2017
かばのしっぽ日記

かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。 
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレって」と、思う今日この頃であります。
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かばのしっぽ日記
12月30日(土)
年末今年をふり返る 
 いよいよ今年もあと2日。
 正月の買い物に行ったり、ガソリン入れに行ったり、風呂掃除をしたり、床にWaxかけたりしている。
 今年をふり返ってみる。
@2人目の孫が生まれた。「見てね、アルバム」で孫の成長を楽しんでいる。
A3月から『ぼちぼちいこかコンサート』実施。介護、福祉施設でギターと歌コンサートを週1回程度継続できた。
B円空仏や木喰仏を訪ねる旅ができた。新潟、愛知、岐阜、埼玉、群馬などへ出かけた。「円空さんが生きた時代と法隆寺」という論考を『円空研究32』に発表できた。
C今年も医療専門学校で講義できた。学生さんのエッセイや川柳が新鮮。
D退教互伏見支部の副支部長になった。
E6月仲間と「5+One写真展」を今年も実施できた。
F京都や伏見のガイドの依頼があって行った。
Gテニスはコンスタントに週2,3回できた。
H10月仏像彫刻展に出品。好きなように彫っている方が楽しいので教室へ通うのは辞める。
Iほぼ毎回、図書館で本を読むと眠ってしまう…困ったもんだ。
12月26日(火)
タイヤ交換
 
 遠出する予定もないのでノーマルからスタッドレスに履き替える必要もないかと思ったのだが、日常生活で思わぬ雪降り時に外出する必要がないとも言えないので、やっぱり替えることにした。
 昨日予約して交換に出かけた。通常なら3,40分で出来るのだが、大きな声で名前呼ばれたので返事すると、5年目のスタッドレスが摩滅してノーマル並に凸凹が無くなっているから、新しく買うことを勧められた。嫌も応もない。安全第一である。交換してもらうことにした。
 それから長かった。一時間半。営業所から離れても良いと言われたのだが、営業所のある場所は幹線道路沿いの辺鄙な場所で、徒歩ならどこへ行くにも不便。パチンコ屋さんはあるが、その趣味はない。
 結局8万円近くの思わぬ出費になった。
 
12月20日(水)
ガードマンの役割
 
 下に書いた保育園の建設を巡っては、反対の声もあって遅まきながら住民説明会が行われた。
 朝夕のラッシュ時の送り迎えで交通渋滞を引き起こすのではないか(踏切から15m付近に出入り口、踏切での渋滞は常態化してる)、国有地だった場所の売買価格は適切か、騒音対策はどうか、JR奈良線がすぐ横を通る環境は子どもの保育に適しているのか等々の意見が出たようだ。
 建設中の建物の前に、一人のガードマンが毎日立っておられる。
 この方、気さくな方で愛想が良い。通る人、自転車・バイクに必ず声をかけておられる。「おはようございます」「行ってらっしゃい」「こんにちは」「お帰りなさい」時に応じて臨機応変な声がかかる。よく見て、周辺住民だという認識があるのだ。 先日バイクでこの前を通ることが多い妻が、たまたま歩いて通ったら、「今日は、歩きですか」と声をかけられたらしい。顔も覚えておられるようだ。
 なぜ工事現場入口に配置されているのかと言えば、工事車両の誘導が主な理由であろう。が、この方は保育園の工事の印象をよくする役目をしている。
 小学校の校長が、朝校門前で子どもを迎えに立ちだしたのは教育委員会の指示・指導があったからだが、気の毒なくらい住民から無視されている人がおられた。あの仕事も難しいのである。そう考えると、あの方の仕事はプロの仕事なのだと言える。
 12月20日(水)
工事ラッシュ
 最近自宅周辺が騒がしい。
 一つ目、100m程西に離れた場所の保育園建設。二つ目、前の道路の大阪ガス配管工事。そして三つ目、二軒隣の新築工事。四つ目、北西側50mに分譲された場所に新築家屋二軒の工事。五つ目、JR奈良線の複線化に伴う拡幅準備工事。これらがほぼ同時進行で行われている。
 団塊世代が、親の世代の購入した家を売却したり、解体して建て直したりが一段落して、若い世代が少し広い家を購入しているように思う。○○ハウスとか○○林業など大手の会社の家が最近目立っている。住宅地の姿が変貌している。それに伴ったインフラ整備工事が進行しているというところか。
 12月18日(月)
最近年賀状事情
 年賀状をチケットショップで買うと5円安い47円で売っている。200枚買ったら、1000円になる。こういうことを知っている人は郵便局で買うだろうか。何らか、郵便局員の方とのつながりのある人以外は安い方を買うと思う。
 ノルマを課せられた郵便局員の方は、どうするのだろう。頭下げ倒して親戚縁者友人知人に買ってもらう手間と労力、それにともなうストレス考えたら、私ならチケットショップへ持っていく。いくらで買い取ってくれるのか知らないけど。
 郵便局内で特別価格があって、局員は安く買えるのだろうか。そんな話は聞いたことないが、10円ぐらいの手数料があったら、頑張って売る気になるかな。
 こういう安売りが正々堂々行われていて郵便局員は大変だろうなあ。
 
むかし都館があってな 
12月7日(木)

 今なら、「伏見です」と言えば「伏見稲荷のあるあの伏見?」と返事が返ってくるであろうが、一昔前「ああ、伏見ミュージックのあの伏見…」という返事が返ってきたのが私が大学生だった頃。新しいストリップ興業のアイデアは「DX東寺」か「伏見ミュージック」が発信元だった。
 「伏見ミュージック」は京町通りと国道24号が交差する北西角にあった。この交差点で信号待ちすると必ずお兄さんが割引券をくれたものである。ここは撞木町という江戸時代中書島と並ぶ遊郭があった場所である。井原西鶴の「好色一代男」にも登場するし何より大石内蔵助が遊んだことでも有名な遊郭であった。
 伏見ミュージックになる前は「都館」という映画館であった。私が小学生だった頃まだTVが普及しておらず、娯楽の最前線に映画があった。私の父母は映画好きだったようで、上映作品が変わる度に連れて行ってくれた。京町通りか両替町通りの橋(橦木橋の石柱が伏見郵便局東にある)を越えたら、そこに都館はあった。橋?と思われるであろうが、この場所には琵琶湖疎水のインクラインがあった。現国道24号が直角に曲がり南北から東西に方向を変えるあのあたりは、伏見城の外堀跡を利用したインクラインだったのである。かなり深いところに線路があり、水路もあった。よい子は遊んだり降りたりしてはいけない場所であったから、私はもちろん降りて遊んだことがあった。今もある墨染発電所は琵琶湖疎水利用の遺跡でもある。
 都館は三番館だった。封切館ではないから少し前に作られた映画を見せてくれた。いつも三本立てで、この映画館のすごいところは、どの映画会社の映画も見られたことである。時代劇の東映・大映、現代劇の日活・東宝そして文芸作品の松竹みんなあった。
 とりわけ人気があったのは時代劇で、忠臣蔵や鞍馬天狗、旗本退屈男に大岡越前などでは、必ず正義の味方が活躍する場面になると拍手が起こり、声援が飛んだ。中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵、市川雷蔵など当時の若手の映画も人気があった。一方で涙なしには見られない名作も多く見た。「キクとイサム」「つづりかた兄弟」「楢山節考」「にあんちゃん」など今も心に残っている。
 都館は一応モルタルの洋風建築であった。この建物は伏見ミュージックになっても変わらなかった。都館は通称「ねずみ館」ともいった。ねずみが走り回っていたからである。舞台袖左右にトイレがあったのであるが、くみ取り式のトイレはたえず悪臭を放っていた。フィルムはいいところでよく切れた。その度にため息が聞こえた。料金は大人30円だったと記憶している。子どもはその半額だった。
 遊郭、映画館、ストリップ劇場と変遷してきた時代を先取りする娯楽を体現してきたその場所は、ストリップの衰退後営業をやめ建物もなくなり、数年前から家族葬をする現代葬儀の会館となった。時代の流れを象徴する伏見の名所であり続けている。石碑でも建ててはどうかと思うのであるが。

11月23日(木)
彦根見学ツアー 
 昨日、彦根城とキリンビールの工場見学に行ってきた。自分が役員をやっている団体の催しである。
 姫路、熊本、松本、犬山、松江、名古屋、大阪、弘前などなどの天守閣を見学していると、どこがどこだかごっちゃになって、彦根城の印象も薄くなってしまう。 彦根城の階段は、62°と60°の傾斜で、一段の高さも相当なもので、足をしっかり上げて手すりをしっかり持っていないと登りも下りもこわい。私は次回からはパスしたい。役員だから仕方なく登ったが、もういい。
 キリンビール滋賀工場見学は感心した。無料でビール3杯飲み放題(おつまみつき)というこの見学、おもしろかった。最近の工場見学は、こんなハイテクを使っているのかと感心した。
 説明も何もかも映像を使って行われた。若い女性スタッフが、タブレットを使って見学者を驚かせ、「オー」と声を上げるように仕組まれている。そして如何に自社製品が、他と差別化しているすごい商品かを終始説明する。麦を噛みしめると甘いこと、一番搾り麦汁と二番絞り麦汁の飲み比べで体験させて納得させる。
 CMでお馴染みのタレントも映像で登場して、盛り上げる。
 いよいよお楽しみの試飲。三種類の一番搾りが用意されていた。普通の一番搾り、先月発売になった黒ビール、来月発売予定の滋賀限定一番搾り。おつまみをもらって、30分あまりの時間の中で飲めるようになっていた。おつまみも工場内限定モデルの「柿の種」であった。そして工場限定のおやつ類やビールがショップに並んでいた。おいしかったので「柿の種」と「ゼリー入りのチョコ」をお土産に買った。
 見終わって気づいたことである。工場内で働いている人を一人も見なかった。接客する人はいたが、それ以外は見なかった。小学生が社会見学で来ていた。どんな感想を持つのだろう。きっと商品がすごいことや、その説明がすごいことは思うだろうが。この工場で、人が何をしているかは想像できないのではなかろうか。みんなで力を合わせ、商品開発、製造に工夫と努力を重ねていることを強調する映像であったが、みんな分かったかな?
 10月12日(木)
衆議院議員選挙
 衆議院選挙まっただ中、TV各局が党首討論を放送している。今朝の新聞には世論調査の結果の予想が早々と出た。
 政権与党が有利、新しく鳴り物入りで話題になった都知事率いる新党は思うほど伸びず、そこから排除されて筋を通した人たちの党が健闘している、他は現状維持。おおよその予想である。
 森友、加計問題に対する疑惑に対する説明は不十分、改憲(とりわけ9条)に対する世論は反対の方が多い、原発廃止に賛成が多い、景気が良くなっているという実感を持っている人は少ない、という他の世論調査と、選挙予想の結果は乖離している。
 小選挙区制というシステムが与党有利なのは明らかで、過半数の投票率を獲得しなくても7割近い議席占有率になる。昨日あるコメンテーターが、何回か前の選挙から、自民党は単独過半数をとる力がなくなっていると言っていた。公明党との棲み分け、応援で勝っているのだ。
 世渡り上手な政党と何でも呑み込む巨大な与党と、政策的にはそう変わりのない政党とが手を組めば、国の根幹である憲法が変えられ、勇ましい好戦的な風潮が席巻するのではないかと心配になる。
 団塊の世代は「戦争を知らないこどもたち」だった。ずっと日本のこどもたちはそうであってほしい。 
10月4日(水)
中秋の名月 
 今日は中秋の名月だそうだ。今晩、外へ出て眺めることにしよう。天気もよさそうだし、虫の声がするのかも聞いてみよう。
 柿が色づいてきた。さっそくカラスがつつきだした。
 メダカは食欲が落ちだした。そして水面深く泳ぐようになってきた。水が冷たくなってきたのだろう。
 秋が深まっていく。 
9月27日(水)
里の秋 
 「静かな静かな 里の秋 お背戸に木の実の 落ちる夜は ああ母さんと ただ二人 栗の実 煮てます 囲炉裏ばた」というあの歌のこと。
 私は秋らしい幸せな母子の歌だと思っていた。
 しかし三番の歌詞はこんな歌詞である。
 「さよなら さよなら 椰子の島 お舟にゆられて 帰られる ああ 父さんよ ご無事でと 今夜も母さんと 祈ります」。
 この歌、戦前に作詞されていたらしいが、1945年12月24日、「外地引き揚げ同胞激励の午后」というラジオ番組で流された歌だという。
 この説明をしたら、「単身赴任の方の歌かと思った」とおっしゃった方がおられて笑ったのだが、帰還兵を待つ母子の歌であったのだ。無事に帰って来られなかった方も多かったことであろう。
 しかし先程笑ったと書いた「単身赴任の方の歌」というのはあながち当たってないこともないと思った。企業戦士の単身赴任は、現代の「里の秋」を生み出していないのか、そんなことを思った。 
9月18日(月)
敬老の日 
 高齢者って何歳からだろう。TVでは65歳以上、90歳以上、100歳以上などの数字が出ている。ボーット見ていたら、自分も65歳以上なら入ってるやんと思った。いつのまにかである。それで考えたのだが、高齢者を自覚するのは一体何歳ぐらいからなのだろう?
 退職を迎える頃、年金生活を始める頃、完全に「仕事」をしなくなる頃、好きなこととか趣味に興味が持てなくなる頃、自由にあちこち動く回れなくなる頃、足腰が弱って体が自由に動かせなくなる頃、認知症の症状を自覚し始める頃…と考えてみたが決定打がない。
 若い頃、70歳の方は誰が見てもおじいさん、おばあさんだった。80歳とか90歳の人は珍しかった。祖母は92歳まで生きたが、入院生活したことがない人だった。父親もそうだったが、72歳最初の入院で亡くなってしまった。我慢強いにも程があった病状だった。
 私はどうなるのだろう?全国民の二十数%を占める世代である高齢者は、どうこれからの人生を生きていくか…まだまだ先は長そうだ。  
8月27日(日)
京都のご当地ソング 
 京都を謡ってヒットした歌謡曲やフォークを想い出している。私の思い出すままにあげると次のようになる。
@祗園小唄…1934(昭和5)年長田幹彦作詞のこの曲は、今でも祗園では毎日のように謡い踊られているらしい。円山公園に歌碑があり11月23日には「祗園小唄祭」が行われ、舞妓さんが歌詞の朗読をして献花されるらしい。祗園で働く女性の忍ぶ恋心がテーマである。
Aお座敷小唄…当時流行ったドドンパのリズムに乗せて「富士の高嶺に降る雪も…」で始まるこの曲は1964(昭和39)年和田弘とマヒナスターズ&松尾和子が歌った。松尾和子の艶っぽい歌い方が玄人筋の世界のお話だなと子どもの私は思った。作詞した人は不詳らしい。
B女ひとり…永六輔・いずみたくのコンビのこの歌は、デュークエイセスの「にほんのうた」シリーズの一曲。「京都大原三千院」は一躍この曲で有名になった。1965(昭和40)年のヒット曲。この歌で歌われた三千院、高山寺、大覚寺へ行ったら恋に疲れた女が素敵な和服を着て散策していると思いこんだが、真に残念ながらそんな女性は見たことない。
C京都慕情…日本のエレキブームの発端になったベンチャーズの作曲。渚ゆう子が歌った。「京都の恋」が最初のヒット曲でこれは二作目。1970(昭和45)年のヒット曲。渚ゆう子は大阪の出身でこの曲で紅白に出場した。「お座敷小唄」同様、男に未練残しながら別れなければならない女性の気持ちを謡っている。
 
 とまあここまで思い出してみたら、みなテーマは女性が失恋したり、叶わぬ恋に身を焦がしたり耐えたりのテーマばかりである。その中で学生の街京都のイメージを歌った異質の曲がこれ。
D街…高石ともやとナターシャセブンの曲である。確か1990年代(昭和60年前後)に歌われたように思う。今はなき「京都市電」も歌い込まれていて、団塊の世代の学生時代を思い起こさせてくれる曲。やっと幸せそうなカップルが登場した。

 他にも京都を歌った曲は多いと思うが、最近とんと流行った京都の曲がない。 TVドラマでは京都はモテモテで舞台になることが多い。「科捜研の女」はもちろん「遺留捜査」は今シリーズから京都に引っ越してきた。主人公始め京都府警の面々もみな東京弁。地元の年寄りだけがかろうじて京都弁という違和感のあるドラマが次々出てくる。京都は事件を起こしやすい撮影しやすい場所なのだろう。
 平成に入ってご当地ソングが流行らなくなったのはなぜか?一極集中による地方の疲弊、崩壊と、どこへ行っても変わらないくらしぶりが原因か。
8月23日(水)
BiGスクーター故障
 
 区役所で会議があり、Bigスクーター(250cc)に乗っていった。会議が終わってエンジンをかけようとしたら、かからない。どうもバッテリー関係のトラブルのようで、故障のマークを表示している。
 どうにもならないので、バイク屋さんに電話をかけたが、誰も出ない。ますます困った。出かけておられるかも知れないのでしばらくしてから電話することにした。近くの図書館で本を読んで40分後にもう一度電話したが、ダメ。
 家に電話かけることにした。バイク屋さんは自宅近くなので妻に「お休み」なのか調べてもらうことにした。
 とりあえず駐輪場所からバイクを出すことにした。坂道を京町通りまで押していき、出来れば自宅へ戻れないかと思った。
 およそ300mの坂道を何度も休憩しながら、BIGスクーター押して大汗かいて上っていたら、私と同年配のご夫妻が買い物へでも出かけるような様子で、自宅から出てこられた。ご主人が「大変でしょう。私もハーレーに乗ってるけど、そこにあるでしょうアレ。スクーターは重いしね」と話しかけてこられた。そして見るに見かねて「押してあげましょう。そこまで」と言って、京町通りまで70mほど押してくださった。すごく助かった。
 何度もお礼を言った。さてそこから前へ進もうとしたが、手がわなわな震えて力が入らない。仕方がない、しばらくバイクを止めて休憩することにした。
 と、その時妻から電話で、「今バイク屋さん帰ってこられた」とのこと。ああ、助かったと思った。
 区役所の駐輪場から自宅まで(相当な坂道)をあんな重いもの押して帰ろうというのが無謀であった。
 あれから今日で2日目。今私の両腕は筋肉痛である。 
8月20日(日)
メダカの世代交代
 
 今年もメダカはたくさん産卵し、孵化している。親メダカは昨年孵化したもので、2年目の夏である。メダカは1年半ぐらいの寿命である。親メダカの石臼の水替えをするため、他の容れ物にメダカを移した。15Cmぐらいの深さで直径30cm程の陶器であった。そこに6,7分目水を入れた。
 石臼を洗ったり、その周りに生えていたドクダミを抜いたりして、ひょいとメダカの水槽に目を移すと、メダカがジャンプして、外へ飛び出していた。「ええ?!」と思って周りを見ると4匹飛び出していた。すぐに水の中へ戻したのだが、二匹はすでに死んでいた。あわてて、網を上から被せた。
 石臼にこびりついた水藻をなくすために、2日ほど天日干しした。しかしその間に雨がふって、水が満水になった。もうよかろうと思い、メダカを戻そうと網をとると、中で4匹死んでいた。
 環境を変えるというのは、相当なストレスになるようだ。網で掬われて、新しい水の中へ移されるだけなのだが、もう寿命がきかけている個体には相当な負担がかかるようだ。
 夏から秋にかけて世代交代が完了する。  
8月20日(日)
立ちくらみ 
 畑のミニトマトがもう実を付けなくなってきたので抜いて耕すことにした。畑に掘ってある堆肥用の穴も埋まってきたので、新しい穴を掘ることにした。作業を初めて1時間。スコップで穴を掘り、前の穴を埋めていたら、土を運ぶ毎に立ちくらみがする。しばらくその状態で我慢していると元に戻るのだが、熱中症かもしれないので今日は作業を止めることにした。
 あの程度の作業でと思ったが、無理しないことにした。散水用のホースで頭から水をかぶろうと水を出したら、水ではなくて湯であった。30mほどの長さがある。いつまでたっても水が出ず、途中で諦めた。 
 8月19日(土)
不穏な日常
 スペインのバルセロナでテロ事件発生、14名の方々が犠牲、ケガを負った方多数。シリアでイスラム国の首都を政府軍が制圧しても各国に散らばったISの憎悪は分散しながら拡大するのだろうか。
 アメリカで人種差別主義者、ナチス支持者が市民と衝突事件を起こす。暴走車のために死傷者発生。トランプ大統領が人種差別主義者を明確に批判せず「どっちもどっち」ととれる発言をしたため、アメリカ内外から大統領の資質を問う意見続出。
 米朝関係も緊張感を深めている。北朝鮮のアメリカ口撃も最初は犬の遠吠えにしか聞こえず、ずっとアメリカも相手にしてこなかった。ずっと交渉相手と見なしてこなかった。しかし大陸間弾道弾、核兵器の開発に成功した途端、交渉の余地があるという発言に変わり、本気で脅し始めた。「やれるもんならやってみろ。今まで味わったことのない様な怒りと炎で報復してやろう」というのである。アメリカ大統領が、理性的で説得力あるリーダーシップを持ち合わせていないことが一番の心配の種だ。
 北朝鮮金正恩体制を見ていると、戦前の日本を見ているようだ。あらゆる自由を制限され、唯一の価値観を教育されている人々は純粋に自国のリーダーを信じている。
 アメリカ前大統領オバマ氏の故マンデラ氏の言葉を引用したツイッターが大きな支持を集めている。生まれたときから人種や宗教の違いを憎んで生まれてくる子はいない。教育、成長過程でそれは生まれる。だから人類愛も隣人愛もまた、成長過程で生み出すことができると言う趣旨の言葉だ。
 大国の指導者は、これくらいの知性と説得力のある品性ある言葉を発してほしいものである。 
8月6日(日)
こんな暑い日に…

 今日は原爆忌。広島で式典が行われている。
 北朝鮮の核の脅威が現実味をもちはじめたら、避難訓練をする住民のニュースがTVで目立ち始めた。
 もし核が投下されたら@発熱による被害A爆風による被害B放射線による被害が「想像もつかないようなレベルで起こる」ということを一番知っているのが日本国民なのではないのか。避難訓練で対応できるレベルなのか。
 首都の人口密集地、米軍基地、自衛隊基地などがまず狙われるだろう。誰が考えても東京、沖縄が狙われる。
 この地域に落とされる可能性が高いのに、ここでの訓練はしているのか。地下に核シェルター(これも効果には疑問がある)を設置したというニュースもない。避難訓練のニュースを見ると?????訓練自体が自己目的化していて、実効性とか現実性とかは考えていないのだろうと疑問に思う。
 ただ、核戦争が起こるかも知れないから、覚悟しろという宣伝や、核兵器を撃つかもしれない国に対する驚異とか憎悪を掻き立てるには効果があるだろう。
 1945年8月6日8時15分…ヒロシマで被爆された方々は、普段の生活を始めていた。思いもかけない大惨事になるとは誰も予想していなかった。
 落としたのは「自由の国=アメリカ」だった。今なお、原爆投下を正当化しているかの国は、核兵器抑止力論をふりかざし、他の国が核兵器を持つことには反対する。持ってしまった国とは協調して、これ以上増やさないとか何とか言いながら、この分野でのイニシアテrィブを放棄したことがない。
 正義のための核も悪のための核もない、ただあるのは人類を破滅に向かわせる核しかない。人間の制御できない長いスパンで甚大な被害を及ぼす可能性のある核兵器も原発も放棄することを、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマを経験した日本がまず宣言する国になって欲しいとわたしは思う。  
7月24日(月
平尾昌晃さんのギター 
 お亡くなりになったそうだ。私はどこかでお会いしたこともないし、特にファンでもない。ニュースで作曲されたヒット曲を見ながらたくさんあるなあという感想を持ったにすぎない。
 いや、ただ一点不思議なご縁がある。私の長く愛用してきたアコースティックギターは、平尾さんが、あるカップルにプレゼントされたものである。
 平尾氏がプレゼントしたそのギターはをどうも結婚祝いか何かのようであった。二人の名前が書かれており、平尾昌晃さんのサインが入っていた。その二人が住んでおられたアパートの家主さんが引き継がれたものを友人がもらい、それを私がいただいたのである。そのお二人、お別れになったのか、ギターを置いて引っ越されたそうである。
 私は、もらってすぐに油性インクで書かれていたサインを消した。「Aria」という日本のメーカー製のそのギター、一体どのくらいの値打ちがあるものか知らない。
7月15日(土)
祇園祭日和神楽
 
 木曜日四条通を横断したら、丁度長刀鉾が曳き初めをしているところだった。京都市内の各商店街は祗園囃子が流れ、祗園祭を盛り上げている。
 今日は宵々山、明日宵山、歩行者天国になる。そして明後日前祭りの巡行。
 一度行ってみたいと思っているのが、日和神楽である。宵山の日、翌日の晴天を祈って、各山鉾町から鉦や笛を奏でながら、四条御旅所まで練り歩くのだそうだ。八坂神社では長刀鉾がお囃子を奉納するらしい。
 ネックは開始時刻である。23:00かららしい。よい子はもう寝ている時刻だ。
 
6月30日(金)
木喰仏見学ツアー
 
 全国木喰研究会主催の新潟木喰仏見学ツアーへ行ってきた。前回新潟へ行ったときに行けなかった「小栗山観音堂」へ行くことができた。
 家へ帰ってきて今写真の整理をしている。近いうちにこのHPで取りあげようと思っているのだが、少し調べてからにしようかと思っている。私の持っている木食に関する書物は数が少ないので心細いのだが。
 こういう学習の機会があるから少しは勉強しようかと思えるのだから有り難いことではある。
 今回のツアーは愛知県の方々の仲間に入れていただいた。早朝出発だったのだが、Dさんが泊めてあげようと言って下さり、その言葉に甘えさせていただいた。誠に厚かましい限りであるが有り難いことであった。5時半起床なのに12時半までお酒を飲んでいた。重ね重ねご迷惑をかけた。 
6月13日(火)
ボランティアの種類
 
 母親がお世話になっている介護施設でボランティア活動をしている人たちを慰労する会を園が主催された。歌を歌いに行っている私も来てくださいとお招きを受けたので行ってきた。
 妻が前から園芸ボランティをしていて、そういう方々がおられることは知っていたのだが、他にどんなものがあるのか知らなかった。
 私のやっていることは、ギター伴奏で懐かしい歌をいっしょに歌いませんか程度のことで、自分では歌わせてもらう場があってありがたいということで、ボランティアと言えるものかどうか…と思っている。
 さて、その慰労会で来ておられた方や、その園に関わっておられる方々ボランティアの種類の多さに驚いた。
@音楽セラピー、
Aハーモニカ演奏と健康体操
B園庭の園芸ボランティア
C喫茶ルーム(週に3回月・木・日)のお世話をしておられる方
D清掃ボランティアの方
Eそば麺うち
F傾聴(入居者の話を聞く)ボランティア
G清掃ボランティ(部屋など)
Hギターで歌おうぼちぼちいこかコンサート(これが私の関係)
 他にもおられるかも知れない。私が分かったのはこれだけであった。私は傾聴ボランティアというのに感心した。今年大学に入った若い女性が高校時代からしておられるのだそうだ。なかなか出来ることではないなと思った。  
 
6月1日(木)
学生川柳3望郷編
 
・駅周り 平和堂しか ない田舎
・滋賀県民 八割持ってる HOPカード(平和堂のカード)
・お出かけに 家に忘れた おじいちゃん
・「散歩しよ」 月と父の髪の白
・テレビ見て デラックスマツコと 叫ぶ母
・いなか出て 気づく親の ありがたさ
・好きでもない ただただ会いたい お母さん
・こっそりと 歌う私に ハモる父
 
5月29日(月)
写真展準備中 
 6月3日(土)〜4日(日)に写真展が迫ってきた。えらいこちゃと出品作を選んで写真屋さんへ行ったり、額を注文したり、印刷したり。今困っているのが鴨居にどのように額をセットするかの方法。とにかく不安定で上手く行かない。A3ノビの大きさにしたので今までの方法が参考にならないのである。たぶん、私の写真は相当凸凹でしかも歪んでいると思う。その苦労をご覧になって、どなたかアドバイスして下さいませんか。写真展見がてら。
5月18日(木)
学生川柳2冠付け編
朝寝坊・人を待つ・
五月晴れ・つい忘れ 
■朝寝坊編
・十時間 寝ている俺が 朝寝坊
・朝寝坊 チャリがパンクと うそをつき
・朝寝坊 誰にも言えない 夢を見た
・あと五分 気付けば電車も あと五分
・とび起きて 空腹のまま 走り出す
・朝寝坊 通り過ぎてく 僕のバス
・アラームで 起きたと思う 夢の中

■人を待つ編
・待ち合わせ 「今来たところ」と うそをつく
・好きな人 今日も会えるかと 少し待つ
・あ〜遅い でもかわいいから 許しちゃう
・待ち合わせ 久々に見る 母の顔
・ポケットに 小箱握って 君を待つ
・あなただけ どれだけ待っても 苦じゃないの
・人を待つ 心の中じゃ そばにいる
・待つ間 ランチ行くのに 菓子食べる

■五月晴れ編
・雨続き たまった衣類 一気干し
・五月晴れ いっしょに晴れる 五月病
・いい天気 家から一歩も 出ない家族
・五月晴れ 外出しようよ 松井君
・晴れて よもやま 事もなし
・五月晴れ ヒマはるけど 金がない
・散髪後 頭に刺さる 五月晴れ
・春風を 食らって元気な 孫の鯉
・有効に いかせず終わる 五月晴れ

■つい忘れ編
・また忘れ 知ったかぶりは 慣れたもの
・おばあちゃん さっきも聞いたよ その話
・どこいった 触りながら思う スマートフォン
・つい忘れ 思い出す頃 まあいいか
・思い出せ 一体何を 忘れたか
・忘れ物 とりに戻って 別のもの
・お会計 今日も忘れた クーポン券
5月15日(月)
学生川柳1生活編
 
 私は医療専門学校で教えている。彼らは理学療法士や作業療法士になるため進学してくる。そして国家試験を目指している。
 「誤字脱字のない文章が書けるように」「ひとまとまりのレポートなど文章の書き方を教えてほしい」という講師依頼を受けて今年で4年目になる。
 私は、「日本語表現のおもしろさを伝える」ことに主眼を置いて講義している。毎年川柳について講義する。そして作ってもらう。学生川柳もなかなかおもしろい。
■高校卒業して、初めて下宿して通う子がいる。一方他大学から来た子もいれば、一旦他職で働いた後、一念発起して資格を取るため来ている人もいる。十代から四十代まで年齢層も広い
・倍ほども 年令違う 同級生
■バイトと学業の両立が課題
・学校とバイト終われば 即爆眠
・月曜日 あっというまに 金曜日
・土日祝 学校ないけど バイトある

■授業中の睡魔
・授業中 前から順に ドミノ倒し
・授業中 自分のいびきで 目が覚める
・寝ない子に 聞かせてあげたい 学校の授業

■解剖学、生理学など医学の専門用語内容に難儀しているようだ。
・生理学 どこが疑問か 分からない
・細胞が 夢に出てきて うなされる
・骨模型 あなたの名前は 何ですか

■初めての一人ぐらしの子もいる。
・熱出たら 真っ先に浮かぶ 親の顔
・朝起きて いくら待っても 飯はなし
・「お母さん」 呼んでも今は 電話ごし
・家帰る ただいまの声 響く部屋

 寂しさ・忙しさ・難しさとFightしながらそれぞれ夢追いかけている。 
5月4日(木)
誕生日 
 今日は、私誕生日です。あと3ヶ月でこのHPも15年目に入ろうとしています。最初の頃は、銭湯、石仏、四季折々の花々求めて関西各地を中心に出かけました。たぶん一通り行きたいところが終わると急に興味半減になります。自分では気づいてなかったのですが、相当飽きっぽい性格で、熱しやすく冷めやすいのです。
 ここ3年ほどは、テニスをしているのが週に3,4回。仏像彫刻教室へ1回。専門学校へ講師で教えに行くのが隔週であります。最近介護施設へ「ぼちぼちいこかコンサート」と称してギター持ってボランティアで歌いに行っています。講師とコンサートを木曜日に交互に入れていますので、この二つワンセットで週1回予定が入ります。テニスは何も用意しなくても楽しめますが、講義とコンサートは資料作りに時間がかかります。それもまたおもしろいのです。
 時々、京都案内を頼まれたりします。円空や木喰を求めてちょっと遠出したりもします。毎日何かすることがあるのは健康な証拠でありがたいことです。
 私よりご高齢の方がテニスを楽しんでおられるのを見て、私も八十近くまで楽しめたらと思います。仏像彫刻もテニスも絵画ももう少し腕が上がればなあと思う今日この頃でございます。
  
 4月21日(金)
国境なき医師団
 サリンと思われる化学兵器が使用されたと思われるシリア住民の映像がTVで映された。世界中の人々が子どもが苦しんでいる姿を見、嘆き悲しむ親の姿を目の当たりにした。
 そこで次に何を考えるかである。トランプ氏は報復を考え政府軍の空軍基地を攻撃した。すぐさまロシアは証拠がないとシリア政府を擁護した。アメリカの誤爆には実績がある。フセインへの攻撃がそうだった。日本政府もすぐ追随した。が、攻撃の理由であった大量破壊兵器はなかった。
 我々には誰が化学兵器を使用したのか判断する材料がない。しかし、こんな非道を許してはいけないとは思う。
 東日本大震災の時、米軍は「ともだち作戦」で日本に救いの手を差し伸べた。同じように米軍はシリアに医師を中心にした部隊を派遣できないのだろうか。米軍が入ると言うだけで、新たな戦闘が起こる可能性があるから、これは夢物語だ。どこの軍隊が入ってもだめだろう。
 直後に化学兵器で苦しむ住民を「国境なき医師団」が診ていた。この人たちの活動が紛争や貧困で苦しむ人たちの安心や安全を担保している。
 「ACT!」というのは「国境なき医師団」の広報誌である。それによると、『国境なき医師団日本』から世界に派遣されているスタッフは19カ国46人だそうだ。この活動に参加されるお医者さんをなど医療スタッフはすごい。ナイチンゲールは戦場で敵味方なく助けた。それから赤十字が生まれたと聞いたが、「国境なき医師団」はその精神を受け継いでいる。
 この活動を支えているのは寄付金である。2016年行われた募金活動で4万3678件4億4186万3925円だったそうだ。
 私たちができることの一つに寄附があると思う。
4月17日(火)
浅田真央選手の引退 
 少し納まったが、浅田真央選手が引退表明した。その扱いの大きさは記憶に残りそうだ。サンシャイン池崎ではないが空前絶後であった。色んなスポーツの世界で頂点を極めた選手が多くいたし、今もいるが、浅田真央引退のニュースは異例中の異例の扱いだった。
 記録、メダル獲得数、優勝回数などで浅田選手を上回る人が今までもおられたと思うが、国民各層各年代を越えて愛されたアスリートの頂点に彼女はいた。浅田の一喜一憂に共感し、感情を共有しているような錯覚を起こさせる選手であった。
 娘か親戚の子のように思う人、姉や妹のように思う人、恋人やガールフレンドのように思う人、人それぞれに身近な存在の人のような気持ちになってエールを送ってきたように思う。
 浅田に匹敵し、それを嗣ぐような選手が他にいるだろうか?野球の大谷翔平が一番近い位置にいるかな。スキージャンプの高梨沙羅、男子フィギュアの羽生結弦、水泳萩野公介、テニスの錦織圭なども実績のある人たちだが、さて、浅田ほどの幅広い認知度、圧倒的な好感度があるかどうか。
 「あの子はいつも大事なときにこける」と言って大ブーイングを受けた元総理大臣がいたが、大事なときにこけたこともあった浅田真央が、みんな好きだったのだと思う。悔しい思いを共有できる選手だった。
4月9日(日)
里親 
 先日TVでオリンピック女子平泳ぎで最年少金メダルをとったI選手のご両親が、親に事情があって育てられない3人の子ども(0〜12才)を自宅で育てておられるニュース番組を見た。
 ついで男性カップルが里親になることを大阪市が認めたというニュースも続いて見た。
 里親制度と言えば、昼間里親はわが子が0歳児の時お世話になって知っていたが、ずっと親代わりになって育てる制度についてはほとんど知らなかった。でも養子縁組してわが子としてではなく、里親として育てるということが可能な方が、積極的に手を挙げて里親になられることは素晴らしいことである。
 まだ子育てや孫育てが出来る世代で条件が整う方が加わり、もっと広がっていけばいいなと思う。先のI選手のお父さんは確か78才と紹介されていた。赤ちゃんの時から育てたら、わが子同然になるのだろうなと想像した。
4月4日(火)
あさこの森美術館
円空展 
 兵庫県朝来市にあるこの美術館で3月18日〜5月7日まで「ほほ笑みと祈り円空展」が開催されている。4月2日(日)に出かけてきた。監修は小島梯次円空学会理事長。出品されているのは岐阜市円空美術館と豊田民芸館所蔵の60数体の円空仏である。そして「円空に魅せられて」というコーナーが設けられていて、円空に魅せられた人たちの写真、絵画、切り絵、版画、模刻彫刻、拓本などが展示されている。私の写真3点も展示されていて、それもあって出かけた。版画や切り絵をされている方がどんな作品を制作されているのか知らなかったが、いや見事な作品であった。
 この美術館には朝来市出身で文化勲章を受章した彫刻家・淀井敏夫という方の作品が多く所蔵されていた。
 兵庫県の瀬戸内海と日本海の真ん中で山間部に位置するこの朝来市、天空の城竹田城で最近脚光を浴びている。道の駅も3つあり、温泉もある。京都市伏見区から名神、中国道、播但自動車道で約2時間半。少し足を伸ばせば、生野銀山の史跡も近い。 
4月3日(月)
桜が遅い 
 昨夜のニュースで東京のソメイヨシノは満開だそうだ。京都は例年なら白木蓮と桜は同じ時期に咲くはずなのだが、今年はさっぱり咲いていない。やっと桜の木がピンクっぽくなってきたかなといったところである。今年は冬
が寒かったからなあと思うのだが、なぜ東京が早いのだろう。桜前線は北上するはずなのに。
   
3月23日(木)
めまい
 
 3週間ほど前のこと。ベッドから起きあがろうとしたらグルグル回ってバランスがとれなくなり、しばらく動かないようにしていたら治った。それから寝る前、起きあがるときに同じような症状が起こった。大したことは無かろうと放っておいたが、一向に治らない。
 グズグズ医者へ行こうかどうか迷っていた。健康診断のついでに内科で相談したら、注射を打ってくださった。薬は必要ないだろうと言うことであった。これでもう大丈夫かなと思っていたが、やはり睡眠時・起床時に目が回る。二日後メニュエル病かもしれないと思い、耳鼻咽喉科へ行ってみることにした。診断は良性のめまいで、メニュエル病ではないが、三半規管の老化と、副鼻腔炎のために耳管がつまり、間違った信号を送っているという話であった。副鼻腔炎の治療と喉、耳、鼻それぞれの治療を受け、点鼻剤と副鼻腔炎の炎症を抑える薬、めまいの薬を処方していただいた。
 寝不足夜更かしなどを改め生活習慣を正しくすること、食事をしっかりとること、ストレスと上手に付き合うことなども指導していただいた。そして1週間に一度ぐらい散歩がてら鼻の治療しに来られたらどうですかと言われていた。子どもの時からの副鼻腔炎であり、それもいいなと思った。
 その2日後、テニス中にむかつきをともなうようなめまいに襲われた。こら、あかんと思い、中断して休んだ。日常生活中でめまいがきたのはこの時が初めてで、ちょっと動揺した。
 耳鼻咽喉科へ行ってから1週間が経過して処方していただいた薬が切れたので、昨日もう一度出かけた。
 私がお世話になっている耳鼻咽喉科はお二人先生がおられる。いつも風邪をひいたときに見ていただく先生に前回も見ていただいたのだが、昨日は、もう一人の息子さんの方にカルテが回っていた。検査をしてくださった。アイマスクのような器具でどの程度目が回っているか調べられた。首を左右に回して目を動かすようにしたら、左を向いたときにめまいが起こった。かなり長い時間起こり続けた。副鼻腔炎のことはおっしゃらなかった。三半規管(おそらく右)が異常を起こしているのだろうということで、睡眠時、起床時に体操をすることを勧められた。そして前回同様の治療と薬の処方をしていただいた。副鼻腔炎は私自身に自覚症状がないのでなかった。
 昨日、そして今朝とめまい体操をしている。している最中にめまいが起こる。気分も軽くバスに酔っているような気分になり、はなはだ不快である。でも1週間程゙すれば治るでしょうという言葉を信じて続けることにする。
 加齢に伴う症状がこれからも次々くるのだろうなと思うと少し寂しくなる。
 3月21日(火)
お祓い祈祷料
 3月19日、孫のお宮参りで奈良春日大社へ行ってきた。
 息子の方の孫のお宮参りは地元の藤森神社で行った。ここでは、私たち家族だけのために本殿で神官の方が祝詞をあげ弊を払い鈴を降って言祝いでくださった。
 しかし、さすがは全国に知られた春日大社。そんなことしていられないとばかりに広いお祓いのための会館を建てておられる。
 受付をして、待合室で待ち、名前を呼ばれる順に入場する。およそ30人余りの人の名前が呼ばれたと思う。厄年の払いを受ける人、七五三の人、そして圧倒的に多かったのは私たちのようなお宮参りのもの。なされることはいっしょであった。しかし厄年も、七五三も、お宮参りも祝詞はいっしょなのかとちょっと不思議な気持ちになった。
 あとから聞いたら、お宮参りのご祈祷料金にランクがあったというので確かめたら確かに料金が違った。。
 小祈祷5000円、中祈祷10000円,大祈祷30000円、特別祈祷50000円,特別大祈祷100000円。何が違うかと言えば、小祈祷は神楽が無くその日だけの祈祷らしい。その他は神楽がありその間1週間、30日間、50日間、100日間と祈祷の期間が違うようだ。儀式が終わって待合室に出てきたら、代表者が記念品を受け取っていた。特にランクに応じて違うものが渡されているようにも思えなかった。
 親の心理としていくらの祈祷料を払う人が多いのだろう。大祈祷、30日間で3万円あたりが妥当なのかなと思うが…。
 でもこういう祈祷料にランクをつけるというやり方は神社側の商売気が見えて、どうも神様のなさることではないような気がするのだがどうだろう。 
2月15日(水)
雛人形
 
 孫の初節句である。息子の方の孫は女児でお雛さんを買うべく四条通へ出かけた。大丸、高島屋のデパートできっと売っているだろうし、古い人形店も途中にある。私宅には娘の7段飾りの大きな雛人形があるのだが、最近の住宅事情に適している木目込み雛にすることにした。
 初めて知ったのだが、木目込みはもともと関東のものだそうだ。どの店も木目込みより普通の京人形仕立てのお雛様が多かった。親王は左、お雛様は右が京風で木目込みでは逆であった。でも、京風がお好みなら木目込みでも、京風に逆にされてもいいですよということであった。
 真太呂作の木目込み人形を購入した。今流行のようでその店にも置いてあった。下ぶくれのかわいい人形である。
 私の母は自分の雛人形を持って嫁入りしてきた。大正時代のものでなかなかいいお顔をしている。三人官女のはずだが、狆をつれている官女もいる。五人囃子などはなかったが、毎年飾っていた。今、妹の家にある。
 私に娘が生まれたとき、私の父と母が7段飾りを贈ってくれた。娘二人には買ってやれなかったが、孫には買ってやれたことを喜んでのことであったのだろう。そんなこんなを思って、ふと今年は長い間出していないうちの7段飾りを出そうと思った。3月3日ではなく、4月3日に合わそうかと思っている。4月3日は死んだ父の誕生日だ。 
 
2月6日(月)
無事出産

 
 昼前に娘が男児出産。よかった。なかなか生まれなかったので心配した。妻は一晩つきっきりで看てくれた。婿も昨夜と今朝早く病院に駆けつけた。二人で助産婦さんや看護士さんのお手伝いをしたそうだ。やっと生まれて、だっこして安心して婿は仕事に向かった。
 わが子の顔を見ながら娘が抱くように腕をまわしている。すっかりお母さんになっている。
 私はカメラぶら下げて病院の内外の写真を撮っていた。「写真撮ってる男の人が分娩室の前にいますよ」という報告が妻に届いていたらしい。もう少しで不審者と間違われかねなかったようだ。
 2月6日は私の母親の誕生日でもある。同じ日になった。  
 
2月5日(日)
娘の出産
 
 先月中旬から出産(初産)のために娘が里帰りしている。
 今朝6時半頃娘が「お父さん、病院へ連れて行って」と起こしに来た。車で病院へ連れて行った。妻が付き添い、私は家へ一旦戻った。検査が終わって電話が来た。「破水していて入院することになった」とのこと。
 用意してあった入院用の荷物を持って、病院へ。
 開院までまだ時間があった。インターフォンで「小宮山の家族ですが」と言ったら「え?」という感じの返事。ああそうや、結婚して改名していたと気づき、その名を告げた。「お父さんですか?」と聞かれた。(へ?お父さん???)と思った。ああそうか妊婦にとっては「お父さん」である。
 どうも自分の立場に関して思い込みがあり相手の認識とにズレがある。
 娘も生まれくる子も苦しいことだろう。無事元気に生まれてほしい。この二日ほどの間のことになりそうだ。
 
 2月3日(金)
雲霧仁左衛門
 池波正太郎原作の雲霧仁左衛門、BSNHKでシリーズ3がいよいよ佳境に入ってきた。何と言っても中井貴一がかっこいい。雲霧一党の鉄則というか絆の固さも魅力的だ。盗賊なのだから「そもそも」が悪党たちなのだが、曰く因縁のある悪い組織の御金蔵を狙って失敬する。押し込み強盗して力づくで人を殺してと言うような野暮なことはしない。
 原作を知りたくて買ってきた。内山理名演じる七化けのお七という雲霧一党の仲間はだいぶTVとは違って色仕掛けで仕込みをするようだ。
 悪役の春風亭小朝がいい。剣士役の板尾創路もはまっている。時代劇のおもしろいのをやってくれないかなあと願っていたのだが、やっと見つけた。
 刑事警察ドラマ、医療ドラマと2時間から3時間のクイズ番組の連続で各局とも足並みを揃えている。その点、NHKは独自色を発揮していると言える。72時間、探検爆問、歴史秘話ヒストリア、プラネット何とかなど見応えがある。
 NHKを誉めたくて書いたのではなくて、雲霧がおもしろいことが書きたかったのである。いや、結果的にNHK誉めてるな、ウン。
 
1月24日(火)
大相撲初場所 
 稀勢の里が横綱になった。日本出身力士の横綱誕生に期待は大きい。今まで何度もチャンスを自滅で逃してきただけに本人だけでなく関係者、ファンの方々も「やっと」の思いだろう。思えば稀勢の里の肉声はこの2,3日で初めて聞いたように思う。14日目優勝が決まったときも、TVカメラに映らないように向こうを向いていた。まさか白鵬が貴ノ岩に敗れて優勝が転がり込んでくるとは思っていなかったのだろう。
 今場所は、稀勢の里の優勝も印象に残ったが、白鵬が衰えを見せているのではないかということも思った。スキのない完璧な勝ち相撲だったのに、立ち会いで当たって後退する姿を何度も見た。相撲勘の良さではたき込む相撲が多かった。
 横綱二人が途中休場。大関二人が4勝、5勝で一人は大関陥落、一人はカド番。もう一人の大関も途中休場。要するに普通だったのは稀勢の里だけだったのである。
 遠藤と当たる力士は力が入るだろうなと思った。相変わらずの人気で懸賞金が毎日6枚は付いていた。 
 若い人たち(御嶽海・正代・高安)、力のあるモンゴル勢(玉鷲、荒鷲、貴ノ岩)の台頭を感じる初場所だった。
 おもしろかった。
    
1月23日(月)
トランプ米大統領
 
 トランプ氏はとにかくにぎやかだ。「アメリカファースト」だそうで、気に入らなければ、攻撃するというやり方だ。アメリカで商売して儲けている国や外国を儲けさせる企業には容赦ない脅しをし、それ相応の負担を迫り、自分を批判するマスコミを敵視し、既得権益を得ていると彼が考える人たちをののしり、民衆(PEOPLE)に政治を取り戻すのだという。
 私から見たら彼こそ不動産王として事業に成功した大富豪で既得権益側の人間のように思える。日本に対して、これからどういう要求をしてくるのだろうか。考えられることは…。
@TPPにアメリカは参加しない。(日本は何をしてたのか、アメリカの言いなりになっているとこういうことになる)
Aアメリカ軍基地への日本の負担の増大、肩代わり、それが叶わないのなら米軍の撤退も視野に入れているぐらいの脅しはするかも知れない
(今も思いやり予算という膨大な金額を支払っている。大体アメリカ軍基地は日本を守るための施設なのかどうか、アメリカの世界戦略のためではないのか。アメリカ軍基地がなくなったら沖縄の基地問題は解決する。それもいいのでは?)
B貿易収支の赤字を減らすために、アメリカ製品の輸入を促進させ、日本製品を輸出しにくくいなるように、関税を高くしたり、日本製品ボイコットを呼びかけるかも知れない)
 結果、円高が進行し日本の株価は下落することになる。ますますアメリカの顔色をうかがいながらの外交になる。
 グローバルな商売のやり方を始めたのはアメリカであり、多国籍企業が圧倒的に多いのもアメリカである。ネット販売大手「アマゾン」、PC関連でもアップル、マイクロソフト、飲食関係のコカコーラ、マクドナルド、観光施設のディズニーランド&シー、UFJ、保険会社や銀行などにもどんどんアメリカ資本が日本に入っている。現地で摩擦を起こしながらも上手にやってきたのはアメリカの方ではないのか。これらは撤退させるから、日本の企業も撤退しろというほどバカでもないだろうが。
 国益を守るのは当然政治家の仕事である。しかし米大統領たるものが世界の平和と繁栄を考えずしてどうするのか。不心得な人はどこにもいる。そもそも移民の国で、移民を排斥するというのは建国の精神に反しないのか。
 来年の今頃、「やっぱり国境に壁造りよったなあ」と呆れているだろうか。「やっぱりできるはずないと思ってた」と言ってるだろうか。 
1月15日(日)
大雪のニュース見ながら 
 家の前は宇治六地蔵方面への抜け道で八科峠まで傾斜道が続く。10cm程度雪が降ると必ず、スリップして動けなくなる車が現れる。スタッドレスタイヤなら問題ないが一年に一二度しかそう言うことが起こらないから普段から準備して走行する人は少ないのだろう。昨深夜12時前後にも家の外で、異常にスリップしている車の音が聞こえた。そして大きな声で携帯をかけている女性の声。聞く気もないから何をお話しされているのか分からなかったが、困っておられたのだろう。どう解決したのか寝てしまったので分からない。
 昨日からTVのニュースで何度も日本海側の新潟、山形、青森あたりの2mを超える積雪の映像を見ていると、雪に慣れていない私のようなものは住めないなと思ってしまう。雪かきだけでめげそうだ。テニスコートの水かきでもいやなのに。
 もう一つ昨夜のニュースで「へえ!?」思ったニュースがあった。全国で「こたつ」を使用していないランキング47位は北海道、46位が「沖縄」というニュースだった。沖縄は温かいから必要ないだろう。でも北海道は意外だった。要するに「こたつ」では間尺に合わないくらい寒いから、全室、全館暖房するようだ。それよりその次45位が「東京」だというのも!だった。東京で「こたつ」は前世紀の遺物扱いになってきているのではないかと想像した。機密性の高いエアコンの効いた部屋では「ホームこたつ」は無意味なのか?それとも居間が和室でなく洋間と言う家が大半であるためか。
 そう言う傾向はこれからも進むに違いない。個室で家族それぞれがエアコンで過ごす。子どもが大きくなるにつれて、家族間の会話も少なくなるし、いっしょにTVを見ることも音楽を聴くことも少なくなる。核家族化の次は、家族の個別化が進行していることが、暖房方法でも現れているのだなと「東京45位」で思った。
 「新日本紀行」というNHKの番組を楽しみに見ている。この番組で扱われる地域には、その地域をつなぎ止めている紐帯がある。家族があり、世代に受け継がれる信仰や文化がある。
 「オレたち都会で大事な何かをなくしちまったぜ」これはしばらく前「チェッカーズ」の歌っていた歌の歌詞にあったフレーズだ。大事な何かは少しずつ何気ないところに表れる。
  
1月4日(水)
孫との正月
 
 孫が年度末から今日まで1週間家にいる。
 誕生から5ヶ月経った。毎日何か、どこか変化しているように思える。「いないいないばあ」に少し反応している、オモチャに手を伸ばすその仕方が上手になったなど言いながら見ている。興味津々で、顔を見ていたり、洗面所やドレッサーの鏡を見ていたりしている。やっぱりお母さんの存在感は絶対で、多少ぐずってもお母さんにだっこされるとすっと泣きやむ。だっこした人の歩く速さもその子なりのリズムがあるようで、ゆっくりトントン歩くと心地よさそうだ。ぶーっと言いながらツバを吹き出して声を上げている。本当にしてほしいことがあって、泣いているときと、甘えて反応を探っているような泣き方をしている時があって、、相手の反応をよく見ているなと感心する。孫と過ごす正月が今日終わる。 
2017年1月1日(日)
新年
 新年明けましておめでとうございます。
 ニワトリのお話を少し書きます。
 お百姓さんが夕方になり、家へ帰ったらカラスが「クワー、クワー」と鳴きました。それを聞いたお百姓、「ああ、そうだった、鍬を畑に忘れてきた」と気がつきました。家に帰ってニワトリに、「カラスに比べおまえは役に立たん」とぼやきます。するとニワトリが「とってこうか(東天紅か)」と鳴いたという小話があります。
 にわとりの鳴き声が「コケコッコー」だと共通認識になったのは明治以降で、江戸時代は「東天紅」だったのだそうです。
 若冲の絵、ヘルシーな食品、卵…ニワトリは大活躍ですが、鳥インフルエンザでは気の毒な目に遭うし、チキンハートだとバカにされたりもします。ニワトリにしたら人間と長い付き合いなのに「割に合わない」と思っていそうです。
 今年の干支は酉です。今年二人目の孫が生まれるのでニワトリと縁が結べそうです。
 そう言えば、
昨年生まれた一人目の孫は申年だったんだなと今更ながら思う今日この頃でございます。
12月31日(土) 
円空仏盗難
 私も詳しいことは分からないのですが、円空仏が盗まれたことが分かったようです。中部地方の各紙は取りあげたようですが、私は知りませんでした。2012年から開扉されていなかったお堂で、鍵は壊されていなかったそうで、そこが不思議です。いつ盗まれたのかも分からないと言うことになります。盗まれた2体は円空独特の箒状の頭をしており、よく護法神と呼ばれているものです。岐阜羽島にある長間観音堂のものと似ていると思います。詳しくは下記の新聞報道でお確かめ下さい。写真もあります。
 円空学会の方からのメールの一部です。
 昨日付の中日新聞、朝日新聞、岐阜新聞にも掲載されましたが、岐阜県美濃市にある鹿苑寺地蔵堂(六角堂)から、円空作の護法神像が二体盗難に遭ったそうです。
<岐阜新聞記事>
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20161227/201612271407_28698.shtml
 美濃市の教育委員会も盗難情報を流してほしいとおっしゃっているようですので、私も協力いたします。一日も早く盗品が発見されて元に戻ることを願っております。