだ。五木寛之『親鸞』を読んで親鸞はそこが誤魔化せなかったのだなと私は思った。
 修行というのは食を断ち水さえ制限した中で不眠不休の行をするのであるから正常な感覚が失われてくるにちがいない。その時に想えたり見えたりするものが正常であるはずがない。非常な状況の中でピュアなものが現れることもあるかもしれないが、私のような凡夫には味わえない世界の話だ。
 弘法大師空海は唐から帰ってきてもう一度室戸岬を訪ね、24番札所最御崎寺を建てたのだそうだ。

(2)第24番札所最御崎寺

第24番札所最御崎寺
(ほつみさきじ)
本尊 虚空蔵菩薩
宗派 真言宗豊山派
開基 弘法大師
0887−23−0024
室戸市室戸岬町
 室戸岬には公園があった。そこには中岡慎太郎の銅像があり、駐車場もあり、海岸へ降りることもできた。中岡慎太郎の銅像を見ながら室戸の出身だったんだなと思った。奇岩もあった。
 最御崎寺の駐車場は傾斜のきつい場所で、駐車してもスクーターがこけるのではないかと思った。林の中を歩いていくと上の写真の山門へ着いた。正面に本堂。左に大師堂。右に多宝塔があった。このお寺の読み方難しくて最後まで読めなかった。
 室戸と言えば京都を襲う台風の上陸地というイメージがある。室戸台風は1934年(昭和9だったそうだ。寺院や小学校など大きな木造建築が被害に遭い死者2702人の大災害だったと言う。
 第二室戸台風は1961年(昭和36)であるから私が6年生の時であった。あんな怖いことはなかった。ヒューンという音と共に屋根瓦がとんだ。どこから転がってきているのか、バケツや看板が道を大きな音をさせながら通り過ぎた。本当に怖かった。必死で格子戸の後ろのガラス戸を押さえていた。台風が通過した後町内の子どもたちと好奇心いっぱいで被害を見て回って大騒ぎしたことを思い出す。この時の死者が194人だそうだから30年ほどの間に日本の家屋が台風被害に耐えられるようになったのだろう。また予報もしっかりできるようになって被害が少なくてすんだのだろう。確かこの日は学校が途中で休校措置をとり帰ってきた。そう考えるとつい最近まで台風に対する恐怖心は想像を絶するものであったのだろうなと思う。
 この寺の道をさらに山手の方へ行くと、展望台に着いた。私は室戸岬灯台が見たかった。「喜びも悲しみも幾年月」という映画があった。あの映画はこの岬の灯台の話じゃなかったかなと思った。私の記憶にあるのは佐田啓二と高峰秀子の夫婦の映画で木下恵介監督作品(1957)である。息子がぐれて苦労している夫婦が困っていたなとか断片的に覚えている。あの頃の映画は何であんな涙が出たのかなと思う。私が小学生だったからかな。いやそれだけでもないな。若山何とかという歌手の 「おいら岬の灯台守は、妻と二人で沖ゆく船の、無事を祈って、灯をかざす灯をかざす」という歌が口をつく。展望台から灯台のような建物が見えた。あれやなと思った。しかし何か自信がなかった。あの映画、足摺岬やったっけと思った。
 調べてみて分かったのだが、四国には全く関係のない映画であった。私は50年ほど足摺岬か室戸岬の話だとばかり思いこんでいた。
 10:41出発。総走行距離535km。このあとも私はスクーターに乗りながら「おいら岬の灯台守は…」と歌い続けていた。……。

(2)第25番札所津照寺

第25番札所津照寺
(しんしょうじ)
本尊 延命地蔵菩薩
宗派 真言宗豊山派
開基 弘法大師
0887−23−0025
室戸市室津
 最御崎寺から6km。室戸市室津港にある寺。駐車場は特別にはなくて共同駐車場みたいな感じで港にあった。狭い路地の向こうに124段の階段があった。階段の途中にまた竜宮城みたいな門があって、右手に本堂。本堂は鉄筋コンクリートであまりありがたさを感じないのは私の中のノスタルジーか。ああしんどと思いながら拝ませていただいた。また同じ階段を降りてきたところに納経所があった。あれ大師堂はどこにあったっけ?確かに弘法大師とお話ししたのだけれど。
 この寺のすぐ近くに煉瓦の塀のある昔は羽振りがよかったのだろうなという家があった。それがこのページの最初に出てくる写真の家。何だろうこの建物はというもので敷地も広く蔵が立派であった。
 港にある駐車場へ戻るときに魚屋さんがあったのでのぞいたら何の魚だか50円という値が付いていた。そんな値の魚見たことない。安い!と思った。 11:30出発。テニス用の半パンでバイクに乗っている。日焼けがすごい。痛くなってきた。海岸での日焼け同様やけど状態のようだ。

(4)第26番札所金剛頂寺

第26番札所金剛頂寺
(こんごうちょうじ)
本尊 薬師如来
宗派 真言宗豊山派
開基 弘法大師
0887−23−0026
室戸市元乙
 今気がついたのだが、電話番号は札所の番号をそのまま使っておられるのだなということだ。少なくとも今日回っているお寺はその順になっている。帰ってきてから案内本を見ていたら立派な寺宝をお持ちのようで白鳳時代の銅製観音菩薩立像もあるらしく相当な古刹であることが分かった。
 山へ向かって登った。境内にはいるとバスツアーの方々といっしょになった。どうも大勢の方々のお経を詠まれる声が気になって仕方がない。
 ここから書くことは一知半解の私の知識で弘法大師に語りかけた私の思いである。「弘法大師さん、あなたはなぜみなさんから尊敬されているのですか」という問いかけけである。
 私が弘法大師空海に対して持っているよくないイメージの一つは、先輩の伝教大師最澄に対する態度である。最澄の密教に対する理解が低かったことは確かであろう。自分もそのことが分かっているから高雄山寺におもむき、弟子共々空海から灌頂(かんぢょう)を受けたのであろう。しかしそのことをあからさまにするために、唐から持ち帰った本を「考え方を変えないのなら貸さない」と言って断ったとか、最澄が信頼して空海に預けた最愛の弟子泰範を比叡山に帰さなかったとか(もちろん本人の意思であろうけれど、何度もの手紙を最澄は出したようだ)というのはいかがなものかと思う。
 その後密教は天皇や貴族のために病気を治したり呪いをかけたりということに力を注いで、権力に迎合して堕落していったと私は理解している。これも密教=空海(これ必ずしも正しくない。東密も台密もある)に対するイメージを悪くしている。
 鎌倉時代になって新仏教は最澄の天台宗延暦寺が母体になって興る。真言宗でも平安末に覚鑁という方が根来寺を中心に活躍されたことを最近知った。しかし、空海の真言宗は新しい時代の仏教を模索する意欲と人材に欠けたのではないかと思う。
 四国八十八カ所をはじめ全国各地を巡りながら修行され、井戸や温泉を掘って民衆に尽くされたのが弘法大師だということが言われている。一方で最高の哲学者で、能書家として三筆のお一人であるとか、『いろは歌』を考えられた文化人であるとか、満濃池を当時最高の技術で掘られた最高の技術者であるとかという評価もある。私はきっとすごく頭の良い方だったのだろうと思う。
 でもやっぱりよく分からない方である。なぜこんなに尊敬されて様々な伝説が生まれたのか。そこが分からない。
 次のお寺へ行く前に腹ごしらえをした。道の駅「田岡の駅前」という何とも味気ない名前の店でざるそばをいただいた。今日はお昼ご飯が食べられた。昨日は何も食べていなかった。12:30道の駅出発。26番から27番まで33km。

(5)第27番札所神峯寺

第27番札所神峯寺
(こうのみねじ)
本尊 十一面観世音菩薩
宗派 真言宗豊山派
開基 行基
0887−38ー5495
安芸郡安田町唐浜
 ここも相当な山の中で標高450m。駐車場から急な坂(これがきつい!)を登ると仁王門。それを抜けると納経所前に神峯水というおいしい水が湧き出していた。
 大師堂横に空海のことを説明する掲示板があった。それを読んだ。空海は都のエリートではなく才能ある讃岐出身者であったことが書いてあった だから最初は私度僧の道を歩んだようだ。そのとき剃髪したのが和泉の槙尾山というらしい。
 その後紀州や四国を巡り修行して有名になり唐へ渡りとんとん拍子で出世したようだ。密教を知るまでは禁欲的な考えであったが、密教習得後は男女の愛欲についてかなり柔軟に考えていたとか書かれていた。
 本堂、大師堂、納経所それぞれ建物が離ればなれだ。私の後から来たお年寄りは仁王門超えたところで帰ってくる私に「まだですか」と聞いておられた。「階段がきつい」と申し上げたらかなり滅入っておられた。

(6)第28番札所大日寺

第28番札所大日寺
(だいにちじ)
本尊 大日如来
宗派 真言宗智山派
開基 行基
0887−56−0638
香南市野市町母代寺
 27番から28番まで42km。
 道をくねくね曲がって寺に着いた。仁王門はなかなか風情がある。階段を上っていくと、大変立派な本堂と大師堂である。納経所は別にあった。本尊大日如来は行基作、聖観音像は智証大師作の伝承があり、二体とも重文とか。行基の時代に大日如来はないでしょうね。非公開。
27番も28番も廃仏毀釈で廃寺になったが、しばらくして再興されたらしい。明治の廃仏毀釈はものすごい影響があったことが四国を巡っているとよく分かる。
 2:55出発。

(7)第29番札所国分寺

第29番札所国分寺
(こくぶんじ)
本尊 千手観世音菩薩
宗派 真言宗智山派
開基 行基
088−862−0055
南国市国分
 大日寺から国分寺までがよく分からず迷った。大日寺を出たのはいいが、全く分からなくなって、車で自宅へ帰ってこられたばかりの奥さんに尋ねたら、川沿いに南国市へ出ろと言われた。地図と全く違うルートだ。物部川沿いから離れてガソリンスタンドで道を聞いたら地図をくれた。昨日のガソリンは8.74g入って1156円。今日も同じぐらい入ったと思う。セルフの店だった。教えてもらって助かった。迷子になっていたのだから。
 このお寺いいなあと思った。一番いいのは帰り際仁王門から見える景色。白鷺が舞う田んぼが見えるのだ。なかなかよかった。
 本堂が柿葺きの屋根でかっこいい。重文らしく長宋我部国親・元親が再建(1558)したらしい。何とも風情がある。ここでも大勢の団体客と遭遇した。私が本堂でお経をあげていたら、後ろでロウソクやら線香を大勢の人があげだした。私は気もそぞろになっていい加減なお経をあげ、真言も忘れてその場を離れた。これはこの人たちが来ないうちにと納経所へ行ったら、すでに遅く添乗員が大量に記入してもらっていた。「うわあ、かなわんな」と思ったら、お寺の方が私を優先してくださった。助かった。もう時間が差し迫っていた。納経所付近が特に美しく手入れされていた。美しいお庭であった。国分寺ということで指定を受けているようであるがその痕跡は私が見る限りなかった。
 4:00出発。あと1時間しかない。次の善楽寺へたどり着けるかどうか。

(8)第30番札所善楽寺

第30番札所善楽寺
(ぜんらくじ)
本尊 阿弥陀如来
宗派 真言宗豊山派
開基 弘法大師
088−846−4141
高知市一宮しなね
 土佐神社が一宮らしく隣同士である。普通のお寺で特に目立ったものもない。私は間違って土佐神社にスクーター止めてしまった。土佐神社には重文の建物もある。
 土佐でも最も古く開けた寺だそうだが、ここも明治で廃仏毀釈の影響で廃寺になったらしい。昭和4年に再興。その後も納経所が二カ所という時代が続いたようだが、平成6年に「善楽寺」が第30番札所にと決まったのだという。それまでの30番札所安楽寺は奥の院になった。安楽院は廃仏毀釈の後、一宮の本地仏阿弥陀如来が遷座したので公認されていたようである。
 私が境内に入っていったら奥さんらしい方が大師堂の火の始末をしておられた。灰の線香やロウソクの始末である。これなかなか大変だろうなと思った。私が着いたのは4:20ぐらいだったと思うがそのくらいから片付けが始まるようだ。私は先に納経所へ行く方がよさそうな気がして行ったら、その片付けをしておられた方が書いてくださった。
 私はその後、本堂と大師堂でお経をあげた。
 今日はこれで終了。この後宿を探すのだが、どうしようかなと考えてとにかく高知駅へ行くことにした。たくさんビジネスホテルがあるだろうと思ったのだ。
 高知駅南口のビジネスホテルに飛び込んだらOKであった。簡単に泊まれる。これの方が都合がいい。これから当日行けるところまでいって泊まるところを確保することにする。
 朝食も用意できるとのことであった。
 明日は五台山竹林寺から始まる。
 
 夕食を食べに出た。
 居酒屋へ入って鰹のたたき、焼き鳥(トサジロー)と串カツを注文。ビール3杯飲んで4900円であった。 
 そこの大将と土佐の話をした。
 坂本龍馬の才谷屋が相当資金援助した話。岩崎家がドラマに抗議したらしいこと。土佐には幕末に私財を投げ出して治水工事をした野中何とかという偉い人がいること、自由民権運動の板垣退助が尊敬されていること、岩崎弥太郎は三菱が安芸市(夕張に続いて赤字再建団体になりそう)のために貢献してないと見られて人気がないらしいこと。そういえば今日安芸市内を通ったとき岩崎弥太郎の銅像の案内があった。長宗我部は人気があり、山内はよそ者という意識が強いこと。安芸何とかという長宗我部に滅ぼされた大名は今も人気があること。他県からの人はなかなか受け入れない体質があることなど前橋本知事の不人気の原因にも言及して話しておられた。
 中岡慎太郎はスダチ生産に貢献したそうで今でも神社があるとか。
 幡多は言葉が違うらしく別の文化圏だという意識が強いようだ。
 そんなこんなを話しながら食事してきた。
 日目  月日曜日 遍路県名  遍路した札所・訪問先   日目  月日・曜日  遍路県名  遍路した札所・訪問先 
    かばのしっぽ四国八十八カ所スクーター遍路旅スタート  1日目 8/14(土)  徳島1   1番札所・徳島市内 
 2日目 8/15(日)  徳島2 2番〜11番  3日目  8/16(月)  徳島3  12番〜22番 
 4日目  8/17(火) 徳島4・高知1  23番〜30番  5日目  8/18(水)  高知2  31番〜36番 
 6日目  8/19(木) 高知3・愛媛1  37番〜41番  7日目  8/20(金)  愛媛2  42番〜52番 
 8日目 8・21(土) 愛媛3  52番〜64番  9日目  8/22(日)  愛媛4・香川1  65番〜77番
10日目  8/23(月) 香川2  78番〜88番  11日目  8/25(水)  和歌山  高野山奥の院 
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