かばのしっぽ日記
2019~2020
かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。 
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレって」と、思う今日この頃であります。
月・日・曜日・題名 内                        容
12月29日(火)
今年を振り返る 
 朝日新聞「令和落首考」より今年後半を代表する川柳を選んでみた。
 来年はもっともっともっとよい年でありますように。

■コロナ禍で

・GOTOを横目で見ながら職探し  *GOTOは「首相案件」でなかなか止まらず。
・GOTO代GOTOしない人も出し  *税金なんですけど・・・。

 *「コロナ禍で政府は、国民を動かそうとする多くの耳慣れない言葉を使ってきた」(鈴木宏昭青山学院大教授)確かに。GOTOもパンデミックもPCR検査もアビガンも、三密に不要不急・・・。
    
・それぞれの文字の貼り紙店じまい    *倒産件数はいくつになるのだろう?
・引き出しのマスクと共に名は残り    *あのマスクのことです。

■サクラ国会答弁虚偽118回・学術会議任命拒否

・国民を百十八回虚仮(こけ)にする     *秘書がやった?ホント?
・相容(い)れぬ人に目に物見せる癖    *気に入らぬこと言う学者は見せしめに、か?

■希望

・滔々と用水路流れ哲さん忌         *中村哲さんの死からもう一年か。
・バイデンに少し希望を持ってみる     *前任者より○○か? 
 11月9日(月)
鳥が減っている?
 私の友人のメールを見て驚いている。この人は私といっしょに年1回写真展をやっている友だちなのだが、毎年鳥の写真を出品している。どうしたらそんな表情を見せる鳥たちに近づき写真に納められるのか想像もつかないでいる。オオルリという宝石みたいな青い鳥を植物園で見たことがない私は「どこにいる。オオルリ?」と毎回聞くしかない。
 この友人からこんなメールが届いた。
 「ここ数年、植物園ではだんだんと鳥が見られなくなってきてるので、写真が撮れません。退職後、自分でもいい趣味を見つけたと、死ぬまでずっと楽しめると思っていたのに、残念です。出かけても一枚も撮れずに、重いカメラを背負って帰ります。」
 なんで?と思う。京都で言えば植物園や京都御苑は植物も鳥類も多種多様であると思ってきたのだが、どうも異変が起こっているようだ。何がどうなって、そう言う結果なのか分からないだけに不気味だ。
 
 10月23日(金)
皇室の名宝展
 国立京都博物館で開催中の『皇室の名宝展』へ行ってきた。見学申し込みはオンラインでとのことなので慣れない手続きをした。スマホのメールをそのまま残しておくか、印刷して持参とのことなので、印刷した。ところが送ってきたメールがいつのまにか消えていた。おそらく私が消去したのだろう。不安をかかえたまま出かけた。30分前に到着したら、「15分お待ち下さい」とのことであった。シリアルナンバーを印刷したものを持っていたので無事入場できた。入場で緊張するとは思わなかった。
 さて、今回の催しは新天皇即位を祝してのものである。私は「三の丸尚蔵館」を一度訪れたいと思っていた。ここには昭和天皇皇后が歴代所有されてきた御物を始め、皇族からの寄贈品が1万余所蔵されている。中には教科書にも出てきた「蒙古襲来絵詞」『春日権現期絵詞」狩野永徳『唐獅子図屏風』他、伊藤若冲『動植綵絵」などすべて名宝である。
 本来なら国宝指定や重文指定されてしかるべきものだが、皇室関係のものは正倉院御物同様そういう俗な指定からは除外されて特別に保管管理されているのである。
 私は伊藤若冲『動植綵絵」の老松白鳳図と大鶏雌雄図の緻密さに見入った。円山応挙の牡丹孔雀図もよかったし、蒙古襲来図のリアルさと迫力に感じ入った。三筆とか三蹟と呼ばれている方、歴代の天皇、中国の王義之他の書もあったが、そのよさが分かる教養がないことを痛感。
 今回は、「三の丸尚蔵館」所蔵の歴史的な名宝を見せる展示であった。ぜひパート2、3と続けてほしいと思った。江戸時代以前から皇室に伝わる品々、明治時代以降帝室技芸員に選ばれた美術家の作品他、ぜひ広く公開してほしいと思う。
 以前ある学者が、皇室にはすごいものが残されている。等身大の動物埴輪他びっくりするようなものがあって、余程著名で皇室批判などしない学者に限って特別に見せられていると話されていたのを聞いた。それ以来興味を持っているのだが、こういう展覧会が開かれるところを見ると少しは皇室も国民に開かれつつあるのかなと思う。  
 10月9日(金)
日本学術会議
 日本学術会議会員に推挙された6人の学者さんが菅総理「官邸)に拒否された。学術会議会員は学問の業績に対する評価で選ばれるとみな思っていたのだが、どうもそうではないのではないかと日本国民が思い出している。これは学者さんに対する国民の評価を下げることにつながる。
 忖度したり、時の政府の方針に沿う研究や意見を言う人が選ばれているのではないか、「耳の痛い」意見表明をする人は排除されて、御用学者しかいなくなり、あってもなくてもいいものにされようとしていると心配する。そもそも学者の学術成果を秤にかける事そのことが難しかろう、それができる人物は誰なのか、官邸にわんさといるのか?落とされた方々は心穏やかにその結果を受け入れられるのか。学問や学術に対する敬意の念が足りないのではないか。
 「総合的」「俯瞰的」に判断したとのことだ。ひとり一人の「総合的」な、どういう点が不足したのか、「俯瞰的」にみるとこういう点が問題だと指摘するのは人権上難しこともあろう。しかしこの二つのキーワードの選考基準の明確化はすべきだ。他の99名の方との差を説明すべきだ。
 日本の知性を代表している機関の構成員選考に土足で踏み込む今回の暴挙は蛮行だといえよう。  
 10月8日(木)
今年のノーベル賞
 医学賞、物理学賞、化学賞・・・と次々発表された今年の受賞者。次は文学賞さらに平和賞なのだが、あれ?もうマスコミ関係はすっかり熱が冷めたようである。
 10年ほど前だったか、もう少し前だったか、村上春樹氏の文学賞受賞が有力視されて、大騒ぎだった数年間があった。今、村上のムの時も聞こえてこない。今年も最初の2分野では候補者のいる東大や京大では受賞会見の予定された会場が取り上げられていた。
 色々な学術賞があるが、ノーベル賞ほど日本人が尊敬し敬意を感じている賞はないだろう。今までも先にノーベル賞が授与されてから、文化勲章などの日本の受賞が後追いしたことがあったが、世界基準と日本基準に差があるのはなぜなのか。致し方ないことなのか、日本の選考が遅いのは、年功序列で形骸化しているのか。
 イグノーベル賞の話題は、「ワニの発生方法」に関係するものだった。ワニにヘリウムガスを吸わせて、人間と同じ発声法だったことを突き止めたらしい。こういう研究は私にも方法がよくわかって理解できる。しかし昨今の受賞者の成果は皆目見当がつかない。
 益川敏秀氏が受賞されたときにインタビューさせてもらったことがあった。「先生の受賞成果を子どもたちに説明したいのだが、子どもたちにも分かるように教えてほい」と言ったら、「無理です。現在の学問は長足の進歩を遂げていて、簡単に説明できるレベルではない」「子どもたちには、今学校で習っている学習に精を出してほしいと伝えてください」とのことであった。 
 10月4日(日)
カラスの群れ
 夕方6時前に散歩に出かけた。いつもの通り北堀公園・伏見桃山城を歩いた。通常朝に歩くのだが昨日は出そびれて夕方になった。もう日は暮れかけていて北堀公園の周回歩道(1.2km)に灯がともっている。
 やや薄暗くなった道を歩いて、それに繋がっているサッカー場のエリアへ行ったら、ナイター設備に灯りがついていて、グランドが美しかった。翌日の試合の準備か何かをしておられるようである。隣の野球場は人陰がない。野球場の隣に桃山城の天守閣が見える。
 歩きながら眺めていたら、相当数のカラスが、最上階の天守の屋根に群がっているのが見えた。カラスは鳴きながら、一斉に飛び上がったり、また天守の屋根瓦に止まったりを繰り返す。たえず鳴き声を出しながら、数羽飛び上がったかと思うと、また戻ってくる。三層屋根瓦があるのだが一番上にしか止まらない。
 急に全部が飛び立った。ざっと数えてみたら、百羽近くである。大きく野球場の端まで飛ぶ群れと、すぐに天守の最上屋根に戻るものがいて、私には席順を巡って争っているように見えた。
 きっと毎日こういう小競り合いをしながら席次を決めているのかなと思うと、カラスの世界も大変だなと思えてきた。
 この後別れて、林の中のそれぞれの住処へ戻るのだろう。明治天皇陵、桓武天皇陵、北堀公園…近辺に住処の候補はいくらでもある。
 昼間はいない。朝からそれぞれの縄張り地域へエサを求めて行くのだろう。どこからどこまでのエリアのカラスが桃山城周辺に終結していているのだろうと思った。
 カラスが集会をなぜするのか、群れているようで、そうでもないようで、鳥の中では比較的大きくて、鳴き声が下品で、色も全く美しくなくて、人間に歓迎されないにもかかわらず、一番人間と共存している鳥類のように思う。つばめやスズメやハトは減って、カラスだけ残っているようだ。
9月24日(木)
オリンピック
パラリンピック

 
 ここ数ヶ月地下鉄や市バスに乗ることなく過ごしてきた。久しぶりに烏丸線に乗った。
 一時期に比べると乗客が多い。とりわけ若い人が増えていた。同志社大学のある今出川駅で乗降する人が多かったのは、大学が動き出したからか。京都駅の地下街も大勢のお客さんだった。ほぼ全員マスク着用している。
 4連休で各地の観光地は賑わったらしい。京都嵐山や清水寺参道や産寧坂は久しぶりの人出だったようだ。伏見稲荷はどうなのだろう?ここ数年、訪れる人の多くは外国人観光客で溢れていたのだが、中国からの団体客観光が解禁されていないから戻っていないのではないか。何回か前を通ったが、シャッターの降りている店が目立っていた。
 この連休前後で経済再生の舵きりへ、一段二段とギアが上がったようだ。色々な自粛要請が解除になり、オリンピックに向けた外国との往来も緩和あるいは解除に向かっているようだ。
 いつまでも「巣ごもり」している場合ではないといういうのも気分としては理解できるのだが、諸外国の感染は終息に向かっているとは思えない。アメリカ、インド、イギリス、フランスなど増加の一途を辿っている国々もある。国際オリンピック委員会の役員からは楽観的なコメントが出ていて、日本の関係者も呼応しているが、あと十ヶ月。世界中から日本に押し寄せてくる人々(選手・スタッフ・観戦者)に対応できるのか。オリンピックを開催するために無理をして日本で大パンでミックが起こる心配がないと言い切れないのなら、名誉ある辞退というシナリオをだれか描いているのだろうか、今は言えなくても。 
 9月7日(月)
防災サミット
 9号、10号と超大型の台風が九州全域の暴風域に巻き込み北へ進んだ。今まで経験したことがない大型台風だというので、九州地方中心に甚大な被害が心配された。
 未曽有の台風だという情報が流れ、その進路予想が報道される地図を見ながら思ったのだが、今回の台風は日本通過後、朝鮮半島を真っ二つにして進むようであった。そこで思ったのだが、日本通過後、朝鮮半島に上陸した台風がどの程度の被害を与えたのかの報道を今まで聞いたことがない。日本さえ通過すれば終わりでいいのかなと思った。
 台風の被害を受ける国は、フィリピン、台湾、インドネシア、日本、中国、韓国、北朝鮮などであろう。これらの国々も台風被害や防災について対策をしているに違いない。
 日本はイニシアティブをとって、台風情報や防災対策などを交流し、共通の認識を持てるよう国際会議「東アジア防災サミット」を提案したらどうであろうか。「ミサイル」を開発する前に「防災」で力を合わせようと提案すれば平和の国日本をアピールできそうに思うのだが。
 地震他についても話し合えば、食料、建築、土木、通信、交通等々の分野で、どの国にもビジネスチャンスが様々な分野で生まれるのになあと素人の私は考えたのだが・・・。
 8月23日(日)
子どもの声を聞く
 8月22日(土)朝日新聞朝刊、宮崎亮記者の署名記事が29面に載った。
 コロナ禍にある全国の子どもらが書いた作文を日本作文の会が雑誌「作文と教育」(本の泉社・ネットでも買える)で特集したものを宮崎記者が取りあげている。
 私はコロナ以前に、いじめ、不登校、発達保障、学力問題などなど様々な課題が山積したままの学校でさらにコロナが追い打ちをかけることを憂慮している。そんな中で子どもは何を考え何を願っているのかを知ることから始めるべきだと思う。
 私の知り合いの教師は「勉強のことは心配するな。先生がちゃんと教える」と宣言してまず、子どもとの間に信頼感を打ち立てることから仕事を始めたという。そして一日一回必ず大笑いをして教室を後にすることを続けているという。そして日記や作文を書いてもらい、読み合って教室に共感を広げている。
 こういう仕事を生活綴方の実践をを目ざす教師たちは戦前から続けてきた。
 8月29日(土)10時~5時、京都市左京区『京都教育文化センター』で『国語教育夏期講座』が開催される。作文教育と文学教育について語り合う。興味ある方は、ぜひ。 
 8月18日(火)
秋が近づいている
 ツクツクボウシの鳴き声が目立ち始めた。最高気温が41°を越えたなどというニュースが連日伝えられる中で、それでも秋が近づいていると感じられる。
 「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ、ツクツクボウシ」と鳴いた後「ツーツク、ツーツク」と2回鳴いて終わる。個体差はあまりないようで、どこの木でも同じ鳴き方のようだ。
 大学生だったとき、岡山から来ていた友人が「ツクツクボウシ」と鳴くのではない。「ホーシンツクツク」と鳴いていると強引に言い張る。京都や関西からのものは、「そんなアホな、そんな鳴き方は聞いたことがない」と言い張ったが、折れない。彼は「もう一度よく聞いてみろ」というので「ホーシンツクツク」と思って聞くと確かに聞こえた。この鳴き声が聞こえると秋がもうすぐやってくると思うのは変わりがないようだ。
 今年の京都五山の送り火は規模を縮小して行われた。
 自宅階上から一部だが見られる。如意ヶ嶽の大文字は稲荷山に遮られて見えないが、妙法の「法」が見える。船形、左大文字、鳥居それぞれ見える。しばらく前までこの辺りは送り火が見られる場所として、多くの人がうちわ片手に涼みがてら来られた。数年前まで家の外で見ていた。が、最近家が建って見られなくなった。
 五山の送り火が終わると秋が来る。子どもの頃はもう一つ、地蔵盆が終わると本当に夏休みも終わって2学期が始まった。今年は地蔵盆も各町内中止のようだ。六地蔵巡りも中止。
 もうすぐ秋が来る。が、季節を感じるのは気温だけの問題ではないことを思い知らされる今年1年である。  
 8月12日(水)
髪を切る
 今年に入ってどうも前髪にボリュームがなくなって、真ん中の方が透けてきていることは気がついていた。
 暑さもあって髪の毛が伸びてきていてうっとうしいので切りに行った。
 髪型など何のリクエストもしないし店主も聞きもしない。いつもの通りしてもらえたら何の文句もない。ところが私の行く散髪屋さん毎回髪型が変わる。
 前回からずいぶん前髪付近から頭頂部にかけて薄くなっていた私の髪のその部分をカットした。いつもならさっさと他の部分に移っていくのだが、店主は明らかに考えている。この少なくなった髪の毛の部分をどうすれば最小限に目立たなく出来るかを考えている。結論から言うと全体を短くしてその部分を目立たなくすると云う方法をとった。
 おかげで、涼しくなった。前髪を下に降ろすと透けるので、横や後ろに流す方がよさそうだ。 もうすぐもっと髪の総量がもっと減って丸坊主にしたらもっとあっさりするだろうか。  
 7月26日(日)
・・・になったら
 コロナ禍で色々行動が制限され、様々な催しが延期になったり中止になったりした。
 確実に外へ出かける用事がなくなった。
 最近はそれに雨が加わって一日家の中でTVやパソコンの番をする時間が増えた。
 これどのくらい続くのだろう。夏になったら、秋になったら、年末には、来年の春頃はきっとなどと思っていると当てはずれになりそうだ。
 7月21日(火)
朝だけ?
 私は7時頃に起きる。セミの鳴き声がする。8時頃散歩に出る。木立の中、セミが合唱している。本当に声を合わせるように鳴いている。ミーンミーンじゃなくて、シャーシャーというような軽い鳴き声だ。
 今午前10時。セミの声がしない。一日中泣き続けるわけではないようだ。暑さを強調する演歌歌手のこぶしをきかせたような鳴き声は夏本番にならないと聞こえてこないのか。セミの鳴き声を気にしたことがなかったので新鮮に聞いている。 
7月19日(日)
セミが鳴き出した
 
 今朝8時頃散歩していた。太陽が出ている。街中にあるお寺の木立からセミの賑やかな声が聞こえてきた。今年は梅雨が長引き、雨続きでセミの声を聞くことがなかった。ああ、これで梅雨も終わるのかなと思った。
 今昼過ぎだ。家の前に木はたくさんあるのだが、全くセミの声がしない。お日様がカーッと照らないことにはセミも鳴かないのだろうか。鳴いたら鳴いたでやかましいとか暑苦しいとか言うくせにちょっと心配している。 
 7月13日(月)
コロナ禍に大雨
 一番心配していたことが起こっている。コロナ禍の第二波、それに自然災害が複合すること。九州や飛騨川周辺の集団感染が報告されていないが、ヒヤヒヤした思いでニュースを見ている。今年は今まで経験したことのないような事態が起こった年として歴史に残る年になるだろう。
 今や政治経済の話題はコロナ後の建て直しに移ったようで、感染症そのものの封じ込めは「しつつ」という順番になっている。「読書しつつ、絵を描く」という時、後者に力点がある、「誰も二度と緊急事態宣言は出したくないんですよ」(経済担当相)と言いつつ[GOTOキャンペーン」の話題になると、経済建て直しの方に力点がある。
 あれだけ国に先んじて経済対策にも積極的だった東京都は、懐具合に寂しさが出始めたようで第二波に対する経済対策は国まかせにならざるを得ないだろう。東京オリンピックの追加予算を都は工面できるのか、開催の目途が本当に立つのか。
 これからどうするのだろう。私のことでいえば夏用の涼しいマスクがほしい。ユニクロへ2回行ったが、完売で、手に入らない。店の人に聞いたが、先週の入荷は1回だったとか。翌る日も「ありましたよ」とのこと。ということは、毎日行けば何とか手入ると言うことか。
 ボランティアの受け入れも県内に限るとか。これもコロナ禍の影響。「今、必要なのは?」という質問に「人手です」と答えていた被災者の方がいたが、間に合うのだろうか。 
6月24日(水)
木漏れ日 
 林の中を歩きながら木漏れ日の美しさとありがたさに気づく。木蔭の中を歩くと涼しくて気持ちがよい。そこにウグイスの声が聞こえてくる。
 今朝は向こうから来られたご婦人が、土道にカブトムシが歩いているのを見つけられたようで「あ、こんなところに」と驚いておられた。
 私の歩いている散歩道はしばらく前までは、カブトムシやカナブンなどが集まるクヌギの木が何本かあって、「スイバ」があった。しかし今は樹液を出す木が見られなくなり、もう生息していないのだろうと思っていたが、そうでもないようだ。 
 6月13日(土)
ウグイスの鳴き声
 毎朝の散歩道にウグイスの声がする場所が二ヶ所ある。ウグイスの鳴き声は「ホーホケキョ」で、人間が口笛を吹くと似たような音が出るものだと思いこんできたのだが、よく聞いてみるとウグイスも様々で鳴き方が違う。
 「ホーホケキョ、ケキョ」と必ず「ケキョ」を付け加えるのがいる。どんな顔した奴が鳴いているのかと探すが、見つからない。そのすぐ近くで鳴いてるのがいる。これは、「ケキョ ケキョ ケキョ、ケキョ」と「ホーホケ」を言わない。この二羽は違いを出すために鳴き方を変えているのだろうか。
 違う場所で鳴いているのは、律儀に期待通りの「ホーホケキョ」を何度も繰り返す。
 それぞれ事情があって鳴き方が違うのだろうけど、美しい鳴き声である。
 朝からガーガーと聞こえるカラスの声を聞くより気分はいい。 
 6月7日(日)
子どもの声と学校
 コロナ渦中の子どもの作文や詩を読ませてもらった。新学年が始まっても学校へ行けない状態が続く中で、例えば3年生の子どもの声。「どんなことがしてみたいですか」という質問に答えてこう書く。
いっしょにはなす
いっしょに本をよむ
いっしょにおにごっことかする
いっしょにべんきょうする


一人で遊び学ぶのではなくて友だちといっしょに過ごすことを望んでいる。

みんなと早くべんきょうしたいな
早く学校いってみんなと遊びたいな
みんなとあそびなど、ながいじかんすごしたいな
早くみんなの名前おぼえたいな
先生とクラスのみんなと
      たのしいじゅぎゅうしたいな
早くコロナおちついて
      みんなとあそんでたのしいことしたいな


 4月新学年のスタート時、今までも子どもの思いを書いてもらったことがよくあったが、こんなストレートに友だちと学び遊びたいという声は出なかった。
 コロナの非常事態宣言、自粛要請下の生活の中で、今子どもたちは学校の果たす役割に期待している。これはチャンスである。

 しかし一方で再開した学校はこの期待に応えきれるのだろうかと心配もする。1年生はすぐに午後の授業がはじまり、5時間目まで授業が予定されているらしい。6年生は7時間授業を週3回行うそうだ。1時間の授業時間を短縮し、夏休みも減らして授業時数を確保するそうだ。今までも学校の過密日程と進度の速さについて行けなかった子どもがリニア新幹線並の日程の中で、「みんな」と学びあえるのか、学校という重圧がのしかかっていた不登校の子ども達は再開後の学校により押し潰されるのではないか。三蜜を避ける手だてとして考え出され実行される生徒指導は、より管理教育の道を歩むだろう。教師も疲弊し過労が予想される。
5月23日(土)
コロナと共生?
 
 京阪神三府県の解除を受けて北海道と関東4都県の非常事態宣言が残った。
 話題はコロナ後にうつりつつある。
 コロナを撲滅するのではなく共生していくのだそうだ。人間はどんな病原体とも同時に生きているわけだから共生と言えばそうだ。でも好きでいっしょにいたいと思っているわけではない。なだめたりすかしたり、ご機嫌とりながら心底では撲滅を目指す相手とは共生とは言わないのではないか。それは騙し討ちの範疇である。
 一昨日例の『アベノマスク』をいただいた。幸い以前からのストックと自分が作ったもので間に合いそうなので、大事に記念に残しておこうかと思う。「いただけるのはうれしいけど、他にお金の使い道がありそうに思いますけど」「遅いわ。スピード感がないわね」…これが町の声。一律10万円はいつのことになるのだろう。
 東京オリンピックは果たして来年開催できるのだろうか。世界中が一応終息状態に入り、ワクチンと特効薬の発見がないかぎり、安心して開けないし派遣できない。
 全国高校野球選手権大会の中止決定からすぐ、野球だけでなく高校総体が出来ない競技や文化サークルの大阪府予選を開催できるよう検討していると大阪府知事が発言した。やるなあ、『機を見るに敏』とはまさしくこのことである。
 学校再開が心配だ。今子どもたちは宿題を与えられて宿題に面倒見てもらっている。ある学校では、就学補助申請が増えているという。私の知っている学校は三蜜そのものである。2m離れて、ふれ合わず、言葉少なに、大人しく、笑い声が爆発することもなく、歌声が弾むこともなく、フェースマスクをした先生がPC、ICをフル回転して授業するのだろうか。
 学校よりも先に学習塾の営業が再開になりそうだ。塾にはどういうコロナ対策を指示するのだろう。学童保育が三蜜状態のまま放置されているのも深刻である。
 大雨や台風被害、このところ全国各地で頻発している地震などとコロナが重ならないか心配だ。避難所での集団感染と医療崩壊は想像するだけで恐ろしい。
大雨も 地震も噴火も 台風も どうぞお通り 願います(日本列島)    
 5月21日(木)
そこで一句
 家のめだかの水替えと鉢替えをした。これで生まれた卵を孵化させることができる。さっそく卵のついたホテイアオイを水鉢に入れたら、1時間後には孵化して2~3mmのめだかが3、4匹泳いでいる。
・ゆるむ水 幼めだかの 兄弟姉妹
 黒川検事長が、賭けマージャンスキャンダルで辞職するようだ。
・黒川に 文春砲が ポンとうつ
 億の金を選挙資金として党本部からもらったご夫妻は針の筵だろうなあ・・・
・オレが克ち 行く道如何に 杏里ゃまあ   
 5月19日(火)
検察庁法改正断念
 今朝のトップニュースはこのニュースだった。政府が断念したのはツイッター上での世論が大きかった。この世界中を震撼させているコロナのどさくさに紛れて何を好き勝手やっているのかの世論に負けたといえる。 検察官OBの意見書提出や有名人の声も大きかった。
 検察官OBの意見書をお書きになった方は85歳だという。最後の部分だけ引用してみる。
特に「追記」に感動した。

 黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。

[追記]この意見書は、本来は広く心ある元検察官多数に呼びかけて協議を重ねてまとめ上げるべきところ、既に問題の検察庁法一部改正法案が国会に提出され審議が開始されるという差し迫った状況下にあり、意見のとりまとめに当たる私(清水勇男)は既に85歳の高齢に加えて疾病により身体の自由を大きく失っている事情にあることから思うに任せず、やむなくごく少数の親しい先輩知友にのみ呼びかけて起案したものであり、更に広く呼びかければ賛同者も多く参集し連名者も多岐に上るものと確実に予想されるので、残念の極みであるが、上記のような事情を了とせられ、意のあるところを何卒(なにとぞ)お酌(く)み取り頂きたい。

      以上

令和2年5月15日

 同日の新聞記事では、人気歌手が法案への反対表明をしたら猛反発を受けて投稿を削除したという記事があった。吉村大阪府知事はこの事に関してではないようだが最近殺人予告を受けたという。首相のサクラ招待問題の頃、辻元清美議員にも脅迫が行われた。言論封殺のためには殺人も辞さないという風潮が蔓延っているのか。普段は穏やかな顔して日々過ごしている人が、パソコン携帯に向かえば過激になるのは媒体のせいか、時代のせいか。
 5月13日(水)
少し変わった掲示板
 門柱に掲示板を設置した。正確には1週間前からある。
 ずいぶん昔に買ったコルクに木枠の付いたボードがある。それを2つくっつけて表裏にグリーンのプラスティクボードを貼った。30cm×60cmのものが出来た。ちょうどA3のポスターがピッタリ貼れる。第1号ポスターはゴーヤの苗の無料配布のお知らせだった。
 月に1回廃油回収の世話をしている。第1金曜日の9時から12時までなのだが、周知されていないのか回収量は少ない。そこでいつ集めるのかの予告をこのボードを使ってすることにした。他にも地域のエコ団体のポスターなどを貼る予定である。
 しかし、そんな掲示板誰もおもしろがって見ないだろうなと思う。
 私の家の前は通学路で小学生も中学生も通る。北堀公園へ散歩する人も通る。そんな人たちも足を止めたくなるような掲示板にならないかと考えた。そこでまず思いついたのが、「ことば遊び掲示板」。なぞなぞ、早口言葉、サラリーマン川柳、シルバー川柳、時事川柳、若者川柳などの記事を載せることにした。今日第1号ができて、ただ今掲示中。 
 5月8日(金)
京都変貌が加速
 久しぶりに京都市内へ出た。
 10時15分頃墨染駅から京阪の普通電車に乗車。車両に4名しか乗っていない。10時半三条駅で降りて三条大橋を渡る。渡っている人数はわずか6名。店はそこそこ開いているが何分客がいない。それより驚いたのは、木屋町から河原町へ入る通りと河原町沿いにのあちこちに高さ制限いっぱいの大きなホテルが建っていることだ。建設中も含め相当な数でこの1,2年で京都の町並みは完全に変わった。コロナウイルス感染症騒動でこれらのホテルも客は入っていないのであろう。酢屋という坂本龍馬の海援隊本部のあった場所がある。その両側に大きなビルが建ち、前に大きなホテルが建った。龍馬が殺された近江屋や新撰組が急襲した池田屋も、今は面影がなく石碑だけが建つ。
 丸善という本屋さんに行った。地下が本屋さんのスペースで上の方はテナントが入っている。エレベーターは4人まで。マスクをしていることなど規則があって、本屋さんだけ営業している。他は休業中。無印良品もやってなかった。デパートも休業中か、地下の食料品店のみの営業。車は普通に流れている。
 レストランなどのテイクアウトの宣伝が目に着く。早々に電車に乗って帰ってきた。 
 5月2日(金)
マスクづくり
 先月たまに四条に出たら立ち寄るNテーラーという布地屋さんでダブルガーゼを販売しておられたのに出会った。そうか、マスクを作ってみようと思った。マスクに似合いそうな布地も買って早速家に帰って自分の分を作ってみた。エメラルドグリーン系のなかなか渋いのが出来た。替え用も作って気に入って使っている。
 息子や娘宅のもと思い立ち、アンパンマンの布地のものや、小さな花柄のものも作った。大人用4枚、子ども用4枚ができた。
 マスク用のゴムひもは、たまたま立ち寄ったスーパーの手芸洋品店にあった。薬局には、ダブルガーゼもないし、百円ショップにはゴムひももない。
 まだもう少し材料もあるので、困っている人がいれば作ってあげたいのだが、何かよい方法はないだろうか。  
4月24日(金)
掃除をする
 
 4/19(日)の新聞を見ていたら、日ハムで活躍していた元プロ野球選手森本稀哲さんがコロナ感染以後、自宅でトイレ掃除をしていると書いていた。家族が使う大切な場所を毎日美しくしているのだそうだ。さっそくその日から真似して始めた。なかなか気分がいい。
 そもそも私は三日坊主どころか一日坊主で継続する志に欠点がある。さっそく翌日はやらなかった。
 でも次の日から今朝まで継続している。時間に余裕があるのでトイレ以外にも掃除の場所を広げている。今日は硝子窓とサッシを美しくした。明るくなったように思う。やっているうちに、こんなところが汚れているのかと気づく。今はそれがおもしろい。 
 4月15日(水)
千本三条から歩く
 鳥羽街道を確かめたくて、都の中心道路朱雀大路だったという千本通りを歩くことにした。千本通りを北の丸太町まで行けば大極殿跡が公園になっている。
 今いる三条千本交差点付近は二条城駅の改装、立命館法科大学院建設、それに伴う御池通の拡充などで大変貌を遂げている。
 三条千本交差点は五差路で、東へ行く道が二手に分かれている。南側の四条大宮へ向かう道すぐに玩具店がある。ここに行くと私が懐かしいコマやチョロキュウ、あてもん、風船などがある。久しぶりに孫に買ってやろうと行ったら、コロナのため閉店中。「マスクります」の文字。玩具店がマスク店に変身したようだ。しばらく見ていたら店の前に「若い女性とそのお母さんみたいなお二人が現れた。店の中の人とインターフォンで話しをして購入して行かれた。どうも一枚330円だったらしい。それを三枚購入されたようだった。
 息子夫婦や娘夫婦その孫立ちもきっとマスク不足に頭悩ましているだろうから買おうかなと思いながら立っていると「マスク要りませんか」と声をかけてもらった。迷ったが買わなかった。もうすぐアベノマスクも来るだろうし、何とか店頭に並ぶに違いないと信じている。
 東へ向かう三条商店街は京都でも有名な商店街だが、しばらく前から人通りが少ない。ただ、西角にある精肉店はいつも景気がよい。相変わらず盛況だった。
 もう一ヶ所、私と同じ年の教師仲間が千本通り沿いに住んでいた。60になる前に亡くなった。今もあのお宅におられるのかなと思い訪ねたが引っ越しされた後だった。
 とまあ、こんな調子であれこれ確かめながら歩いていたら、七条千本で疲れ切った。
 4月13日(月)
中止するにも
 テレワークとか電話会議とかパソコン等色々な端末を使って会わなくても情報が交換できたり、相談が出来たりすることが可能になっている。飲み会もしたと報道されている。
 今日は退職教職員互助組合の役員会が予定されていた。10日ほど前に中止のお知らせをメール送信した。しかしこの2ヶ月ほどの間の行事をどうするのかの相談が出来ない。とりわけ総会をどうするのかが喫緊の課題である。中止にするとしても組合員に議案書を送付して、委任状をもらう必要がある。その段取りを5名ほどで相談する場所がない。
 PC等使って会議できるだけのノウハウを持ちあせていない私のような者は、とりあえず会って相談するしか思いつかない。これまではそれで何とか困ることもなかったのだが、これからは困る事態にねっている。
 今TV番組の制作現場は困っているだろうなと思う。ニュースやワイドショーは感染症関連の話題で番組作りが出来るが、他は難しのではないか。スポーツニュースがつまらない。
 4月3日(金)
マスクを子どもたちに
 首相が5000所帯一律に布マスク2枚ずつ郵便ポストに配布すると発表した。色々反応が報じられている。概ね芳しくない。マスク代より郵便料金の方がかかるぞとか、家族3人以上の所帯はどうするの?とか誰もが思う疑問だ。
 何とかマスク不足を懸念する声に応えようという策なのだろうが、効果も曖昧で国民の要望には遠い。
 小中学校生徒に各自二枚ずつ配布したらどうだろう。このマスクは使い捨てではなくて洗濯すれば何度も使えるから上手に活用してね・・・と云えば少しは効果があるように思うが。  
 4月1日(水)
「光秀と京」特別展
 京都市考古資料館と歴史資料館で「光秀と京」特別展が行われている。考古資料館の方へ行ってきた。2月から6月までやっている。今出川大宮にある考古資料館特別展示コーナーは1Fにあって、通常展が2F。
 おもしろかった。信長の旧二条城(義昭のために築城)や宿所として利用した法華宗の寺院跡の遺物、とりわけ本能寺の焼けた瓦や鬼瓦。本能寺近くにあった南蛮寺の人物が彫られた硯などがおもしろかった。秀吉の聚楽第の遺物もあった。武家御城というのは初めて知った。 光秀が残した城跡は周山城しか京都市内にはないらしい。光秀像の写真があった。残されている絵画は優男だが、全く違って閻魔のようであった。
 この資料館2F通常展も見応えがある。平安京豊樂殿の鴟尾(重文)は美しい。長岡京出土の墨書人面土器は面白い。旧二条城出土の鎌倉時代の阿弥陀石像は優品だ。中でも三条寺町から柳馬場辺りにあった「せとものや」から出た陶器がすごい。志野、織部、信楽、備前他の茶器、茶碗、皿、花生等が並んでいる。
 入場無料。発掘調査した成果を紹介した本も販売しているし、研究成果の記録も閲覧できる。考古資料館は閉館で、特別展も中止になったのではないかと心配したがやっていた。濃厚接触するほど来館者はおられなかった。
 京都市歴史資料館はまだ行ったことがない。歴史資料のことで質問したいことがあるのだが、そういうことに対応してくださるのか聞きがてら、近いうちに資料館の「光秀と京」特別展を見に行こうと思っている。 
 4月1日(水)
イベント中止
 身近なイベントが色々中止になっている。オリンピック1年延期を受けて、この夏までに予定されているものはほぼ中止、又は延期だ。
 私の趣味や学習に関するイベント、関係する団体主催の行事も開催を判断しなければならなくなっている。
 まだ中国武漢が大変だと言っていた頃や、豪華客船ダイヤモンドプリンセス号が大きな話題になりはじめた頃は対岸の火事であったものが、欧米での爆発的感染を受けて一気に切迫感が増大した。
 京都では京都産業大学の学生からの感染が全国規模で広がっている。今は欧米からの帰国者の感染が問題になっている。滋賀県からは、京都・大阪への往来自粛を言われている。 自粛を要請されているのは、大都市圏での不要不急の移動。若者のカラオケ、ライブハウスでの飲食、年配者のバー、クラブなどの接客を伴う飲食。
 オーケストラのトロンボーン奏者の方がコンサートが中止になり、「自分は不要不急の存在だったのだ」と知らされたと語っておられた。桂枝雀さんの新作落語『幽霊の辻』で、「この村で一番役にたってないものを人柱にしよう」と提案した男が人柱にされそうになり逃げるという下りがある。新型コロナウイルス感染症の影響で損害が甚大な人々に支援の手が手厚く及ぶように訴える社会の寛容さが求められる。
 3月25日(水)
学校再開と授業
 学校が再開される。京都市では一昨日卒業式、昨日終業式が行われ、今日から春休みになりクラブ活動は再開した。
 学校での感染予防対策は学校に丸投げされる。入学式などの行事は簡素化して行うということで全教職員総出の対策がとれるが、授業が始まったらどうなるのだろう。
 まず健康観察に時間をかける必要がある。体温チェック、手洗いの励行、教室の換気が強調されるであろう。マスクはどうするのだろう。家庭の協力要請はどの程度か。
 濃密接触があるのが当然の学校で授業が成り立つのかどうか。教師はなるべく声を出さないようにするのだろうか。最近は授業形態も多様になってきていて、講義形式は肩身が狭いのだが、講義形式でも教師からの飛沫感染は免れない。児童に多くを語らせる授業こそ良い授業なのであるが、これも制限されるのだろうか。国語などの授業での「音読」「一斉読み」などは制限になるのか、音楽の授業では合唱や合奏はしないのか、これでは授業にならない。休み時間や体育の授業では、体を寄せ合いようなことは禁止になるのだろうか。教師の机間巡視も危ない。グループで活動する理科の実験や話し合いも自粛するのだろうか。
 4月始業式から学校、教室でどのような対策がとられるのか、どんな話し合いが今各学校や教育委員会で行われているのか、公開して智恵を絞る必要があると思う。
 3月25日(水)
コロナ感染症と世界
 中国、韓国、日本からイラン、イタリアへ広がっていると思われていたのが、一気にヨーロッパを覆いアメリカを感染地域にしてしまった。日本に寄港した豪華客船の客を自国へ迎えに来ていた頃は各国とも余裕があったが、他人事ではなくなった。
 中国は峠を越えたかのように見えるが、実態はどうなのだろう。新たな感染者がいないと報道されている。もし終息に成功したのならその経験を人類で共有すべきである。
 東京2020オリンピックは1年延期になった。しばらく前は日本での感染が落ち着けばという判断だったのだろうが、これだけ世界に広がると、各国は選手を派遣できないし、選手選考やトレーニングも困難だ。
 まだ人口最大のインドなどの東南アジア西アジアの国々、アラブ、アフリカ、中南米の国々に広がれば安全な国はなくなってしまう。
 ヨーロッパなど外国からの帰国者と、どこからの感染なのかが追えない例が報道されている。東京・愛知・大阪などの大都市圏の爆発的な感染を懸念する声も上がっている。 
 3月22日(日)
墓参り色々
 20日に墓参りをしてきた。お彼岸やお盆には多くの人がお見えになっているのだが、今年は少ない。コロナのせいかポツリポツリであった。墓地は、このところ書いている「八科峠」から東へ向かう場所にある。いつも車で行くのだが、自宅から歩くことにした。以下その行き帰りに寄ったところ。
 まず、戦国大名黒田家の屋敷比定地。最近説明板や石標が建てられた。
 二つ目、仏国寺という黄檗宗の寺。ここに小堀遠州の墓がある。大きな石棺があり、すぐ近くにある「大亀谷陵墓参考地」から出土したと言われている。この「陵墓参考地」桓武天皇陵という説がある。
 三つめ、「古御香宮」。洛南の産土神として有名な御香宮神社は秀吉の時代この場所に移転され、伏見城の北東守護の役目を託された。家康の時代にもとに戻される。仏国寺に御香宮神社代々神職三木家の墓が相当数あるのはその関係だろう。この古御香宮神殿前の大きな石は「大亀谷陵墓参考地」の台石だという。古御香宮はもともと陵墓参考地の一部のようだ。なぜこの辺りを敦賀町というのか、私は大谷善継の関係かと思ったのだが、そうではないようで、敦賀気比神社と御香宮が神武皇后を祀るところからの命名らしい。
 四つめ、等泉寺。ここは淀君やお江の近江浅井家縁の寺。
 桓武天皇陵がどこなのか、いくつも説がある。私の知る限りでは以下のようだ。
①桓武天皇柏原陵(桃山永井久太郎町)
②「大亀谷陵墓参考地」(深草大亀谷敦賀町)
③浄蓮華院境内谷口古墳(伏見区深草鞍ヶ谷町)
④桜町大神宮(深草大亀谷万帖敷町)
⑤明治天皇陵・・・秀吉が伏見城築城時に破壊したのではないかという説。
 桓武天皇の墓は紀伊郡柏原の地にあり、稲荷山より南で伏見山中にあって、規模は応神・仁徳陵の比ではないくらい大規模だったという。現在伏見から柏原という地名が消えている。これらの説の中には古墳らしきものがない場所もあるし、古墳の形状や出土物から否定されているものもある。
 長岡京から平安京に遷都した教科書にも出てくる桓武天皇の埋葬地でさえ歴史の中で埋もれてしまったのだ。 
3月18日(木)
明智越えⅡ
 
 「明智越え」に付け加える。実は書いてから気になったので今現在「明智越え」はどうなっているのか確かめるため歩いてきた。自宅から八科峠を経て明智越えを通り、明智藪や本経寺、小栗栖城跡(八幡宮)を訪ねて、もう一度歩いて戻ってきた。およそ3時間。行きはそうでもなかったが、帰りの坂道上りはきつかった。およそ15000歩、腰が痛かった。
 「明智越え」と言えば、亀岡(亀山)城から保津峡を通り京都市内本能寺へ向かう道が有名である。私の言う「明智越え」とは違う。地元の人間でも「明智越え」を知っている人は少数だと思われる。現在一部は京都一周トレイル東山コースと重なる。
 「京都伏見歴史紀行」(山本眞嗣・山川出版社)にこんな記述がある。「小栗栖から深草の大亀谷へ抜ける道がある。昔は伏見への近道として、この峠を利用するものが多かった。(中略)この道はまた“明智越え”ともいい、天正10年(1582)山崎の合戦で敗れた明智光秀が、淀から鳥羽街道をへて、大亀谷から近江路を通って坂本へ逃げるべく通った道である」 
 光秀を討ったのが飯田一党だということも、飯田一党がその後酷い目にあったというのも確証がない。特に飯田一党の処分については、そもそも光秀を襲ったのが飯田であると言えないのだから真実とは言い難い。話としてはよくできているが。
 「弘法大師杖の水」は、健在だったが、水は湧いていなかった。私はここで水を飲んだように記憶しているのだが。
 京都市立小栗栖宮山小学校がある。ここを目指して行けば「明智藪」や小栗栖城跡(八幡宮)、本経寺はすぐ近くだ。小栗栖自治会の明智藪の青い旗が設置されていた。地下鉄「石田」が最寄り駅で15分。
 先の山本眞嗣氏は「淀から鳥羽街道をへて」と書いておられるところを見ると「勝竜寺城から淀納所(ここで桂川を超える)を経て、鳥羽街道を進み伏見区内のどこかを通って「明智越え」に入ったとお考えのようだ。
 インターネットで道路検索すると勝竜寺→納所→横大路→(外環状線)→中書島→六地蔵→(小栗栖街道)→小栗栖が案内される。
 光秀がどの道を通ったのか、やはりはっきりしない。
 3月17日(水)
明智越え
 「明智越え」と呼ばれる道がある。八科峠(京都市伏見区深草敦賀町)から小栗栖へ抜ける道である。途中に「弘法大師杖の水」という湧き水があって、昔は伏見と小栗栖を結ぶ近道として利用されたらしい。
 現在車では通れない道で、タケノコを栽培しておられる竹林を進む細い道である。ほぼ誰とも出会わない。私は中学生の頃友人とこの道を通って醍醐寺へ遊びに行った。
 天正10年(1582)山崎の合戦で敗れた明智光秀は一旦勝竜寺城に入り、夜に城を出て坂本をめざしたが、小栗栖の竹藪で飯田一党の竹槍に刺されて死んだ。飯田一党は手柄を誇示したかったのか秀吉に申し出たが、秀吉は名もないものがいやしくも大将の首をとるとは何事だと怒り首を刎ねた・・・と私は聞いたかどこまでが真実なのか知らない。
 私は勝竜寺から小栗栖までどこを通ったのかに興味を持っている。
 「京都伏見歴史紀行」(山本眞嗣・山川出版社)には「淀から鳥羽街道を経て、大亀谷から近江路」と書いてある。どこで桂川や鴨川を渡ったのだろう。
 最近京阪電車「山崎街道」という踏切を見つけた。丹波橋と墨染駅の中間にあり、津知橋通りと交差している。津知橋通りは西へ向かうと久我へ向かう。鳥羽街道や西国街道と繋がっている。歌舞伎に出てくる山崎街道がなぜ伏見にあるのだろうと考えた。おそらくこの道は昔から鳥羽街道や西国街道山崎へ繋がる道だということなのだろう。ひょっとしたら命名した人も私と同じように明智光秀はこの道を敗走したと考えたのではなかろうか。
 勝竜寺から久我方面へ、ここで桂川鴨川を渡り、現在の津知橋通り(山崎街道)を経て、上板橋通りを東へ、八科峠から「明智越え」を小栗栖へ抜けたのではないか。
 NHKの大河ドラマの影響か、光秀ブームであるが、この「明智越え」のことはさっぱり取りあげられないのはなぜだろう?  
 3月16日(月)
春なのに
 プロ野球の開幕戦延期のニュースに大阪の街頭で阪神ファンが「エエ、ほんま?何の楽しみもないやんか」と言っていた。笑ってしまったが気持ちはわかる。選抜高校野球は中止、野球、サッカー、バスケット、ラグビー、全スポーツが延期中止の連続。お笑い、演劇、音楽などの公演も中止・・・「何の楽しみもないやんか」である。余計なお世話だが、スポーツ新聞は大変だろうなと想像している。
 大相撲だけ寂しく無観客で興行しており放送されている。それを観ている。
 今日九日目。今場所は関脇朝乃山が活躍して大関昇進を決めるかが焦点だったが、もう一つピリッとしない。現在6勝2敗。昨日の豊山戦ではどちらが大関候補と思うような惨敗。前半いい感じだったのに相撲が軽い。立ち直ってこの後全勝して欲しい。貴景勝も5勝3敗で何かおかしい。膝が痛々しい。大けがに繋がらないことを祈っている。御嶽海は全勝でいくのかと思わせたがこの二日間は横綱に連敗。6勝2敗。負け方が情けない。
 このまま白鵬が全勝優勝してしまうのだろうか。白鵬には悪いけどそうなろと「何の楽しみもないやんか」だ。
 無観客のため際立つ音がある。立ち会い時の頭と頭のぶつかり合う「ゴツン」という音である。 卒倒したり、こぶになったり、裂傷したりよくしないものだ。以前首は鍛えられないが他は鍛えられると解説で言っていたがなるほどと感心している。
 動物園を調べたら、天王寺は休園だが王子や京都市は一部室内などを閉鎖して開園しているようだ。京都府立植物園へ昨日行ってきた。日曜日と言うこともあってか大勢の人だった。早咲きの桜が開花しており、ツバキも見頃だし、菜の花やアンズが見頃。今年は暖冬でどの花も開花が早い。自宅近くの家の白木蓮が咲いている。
 3月15日
自粛か萎縮か
 新型コロナウイルスを新型インフルエンザ等対策特別措置法の対象に加える改正法が成立した。私権の制限に対する危惧を訴えた声や緊急事態宣言発動の基準や国会承認を求める声はかき消された。
 大坂府市は、学校休校に目途をつけた。春休み期間中は平常の開校をするらしい。ということはクラブ活動などは行うということなのだろうし、学童保育も平常通りということになるのだろう。
 政府の自粛要請に強制力はない。しかし今それを無視して実施強行するのは「もしも」が起こったときの致命的イメージ悪化を考えると避けたいであろう。
 現状を自粛するのは致し方ないと捉えるのか、萎縮していると観るのか正念場である。
 「学校が休校している」という事実は社会に大きなインパクトを与える。「学校が休んでいるのだから」になる。逆に「学校も再開した」というメッセージも大きな反響を呼ぶ。
 3月12日(木)
木喰が歩いた伏見
  昨年退教互伏見支部主催の散策会で河井寛次郎記念館を見学をした。その時記念館所蔵の木喰仏(微笑仏)二体を拝観した。江戸時代の廻国聖木喰行道(1718~1810)は、全国各地を巡り仏像や書画軸を残した。大正時代民芸運動を提唱した柳宗悦に発見され、一大ブームが興り現在に至っている。
 木喰がどのように全国を歩き廻ったのかが分かる資料が「南無阿弥陀仏国々御宿帳」「御屋ど帳」それに「納経帳」の三冊である。今年に入ってこの原文資料コピーが手に入り、今その読解に夢中になっている。
 伏見も訪れていることが分かった。寛政十一年(1799)この時木喰は81才である。木喰は途中で年齢を10才上回って記述するようになるので実際は71才かも知れない。
十月 大坂 アジ川(安治川)
二日より八日立  ナタヤ喜兵衛
八日京フシミ(伏見)へ 三百十文 ヨフ子(夜船)
九日 ヲフツイツツヤ(大津井筒屋)四十五文
 これを見ていると八日に大阪を発って、九日には大津に着いている。伏見は通過しただけである。。十月八日夕大阪を出て、三十石舟の夜船に乗って(大坂~伏見まで上りは十二時間)九日早朝伏見に着き、大津まで大津街道を歩いたと思われる。
 大津街道は伏見街道の墨染から京都教育大学南門前を通り深草谷口町へ抜けて、名神高速道路大岩街道から山科追分へ出る道。東海道五十七次の一部である。東海道五十三次は江戸から京都まで。五十七次は江戸から大坂まで。
 それにしても81才にしてこの健脚ぶりと強行軍。この後の十年間に甲州の故郷丸畑と兵庫県猪名川に残した二体をあの時拝観したのである。いやすごいバイタリティ。私も腰が痛い、膝が痛いなどと弱っている場合ではない。
 3月10日(火)
居酒屋に人がいない
 先週7日(土)研究会の後、友人4人とここ十年以上前から行く居酒屋へ行った。6時に店に入ったのだが、客は私たちだけ。いつもなら土曜日の夜ほぼ満員で、8人越えるときは小部屋(3室)をよく使うのだが、ここも満室の時が多い。京都市内に何カ所か店のあるチェーン店。こんなに人がいないのも珍しいなあと思いながら我々はいつもの通りああだこうだと議論しながら楽しく過ごした。
 トイレに立って気がついた。我々以外だれもいない。おそらく満席になったら70~80人はゆうに入る店だ。これではスタッフの給料も出ないなあと気の毒になった。私たちは8時過ぎには店を出た。出るときも店に他の客はいなかった。地下鉄も人が少ない。
 人の集まる密室空間でのイベント、不要不急の会合は自粛するようにという要請が見事に功を奏している。君子危うきに近寄らずであるにもかかわらず、近くによって濃密接触しながら酒を飲んでいるのはバカにも程があると笑われる所業なのだ。
 それにしても、民草は政府の要請を守って自衛するしかないと頑張っているなあと思った。一方でこういう飲食店の損失たるや莫大なものだと思った。
 消費税率の引き上げ、コロナ感染症の拡大による外国人観光客の減少、そのための国内消費落ち込み。本当に経済に及ぼす影響は数%の範囲なのか、業種によっては存亡の危機に陥っていると思うのだが。
3月9日(月) 
奨励金底つく
 昨日男子のびわ湖マラソン、女子の名古屋のウィメンズマラソンがあった。注目点は男女ともオリンピック代表の3枠目争い。生憎の悪天候。特に男子はひどいコンディション。
 男子は1週間前に日本記録保持者が自己記録を超えて優勝し2回目の1億円。その記録が抜かせるかに注目が集まり、NHK教育が中継した。しかし誰も記録を抜けなかった。
 女子はその前の大阪大会で勝った選手の記録を上回るかが焦点だった。結果見事に記録を超え優勝でオリンピック3人目の枠を獲得した。
 今朝の新聞に「奨励金底つく」のニュースが載っている。
 本来なら1000万円が本人に。監督、コーチに500万の予定だったが、東京マラソンで好記録続出だったため、優勝者に800万円しか用意できないらしい。又、2位の選手にも500万円渡す規定だったが払えないらしい。お金の提供元は日本実業団陸上競技連合。
 最初に男子で日本記録を出した選手が1億円もらったときは、それで終わるのかと思っていた。長い間男子も女子も日本新記録が生まれてなかった。マラソン界に十分刺激を与えるニュースであった。
 しかし金がないという今回のニュースにはエッ?と思った。まさかお金が底ついていることを誰も把握していなかったということはないだろう。まさか設定記録を突破するはずがないと思っていたのなら失礼な話だ。
 きっと何とか支払うようにするのだろうが、格好悪いニュースである。  
 3月9日(月)
無観客試合
 大相撲の無観客興業をTVで観た。気の毒だなあと思った。観る人がどういう反応をしているのか分からないのはプロとして何とも歯痒いことだろう。拍手歓声ため息ブーイング全てが励みになってこその興業なのだなと思った。この日のために精進し鍛えてきた力士たちは土俵にあがりたいだろうし、親方たちもあげてやりたいだろう。
 相撲は古来宗教行事の側面があり、こんな時こその自負もあるだろう。しかし無観客でもやりたいという背景には経済的な側面が大きいのではないか。入場料や本場所中の販売、相撲茶屋などからの収入は望めないだろうが、NHKの放映権料や懸賞金収入はある。民放各社のニュース料はどうなのだろう。巡業もしばらく出来ない中で、その損失分をどう補填できるかの結果の判断なのだろう。
 表向きの理由と裏向きの理由。大人の事情が全面にでないよにとの配慮。
 プロ野球はどうするのだろう。決断の期日が迫っている。
 3月7日(土)
木喰さんの宿帳
 江戸時代の廻国僧木喰行道(1718~1810)は18世紀末から19世紀にかけて全国各地を巡り仏像や書画軸を残した。大正時代民芸運動を提唱した柳宗悦に発見され、一大ブームを興し現在に至っている。その仏像は微笑仏(ミショウブツ)と呼ばれている。
 木喰さんがどのように全国を歩いて廻ったのかが分かる資料がある。「南無阿弥陀仏国々御宿帳」と「御屋ど帳」それに「納経帳」である。これに現在発見されている仏像の背銘にある彫像年月日を加えると、その足跡はかなり明確になる。足跡資料がこれ程多く残っている人物も珍しいのではなかろうか。
 今年に入って「南無阿弥陀仏国々御宿帳」「御屋ど帳」原文、それに「納経帳」の一部が手に入った。このところその読解に夢中になっている。「南無阿弥陀仏国々御宿帳」は漢字カタカナ交じり文である。「オ」という表記がなく「ヲ」であったり、「エ」はなくて「ヘ」であったりする。これが木喰行道の癖なのか一般的なのか分からない。「御屋ど帳」は「南無阿弥陀仏国々御宿帳」の空白部分を埋める資料で、人名などに漢字が多くカタカナも平仮名も出てくる。この人名が読めないのがあって難儀している。
 「納経帳」は各寺院の受付をされた方が書いたものである。くずし字の連続で一番困るだろうなと予想している。というのはまだ 京都中心に近畿地方しか読めていないからである。この地方は地理的に少し予備知識があるから読めたもののそれ以外の地域は困難が予想される。
 木喰さんは全国の国分寺、一宮、百観音(西国、板東、秩父)、四国八十八ヶ所など手当たり次第巡っている。北海道、佐渡など当時辺境と思われていたであろう場所へも渡る。
 一度目の読みだが、「南無阿弥陀仏国々御宿帳」「御屋ど帳」が読み終わり、活字化できた。そこでこの資料でおもしろかった所を列記してみる。
①木喰さんは温泉風呂好きで各地で温泉に入り長逗留している。
②弟子がいて相談したり逃げられたりしている。
③粟・米・蕎麦粉など食料を受け報謝している。
④時にご馳走で接待されている。
*木食という名を冠しているわりに厳格ではない印象を持った。木喰の和歌にもあることは知っていたが、この資料からも裏付けられる。
⑤金銭の施しをたえず受けている。(二十五文が多い。全国一律の金額。ただしこの金銭は木喰さんが宿賃に払っていた可能性もある)
⑥「ヲイヲアズケル」という記載がある。「ヲイ」が笈なのか甥なのか、二箇所「ヲイ」があるのだが私は「笈」だと思う。
⑦「キ」と書かれている。人名の横や下にあるのが多いのだが、行の冒頭にあるものもある。私は「忌」か「祈」かだと思う。私は木喰さんがお世話になったお宅で先祖供養をしたのではないかと予想している。「木賃宿」の「キ」だという意見もある。宿帳という性格からするとありかなと思う。「寄宿」も可能性がある。この説だと先程の金額は支払い額になる。もう少し「キ」の記載と金額との関係を考察しなければならない。
⑧人名を見ているとこの時代に流行った人名がうかがえる。全国的に均一で地方の特徴が見られない。先程の金銭額も全国ほぼ一律である。
⑨女性の名前らしきものはない。「ゴケ」というのがある。これは「後家」であろうが、洗濯をしてもらったようだ。もう一ヶ所「アンジュ」(庵主)があり、尼寺でお世話になったようだ。
⑩「仏像を彫った」という記載が少ないのは意外だった。栃木県の栃窪は薬師と十二神将を建立したと書いてあり、柳宗悦が最初に訪れたのが栃窪だったわけが理解できた。
3月7日(土)
トイレットペーパーⅡ
 
 2日(火)四条烏丸まで地下鉄に乗って出かけた。大丸へ行ったら臨時休業。今月だけ火曜日を休むようだ。四条河原町の高島屋は開店していた。ここは営業時間を短縮するらしい。心なしか四条通を歩いている人が少ないように感じた。
 しばらくしたら、京都府内の感染者が2名から増えて今は7名。地下鉄や市バスを使って通勤しておられたらしく、地下鉄や市バスの乗降客が減っている。
 京都市内の学校は全国から遅れて5日から臨時休校になった。なぜ遅らせたのか。まず思ったのは、給食物資が止められないからだと思った。私が現職の時も給食物資を止めなければならない行事を組むときは何日か前には必ず届けるように言われた。急には止められないのだ。全国的にもそうだろうと思っていたら、給食物資を廉価で売っている行政区があったので驚いた。確かに食品ロスは避けた方がよい。急に一律休校するのは性急だった。数日学校が開かれたことで準備期間がもてたことはよかったと思われる。
 ここ数日買い物に行くとトイレットペーパーはどうなっているか見る。午後に出かけるためか売り切れてない。私が行ったスーパー(3軒)、ドラッグストア(2軒)、コーナンは売り切れていた。ニュースでは在庫もたっぷりあり安心してほしいとメーカーも言っているが、このありさま。
 5日、今はどこも駄目だなと思って歩いていたら、CO-OPから品物を持っている人が出てこられた。ここはあるのかと思った。そしてしばらく歩くと昔からある近所の荒物屋さんにあった。12ロール入り(二枚重ねクリネックス社)が600円と書いてあった。
 今日の新聞によると、宝塚は公演を再開。大相撲春場所、高校野球は無観客試合。 
 3月2日(火)
友人の絵画展
 小学校の時からの友人がいる。その彼が若年の認知症になった。まだ60才後半での発症だった。驚いた。奥さんも高校の同学年で知り合いである。
 夫婦でいっしょに散歩をし、卓球をしているという話を聞いていた。その奥さんから彼の絵画作品展を近くの喫茶店でするという連絡をいただいた。3月2日(月)~7日(土) 臨床美術の教室で描いた作品展だという。「臨床美術教室」というのは初めて聞いた。出かけた。
 十数点の作品が展示されていた。リアルな「シシャモ」。ユーモラスな「二股大根」。抽象的な「歌舞伎」と題された絵。色が美しい「クラゲ」なかなかいい。几帳面な彼らしく文字やサインは乱れがない。
 場所はJR桃山駅近く。24号線大手筋通りを東へ50m喫茶店「イチジク」。この場所で「臨床美術教室」も開かれているようだ。 
 3月2日(火)
トイレットペーパー
  「マスクが店頭からなくなっている」というのはしばらく前からTVなどで聞いていた。普段からマスクをして歩くことのない私は、今家にあるもので十分足りるだろうと思っている。
 「トイレットペーパーが品不足」というニュースを聞いて、石油ショックの時と同じだから今度は買い占めに走る人もいないだろうと思っていた。
 今日近くのドラッグストアー併設のスーパーマーケットへ行って驚いた。本当に商品棚からトイレットペーパーとテッシュペーパーがなくなっていた。「お一人様ひとつ」という掲示物も貼ってあった。あの時のように売り場に人が殺到して商品を取り合うことはないようだが、明らかに過剰に反応して「今のうちに買っておこう」という心裡がはたらいているようだ。
 マスクを買う人が多いのは理解できる。今までマスクをしてなかった人が、してないと電車や人混みに出にくくなっているから買おうと思っているのだろうと思う。しかしなんでトイレットペーパーを買い占めるのだろう?日本は大量にトイレットペーパーを中国や韓国から輸入している?そんな話聞いたことがない。
 米屋でお米を買ったら店の人が「お米もなくなるって噂になっているらしい」と言っておられた。考えられない。
 あの石油ショックの時、私は小学校高学年だった。夏休み岐阜県の親戚で泊めてもらった。京都でトイレットペーパーが買えないという話をしたら、「そんなもんなんぼでも売っている」と言って買ってきてくれた。帰りのおみやげにトイレットペーパー持って汽車に乗ったことを覚えている。根拠のない噂に左右される愚を繰り返してはならない。
 2月28日(金)
博物館閉館
 2月25日(火)奈良国立博物館へ特別展「毘沙門天」を見に行った。休館日だった。月曜日が休館なのは知っていたが、この日は前日月曜日が天皇誕生日の振替日だったため開催され、翌火曜日が休みだったのだ。毘沙門天も見たかったのだが、なら仏像館で薬師寺の国宝僧形八幡三神像が公開されているとHPにあったので行く気になったのだが残念。
 奈良公園も閑散としていた、興福寺、東大寺、春日大社へ向かう人も少なく、シカの方が多かった。
 奈良市内を歩こうかと思ったが、京都へ戻ることにした。いつもの図書館へ行くことにした。今日は「栄華物語」を読もうか「古今集」を読もうかと考えて行ったら、ここも臨時休館日。この休館は、定期検査の為で28日まで。この通知前に行ったときに見ていたはずなのに全く迂闊。結局予定は何も叶わず一日が過ぎた。
 翌日、政府が国立博物館の休館を発表した。オイオイオイエーーーッと思った。不要不急と言えばそうだが、楽しみにしてたのに。不要不急なあと思う。  
2月28日(金) 
流石にアカンヤロ
 朝日新聞28日朝刊3面に「首相補佐官が資金パーテイ 自民・秋葉氏新型肺炎巡り自粛要請の中」という見出しの記事が出た。それによると、26日夜に仙台市内で自著の出版記念として立食形式のパーティが200人集まって行われたらしい。
 秋葉氏は「物理的に中止という選択肢はなかなか難しかった」「宮城県を含め東北6県とも感染者は出ていない」と説明したらしい。わからんことないけどアカンヤロ。
 つい先日、大切な全閣僚出席の(予定だった)会議を欠席して自身の後援会及び後援者の行事に参加していた大臣3名がやり玉に挙がったが、首相自ら不要不急のイベント自粛を促しピリピリしている時期にこれは流石にアカンヤロ。補佐官という名が泣く。
 2月28日(金)
小中高休校
 26日今後二週間スポーツ・文化イベント開催自粛要請を出した安倍総理が、27日全国小中高特別支援学校の休校要請を発表した。3月2日~春休みに入るまでという長い期間である。午前中までにコロナ発症が顕著な北海道などの自治体では休校が決まっていた。そして27日午前中には大阪市・堺市・大阪府も休校を決定した。それに被せるような形での国の対応である。
 プロ野球のオープン戦は無観客試合、サッカー、ラグビーのリーグ戦は中止。歌舞伎座の興業、歌手のイベントも次々中止。大相撲春(大阪)場所は3月8日(日)初日の予定だが、どうなるのかまだ発表がない。
 人やモノがすごい勢いで連日動き回っている現代社会。ウイルス検査を受けたい人が受けられないのはなぜなのか(韓国では受けている)、なぜダイアモンド・プリンセス号乗客の感染が止められなかったのか、日本に市中感染が広がったのはなぜなのか、政府厚労省が明確な説明ができないことに、不安を感じている。
 そこに学校休校要請のニュース。徹底的な対策は会社職場・交通機関の休業であろうが、ライフラインが確保できず社会全体が影響を被る。とりあえず学校なのか、この後に要請が続くのか。
 塾、予備校及び大学、習い事やスイミングスクールなどのスポーツクラブはどうするのだろう。幼稚園、保育園そして学童保育は閉鎖を要請されていないが、これは合理的な説明がつくのだろうか。
 基本方針発表、不要不急のイベント中止要請そして学校休校。この数日で矢継ぎ早の対策なのだが、なぜその政策なのかをデータなり科学的根拠や現状認識と共に政府関係者には語って欲しい。 
 2月24日(月)
イベント中止
 新型肺炎の集団感染問題が色々波紋を起こしている。ダイアモンド・プリンセス号での免疫体制の不十分さを指摘する声、経済に対する影響を心配する声、感染経路が明確でない患者の多発(市中感染)、ニュースでは専門家が数日前に、すでに国内で数千人規模の感染者がいるだろうと言っていた。もうすぐこれが万単位になることが予想される。
 陽性の人が新幹線で移動していた、同じく陽性の会社員が通勤電車に数日間乗車していた、教師の感染も見つかった。
 天皇誕生日の一般参賀が中止になった。東京マラソンは一般参加者のエントリーが取り消された。企業でもテレワークに替えられるところは推奨しているようだ。時差出勤もしているらしい。
 京都は深刻な情報はないが、安心ではない。母親がお世話になっている介護施設も普段はカフェを開いたり、地域の団体の集まりをするなど地域に開かれた場所にするべく努力をしておられるが、しばらく様子を見ることを決められたようで、カフェでのギターと歌の会の中止連絡があった。私はもう一ヶ所ギターを持って歌いに行ってるのだが、それも今月は中止にすることにした。  
 2月23日(日)
嵯峨嵐山で
イラスト展
 お知り合いの方が嵐山天龍寺前の「ぶらり嵐山」というところで「イラスト展」をしておられる。2月15日(土)~3月22日(日)とロングランの作品展である。「ぶらり嵐山」は喫茶コーナーや手作り作品の販売店もある場所でその一角をギャラリーのように使用しておられる。~今と昔~というサブタイトルのイラスト展、なかなか面白い。若い頃に描きためていた作品群を最近になって見直し、再び絵筆をとったいうその作品群見応えがあった。
 具象もあれば、抽象もある。ペンで点描したものが多いが、水彩もあれば油絵風のものも水墨のようなものもある。
 こういう特技のある方だと知らなかったので余計におもしろかった。 
2月20日(木)
腰痛・膝痛

 
 1年8ヶ月ほど前に膝、腰に痛みがあって、通院したが芳しい快復はしなかった。半年ほどして「これは、もう完治することはないし、一生この痛みとお付き合いしなければならないな」と覚悟した。
 特に膝がひどく変形しているのがわかったし、ガクンガクンと抜けたようになり、走るなんて怖くてできなかった。歩くと遅くて、ほぼ全員に抜かれる。腰の痛みは絶えずあり、坂道を登ると途中で腰がだるくなり股関節の外側が詰まってくるような痛みでしばらく休憩しなければならなかった。
 ずっと整形外科で診察してもらい薬を飲み、湿布薬をもらい、サポーターやコルセットをしてきた。1年半が経過したが目立ってよくはならなかった。
 ところが2ヶ月ほど前から症状が緩和してきた。上記の施薬や処方をやめても大丈夫になってきた。今腰は完治はしていないが常時痛みを感じることはなくなった。
 できるだけ歩くようにしている。そして水泳を再開した。水泳は腰痛がおこる度にお世話になってきた。1年前、2ヶ月ほど続けたが思わしい効果はなかった。今回の腰痛はダメだと諦めていた。1ヶ月ほど週2、3回歩いて(往復で一万歩)プールへ行き、約45分ほど歩き泳いでいる。これが効果があったように思う。しかしこういうことを試してみようと思うぐらいによくなってきたから出来ていると言える。
 行きか帰りに図書館に寄って本を読むというのも組み込んで出かける。お陰で「今昔物語」や「宇治拾遺物語」「十訓抄」の現代訳抄本を読むことができた。
 何とかテニスが再開できるくらいに元気にならないものかと思う。
 2月9日(日)
本を探す
 本(古書・新刊)を買う時、アマゾンで検索して買うことが多い。古書の場合、出品先が送料込みの価格を設定しているか確認する必要がある。価格だけではなく本の状態も考慮しながら幾通りかの出品の中で決める。
 そもそも本の販売店が少なくなったように思う。京都では四条河原町近辺に大きな新刊本販売店が3軒ある。居住地である伏見区には週刊誌や月刊誌中心の品揃えの店はあるが、本を探すというイメージの大型店はない。十年来CDを販売するショップがなくなった。
 古書も大手通販サービスではピンポイントで探せる。インターネット販売を重宝している。年齢を重ねれば重ねるほど、アマゾンに依存した生活になりそうだ。  
 2月7日(金)
新型コロナウイルス
 連日の報道で感染者の増大が報じられている。今日は東京湾に停泊中の大型クルーズ船ダイアモンド・プリンセス号乗客41名があらたに確認されたらしい。武漢からチャーター機で帰国した日本人の感染率も高く、水際での対応が重要である。
 外出を必要最小限にとどめて、マスクを着用しうがい・手荒いをしっかりして、栄養に気をつけることが肝要だと連日のニュースで対策が言われる。
 にもかかわらず、この数日京都市内と名古屋市岐阜市に出かけた。マスクなしで電車に乗っている人、歩いている人は少数派だ。稲荷大社、清水寺、産寧坂、八坂神社はもっと人が少ないのかと思ったら、そうでもなくて案外多い。しかし昨日の新聞では嵐山や祇園界隈の観光客は少なくなっているとあった。
 ここ数年、稲荷大社は毎日正月の初詣状態だった。団体客が大挙して訪れJR稲荷駅の乗降はすさましい勢いだった。これで落ち着くのだろうか。参道のお店は当てはずれであろう。
 去年が○○だったから今年も○○であろうという予測の替わり方のサイクルが早い。つい右肩上がりを期待してしまうのが人情だけれど。 
 1月28日(火)
優勝と引退
 徳勝龍が幕尻で優勝。「優勝していいんでしょうか」「めっちゃ(優勝)意識してました」「(優勝)インタビューで何を言うか考えていました」と言う発言がとても新鮮だった。新鮮と言えば正代が貴景勝に勝ったとき、付け人の前で懸賞金を大きく掲げて喜んでいたことも印象に残った。両者とも「品がない」とか「大相撲の美学に反する」という批判もあろう。しかし一昔前のお相撲さんは勝利インタビューでも何も語らず明日に向けての努力と精進を短く述べるだけで喜びを露わにしたり、悔しさを表情に示すこともなかった。その頃に比べると面白い。
 来場所徳勝龍が千秋楽での貴景勝戦のような四ッ相撲の寄りで又活躍すればおもしろい。
 十両は照ノ冨士が13勝2敗で優勝。全勝優勝するかと思ったのに残念。宇良はどうしたのかと思っていたら序二段で優勝したらしい。何とか相撲がとれるように快復しているらしい。よかった。
 豪栄道の引退が報じられている。場所前の稽古や部屋では抜群に強いらしい。稽古ではみな真っ向勝負しかしないという暗黙のルールがある上で強いのではなかろうか。御嶽海は反対で本番に強く稽古はほどほどにしかしないらしい。
 大阪女子マラソンで優勝した選手は「1ヶ月に130km走ったことが優勝に繋がった」と高橋尚子さんが解説していた。毎日フルマラソンと同じ距離を走る・・・かと思った。自分は140km走っていたと語っていた。どちらがいいのかな。くれぐれも疲労骨折などになられませんように。 
 1月16日(木)
大相撲
 解説者がどうなるか予想できないと言う大相撲。絶対王者だった白鵬を頂点とするモンゴル勢が退潮期を迎え新しい勢力が簡単に上位力士を倒しているように見える。
 私は昨日朝乃山が一番安定していると書いた途端に2連敗。
 関脇大関陣は、白鵬は昨日2敗目を屈して逃げ足早い男だから休むだろうと思ったら予想通り5日目に休場。鶴竜は言いそびれている間に白鵬に先を越されて4日目も土俵に上げさせられて1勝3敗。そして今日休場。大関豪栄道は1勝4敗。貴景勝だけ何とか4勝1敗。でも好調とは言えない相撲内容。
 関脇陣も朝乃山がこの2日間好きなようにやられている。3勝2敗。帰り大関を狙う高安2勝3敗ではスタートで転けている。
 横綱に2連勝し大関にも1勝し今日も朝乃山に勝った遠藤の強さは本物か。同じく横綱戦2連勝の妙義龍は今日は簡単に阿炎に負けた。北勝冨士は2大関を撃破し鶴竜にも勝ち、白鵬に不戦勝だったから、ひょっとすると初優勝かと思ったら、今日は簡単に正代に負けた。今場所は殊勲賞候補だらけだ。
 だれが絶好調なのか、そして誰が優勝杯を持っていくのか。やっぱり貴景勝が本命かな。
 十両へ再帰した照ノ冨士が5連勝。ガンバレ! 
 1月15日(水)
ケガのない大相撲を
 四ッ相撲の朝乃山が強い。堂々と勝っている。危なげなく勝っている。
 四ッ相撲と突き押し相撲と比べると、爆発力は突き押しにあるが、安定感は四ッ相撲にある。ケガも突き押しは多そうだ。
 貴景勝は突き押しで急速に力をつけ、安定した成績を残す実力力士になったが、ケガに見舞われている。ケガ無く二人が競い合って真っ向勝負で盛り上でてほしいものだ。ケガと言えば元大関照ノ冨士が十両に戻ってきた。宇良はどうしているのかな?
 今場所は遠藤がいい。スピード感のある相撲を取っている。もともと人気のある力士だが、上手いだけでなく、スピードに磨きをかけて大関を目指ししこ名を変えて欲しい。
 北勝冨士の負けん気がいい。貴景勝に勝った勝利インタビューで「おめでとうございます」と言われてちょっとムッとしていた。高校の後輩に勝って当然であるという気持ちの強さが出ていた。大関横綱戦で三連勝したことを当然のこととして優勝を狙っていると公言するのがいい。
 炎鵬という異能の力士が出てきた。体も技能もスピードもあるトップクラスの力士とどうなるか楽しみだ。こちらもケガのないことを祈るだけである。
 先場所は、大関横綱の誰から先に休むかの競争だった。今場所は流石に大関もカド番で、横綱も休みにくい。3日目を終わり、1勝2敗、3敗の横綱大関そしてその経験者が、引退に追い込まれるのか、無責任にTV桟敷であれこれ楽しんでいるのは気楽だ。 
 1月5日(日)
ニュース
 カルロス・ゴーンが出国した。裁判を目前にしての逃亡劇はまるで映画のようだ。日本の治安当局、裁判所の権威、日本政府をあざ笑うかのような所業は国際的に認められるのか。日本にいたら徹底的に辱めを受ける、自分は無実にもかかわらず政治的謀略で逮捕拘禁されていると言う言い訳は通じるのか。
 この問題この後どうなるのだろうか?被告人がいなくなったのだから裁判をするわけにもいかない。しかしなかったことにもできない。日本政府が乗り出すのかどうか。弁護人は責任をとらなくてもいいのだろうか。金持ちは金の力でこんなこともやってのけるのだなと呆れた。
 IR関連法案を推進し、事業に積極的だった政権党と推進に賛成してきた政党議員が中国企業から賄賂を受け取っていたのではないかという疑惑が報じられている。賛否が拮抗するような政策を推進する場合、推進している方に金にまつわる疑惑が必ずと言っていいほど吹き出す。
 原子力発電事業、IR事業・・・やっぱり金をばらまいても儲かる仕組みができていてその誘惑に負けた末端が捕まるのだろう。しかし巨悪はいつも見逃される。数百万の賄賂で兆を超える事業の発注が有利になるとはどうしても私には思えない。この後何が飛び出すのか、うやむやになるのか、もともと何もないのか、続報が気になる。  
1月4日(土)
やりたい放題
 
 米軍がイラクの革命防衛軍司令官を殺害したと両国が発表した。米軍のイラク空爆は継続しておりその一環の殺害である。この司令官殺害に正義があるのか。大統領は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と言っているようだが、外国の軍隊が自国で空爆を繰り返し、司令官を殺害された国は、その行動を有り難いと感謝するのだろうか。あの司令官を殺してもらってよかったと思うのだろうか。
 私はかえって憎しみの連鎖が強まりテロが横行するのではないかと思う。
 超大国で民主主義を看板にしている強国こそ人類の叡智を行動で示すべきだ。 
2020年1月2日(木)
繋がる命 
 2日に親戚の者20数名が集まる新年会をした。母親がお世話になっている介護施設のホールをお借りして母親に繋がる子や孫が集まった。母親が元気なときも正月になると、みな集まって正月を過ごした。母は毎年何やかや言いながら、おせちを用意して、集まるのを楽しみにしていた。
 母は3人子を育てた。その子が結婚して5人子どもが生まれ、その子らが結婚して10人の孫が生まれた。一人の人間の命がら繋がっていく命か・・・と改めて思った。 
12月22日(日)
女性専用車両 
 一月ほど前、名古屋の地下鉄でのこと。お知り合いの方といっしょだった。隣の車両が空いていたので「こちらに乗りましょう」と乗り込んだら「ダメ、あかんあかん!」と叫ばれた。
 「エッ!?」と思って飛び降りたら、ドアが一瞬閉まりかけて開いた。挟まれずにすんだのだが危なかった。私がダメ!と言われた理由がわかった。女性専用車両に乗り込んだからだった。
 昨日。同じく名古屋の地下鉄東山線。名古屋駅から乗車した。かなり混んでいて吊革をつかんで前の掲示物を眺めていたら、「女性専用車両」の掲示。あれ?これ女性専門車両?と思いながらあたりを見回すと男はチラホラ。全く皆無だったらもっと慌てたかも知れないが、同じ間違いをしている人がいると何とも心強い。しかし周囲の女性の視線が気になる。ぱらぱらといる男たちは気にかけるわけでもない様子。私は不幸にも気づいてしまった。次の駅までの長いこと。あわてて降りて、前の車両に乗ってやっと安心した。
 私がたまに利用する京阪電車にも女性専用車両がある。しかし朝通勤時だけで一番前の車両と決まっているのであんまり気にしたことがなかった。毎日利用していたら間違わないだろうが、たまに乗るとこんなことになる。次回は気をつけようと思う。 
12月3日(火)
法隆寺金堂壁画 
 12月2日朝日新聞夕刊トップは、年末から年始にかけて奈良博で開催される法隆寺金堂壁画の重文写真原板公開のニュースであった。1949年の1月に焼損した金堂壁12面に極彩色で描かれたこの壁画は世界的な傑作である。1935年に写真撮影が行われたそうで、白黒とカラー用二種の写真原板が残されているようだ。
 日本を代表する日本画家たちが金堂内で模写をしているときに火災が発生したため。創建当時の壁画を偲ぶには、この写真原板が大きな役割を果たすということで重文に指定されている。
 そのうちの数枚が新聞に出ているのだが、繊細な筆致が伝わってくる。阿弥陀や釈迦浄土図が描かれているのだが、今から千数百年前の人々の仏教に対する想いや理解そして絵画技術、要するに文化水準が凝縮されている。
 焼け残った壁画も今回最新のデジタル写真撮影されたらしい。担当された方が、「最新のデジタル機材で84年前のアナログ技術にどれほど迫れるかも挑戦でした。細部の情報まで残さず記録した1935年の技はすごいとあらためて思いました」と語られたという。
 アナログ対デジタルという視点で見るのもおもしろいかもしれない。 
 11月4日(月)
日本の素朴画展
 昨日「日本の素朴画展」(龍谷ミュージアム)へ行ってきた。
 この秋奈良国立博物館の「正倉院展」、京都国立博物館の「36歌仙絵巻展」、京都近代博物館の「円山応挙展」などなど魅力的な催しが続く。さらに京都市内の秋季特別拝観も「へえ~知らんかったなあそのお寺」が多く行きたいところだらけである。
 龍谷ミュージアムのこの催しは、円空の観音三十三応現身像(愛知県荒子観音寺蔵)があるというので見に行ったのだが、木喰の薬師三尊像・自身像(京都府南丹市蔭涼寺)もあった。
 他にも奈良絵本、大津絵、伊藤若冲、白隠、仙涯などなかなか楽しませてくれる。国立や公立の博物館では味わったことのない、遊び心に溢れた展示であった。「ゆるい かわいい たのしい 美術」というのがサブタイトルなのだが、全くその通りであった。
 中でも私が一番「ええなあ」と思ったのが大正時代の禅僧南天棒筆「雲水托鉢図」。13人の雲水がこっちに向かって歩いてくるものと、向こうに向かって歩いていく後ろ姿が一対になっている軸である。この雲水かわいくて、真っ直ぐ並んでいないでくねくね曲がって歩いている。
 円空も木喰も目立つ場所に、大切に展示されていた。「ゆるく かわいい たのしい」美術の範疇に二人の像が入っていることは名誉なことなのだなあと思った。 
4円の買い物   一昨日4円の買い物をした。
 今までで最安値の買い物だ。手紙と葉書を出そうと郵便局へ行った。手紙は2円、葉書は1円値上がりしたためだ。1円切手2枚、2円切手1枚買ったら、4円だった。
 消費税が上がったための買い物なのだが、値上がりしたことがすごく分かりやすい買い物だった。
 1円玉4枚出して、丁寧に対応してもらって恐縮した。子どもの頃近くにあった駄菓子屋さんや祭りの屋台や紙芝居やさんに5円払って買い物をしたよりまだ安い4円の買い物。今どきこんな安い買い物があったのだ。 
11月1日(金)
チャリティオークション
落札 
 京都新聞社主催のチャリティオークションが先月中旬にあった。
 日本画・洋画・イラスト・版画・工芸品・陶磁器・書など多彩である。京都らしく京都奈良の有名寺院の管長長老などの書、千家十職各家の出品もある。京都ゆかりの志村ふくみさんなど人間国宝の作品もある。
 千住博氏の版画、吉永小百合さんの色紙といった有名人の出品もあって楽しい。
 有名人の作を落札するとなると一体どのくらいするのか見当がつかない。そういう作品を落札したい人はそれ相応の相場を知っていないと手に入らないと思われる。
 今まで4回入札に加わった。5作品落札した。絵が3作品なのだが、今年は陶器入札に加わったら備前の花活けを落札できた。引き替えは11月16日。床の間に置こうかなと思っている。 
10月9日(水)
孫の七五三 
 孫の七五三に行ってきた。
 雲一つないいい天気で爽やかであった。女の子の和服姿はかわいい。千歳飴の入った袋をいただいた。いつもはよくお話するのだが、ご祈祷中もその前後も緊張しているのかずっとおすまししていた。たくさん写真を撮った。
 私自身の七五三の写真がある。五歳の時のものだ。父親と手をつないでいる。照れくさそうに立っている。神社本殿の横で撮っているのだが、あれは誰がシャッターを押したのだろう。写真屋さんかな? 
 10月8日(火)
孫が帰った
 娘と孫が自宅へ戻った。三ヶ月いっしょにいた。今日で2日目。
 「おじいちゃん、お薬のんだか」と毎食後に聞いてくれるお陰で、飲み忘れることがなくなった。腰や膝の調子がよくなった。散歩にもよく出かけたのでその効果かも知れない。
 ギターを弾いて歌っているとリクエストしてくれる。「おじいちゃん、『優しいあの子』歌って」とか「『夜空ノムコウ』歌って」とか。
 「おじいちゃん、○○しよう」「この本読んで」と誘ってくれる。返事が遅れると「おじいちゃん、おじいちゃん!」の連呼。
 お風呂に持って帰るのを忘れた石鹸箱が残っている。小さな箱にいっしょに拾ったドングリがある。彼岸の日にドングリ拾って墓に持っていった。
 9月5日(木)
散歩
 この3日、2歳半の孫と近くの北堀公園を散歩している。朝散歩するなどと言う生活をしたことがなかったのだが、何しろ孫が早起きで6時過ぎには目を覚ます。生まれたての孫や娘はまだ眠っており、奥さんは畑仕事をしている。一番閑な私が面倒を見ることになった。ちなみに夜7時すぎには風呂に入って、8時すぎには孫と寝床に入るという生活。何と健康的!
 公園まで300mの上り。それから一周1200mほどの道を歩く。途中でドングリを拾って、川に投げ込んで、「どんぐりころころ」を歌う。かたつむりを見つけたら、手遊び歌「グーチョキパー」を歌う。私はカに刺されるのだが、孫はどういうわけか刺されない。
 2日目、3日目と道で出会う人、声をかけて下さる方が増えてきた。「こんにちは」「ぼく、いくつ?」「かわいいね」「ガンバレ、ガンバレ今から走ってたら、オリンピックの選手になれるね」犬連れの紳士は「この犬も孫なんだよ」とおっしゃって下さったのだが、意味が分かりかねた。その中に「明日もおじいちゃん連れてきてあげてね」とおっしゃる方がおられた。・・・そうかオレはこの子に連れてきてもらっているのだなあと納得した。もう一人、「いいですね、内孫さんといっしょで」とおっしゃる方も。実際外孫なのだが、最近孫と三世代同居は珍しいのだ。
 今日は柔らかいボールを持って行った。孫はまだボールが投げられないし受けられない。蹴るのはおもしろいようで広いグランドを走り回ってボールを蹴っていた。    
 8月31日(土)
「山なし」を読む
 先週の土曜日にあった「国語教育夏期講座」で高学年分科会の担当だった。久しぶりに宮沢賢治の「山なし」を読んだ。6年担任していたとき、一体何が言いたいのかよくわからない教材の代表格であった。文学は「わかる」ものではなく「感じる」もので、読んでおもしろい、景色が目に浮かぶものである・・・とよく言われた。だからその読みも形象を読み取ることを重視することが大切である。
 それにしても「山なし」は私自身作品のテーマがつかめないので読みの方向が定まらない。
 この話は二匹のカニの兄弟が水底から見る景色の描写で成り立っている。
 登場人物は、正体不明のクラムボン(死んだり生きたり、消えたり表れたりする)。魚(父親は「悪いことをしている」と表する。突然その魚を襲うカワセミ。これが2枚の幻灯のうちの5月。陽が水を通して美しく描写されている。
 二枚目の幻灯は11月。夜の川の中である。二匹の子ガニは突然落ちてくる大きな物体に驚く。父親が「山なし」だと説明してくれる。その山なしを追いかけながら「もうすぐ沈んで上手い酒ができる」と教えてもらう。明日は「イサド」という街へ出かけることも語られる。
 今回読んで私が思ったことである。
 クラムボンはいきとし生きる全ての命あるものが輪廻転生することを象徴している生き物だ。五月の魚とカワセミは、弱肉強食、食物連鎖を表している。生あるものが一瞬にして死の世界へ誘われる不条理を表しているのだが、それがいかにも日常の中で行われていることを子ガニは知る。11月の山なしは、命あった「山なし」が朽ちて川に落ちてくる。つまり「死」である。しかし死んでなお存在感を失わず、カニに豊穣の酒を残し楽しみを与えている。「死」が「死」で完了するのではなく、死ぬことで生かされる世界である。
 宮沢賢治は「山なし」で死ぬこと生きることをテーマにしたのではないか。輪廻転生する私たちは死を迎えたとしても、なお活かされる世界があることに驚きと希望を持とうと期待してこの物語の題を「山なし」としたのではないだろうか。  
 8月30日(金)
電子書籍化
 もう一ヶ月前になるか、小学館から電話があって、以前(2008)に出版した「ことば遊び」を電子書籍化したいということと、それを使って授業することを許可して欲しいという依頼があった。
 もう10年以上前の出版物が役に立つのならうれしいことだと承諾した。 
 8月29日(木)
継続する志
 ゴミ袋と長いハサミを持って、私の家の前のゴミを取って下さっている方がお二人おられる。一人の方は時に800m離れた私鉄駅までの道を美しくしておられる。随分以前からお見かけする。もう一人の方は、まだお若い方で、坂道を上り下りしながら同じようにしておられる。続けておられるのに感心する。
 私など口ばっかりで、みんなのためになるようなことは何もできていない。
 大体が継続する志に欠ける。
 私のお知り合いが年に1回か2回平和を前面に打ち出したコンサートや催しの案内を送って下さる。ご自身のお父さんを戦争のために失われ平和遺族会の会員である。笠木透さんが生きておられるときから続いている。木津川マラソン大会もその人が企画の中心に据わっておられた。今年のお知らせに奥様の健康状態が芳しくないことが記されていた。返事を書かなければ…と思う。
8月12日(月)
娘の出産
 一ヶ月ほど前から、娘が二人目を出産するので家に帰ってきている。
 上の子は二歳半。口も達者になってきて色々お話しする。よく動く。家の中でじっとさせておくわけにもいかないので、何をして遊ぶか、どこへ出かけるのかなど考える。
 近くの児童公園へ二、三度連れて行く。鉄道が好きなので踏切を見に行く。自宅からJR、近鉄、京阪の駅方面へ行くと、数分ごとに電車が通る。しかし猛暑になってから、足が遠のいている。
 家の近くに児童館がある。無料で広く、乗れる自動車もあっていいのだが、小学生が夏休みになると来るので、思い通り遊べない。少し離れたところには幼児が遊べる施設がある。ここも無料で遊べるのだが人が多い。
 とにかく外は暑いので、散歩に出かけるのも熱中症が心配である。鉄道記念館、水族館、動物園なども考えるが、「暑いやろうな」で中止。
 車で15分ほどの商業施設にキッズランドがあるというので出かけた。ここは有料で入会金が300円余りで大人も子どもも1時間420円の使用料がいる。
 私も妻も、遊び、食事、おやつ、入浴、排泄、洗濯、買い物のあれこれで毎日が過ぎていく。
 今日が出産予定日だったのだが、まだその兆しはない。
 下の子が生まれたら、どんな顔するのかな?常に「お母さん、ママ」と甘えているのだが、どうなるのか、興味もあるし心配でもある。
8月9日(金)
蝉時雨 
 他の言葉が出てこない。暑い。
 家の中でエアコンかけて扇風機回している分には快適だが、一旦外に出たら38度を超す猛暑。
 一週間前孫と散歩していたら、蝉時雨。大きな木のある場所は一体何匹の蝉が鳴いているのだろうと思うぐらいの大音響。姿を見つけようとするが見つからない。やっとクマゼミの姿があった。
 一週間後の昨日、同じ道を通って児童公園へ行った。踏切とJRの電車を見に行ったのだが、セミの鳴き声が大人しい。蝉の種類がこの一週間で変わったのだろうか。
 木の根元に、蝉の死骸が転がっている。アブラゼミとクマゼミだ。
 小学生の時、昆虫採りに網とカゴを持って出かけるのだが、お目当てのカブトムシやクワガタのいる場所は特別で、子どもの私には分からなかった。よく採れてブンブン、とんぼ、いつでも採れたのが蝉だった。よくおしっこもかけられた。アブラゼミがほとんどでクマゼミは大きくて羽が透き通っていたのでカッコイイのであこがれたものだ。でも最近、アブラゼミの生息する場所は、大気汚染が進行している場所だと知り、ガッカリ。
 昨日今日のような暑い日に浴びる蝉時雨はそれはそれで似合っている。それが昨日のように、鳴き声が弱々しいと「どうしたんだろう?」と思う。
 7月20日(土)
参議院議員選挙
 明日投票である。争点も選択肢も多い。にもかかわらず投票率はもう一つらしい。所謂無党派層の大量投票が望めないのだ。その時々の風を起こすムーブメントが起こらないのだ。この時々の風が吹かない選挙はつまらない。選挙前に2ヶ所のマスコミから世論調査の電話が掛かってきた。
 京都選挙区の候補者を知っているか、誰に投票するのか、比例区は何処の党に入れるのか、現首相を支持するか、投票に際して何に関心があるかなどを、ボタンで押す。
 こう言うのを一定数やるとつまらないほど早く選挙結果が分かってしまうようで、「当選」や「当選確実」はすぐに出る。出口調査とこの事前調査で、選挙管理委員会が投票箱開ける前から「当確」を出す準備をしているのではないかと思うほどTVの選挙速報がおもしろくない。
 我々はいつのまにか「あきらめ」のいい国民になってしまった。「だれがやっても同じ」という厭世観。魅力的な個人やPartyがないのだ。相手が強ければ強いほど、弱い個人やグループは力を合わせなければ強者を倒せない。一人区で立憲民主、国民民主、共産、社民が何とか力を合わせたのはよかった。
 京都選挙区は定数2である。現職は自民と共産。そこに立憲が新人を立てた。私は思うのだが、立憲の候補者と共産の候補者が、自民を挟み撃ちするぐらいの選挙戦をしないと、この野党共闘の本気度は本物ではない。現実には共産と立憲が競ることになったとしても、二人を勝たせて欲しいと両候補の宣伝カーが訴えてこそ、現状を変えたいのだなと有権者には理解できる。
 7月11日(木)
清水三年坂美術館
 昨日、雨がふらないだろうという予報だったので、清水三年坂美術館へ行ってきた。
 場所は、五条坂と三年坂がぶつかるところから三年坂の方へしばらく戻ったところ。
 NHKの「日曜美術館」とTV東京「なんでも鑑定団」で、この美術館所蔵品が取りあげられることがあって知った。ここの所蔵品は、幕末明治の超絶技巧を誇った日本の工芸品である。七宝、金工、蒔絵、京薩摩など。TVで見ていて、「すごいなあ」「美しいなあ」「細かい細工だなあ」と思った。最初みたのは確か「ヘビ」でニョロニョロ動かすことが出来る金工細工であった。その後、並河靖之の七宝にも驚いたし、最近では安藤録山の象牙細工もビックリした。
 三年坂美術館はかわいい美術館であった。作品が小さいのだから、それにあっている。二階では「帝室技芸員の仕事」という特別展があって、並河靖之の作品がたくさん展示されていた。
 幕末から明治に、世界で行われた万国博覧会で評価を受けた日本の工芸家たちが創り出した作品の多くは、海外に出たようだ。ここの館長はそれらを蒐集されたらしい。刀剣、甲冑で培われた金工の技術はこういうところで生かされたようだ。それでも時代の流れの中でいつのまにか、忘れ去られ、工房も消えていったようである。
 京都には、江戸時代の絵画(若仲他)を多く所蔵している美術館、北大路魯山人の作品がある美術館、河井寛次郎館など特徴ある美術館がいくつかある。
 清水寺周辺は、和服姿の中国、韓国などの人々で溢れていた。幸いその人たちの関心はここには及んでいないようで(いや、日本人の関心も)ゆっくりのんびりゆったり鑑賞できる。入館料800円。月、火が休館日である。 
7月9日(火)
スタンダード 
 今、学校では「スタンダード」という言葉が席巻しているらしい。
 もとよりその意味は「標準。基準」、また、標準的であるさま。「スタンダードな形式の車」のように使うと広辞苑にはある。
 学校ではこのように使われるらしい。
 「それはスタンダードにありますか?」
 「スタンダードにないことはしないで下さい」
 これは、教科指導の内容、指導方法はもちろん、生徒指導、生活指導など学校で行われる全ての活動が、「スタンダード化」していることを意味している。文科省、教育委員会がスタンダードを決める。それに沿って各学校ではしかるべき会議研修会を経て、「スタンダード」が決められる。
 「学習指導要領」というものが決められていて、教育内容はこれで規定されている。これに様々な縛りが様々に付け加わる。モデル実践も提示されて、行き着いた先が「スタンダード」なのであろう。
 こんな例が指摘されていた。教室移動時には「教師が先頭に立ち、2列で私語は慎み音を立てずにあるく」。「プール入場時は列を乱さず、私語を発せず、静かにシャワーを浴び、決められた場所に迅速に座り、教師の指示を待つ」「教化指導法では、①問題提示②グループ討議③代表発表④全体討議⑤全体確認」などということが決まっていて、それにそった指導案を立て、研究授業に臨むらしい。もちろん、「文集作り」「学級通信作り」などはスタンダードにないため「スタンダードにない」という理由で、発行禁止になるらしい。
 私が務めていたここ5年程前には、まだ、プール指導で最後は「自由時間」というのがあって、ロングビート板に乗ってみんなが、大歓声をあげ、それが水泳指導の一番楽しい時間だった。今は自由時間はスタンダードから消えたらしい。しばらく前にのプール指導時の児童死亡事故以来ロングビート板は学校のプールからなくなったと聞いた。児童の安全確保とか集団の秩序は当然大切だ。しかしどんどん「スタンダード」を重視する学校が増えることが、子どもが学校に魅力を感じることに繋がるのであろうか。
 30年前勤務した学校の校長は、教職員を前にこうおっしゃった。「みなさんは、それぞれに個性的な魅力や力量を持っておられる。存分にそれを発揮して仕事をして下さい」その頃も、学級崩壊、反社会的行動などの「荒れ」が問題になっていた。しかもその「荒れ」は病理的な側面を抱え、単純に経済的理由とは言えない「内面的な寂しさ」を抱えていた。
 不登校、引きこもり、発達課題、いじめ、自殺などますます子どもの問題は「規律」や「スタンダード」で律しきれないところへ進んでいる。
 その時期に「スタンダード」で乗りきれるほど問題は単純なのであろうか。   
 6月22日
スマホの使い方
 スマホに変えて約1年。使いこなせない。電話かけたりメールを送ったりは何とかできる。しかしスマホで買い物したり決裁したりはできない。何かを調べるのもパソコンの方がなれていて速いので、余程のことがないと使わない。「ヘイシリー」と読んで聞いたら応えてくれるという機能を使うが、とんちんかんで要領を得ない。
 先日、電車に乗っていた。隣の若い女性が、スマホの画面を見ながら髪を触っている。鏡代わりにしている。なるほど、画面が真っ暗で、まるで銅鏡のように写るのだ。新しい使い方で、これなら私も使えそうだ。
 そんな話しをしていたら、ある方が「ぼくは、懐中電灯代わりにしている」とおっしゃった。夜中に灯りがつくので便利だと。これも使えるなと思った。本来の最先端の使い方はさっぱり分からないのが情けない。 
 6月20日(木)
佐渡
 最大震度6強の地震速報が18日夜10時22分から各局とも報道し始めた。
 現場の映像がないためアナウンサーは同じ原稿を読み続けた。新潟や山形はすでに津波が到達していて、佐渡はまもなく到着するので、すぐに高台や少しでも高い場所に避難してくださいという内容であった。映像がない分、頼りないと同時に不気味でもあった。
 実は6月8日~10日まで佐渡にいた。全国木喰研究会主催「佐渡木食遺作見学ツアー」に参加していた。佐渡は初めてであった。名古屋の先生やお仲間といっしょに参加したのだが、何分名古屋までの道のりが遠く、10日(月)後半見学予定の木食仏は拝観できなかった。三ヶ所ほど見学できる予定だったのだが。
 佐渡の木食仏は初期に属するもので、あの独特の「微笑仏」ではない。
 佐渡という場所にも興味があった。私が佐渡に興味を持った順に思い出してみると、佐渡おけさや佐渡情話など民謡や歌謡曲の影響がある。時代劇などで出てくる「島流し」「金山」などのことばからのイメージがある。その後順徳上皇、日蓮、世阿弥なども流されたことを知る。時代劇に出てくる「流人」は手に入れ墨を入れられて、二度と本土へ戻れない人達であるというものであった。
 今は「朱鷺の島」「金山の島」というのが観光の目玉になっているようだ。キラリウムという施設が今春開館した。「佐渡金山」を映像などで紹介している。江戸幕府を支え、ヨーロッパに多大な影響を与えた金銀山発掘というのがアピールポイントであった。
 では、私が持っていた罪人や無宿人が流され、金銀山発掘に強制的に従事させられたというイメージは間違ったひどい情報なのだろうか。平成初年に閉山になったらしいが、採算がとれなくなったことが原因のようである。鉱毒の問題はどうだったのかなど、気になった。
 それにしても佐渡に人がいない。シャッター商店街が連なり、国道に空き家が目立ち、人が、とりわけ子どもがいない。そこを津波が襲うと言うニュースに無事を祈った。
5月16日(木)
なら仏像館 
 奈良国立博物館の旧館は明治に建てられた近代建築で重要文化財に指定され、今「なら仏像館」という名前になっている。本館の特別展は毎年行われる「正倉院展」で時々足を運んでいたが、藤田美術館展のついでに、なら仏像館にも足を運んだ。特別展のチケットで入れる。
 2014年から15年にかけて改装された後はどうなっているのかしらなかったのだが、素晴らしい。飛鳥時代から各時代の名品がずらり並んでいる。
 昭和4年頃、興福寺の阿修羅像、天燈鬼、竜燈鬼、無着世親像、法隆寺の百済観音、秋篠寺の伎芸天、東大寺釈迦誕生仏、聖林寺十一面観音等々今国宝や重文に指定されている奈良を代表する仏像は廃仏毀釈で行き場を失って、奈良帝国博物館に寄託されてのだそうだ。その後各寺が独自に国宝館などを建てられるようになって、帰っていったのだという。
 それでもなお今も残る名品の数々に驚いた。美しい像も迫力のある像もユーモラスな像も多数あった。当麻寺の山内西南院の尼藍婆、毘藍婆像に一番興味をもった。
 これは写真がないかとミュージアムショップへ戻った。旧館と新館を結ぶ通路にある。「なら仏像館名品図録」と「みほとけのかたち」2冊買った。2冊とも奈良国立博物館の出版である。オールカラーで150頁を越える本である。この本、何と千円であった。正直ビックリした。文庫本は別にして、近頃出版される本で千円という価格の本、しかも中身の濃い本があることに今も驚いている。いい本に出遭った。
 薬師寺に行く度に国宝「八幡三神座像」はどこにあるのだろうと思ってきた。平安時代の作でとりわけ神功皇后像が美しい。彩色も見事で、一度実物を拝観したいと思ってきたのだが、やっと分かった。奈良国立博物館に寄託されていたのだ。「名品図録」で分かった。今回は見られなかったが、次回行った時に聞いてみようと思う。
5月15日(火)
藤田美術館展 
 奈良国立博物館で開催中のこの美術館展、よかった。
 国宝9点を含み重要文化財が多数あった。ジャンルも広く個人(三代)がよくこれだけ集められたと感心すると同時にその財力に驚く。廃仏毀釈後続々と外国へ流失する日本文化の粋を瀬戸際で食い止める役割を果たされたのだなと思いつつ、きっと楽しかったのだろうなと思った。
 この展覧会の目玉は「曜変天目茶碗」である。一時間以上待たなければならない長い列が博物館内で出来上がっていた。私は若いころに「茶陶」という本で油滴天目茶碗の宇宙の星雲を思わせる文様に心奪われた。藤田美術館の「曜変天目茶碗」はその中でも最高に美しいと思った。あこがれの茶器に会えた。
 会場出口付近に記念撮影用のパネルがあった。2m近くに大写しした「曜変天目茶碗」といっしょに写真を撮るという企画である。写真を撮ってきた。しかし本物をいろいろな角度から撮れたらまた違った魅力が見つかるかも知れないなと思った。
 他に、快慶作「地蔵菩薩立像」「玄奘三蔵絵」など見ごたえがあった。
4月30日(火)
10連休 
 平成。令和、天皇、皇后の番組で、連日お祭り騒ぎである。
 そう言う中でお茶の水女子学園中等部に侵入して包丁二丁を銛のようにした凶器を皇位継承第三番目の未成年の机に置いて立ち去った犯人とおぼしき人物が捕まった。早い、捕まるのが。最近は各所に設置されたビデオをつなぎ合わせた情報で容疑者の足取りを追えるそうで、今回もそれが活躍したらしい。渋谷のハロウィン事件で軽乗用車を壊して暴れた数名の人物もこのシステムで後を追い、住所まで特定し検挙したのだそうだ。 
 4月28日(日)
一遍聖絵と時宗の名宝展
 膝痛はましになった。まだ正座は出来ないが歩くのに支障はなくなった。
 腰痛がひどい。脊椎が滑っていて狭くなり、血管や神経を圧迫しているのが原因らしい。上り坂を100m歩いたら骨盤付近と脊椎周辺がだる痛い。
 腰と膝が痛いと歩くのが億劫になり、何か運動しようかという気持ちにもならない。悪循環で運動しなければ治るものも治らないと思いはするのだが…。
 柔軟体操や散歩とか水泳がいいらしい。外へ出なくなった。このままパソコンやTVの番をして弱っていくのは願い下げだ。
 これではならじと、昨日京都国立博物館へ「一遍聖絵と時宗の名宝展」へ、自転車で出かけた。すっかりタイヤの空気が減っていて、自転車屋さんまで押していった。国立博物館まではJRの駅で3駅ぐらいの距離。肌寒かった。
 「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」キャンパスメンバーズ向け講演会を聞くことが出来た。一遍聖絵を大きくUPして説明があるのかと期待していたら、白黒のコピーをもらってそれを見ながらのお話しであった。「二河白道「と「お札配り(賦算)」「念仏踊り」「熊野詣」「善光寺詣」など断片的に聞こえてくる言葉を聞きながら寝てしまった。
 その後、ゆっくり見て回った。最近の企画展では珍しくガラガラである。私が一番知りたかったのは、法然、親鸞と続いた鎌倉浄土教の流れの中で、一遍はなぜ熱狂的に支持されたのかであったが、さっぱり分からなかった。きっと絵巻の詞書きが読めないことに関係するのだろう。行基や空海は民のために土木工事をしたり、病気を治したりする。空也は疫病で亡くなった人々を弔って都を歩きまわった。一遍は謎のままである。
 夕方5時から「春のコンサート」があるというので、また講義室へ行った。大阪のお医者さん主催のコンサートのようだった。広島交響楽団のコンサートマスターのバイオリン、大阪芸大演奏学科要員の方のチェロ、主催者の医院でケアマネをしておられる方のピアノに、ご本人の歌(バリトン)とチェロという編成で、13曲聴かせてもらった。ゲストという形で他のピアニストと小学生ダンサーも参加しておられた。
 久しぶりに自転車に乗って、講義を聞いて、展覧会を見て、音楽聴いて…寒くて疲れて帰ってきた。日没がきれいだった。
4月23日(火)
春全開 
 梅に鴬というが、梅にメジロはよく見るが鴬は花札でしか見たことがない。私の家の近くで鴬の声は聞く。立ち止まって探すがめったに見つからない。一度だけ姿を追ったことがある。カメラを持っていたので、何とかとろうと努力したが徒労に終わった。何しろ動きが速く、落ち着きがない。それ程色が美しいわけでもない。
 しかしあの鳴き声は天下一品。昨年秋に畑に巣箱を設置した。春になったら何か巣作りをしてくれないかと楽しみにしているが何の気配もない。鴬なら最高だなと思っている。
 遅咲きのあつものの桜が満開。藤も咲いた。牡丹が咲き始めている。アイリスも美しい。暖かくなってきて、一気に春が全開だ。 
4月14日(日)
近畿作文の会大会 
 昨日京都で近畿作文の会研究大会が開催された。午前中は全体会であった。
 噺咲屋達郎さんの紙芝居「りょうめんすくな」を見せてもらった。達郎さんは私の元同僚で、児童文化研究をしてこられた。今プロの紙芝居師として活躍の場を広げている。円空縁の両面宿儺を楽しく拝見した。
 その後、座談講演会をした。堺市の安井小学校で学校あげて作文教育に取り組んできた勝村謙司さんのお仕事から学んだ。勝村さんのお仕事は、朝日新聞大阪版で連載紹介された後、「こころの作文」(かもがわ出版)というタイトルで出版されている。1年間取材のため教室に入った宮崎亮記者、神戸大学大学院川地亜弥子准教授にも加わっていただき私が司会進行を担当した。
 修学旅行にも同行したという宮崎記者は教室の中で子ども達が「忖度ではなく以心伝心で繋がって、仲間を受け入れようとしている姿」を報告しておられた。忖度は力のあるものの意にそって自分の意思決定を変更することであり、以心伝心は、両者(この場合教師と子ども、子どもと子ども)が同じ心意気である点で全く違うという説明に感心した。
 川地准教授は勝村さんの仕事は「書く」ことも大事にしているが、「読む(聴く)」ことに特徴があることを論じ現代教育におけるその大切さを論じながら、授業や子どもの接し方の臨機応変さに言及された。
 勝村さんの子どもに対する愛おしいという想いと、どの子も決して見捨てないという信念が伝わる座談講演になった。
 午後からは分科会に別れて近畿6県からのレポートを学び合った。  
4月6日(土)
期日前投票 
 明日早朝に出て遅く帰ってくるので、期日前投票に行ってきた。
 市・府議会議員の投票である。空いていた。前回行ったときは大勢の方が投票に見えておられたし、マスコミ各社も数社いて賑やかだった。投票終えてエレベーターに乗ったら、何時も期日前だという方が、「やっぱり国会議員選挙に比べたら少ない」と言っておられた。逆のように思うのだがそのようである。身近な問題に候補者がどう取り組んできたのか、これからどう取り組むのか詳しく聞きたいのだが、選挙カーは名前の連呼しかしない。
 「総理と副総理の事業だ」「それを忖度して国の事業にした」と発言した国交省副大臣が辞任した。さすがにアウトだと与党内からも意見が出ての辞任劇が昨日。
 こういう「忖度政治」「利益誘導政治」が蔓延って歪んでいる。利益誘導で票を欲しいものと与えるものがいるから悲観的になる。
 私の今住んでいる地域は、交通機関から離れている。JR駅、私鉄まで徒歩15分かかる。買い物に出るにはさらに時間がかかる。私の家から坂道を10分以上登ったところにも住宅街がある。数年前からコミュニティバスを走らせて欲しいという要望が出ている。市会で取りあげた議員もいるが、「赤字になるのは明らか」「一体誰が利用するのか」「道路が細くて駅が作れないし、走らせることもできない」など否定的な意見で話が進まない。「どこを走らせるのか、どこに駅を設けるのかの計画案を出せ」という逆ギレ意見も出ているらしい。住民側からは「このまま推移すれば、数年後私たちの年齢のものは、暮らせなくなる。今は電動自転車とバイクや車に乗れるから住んでいられるけど、しばらく経ったら…」という声が上がっている。全くその通りで、私も例外ではない。
 伏見中央図書館の狭さ展示本の少なさも問題だろう。私は比較的よく利用する方だが、いつも本を読むスペースは満席である。同じ伏見区でも醍醐図書館は立派である。深草や久我の杜には小学校の図書館と共有している図書館がある。文化観光都市京都を標榜しているにしては貧弱だと思う。
3月29日(土)
火を燃やす 
 畑に妻が地域のエコグループの方から教えてもらった「ロケットストーブ」がある。もし災害などが発生したときに、コンロ代わりになるという。。
 ここ3日間、畑で出た枝を燃やしている。やっぱりコツがあって、火が消えないように工夫しなければならない。これがなかなかおもしろい。
 NHK『美の壺』で家の中に炉を切って囲炉裏を楽しんでいる人々を紹介していた。今になれば優雅でお金のかかる趣味だ。そんなことはできないけど、ロケットストーブを使って何かできないか考えてみようと思う。ます焼き芋はできそうだ。これから初めてみることにする。 
3月22日(金)
麻雀 
 私の母がお世話になっている介護施設では、ホールを地域に開放されている。
 土曜日は、民謡や詩吟教室が行われている。第1木曜日と毎週月曜日、土曜日は喫茶が開かれ、1杯100円でお変わり自由である。私は喫茶のある日の第1木曜と第3月曜日11時からギターを持って歌を歌いに行っている。一応ボランティアということだが、下手くそな歌とギターを聞かされるのは迷惑千万に違いない。でも毎回10数名多いときは20名を越える方がお越し下さる。童謡唱歌、田端義夫からビートルズ、三橋美智也、春日八郎からAKB48、いきものがかりや福山雅治、何でも歌う。私も楽しんでいる。
 ある日曜日昼頃に行ったら、ホールで何か催しをしておられる。何をしておられるのかと思ったら、20人以上の方々が麻雀に興じておられた。大学生になった頃、高校時代の友人に誘われて1,2回麻雀をしたことがある。しかしその後全くしたことがなかった。なるほど、麻雀は年配のものが集まりやすい。それで思ったのだが、齢を重ねると付き合いが疎遠になる年配の者も、麻雀を通じて集まれば長く続けられそうだ。
 今から麻雀を学ぶことにした。昨日親戚のベテランに教えてもらった。面白そうだ。どういうわけか家に麻雀パイはある。 
3月3日(月)
100万アクセス
 
 今日中にアクセス数が100万に達しそうである。午後4時にカウンターが999949をカウントしている。HPを開設してから16年半。よく飽きもせずに続けてきたものだ。
 今の関心事は、このカウンター100万になったら0000000に戻るのかどうかである。掲示板や私自身のメールアドレスを公開していた頃は、見てくださっている方とのコミュニケーションがあって、それはそれでおもしろかったのだが、変なメールや困った書き込みがあって消した。最近はスマホを使ってフェースブックなど、情報発信の方法も多様化した。今更違うもので自己表現する気もないので、このまま続けようかと思う。
 先日、今は28歳になっている教え子と遭った。「先生のHP、『ご連絡下さい』って書いてあるのに、連絡先が書いてない」と笑われた。確かにHPに掲示板やメールアドレスなどの情報があった頃の名残だなと、帰ってきてから消した。
 「ぼちぼちいこか」…始めた頃は自戒の言葉だったのだが、 本当にぼちぼちいかないと危ない年齢になってきた。
 これからも時々アクセスいただけるとありがたく存じます。
 2月26日(火)
北野天満宮
 久しぶりに天神さんへ行ってきた。すごい人出であった。観梅と合格祈願(学問成就)と露店、それに周辺の有名店(和菓子など)様々な物が目当ての人出である。
 昨日は、近くにある花街北野の芸者さんの姿も見られた。ぶらりぶらりと歩いた。
 弘法さんと並ぶ天神さんの出店は、最近始まったフリーマーケットのスケールではない。食べ物の店、ゲームの店、衣料品の店、道具屋さんの店、陶器の店、工芸品の店、花屋さん、植木屋さん、とにかく古い雑多なものを商う店等々が軒を接して品物を並べている。
 中に自分の作品を並べている店があった。板に猫相が悪いふてくされた猫が描かれている。そして一言「何か?」などと一言書いてある。達筆だ。「日本語が上手く話せません」と書かれたものを手にとって、大笑いしながら外国人の若い女性が写真を撮っていた。高額な大きい物で1万円。すずめとお地蔵さんの絵柄の物もあった。心が動いたが我慢した。買って帰っても「どこに飾るの?」と言われるに違いない。
 もう一軒。動物の小さい木彫り(表面つるつる)を売っている店があった。こういう店ではカバを探す。いた。リアルなモノではなくデフォルメした。印象としてはカバといえばカバ、個性がない。でもカバだと分かると買ってしまう。800円。
 梅はまだ五分咲きか。今週末ぐらいが最高か。
 膝と腰が思わしくないので、境内の牛の膝をさすってまわった。 
2月20日(水)
ノーベル平和賞 
 仕事の性格上この賞の一番近くにいて、チャンスがあるのは政治家だろう。が、なかなか該当する人物は出てこない。それは政治家のやることの評価が万人を納得させるものにはならないからではなかろうか。
 アメリカファーストのトランプ氏は正直で、そのものズバリのことをするから、相手の国の人々や世界の非難をまともに受ける。「人類愛」「博愛」に基づく政策を行う政治家ならいざ知らず、対極にあると思われるトランプ氏が我が国の総理大臣から推薦されたことを公表した。「日本の上空をミサイルが何度も飛び、核兵器の脅威にさらされていることから救った」のだから日本に感謝されている証だという意味のコメントだった。
 あれ?そうだったっけ?アメリカ本土へ北朝鮮のミサイルが届くだけの性能を持っていることが明らかになってアメリカが慌てて交渉を促進させたのではなかったっけ。日本のためだった?
 日本の安倍首相が本当に感謝しているのなら正々堂々と国会で認めればよいのだが、推薦したともしてないとも言わないのは、どういうことか。推薦状数枚の紙切れでトランプが喜ぶなら安いものだと思っているのだろか。
 私が、トランプ氏ならこう思うだろう。「安倍は、本当は俺のやっていることをノーベル平和賞にふさわしいなんて少しも思っていない。それよりトランプから頼まれたから、今世界の先陣切って推薦状送れば、点数が稼げる。それで俺がいい気分になって、日本に対して貿易問題でも、北朝鮮問題でも、少しでも日本のためにやってくれると期待しているのだろう」
 戦後ずっと日本はアメリカの「ポチ」だと思われ子分いや家来扱いのままだ。防衛や経済の多くををアメリカに依存し続けている限り従属関係は解消することは難しかろう。対等平等に尊敬し合う関係になった暁にノーベル平和賞に推薦しては如何であろうか。
 拉致家族会の方々と昨日会談されたというニュースもあった。安倍首相はトランプ氏と電話会談で、拉致問題を取りあげてもらい、自身の考えを伝えてもらうという話をすると約束していた。人に頼まずに自ら乗り込んでいく気はないのか。拉致家族の方はそう思っているのではないか。安倍首相になって長い。今年中に最長の総理大臣になるらしい。自ら拉致問題を最初から取りあげてきたと自負する安倍首相も歯がゆかろう。ポチがしっぽ振ってるいや~なイメージが増幅したニュースだった。  
 2月10日(日)
近畿作文の会大会
in京都
 作文教育は、文を書くことそしてクラスの友達が書いた文を読み合うことで成り立つ教育活動である。書きっぱなしではだめで、それを読み合い感想を言い合って、集団の中で書いた本人が「書いてよかったなあ」と思えることを目ざす。また、人として分かりあうことも目ざす。いじめ問題、不登校問題など今子どもの内面を探る方法が模索されている時代だからこそ大切にしたい実践だと言える。
 当然だが、誰が書いた作文なのかはとても大事なことになる。しかし名前が明らかになることで書いた本人や関係者が不利益を被ったり不当な偏見の目にさらされることの無いように、十分な配慮がなければならない。
 最近作文教育の研究会で管理職(校長・教頭)から「名前は出さないと職員会議で言いましたよね」と指導を受けたという報告があった。学校全体で保護者からのクレームなどの問題発生を未然に防ぐために、子どもの作文に名前は出さないという命令が出されているというのである。また、作文の内容によっては、ストップがかかるという。それほど保護者との関係にナーバスになっているとも言えるのだが、子どもや保護者の人権を守るという観点より、トラブルになりそうな種を除去するということに力点があるようだ。
 この20年間に、教室で発行される文集や学級通信に、色々規制が加わった。まず発行するまえに「事前決裁」を受けるようになった。発行責任者は担任の名前ではなく、校長の名前にするようになった。これは一見すると教師を護ってくれているようにも見えるが、教師の自由や創意工夫を縛ることにもなる。その結果どんなことが進行したかというと…。
 学級の文化活動としての通信や文集は、中身の薄いお知らせ中心の面白くないものにならざるをえなくなり、画一化していった。足並みを揃えることが強調され、学級独自の発行物は出しにくくなった。
 作文教育は、日本独自の教育方法で世界に誇れるものだと思うのだが、昨今の規制は教師を萎縮させている。
 担任教師のみなさん、自ら規制を作ることなく、子どもの表現を楽しまれたらどうでしょうか。子どものかわいらしさや健気さに気付くことから教育は始めたいものだと思うのです。
 4月13日(土)10:00~16:00 第30回近畿作文教育研究大会を開催します。
 場所は京都教育文化センター。参加費1000円。全体会は「座談による講演」『綴り、読み合い、育ちあう子どもたち』。昨年出版された「こころの作文」(かもがわ出版)の著者である勝村謙司さん(大阪綴方の会)、宮崎亮さん(朝日新聞記者)、川地亜弥子さん(神戸大学大学院准教授)、コーディネーターは、私小宮山繁です。午後には分科会。ぜひ。
1月31日(金) 
横綱審議会会長の意見
  玉鷲の優勝で終わった大相撲。貴景勝は豪栄道に千秋楽敗れて大関昇進の話はなくなった。
 横綱審議会会長の今場所をふり返ったコメントを読んだ。稀勢ノ里はよくやった、鶴竜、白鵬は大きなケガをしたように思えなかった。という内容だったようだ。要するに鶴竜、白鵬はもっとやれるのに途中休場して横綱の勤めを果たしていないのではないかということであろう。それに比べて、稀勢ノ里は限界までよくやったという評価のように読み取れた。私も鶴竜や白鵬が休んだとき、早いもん勝ちで休んだ方が恥をかかずに済むから休むんだろうなと思った。
 しかし、どうもモンゴル出身の横綱と日本出身の横綱で差を付けているようでどうもいただけない。稀勢ノ里には大甘で、白鵬や鶴竜には直言すぎないか。
 それより、2人の横綱の力が落ちてきていることの方が深刻なのでは無かろうか。勝ってもサーカス相撲だし、負けるときが脆すぎる。稽古場では圧倒的に強いらしいが、稽古場と本場所では作戦の立て方が違うだろう。御嶽海のように稽古場では全く力を発揮しない関取もいるようだ。
 若い力士にはチャンスだ。貴景勝、御嶽海、北勝富士、阿武咲、豊山、竜電、阿炎。もうベテラン中堅の玉鷲、碧山、妙義龍、千代の国、遠藤などなどが抜け出して優勝争いを引っ張り出したらおもしろいのになあと思う。宇良が幕下でまたケガしたらしい。心配している。
1月28日(月)
スポーツ中継と嵐 
 先週は色々なスポーツ中継があった。
 まず、相撲が盛り上がった。横綱は全員休場。大関は3人中1人休場。出場した2人も勝ったり負けたりで頼りないことこの上ない。それでも何とかなるのだからさすがは大相撲なのだろうが、なんか騙されたような気がする。玉鷲と貴景勝、途中休場の御嶽海の活躍がなかったら散々だっただろう。
 テニスの錦織圭はすごかった。最初から綱渡りの勝利の連続でそれはそれで感動ものだった。勝ち抜いたそのメンタル面の強さに驚いた。大坂なおみの全米に次ぐ全豪優勝は快挙である。しばらく大坂なおみ時代が続く予感がする。これからも楽しみだ。いつか錦織がナダルやジョコビッチを抜いて世界一になってくれればもっと盛り上がることだろう。
 サッカーは正直期待外れである。試合がおもしろくない。点を取り合うわけでも、圧倒的に勝つわけでもなく、明らかに格下相手に苦戦を強いられている。解説者だけが、勝ってよかったと大騒ぎして、アジアで勝つことの難しさを語り(何十年同じ事を言うのか)あんなおもしろくもない試合でファンが増えるのだろうか。点をとる選手がいない。どっちみちとれないのなら、もっと若い選手を起用すればどうか。ドリブルでボールをとられる堂安、テクニックを披露しようとして相手に見抜かれている乾、得点に絡めない南野、もっと解説者は「何しているんだ、交代させろ」と言えばいいのに、何も言わずに褒める。何がいいのかさっぱり分からない。
 大阪女子マラソン、福士復活が大きなテーマのようだった。しかし途中で倒れケガをした。顔と両膝から出血していた。大事な選手なら素早く対処すべきだった。
 スキージャンプの小林選手が大活躍している。しかし日本では表彰台に上がれなかったようだ。高梨沙羅選手は今季は金メダルが取れない。2年前の快進撃は影を潜め、昨年のオリンピックで銅メダルがやっとだった。
 一世を風靡してもその期間は短い。世間はすぐに忘れる。衰えるとさっと波が波がひいていく。
 「嵐2020年末活動休止」のニュースが飛び込んできた。ファンでもないし1曲も彼らの歌が歌えない私にしたら、どうでもいいニュースなのだが、すぐに止めないで2年もの間「やめるぞ、やめるぞ」と言い続けるのはどういう気分なのだろう。それぐらい仕事が詰まっているということなのか「止められない事情」があるのか。かわいそうになあ、いっしょにいたくないのかもしれないのだとしたら。  
 1月26日(土)
大相撲
 稀勢の里が初日から3連敗したことで、八百長ではないことが証明されたのは皮肉だった。綱渡りみたいな相撲の大横綱白鵬。それでも全勝でさすがだと思っていたらまさかの3連敗で、優勝争いは玉鷲が単独トップの2敗。白鵬の負けっぷりが力のかげりを証明している。鶴竜も休場でいつ引退してもおかしくない状況だ。
 御嶽海は膝のケガで今場所はもうだめだろうと思っていたら、復活して3連勝で勝ち越した。昨日も勝った後、しばらく動けないようで足を引きずっていた。あと2日再起不能の大けがにならないことを祈るばかりである。
 貴景勝は急速に力を付けて勝っている。押し相撲の人は馬力はあるが安定感に欠ける。長く相撲を取り続ける人は四ッ相撲だ。転換期が来るのだろうがどうするのかな?貴乃花親方ははやまったなあと思う。弟子が大活躍するのが少し遅かった。  
1月10日(木)
円空の和歌
 
 昨日、名古屋市市民活動推進センターでガンダーラの会主催の「円空講座」があり、参加してきた。午後からなので新幹線を使わず、在来線で行った。京都から米原、米原から大垣、大垣から名古屋という快速を乗り継ぐ。2時間45分かかる。新幹線なら40分余。
 この2時間45分が楽しい。読書に専念できる。行きは何か円空に関する読み物を持っていく。米原過ぎると伊吹山が見える。米原からしばらく車窓から伊吹山を眺める。円空に会いに行くぞという気分になってくる。帰りは自由に読みたいものを読む。
 「円空講座」は初参加で、会場不案内だったものだから、通常10分で辿り着けるはずが40分以上ウロウロしてしまった。膝が不安定で時々「ピクッ」と痛みが走った。
 円空の「酒」を歌った和歌6首が取りあげられた。原文写真が資料で配付されたのだが、古文書独特のくずし字である上に、当て字も多い。円空の文字はクセがあって上手でない。読みにくいことこの上なく、まず読み下すのが難しい。その上神仏を称えるものが大半で、おもしろ味に欠ける。一度読んでみようかと試してみたが、早々に退散した。
 しかし、逆に考えると、円空の信仰と造仏の基調になるものを考察するのに残されている1600首は貴重であり、不可欠なものの1つになる。
 講師の小島梯次円空学会理事長の説明を聞きながら、原文と読み下された文を読み比べ、その歌意を探っているうちに分からなくなるの繰り返しで、時間が経過した。
午の年 泉能(の)酒越(を) 汲上て(汲み上げて) 我皇能(の) 春のいさ三(み)に 
 例えばこの歌だが、こう読めるようになるのがまず一苦労である。次に意味を考えるのだが、「午の年に泉の酒を汲み上げて、我が天皇は春をいざ見に行こうとしておられる」ということと「午の年に泉の酒を汲み上げて、我が天皇は勇み立っておられる(ますますお元気だ)」が二つを併せているように思う。つまり「いさ三(み)に」を「いざ見に」と「勇みに」の掛詞ではないかと思ったのである。
 「酒」を歌った円空の和歌が今回のテーマであったが、「神」「泉」「御神酒」との関係で歌われていた。自分が酒に酔っぱらっていい気分になっている円空は想像できなかった。泉の水を酒と比喩的に表現しているように私には思われた。和歌を詠っている時の円空は他人からの評価は別にして、和歌が詠める自分の世界を楽しんでいるように思う。
 円空の歌集「けさ百首」が「古今和歌集」を本歌取りしているというのは有名な話だがそういう楽しみ方ができるぐらい和歌を学ぶ意欲があったということになる。
 2,3月と講座は続く。「恋」「季節」を取りあげられる予定。  
1月7日(月)
特定検診

 
 今年度の特定検診が1月中であることを知らせてもらったので、行ってきた。
 本当は人間ドッグに入ってしっかり調べた方がいいのだが、どうも億劫だ。来年は申し込んでと毎年思うのだが、電話をかけて予約するのが面倒で、胃カメラやバリウムを飲んでひどい目にあったことがあるので躊躇してしまう。
 幸い病院は混んでなくてすぐにしていただけた。「尿を採取します」と言われたのだが、出がけにしたばかりで「出そうもない」と言ったら、「おられる間に」という返事。大丈夫かなと思ったが何とかなった。
 実はこの数週間何を食べてもおいしくないし、食べる量も減っている。食欲が無く胃が重い。それも診てもらいたくて特定検診にかこつけて行った。ひょっとしたらと思って、今飲んでいる膝の薬の成分表示してある資料を持っていった。大当たりで、膝を治す薬は胃を荒らすようで、その治療薬もいっしょに服用しているから大丈夫とのことであった。ひとまず安心したのだが、膝の痛いのも辛いが、食欲が無く食べ物がおいしくないのもおもしろくないものだ。
 そう言えば、膝のお医者さんが薬の説明してくれたとき「痛み止めと、胃潰瘍に効く薬云々」と言っておられた。私は膝の炎症を抑える薬と胃潰瘍の薬は同じなのかと思ったのだが、とんでもない誤解であった。
 早く膝が完治して、食べ物もおいしく頂きたいものだ。   
1月1日(火)
再生
 去年の正月に、自分は元気でもいっしょにやってるテニス仲間が元気でなかったらテニスも続けられないと言うことを書いた。この時、自分の膝がいかれて、自分が仲間に加われなくなるなんて思ってもいなかった。まさか自分の体に変調が来るとは。
 去年1年間でいくつもあれ?ということがあった。髪の毛が白くなり、ボリュームがなくなり透けてきた。頭の中も物忘れが激しい。クイズ番組を見ていると言葉が出てこないのにガッカリしてしまう。。
 坂道を歩いていると股関節と腰が痛くなってきて何度も休憩して腰を叩かなければならない。歩くのが遅く、みんなに抜かれてしまう。
 膝痛のおかげで筋力の低下、柔軟性のなさを痛感した。
 自分の老いや痴呆エピソードを笑っていられる間は、余裕があった。どこかでまだまだ大丈夫だと思っていたが、深刻になってくると笑えなくなる。ブレーキとアクセルの踏み間違いという老人の交通事故がニュースになると、私は何才で自動車運転を止めることになるのだろうと考える。自動車の安全技術の向上はめざましい。車の買い換えを勧められた。今度が最後になるであろう車だなと思う。
 今年は再生の年にしなければならない。   
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