近江の石仏シリーズ2005ー1
2005・1・31(月)撮影
私は車で行きました。名神高速を栗東ICで下りて、国道1号を甲西町に向かいました。1号を離れ野洲川を渡り、岩根の集落に入ると道が狭くなり、大丈夫かなと心配になるぐらい細い道に入りました。善水寺参道口から右へ行くと自動車道がお寺まで続いており、その途中に岩根山不動磨崖仏があります。
岩根山不動磨崖仏が一番の目的だったのですが、まず、国宝善水寺から訪問することにしました。
正直に言いますと「善水寺」というお寺全く知りませんでした。「国宝善水寺」という案内が何回か出てきたものですから「?何が国宝なのだろう」と思いました。
パンフレットに書いてあった善水寺の由来ダイジェストです。
「奈良時代和銅年間(708〜715)に元明天皇の勅命で草創され「和銅寺」と号す。延暦年間伝教大師最澄、比叡山の堂舎の用材を甲賀に求める。材木を切り出し野洲川に流そうとするが、日照り続きで材木が流せない。大師が雨乞いをするためその場所を探していたところ、岩根山に一筋の光が射し込み、その光に誘われ、そこで7日間雨乞いされたところ願いが叶い大雨になり、無事材木を琵琶湖対岸の比叡山麓へ運ぶことが出来た。桓武天皇病気の時、この善水寺の「百伝池」の霊水を献上。天皇は病気が治り「善水寺」の名前を与える。」
とまあこういう由来があるようです。
(ア)国宝本堂
(南北朝時代・貞観5年(1366)再建、木造平屋建)
屋根のソリ具合が美しい重厚感のある建物だと思いました。、中に重要文化財の仏像が15体あります。天平時代の金銅釈迦誕生仏(奈良博物館寄託)、藤原時代の薬師如来(本尊・秘仏)を梵天・帝釈天・四天王が守るという信長焼き討ち以前の延暦寺根本中堂の古い形式を守り続ける天台密教仏殿だということでした。住職が丁寧に一体一体の仏像について、そして善水寺について説明してくださいました。寒いお堂でしたが、私一人のために熱心にお話いただきました。
(イ)百伝池
この池が善水寺の由来に関係の池で、百伝池と書いて「ももつてのいけ」と読みます。
(ウ)地蔵磨崖仏
千体地蔵堂の横に、舟形光背を彫り窪めて像高40cmの地蔵立像を浮き彫りしてあります。鎌倉後期の作。
(エ)不動磨崖仏
参道に観音堂があります。その観音堂の横に大きな岩がありその岩の上方に不動明王磨崖仏が彫られています。60cmの像高で、文亀3年(1503)2月16日の刻銘が確認されています。
善水寺自動車道途中に、岩根山不動寺という無住のお寺があります。そのお堂の裏が大きな石(6m)で、お堂の前部分に高さ2.2mの舟形光背が彫られていて、そこに高さ1.6mの不動立像が肉彫りされています。下から見上げる角度でしか見られないのですが、お堂の中に入ったら、真正面でお顔が見られます。しかし、顔はかなり摩滅していて残念!
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2005・1・31撮影
2005・2・6作成