かばのしっぽの

四国八十八カ所スクーター遍路旅5日目
〔8月18日(水)・高知2・第31番〜36番〕

 8月18日(水) 今日は31(竹林寺)〜36番(青龍寺)の予定。
 朝7:40出発。ところがホテルの位置を勘違いしていて全く90度違う方向へ走り、高知城に着いてしまった。前に来たことがある場所だ。ここではない。私は五台山竹林寺、牧野植物園方面へ行かなければならないのだ。もう一度地図を見直した。土佐電の走っている道をはりまや橋まで出て左折しなければならない。今来た道を引き返し、JR駅前を右折しはりまや橋を左折してやっと牧野植物園の案内を見つけた。高知市内を走っていて思ったのだが、「桂浜」「はりまや橋」「五台山」という標識が多かったようだった。。
 牧野植物園は行ったことがあり、その時に植物園出口付近に四国八十八カ所のお寺があるなあと思っていた。前はタクシーだったなと思い出していた。

(1)第31番札所竹林寺

第31番札所竹林寺
(ちくりんじ)
本尊 文殊菩薩
宗派 真言宗智山派
開基 行基
088−882−3085
高知市五台山
 竹林寺に着いたら8時過ぎだった。もう巡礼の旅をしている人が寺から二組出てこられた。挨拶を交わす。
 ここは、大変苔が美しい寺でよく手入れしてあった。お寺の宝物館には重文の仏像もあるようで絵はがきを売っておられた。145mの山に牧野植物園とこの寺があり、山への道は一方通行になっている。よさこい節ではりまや橋で「ぼんさんかんざし買うを見た」と歌われるのはここのお寺の坊さんらしい。土佐唯一の五重塔もいいし、本堂も江戸時代のもので重文。
 今日は一人でお経をあげられたのでゆっくりあげられた。納経所は入り口付近にあり、奥さんが書いておられるようであった。

(2)武市瑞山生家と神社資料館及び墓

 31番札所と32番へ行く道の間に武市半平太の生家と。瑞山神社、資料館、墓などがあった。近くの橋も新瑞山橋という名であった。
 神社と資料館が並んで立っており(真ん中の写真)、その奥に墓があった。(写真右・手前が半平太向こうが妻富の墓)武市の名を冠した墓が20ぐらいあったように思う。瑞山とお富の墓が一番手前にあった。明治40年に建てられたとか。それまでは肩身が狭い思いをしてお富さんは暮らしておられたのかもしれない。何でも高知市内で内職のような仕事をしていたみたいに書いてあった。しかし皇后が何度も貞節な妻であるということで誉めたとか書いてあった。資料館にそんな珍しいものはなかったが、一生を誰かが絵に描かれたようだ。簡単なものだ。この資料館鍵がかかってなくて簡単に入れた。神社からその家が見えた。二棟あって、一つは住んでおられ、もう一棟は使われていないようで、そこがどうも武市が住んでいた家のようであった。(写真左)
 高知市内からかなり遠い。川を越えて、少し高台になったところにあった。おそらくその辺りの有力な一家の出だったのだろう。
 それにしても思うのだが、ドラマは簡単に会いに行ったりしているようであったが、武市と岩崎と龍馬がそんな頻繁に会うはずがないと思った。岩崎は安芸市、坂本が高知、武市は南国市。一日がかりで歩いても行き帰りできるかどうか。

(3)第32番札所禅師峰寺

第32番札所禅師峰寺
(ぜんじぶじ)

本尊 十一面観世音菩薩
宗派 真言宗豊山派
開基 行基 
088−865−8430
 あれかなと思ったら違ってかなり奥の方へ入る感じの場所にあった。山の方へ登っていった。駐車場から少し階段を上って納経所に着き、それから山門になりさらに階段を上がるとやっと左側に本堂も大師堂もあった。おかしな形の岩の前に不動さんがおられた。
 私がお経をあげていたら、さっき瑞山の墓の前あたりで私を抜かしていった歩きの青年が青息吐息で上がってきて、ベンチにどさっと座り込んで、「暑いですね」と言った。私はまあ、それほどでもなく来ているので「まだ朝のうちはましですけど昼からがきついですね」と言ったが、彼は朝からきついのだ。彼は手洗い場がないのでどこにあるかと聞いてきた。仁王門の手前にあったと答えたら、さっそくまた降りていった。

(4)坂本龍馬記念館と桂浜

 32番と33番の間に桂浜があり、記念館がある。
 桂浜は一度来たことがあった。初めて高知へ行ったとき「どこへ行きたいか」と聞かれて「桂浜の坂本龍馬像を見たい」と言って連れてもらった。もう30年程前のことになる。高知で児童詩教育研究大会が行われた時のことだ。それは高知新聞社主催の研究会で当時新聞社の嘱託をしておられたNさんと言う方が、研究会後1日高知のあちこちを連れて案内してくださった。Nさんは私が生活綴方の仕事をしているからというので小砂丘忠義の墓にも四万十川の幡多にも連れて行ってくださった。
 公園の駐車場へ入るのに二輪は50円。銅像だけ見て浜は松越しに見てきた。きれいな海岸だと思う。遊泳禁止なのかな。この公園内に闘犬センターがあったりするのだが、私は300円のかき氷が最高だった。
 記念館に入った。武田鉄矢解説のDVDを少し見た。おもしろかった。龍馬検定なるものも行われているようだ。地下が通常展で、龍馬の人形とか手紙とか刀とかピストルなどがあった。どれもみな複製である。同じく複製だが京都近江屋(坂本中岡の暗殺された宿)の血の飛んだ掛け軸と屏風もあった。
 へえ!と思ったのは、薩長同盟は龍馬の独創ではなく、三条実美らも画策していたし土佐の土方とか田中某という人物、筑前藩の月形某などもそのために動いていたのだそうだ。龍馬は最後それを仕上げたということになるという解説であった。
 新婚旅行中の薩摩での龍馬夫妻のことを吉井勇が書いているものが展示してあった。吉井家は薩摩の京都藩邸の要人だったらしい。龍馬が薩摩に行ったとき、吉井勇のおじいさんが子どもで二人といっしょに行動したらしい。その話を吉井勇が聞き書きしているのだ。霧島山でピストル撃ったとか、龍馬の夫婦げんかとか、子どもでも見ておられんぐらいしなだれかかるおりょうの姿などが書かれていた。その後おりょうは坂本家に入るが折り合いが悪く出て行ったようだ。妹が海援隊の一人と結婚したらしく高知に関係があるらしい。
 私は今NHK大河ドラマ「龍馬伝」を楽しく見ているのだが、あのドラマは史実を再現しているところとドラマとして創作しているところがあるのだなとあらためて思った。ウソばっかりとも言えるし、なるほどそのように出会わせるかと感心するところもある。

(5)第33番札所雪蹊寺

第33番札所雪蹊寺
(せっけいじ)
本尊 薬師如来
宗派 臨済宗妙心寺派
開基 弘法大師
088−837−2233
高知市長浜
 この寺には運慶湛慶が訪れたらしく多くの二人の仏像があるらしい。知らんかったなあ。見てきたらよかったなあ。。この寺の横に秦神社というのがあって、長宗我部が祀られているらしい。
 町中の小さい何の特色もない寺だと思った。入っていったら、寺の中にショウガなどを売っている露店が出ていた。そこに二人の男性がいた。テキ屋のおっさんかなと思った。 
 私はいつもの通り拝んだ。ここに私ぐらいの年配の夫婦がおられた。この方たちはお経をあげるわけではなく、簡単に拝んでいかれる。私より早く着いておられたが、車から降りてこられるのに手間取られた。ところが私の方がお経の本と数珠をバイクに置いてきて駐車場に戻った。その間に納経もすまされて次へ向かわれた。
 私はいつも通り拝んで納経所へ行ったら、さっきのテキ屋の若い方の人が座っていた。どうも坊さんらしい。
 それにしても運慶の晩年の仏像見たかったなあ。

(6)第34番札所種間寺

第34番札所種間寺
(たねまじ)
本尊 薬師如来
宗派真言宗豊山派
開基 弘法大師
088−894−2234
高知市春野町秋山

 雪蹊寺からの道を行ったら、さっきの夫婦がのろのろ運転。妻が運転しておられた。私は追い越した。春野と言えば西武のキャンプ地。ハウス野菜栽培でも有名だ。たくさんハウスがあった。
 種間寺に着いた。広い駐車場。ここにはアイスクリーム屋のおっちゃんが暇そうに座ってラジオの高校野球を聞いていた。
 山門がない。枝振りのいい松があった。先ほどの夫婦は私を追い越して拝んでいかれた。

(7)第35番札所清瀧寺

第35番札所清瀧寺
(きよたきじ
本尊 薬師如来
宗派 真言宗豊山派
開基 行基
088−852−0316
土佐市高岡町丁
 清瀧寺へ行く頃に細かいお金がなくなって、ちょうど昼食時分だったので何か食べる場所はないかと探していたがなかった。大きな道から細い道に入ったところに讃岐うどんの店が見つかった。550円で昼ご飯を食べた。
 さて、ここからが大変だった。すごい狭い道で、車は絶対離合できないような坂道でお寺の駐車スペースも判然としてなくてく、どこにバイク置こうかと迷った。清瀧というと京都の清滝を思い出す。弘法大師がきっと水を湧かせたとか何とかの言い伝えになったいるのだろうなと思ったらその通りだった。ここの大きな薬師如来像は15m。その後方に本堂と大師堂。少し離れて納経所。お年寄りが二人座って話しておられた。
 納経所へ行く道の右手に見える景色がよい。海が見える。太平洋だな、土佐の町なのだろうなと思った。
 駐車料金お志で200円と書いてあったので出したらボールペンが領収書代わりだった。「三教指帰」空海を買った。名著の誉れ高い本だそうだ。さてどういうことが書いてあるのか楽しみ。

(8)第36番札所青龍寺

第36番札所青龍寺
(しょうりゅうじ)
本尊 波切不動明王
宗派 真言宗豊山派
開基 弘法大師
088−856−3010
土佐市宇佐町竜
 青龍寺…今日はここでおしまい。青龍寺への道は何とも田舎を感じさせる。そして工事中。うわあ、日差しいっぱいで全然日陰ないぞと思ってバイクを止める。あれ?最近建てられたとしか思えないような真っ赤な三重塔と多宝塔。でも重なるときれい。(このページ冒頭真ん中の写真)その向こうに美しい建物。それは奥の院であった。
 あっ!あの今日ご縁のあるのろのろ運転のご夫婦が帰って行かれる。たぶん私が昼ご飯食べてる間に抜かれたようだ。お父さんの方と目があった。こういう遍路中の方とお会いしても、はじめは何も話さない。しかし何回か出会っていると、今日はよく会うな、どこから来てはるのかなと思うようになる。
 「暑いですね」「ほんまですね」「バイクも暑いでしょう」「ええ、確かに」「でも歩きの人は大変ほんまにえらいと思いますわ」「そうですね」「わたしはこんで何回か回ってるんですけど、スタンプラリーみたいなもんです」(これうまい!) 「遠くからきたはるんですか」「いえ、この近くです」「徳島の11(藤井寺)〜12(焼山寺)は参りましたね」「さっきの清滝寺も細くてきつい坂でしたね」「今日はどこまで行かはるんですか」「次の岩本寺まで高速使って行こうかと思ってます」「そうですか、ではまた」と言って別れた。
 本堂のある方は、またまた階段を登らなければならない。仁王門を超えたら、またまた石の階段。足がだるいなと歩いてたら上から若い3人挨拶する。
 途中に行者用みたいな滝があった。これうたれたら気持ちいいかもしれないと思った。登りきったら正面本堂。不動さんの前だちがおられた。本堂前にも石の不動さんがおられた。この真言が長くて読めない。大師堂でお経読んでたら、かなり年配の完全遍路姿のかたが登ってこられて、大師堂には目もくれず、本堂だけ拝んで、納経所へ向かっていかれた。こんな人もおるんやと思った。この人時間がないのかと思ったら、門前の自動販売機の不具合を電話連絡しておられた。
 私はそれを聞きながら地図チェックと時間を書き込んでいたらどうも置いてきたようだ。大事な書き込みした地図。
 青龍寺というのは弘法大師が唐で学んだ恵果という高僧から真言密教の秘法を授かったお寺の名前である。
 弘法大師は唐から日本に向かって三つの法具を投げたそうである。一つが独鈷、二つめ三鈷、三つ目五鈷。それぞれこの青龍寺と、足摺岬と高野山に落ちたらしい。そして独鈷の落ちたこの場所に青龍寺を建てられたとか。でもこういう話は誰が作るのでしょうか。まさか自分で作ることはないと思うので弘法大師の威厳を高めるために誰かが創作したのであろう。空海にはこういう話がいっぱいありすぎる。それをありがたがる人にはいい話なのであろうが、私はかえってあやしいと思ってしまう。そんなハンマー投げの室伏よりすごい投てき力を空海が持ってるはずがないと、罰当たりなことを考えてしまう。

(9)おまけのこと

■龍温泉入浴
 今日は国民宿舎「土佐」に宿を予約していた。だから、今日の遍路はおしまいにした。次の37番へは60kmもあって、行って引き返すのはかえって時間のロスになる。2:40だったのでまだ時間がたっぷりある。国道から青龍寺へ入るところに「龍温泉」という看板があったので、そこへ行こうかと思いついた。
 「あの温泉は、どういう温泉ですか」と青龍寺納経所で聞いたら「さあ、入ったことないので。しょっぱいらしいですよ」ということであった。「近かったらそんなもんですよね」と言ったのだが、どうも納経所の方は好意を持っていないような印象をうけた。「入れてくれるのと違いますか。○○屋さん」とホテルの屋号を言っておられた。
 引き返して温泉の駐車場あたりをウロウロしていたら、新興宗教みたいな黄金大師だとか何とか書いてあって、龍温泉と書いてある。玄関で停まったら、旅館の人と目があって、「どうぞ、どうぞ」とおっしゃるのにつられて入ることにした。着がえを用意して入った。
 黄金大師か何か覚えていないが、確かに仏壇のような拝めるスペースが地下お風呂場へ行く踊り場にあった。どうも経営者がマスコミや有名人がお好きなようで、階段には、ここへ来訪された時、いっしょに撮影した写真や色紙が貼ってあった。相撲関係者が目についた。朝青龍は高知県(出身高校が高知明徳)で青龍寺という名前に関係するからか、ご両親を連れて来たようだ。経営者はよほどこういう写真撮影が好きなようでお風呂場前にももう1セット同じものがあった。念の入ったことで、私はこういうのを見ると笑ってしまう。
 第1番札所霊山寺のところでも書いたが、現総理大臣菅直人氏が平成16年に四国遍路した痕跡は徳島、高知と札所のいろいろな場所にあった。ここ3ヶ月ほど前に総理就任と同時に復活した写真や色紙もあるかもしれないなと思った。そしてもしこの9月の民主党代表選で敗れ首相でなくなったら、あの色紙や写真は消えるのだろうかと人ごとながら気になった。ここにも色紙が飾られていた。私は般若心経の「色即是空・空即是色・受想行識亦復如是」だなと思っていた。
 それで肝心の温泉であるが、色は鉄色というか黄土色というかそういう色をしている。ちょっとなめる気にならなかったので味は分からない。午後3時で客は私一人で大浴場独占して入った。露天風呂もあった。何しろ底が見えないので深さが分からず慎重に入った。やっぱり風呂にはいると足が疲れているのがよく分かる。肩もこっている。ゆっくり入らせてもらった。
 お風呂場にこのお湯の説明が書かれていた。1200m掘って湯が出たが、1700mまで掘ったら、42度のお湯になったとか。平成22年2月22日に温泉として営業を始めたらしい。
 さらに弘法大師が「ここを掘れ」とおっしゃった場所を掘ったら出たなどと書いてあった。弘法大師と色々お話しが出来る経営者のようである。弘法大師がお味方になってくださったらさぞかし心強かろう。

■異常気象と日焼け
 それにしてもいい天気続きで、私は大変ありがたかった。雨が降ったら、予定通りまわれないし、危険だし、写真は思うように撮れないし。
 しかし結局遍路中一度も雨に困ることはなかった。最終日に少し降ったが雨具を出すほどのこともない程度のものであった。
 そして遍路から帰ってきた今も雨が降らない日が続いている。もうかれこれ3週間は降っていない。
 初めこれは私の運がいいのだろうと、弘法大師に感謝していた。弘法さんが助けてくださっているのだろうと思うことにした。そうすると大師堂で言うことばに感謝が加わった。
 しかしどう考えても私の運がいいだけではない。今年は異常気象なのだそうだ。
 この日中の日差しがきつい中、テニス用の半パンで走り続けていたら、足の太ももあたりが真っ赤になった。半パン2日目、この日はさすがに日焼け止めクリームを塗布して走ったが、時すでに遅しで、はっきり海水浴で何のケアもしないときの背中状態になってしまった。龍温泉で風呂につかったら、浸みた。さすがに手の方は普段から焼けているからそれほどでもない。
  
 日目  月日曜日 遍路県名  遍路した札所・訪問先   日目  月日・曜日  遍路県名  遍路した札所・訪問先 
    かばのしっぽ四国八十八カ所スクーター遍路旅スタート  1日目 8/14(土)  徳島1   1番札所・徳島市内 
 2日目 8/15(日)  徳島2 2番〜11番  3日目  8/16(月)  徳島3  12番〜22番 
 4日目  8/17(火) 徳島4・高知1  23番〜30番  5日目  8/18(水)  高知2  31番〜36番 
 6日目  8/19(木) 高知3・愛媛1  37番〜41番  7日目  8/20(金)  愛媛2  42番〜52番 
 8日目 8・21(土) 愛媛3  52番〜64番  9日目  8/22(日)  愛媛4・香川1  65番〜77番
10日目  8/23(月) 香川2  78番〜88番  11日目  8/25(水)  和歌山  高野山奥の院 
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