かばのしっぽ日記
2019

かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。 
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレって」と、思う今日この頃であります。
月・日・曜日・題名 内                        容
2月20日(水)
ノーベル平和賞 
 仕事の性格上この賞の一番近くにいて、チャンスがあるのは政治家だろう。が、なかなか該当する人物は出てこない。それは政治家のやることの評価が万人を納得させるものにはならないからではなかろうか。
 アメリカファーストのトランプ氏は正直で、そのものズバリのことをするから、相手の国の人々や世界の非難をまともに受ける。「人類愛」「博愛」に基づく政策を行う政治家ならいざ知らず、対極にあると思われるトランプ氏が我が国の総理大臣から推薦されたことを公表した。「日本の上空をミサイルが何度も飛び、核兵器の脅威にさらされていることから救った」のだから日本に感謝されている証だという意味のコメントだった。
 あれ?そうだったっけ?アメリカ本土へ北朝鮮のミサイルが届くだけの性能を持っていることが明らかになってアメリカが慌てて交渉を促進させたのではなかったっけ。日本のためだった?
 日本の安倍首相が本当に感謝しているのなら正々堂々と国会で認めればよいのだが、推薦したともしてないとも言わないのは、どういうことか。推薦状数枚の紙切れでトランプが喜ぶなら安いものだと思っているのだろか。
 私が、トランプ氏ならこう思うだろう。「安倍は、本当は俺のやっていることをノーベル平和賞にふさわしいなんて少しも思っていない。それよりトランプから頼まれたから、今世界の先陣切って推薦状送れば、点数が稼げる。それで俺がいい気分になって、日本に対して貿易問題でも、北朝鮮問題でも、少しでも日本のためにやってくれると期待しているのだろう」
 戦後ずっと日本はアメリカの「ポチ」だと思われ子分いや家来扱いのままだ。防衛や経済の多くををアメリカに依存し続けている限り従属関係は解消することは難しかろう。対等平等に尊敬し合う関係になった暁にノーベル平和賞に推薦しては如何であろうか。
 拉致家族会の方々と昨日会談されたというニュースもあった。安倍首相はトランプ氏と電話会談で、拉致問題を取りあげてもらい、自身の考えを伝えてもらうという話をすると約束していた。人に頼まずに自ら乗り込んでいく気はないのか。拉致家族の方はそう思っているのではないか。安倍首相になって長い。今年中に最長の総理大臣になるらしい。自ら拉致問題を最初から取りあげてきたと自負する安倍首相も歯がゆかろう。ポチがしっぽ振ってるいや~なイメージが増幅したニュースだった。  
 2月10日(日)
近畿作文の会大会
in京都
 作文教育は、文を書くことそしてクラスの友達が書いた文を読み合うことで成り立つ教育活動である。書きっぱなしではだめで、それを読み合い感想を言い合って、集団の中で書いた本人が「書いてよかったなあ」と思えることを目ざす。また、人として分かりあうことも目ざす。いじめ問題、不登校問題など今子どもの内面を探る方法が模索されている時代だからこそ大切にしたい実践だと言える。
 当然だが、誰が書いた作文なのかはとても大事なことになる。しかし名前が明らかになることで書いた本人や関係者が不利益を被ったり不当な偏見の目にさらされることの無いように、十分な配慮がなければならない。
 最近作文教育の研究会で管理職(校長・教頭)から「名前は出さないと職員会議で言いましたよね」と指導を受けたという報告があった。学校全体で保護者からのクレームなどの問題発生を未然に防ぐために、子どもの作文に名前は出さないという命令が出されているというのである。また、作文の内容によっては、ストップがかかるという。それほど保護者との関係にナーバスになっているとも言えるのだが、子どもや保護者の人権を守るという観点より、トラブルになりそうな種を除去するということに力点があるようだ。
 この20年間に、教室で発行される文集や学級通信に、色々規制が加わった。まず発行するまえに「事前決裁」を受けるようになった。発行責任者は担任の名前ではなく、校長の名前にするようになった。これは一見すると教師を護ってくれているようにも見えるが、教師の自由や創意工夫を縛ることにもなる。その結果どんなことが進行したかというと…。
 学級の文化活動としての通信や文集は、中身の薄いお知らせ中心の面白くないものにならざるをえなくなり、画一化していった。足並みを揃えることが強調され、学級独自の発行物は出しにくくなった。
 作文教育は、日本独自の教育方法で世界に誇れるものだと思うのだが、昨今の規制は教師を萎縮させている。
 担任教師のみなさん、自ら規制を作ることなく、子どもの表現を楽しまれたらどうでしょうか。子どものかわいらしさや健気さに気付くことから教育は始めたいものだと思うのです。
 4月13日(土)10:00~16:00 第30回近畿作文教育研究大会を開催します。
 場所は京都教育文化センター。参加費1000円。全体会は「座談による講演」『綴り、読み合い、育ちあう子どもたち』。昨年出版された「こころの作文」(かもがわ出版)の著者である勝村謙司さん(大阪綴方の会)、宮崎亮さん(朝日新聞記者)、川地亜弥子さん(神戸大学大学院准教授)、コーディネーターは、私小宮山繁です。午後には分科会。ぜひ。
1月31日(金) 
横綱審議会会長の意見
  玉鷲の優勝で終わった大相撲。貴景勝は豪栄道に千秋楽敗れて大関昇進の話はなくなった。
 横綱審議会会長の今場所をふり返ったコメントを読んだ。稀勢ノ里はよくやった、鶴竜、白鵬は大きなケガをしたように思えなかった。という内容だったようだ。要するに鶴竜、白鵬はもっとやれるのに途中休場して横綱の勤めを果たしていないのではないかということであろう。それに比べて、稀勢ノ里は限界までよくやったという評価のように読み取れた。私も鶴竜や白鵬が休んだとき、早いもん勝ちで休んだ方が恥をかかずに済むから休むんだろうなと思った。
 しかし、どうもモンゴル出身の横綱と日本出身の横綱で差を付けているようでどうもいただけない。稀勢ノ里には大甘で、白鵬や鶴竜には直言すぎないか。
 それより、2人の横綱の力が落ちてきていることの方が深刻なのでは無かろうか。勝ってもサーカス相撲だし、負けるときが脆すぎる。稽古場では圧倒的に強いらしいが、稽古場と本場所では作戦の立て方が違うだろう。御嶽海のように稽古場では全く力を発揮しない関取もいるようだ。
 若い力士にはチャンスだ。貴景勝、御嶽海、北勝富士、阿武咲、豊山、竜電、阿炎。もうベテラン中堅の玉鷲、碧山、妙義龍、千代の国、遠藤などなどが抜け出して優勝争いを引っ張り出したらおもしろいのになあと思う。宇良が幕下でまたケガしたらしい。心配している。
1月28日(月)
スポーツ中継と嵐 
 先週は色々なスポーツ中継があった。
 まず、相撲が盛り上がった。横綱は全員休場。大関は3人中1人休場。出場した2人も勝ったり負けたりで頼りないことこの上ない。それでも何とかなるのだからさすがは大相撲なのだろうが、なんか騙されたような気がする。玉鷲と貴景勝、途中休場の御嶽海の活躍がなかったら散々だっただろう。
 テニスの錦織圭はすごかった。最初から綱渡りの勝利の連続でそれはそれで感動ものだった。勝ち抜いたそのメンタル面の強さに驚いた。大坂なおみの全米に次ぐ全豪優勝は快挙である。しばらく大坂なおみ時代が続く予感がする。これからも楽しみだ。いつか錦織がナダルやジョコビッチを抜いて世界一になってくれればもっと盛り上がることだろう。
 サッカーは正直期待外れである。試合がおもしろくない。点を取り合うわけでも、圧倒的に勝つわけでもなく、明らかに格下相手に苦戦を強いられている。解説者だけが、勝ってよかったと大騒ぎして、アジアで勝つことの難しさを語り(何十年同じ事を言うのか)あんなおもしろくもない試合でファンが増えるのだろうか。点をとる選手がいない。どっちみちとれないのなら、もっと若い選手を起用すればどうか。ドリブルでボールをとられる堂安、テクニックを披露しようとして相手に見抜かれている乾、得点に絡めない南野、もっと解説者は「何しているんだ、交代させろ」と言えばいいのに、何も言わずに褒める。何がいいのかさっぱり分からない。
 大阪女子マラソン、福士復活が大きなテーマのようだった。しかし途中で倒れケガをした。顔と両膝から出血していた。大事な選手なら素早く対処すべきだった。
 スキージャンプの小林選手が大活躍している。しかし日本では表彰台に上がれなかったようだ。高梨沙羅選手は今季は金メダルが取れない。2年前の快進撃は影を潜め、昨年のオリンピックで銅メダルがやっとだった。
 一世を風靡してもその期間は短い。世間はすぐに忘れる。衰えるとさっと波が波がひいていく。
 「嵐2020年末活動休止」のニュースが飛び込んできた。ファンでもないし1曲も彼らの歌が歌えない私にしたら、どうでもいいニュースなのだが、すぐに止めないで2年もの間「やめるぞ、やめるぞ」と言い続けるのはどういう気分なのだろう。それぐらい仕事が詰まっているということなのか「止められない事情」があるのか。かわいそうになあ、いっしょにいたくないのかもしれないのだとしたら。  
 1月26日(土)
大相撲
 稀勢の里が初日から3連敗したことで、八百長ではないことが証明されたのは皮肉だった。綱渡りみたいな相撲の大横綱白鵬。それでも全勝でさすがだと思っていたらまさかの3連敗で、優勝争いは玉鷲が単独トップの2敗。白鵬の負けっぷりが力のかげりを証明している。鶴竜も休場でいつ引退してもおかしくない状況だ。
 御嶽海は膝のケガで今場所はもうだめだろうと思っていたら、復活して3連勝で勝ち越した。昨日も勝った後、しばらく動けないようで足を引きずっていた。あと2日再起不能の大けがにならないことを祈るばかりである。
 貴景勝は急速に力を付けて勝っている。押し相撲の人は馬力はあるが安定感に欠ける。長く相撲を取り続ける人は四ッ相撲だ。転換期が来るのだろうがどうするのかな?貴乃花親方ははやまったなあと思う。弟子が大活躍するのが少し遅かった。  
1月10日(木)
円空の和歌
 
 昨日、名古屋市市民活動推進センターでガンダーラの会主催の「円空講座」があり、参加してきた。午後からなので新幹線を使わず、在来線で行った。京都から米原、米原から大垣、大垣から名古屋という快速を乗り継ぐ。2時間45分かかる。新幹線なら40分余。
 この2時間45分が楽しい。読書に専念できる。行きは何か円空に関する読み物を持っていく。米原過ぎると伊吹山が見える。米原からしばらく車窓から伊吹山を眺める。円空に会いに行くぞという気分になってくる。帰りは自由に読みたいものを読む。
 「円空講座」は初参加で、会場不案内だったものだから、通常10分で辿り着けるはずが40分以上ウロウロしてしまった。膝が不安定で時々「ピクッ」と痛みが走った。
 円空の「酒」を歌った和歌6首が取りあげられた。原文写真が資料で配付されたのだが、古文書独特のくずし字である上に、当て字も多い。円空の文字はクセがあって上手でない。読みにくいことこの上なく、まず読み下すのが難しい。その上神仏を称えるものが大半で、おもしろ味に欠ける。一度読んでみようかと試してみたが、早々に退散した。
 しかし、逆に考えると、円空の信仰と造仏の基調になるものを考察するのに残されている1600首は貴重であり、不可欠なものの1つになる。
 講師の小島梯次円空学会理事長の説明を聞きながら、原文と読み下された文を読み比べ、その歌意を探っているうちに分からなくなるの繰り返しで、時間が経過した。
午の年 泉能(の)酒越(を) 汲上て(汲み上げて) 我皇能(の) 春のいさ三(み)に 
 例えばこの歌だが、こう読めるようになるのがまず一苦労である。次に意味を考えるのだが、「午の年に泉の酒を汲み上げて、我が天皇は春をいざ見に行こうとしておられる」ということと「午の年に泉の酒を汲み上げて、我が天皇は勇み立っておられる(ますますお元気だ)」が二つを併せているように思う。つまり「いさ三(み)に」を「いざ見に」と「勇みに」の掛詞ではないかと思ったのである。
 「酒」を歌った円空の和歌が今回のテーマであったが、「神」「泉」「御神酒」との関係で歌われていた。自分が酒に酔っぱらっていい気分になっている円空は想像できなかった。泉の水を酒と比喩的に表現しているように私には思われた。和歌を詠っている時の円空は他人からの評価は別にして、和歌が詠める自分の世界を楽しんでいるように思う。
 円空の歌集「けさ百首」が「古今和歌集」を本歌取りしているというのは有名な話だがそういう楽しみ方ができるぐらい和歌を学ぶ意欲があったということになる。
 2,3月と講座は続く。「恋」「季節」を取りあげられる予定。  
1月7日(月)
特定検診

 
 今年度の特定検診が1月中であることを知らせてもらったので、行ってきた。
 本当は人間ドッグに入ってしっかり調べた方がいいのだが、どうも億劫だ。来年は申し込んでと毎年思うのだが、電話をかけて予約するのが面倒で、胃カメラやバリウムを飲んでひどい目にあったことがあるので躊躇してしまう。
 幸い病院は混んでなくてすぐにしていただけた。「尿を採取します」と言われたのだが、出がけにしたばかりで「出そうもない」と言ったら、「おられる間に」という返事。大丈夫かなと思ったが何とかなった。
 実はこの数週間何を食べてもおいしくないし、食べる量も減っている。食欲が無く胃が重い。それも診てもらいたくて特定検診にかこつけて行った。ひょっとしたらと思って、今飲んでいる膝の薬の成分表示してある資料を持っていった。大当たりで、膝を治す薬は胃を荒らすようで、その治療薬もいっしょに服用しているから大丈夫とのことであった。ひとまず安心したのだが、膝の痛いのも辛いが、食欲が無く食べ物がおいしくないのもおもしろくないものだ。
 そう言えば、膝のお医者さんが薬の説明してくれたとき「痛み止めと、胃潰瘍に効く薬云々」と言っておられた。私は膝の炎症を抑える薬と胃潰瘍の薬は同じなのかと思ったのだが、とんでもない誤解であった。
 早く膝が完治して、食べ物もおいしく頂きたいものだ。   
1月1日(火)
再生
 去年の正月に、自分は元気でもいっしょにやってるテニス仲間が元気でなかったらテニスも続けられないと言うことを書いた。この時、自分の膝がいかれて、自分が仲間に加われなくなるなんて思ってもいなかった。まさか自分の体に変調が来るとは。
 去年1年間でいくつもあれ?ということがあった。髪の毛が白くなり、ボリュームがなくなり透けてきた。頭の中も物忘れが激しい。クイズ番組を見ていると言葉が出てこないのにガッカリしてしまう。。
 坂道を歩いていると股関節と腰が痛くなってきて何度も休憩して腰を叩かなければならない。歩くのが遅く、みんなに抜かれてしまう。
 膝痛のおかげで筋力の低下、柔軟性のなさを痛感した。
 自分の老いや痴呆エピソードを笑っていられる間は、余裕があった。どこかでまだまだ大丈夫だと思っていたが、深刻になってくると笑えなくなる。ブレーキとアクセルの踏み間違いという老人の交通事故がニュースになると、私は何才で自動車運転を止めることになるのだろうと考える。自動車の安全技術の向上はめざましい。車の買い換えを勧められた。今度が最後になるであろう車だなと思う。
 今年は再生の年にしなければならない。   
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