かばのしっぽ日記
2019

かばのしっぽはうんちをまき散らすための大切な働きをします。
まきふんは大切な威嚇の方法なのだそうです。 
でもおかしなやつです。
『オレは強いんだ』と言ってうんこまきちらすなんて。
何かユーモラスです。
自分にとっては大切な行動でも他人様から見たら滑稽なことって私もしてそうで
「かばのしっぽ」みたいな存在かもしれないなあオレって」と、思う今日この頃であります。
月・日・曜日・題名 内                        容
10月9日(水)
孫の七五三 
 孫の七五三に行ってきた。
 雲一つないいい天気で爽やかであった。女の子の和服姿はかわいい。千歳飴の入った袋をいただいた。いつもはよくお話するのだが、ご祈祷中もその前後も緊張しているのかずっとおすまししていた。たくさん写真を撮った。
 私自身の七五三の写真がある。五歳の時のものだ。父親と手をつないでいる。照れくさそうに立っている。神社本殿の横で撮っているのだが、あれは誰がシャッターを押したのだろう。写真屋さんかな? 
 10月8日(火)
孫が帰った
 娘と孫が自宅へ戻った。三ヶ月いっしょにいた。今日で2日目。
 「おじいちゃん、お薬のんだか」と毎食後に聞いてくれるお陰で、飲み忘れることがなくなった。腰や膝の調子がよくなった。散歩にもよく出かけたのでその効果かも知れない。
 ギターを弾いて歌っているとリクエストしてくれる。「おじいちゃん、『優しいあの子』歌って」とか「『夜空ノムコウ』歌って」とか。
 「おじいちゃん、○○しよう」「この本読んで」と誘ってくれる。返事が遅れると「おじいちゃん、おじいちゃん!」の連呼。
 お風呂に持って帰るのを忘れた石鹸箱が残っている。小さな箱にいっしょに拾ったドングリがある。彼岸の日にドングリ拾って墓に持っていった。
 9月5日(木)
散歩
 この3日、2歳半の孫と近くの北堀公園を散歩している。朝散歩するなどと言う生活をしたことがなかったのだが、何しろ孫が早起きで6時過ぎには目を覚ます。生まれたての孫や娘はまだ眠っており、奥さんは畑仕事をしている。一番閑な私が面倒を見ることになった。ちなみに夜7時すぎには風呂に入って、8時すぎには孫と寝床に入るという生活。何と健康的!
 公園まで300mの上り。それから一周1200mほどの道を歩く。途中でドングリを拾って、川に投げ込んで、「どんぐりころころ」を歌う。かたつむりを見つけたら、手遊び歌「グーチョキパー」を歌う。私はカに刺されるのだが、孫はどういうわけか刺されない。
 2日目、3日目と道で出会う人、声をかけて下さる方が増えてきた。「こんにちは」「ぼく、いくつ?」「かわいいね」「ガンバレ、ガンバレ今から走ってたら、オリンピックの選手になれるね」犬連れの紳士は「この犬も孫なんだよ」とおっしゃって下さったのだが、意味が分かりかねた。その中に「明日もおじいちゃん連れてきてあげてね」とおっしゃる方がおられた。・・・そうかオレはこの子に連れてきてもらっているのだなあと納得した。もう一人、「いいですね、内孫さんといっしょで」とおっしゃる方も。実際外孫なのだが、最近孫と三世代同居は珍しいのだ。
 今日は柔らかいボールを持って行った。孫はまだボールが投げられないし受けられない。蹴るのはおもしろいようで広いグランドを走り回ってボールを蹴っていた。    
 8月31日(土)
「山なし」を読む
 先週の土曜日にあった「国語教育夏期講座」で高学年分科会の担当だった。久しぶりに宮沢賢治の「山なし」を読んだ。6年担任していたとき、一体何が言いたいのかよくわからない教材の代表格であった。文学は「わかる」ものではなく「感じる」もので、読んでおもしろい、景色が目に浮かぶものである・・・とよく言われた。だからその読みも形象を読み取ることを重視することが大切である。
 それにしても「山なし」は私自身作品のテーマがつかめないので読みの方向が定まらない。
 この話は二匹のカニの兄弟が水底から見る景色の描写で成り立っている。
 登場人物は、正体不明のクラムボン(死んだり生きたり、消えたり表れたりする)。魚(父親は「悪いことをしている」と表する。突然その魚を襲うカワセミ。これが2枚の幻灯のうちの5月。陽が水を通して美しく描写されている。
 二枚目の幻灯は11月。夜の川の中である。二匹の子ガニは突然落ちてくる大きな物体に驚く。父親が「山なし」だと説明してくれる。その山なしを追いかけながら「もうすぐ沈んで上手い酒ができる」と教えてもらう。明日は「イサド」という街へ出かけることも語られる。
 今回読んで私が思ったことである。
 クラムボンはいきとし生きる全ての命あるものが輪廻転生することを象徴している生き物だ。五月の魚とカワセミは、弱肉強食、食物連鎖を表している。生あるものが一瞬にして死の世界へ誘われる不条理を表しているのだが、それがいかにも日常の中で行われていることを子ガニは知る。11月の山なしは、命あった「山なし」が朽ちて川に落ちてくる。つまり「死」である。しかし死んでなお存在感を失わず、カニに豊穣の酒を残し楽しみを与えている。「死」が「死」で完了するのではなく、死ぬことで生かされる世界である。
 宮沢賢治は「山なし」で死ぬこと生きることをテーマにしたのではないか。輪廻転生する私たちは死を迎えたとしても、なお活かされる世界があることに驚きと希望を持とうと期待してこの物語の題を「山なし」としたのではないだろうか。  
 8月30日(金)
電子書籍化
 もう一ヶ月前になるか、小学館から電話があって、以前(2008)に出版した「ことば遊び」を電子書籍化したいということと、それを使って授業することを許可して欲しいという依頼があった。
 もう10年以上前の出版物が役に立つのならうれしいことだと承諾した。 
 8月29日(木)
継続する志
 ゴミ袋と長いハサミを持って、私の家の前のゴミを取って下さっている方がお二人おられる。一人の方は時に800m離れた私鉄駅までの道を美しくしておられる。随分以前からお見かけする。もう一人の方は、まだお若い方で、坂道を上り下りしながら同じようにしておられる。続けておられるのに感心する。
 私など口ばっかりで、みんなのためになるようなことは何もできていない。
 大体が継続する志に欠ける。
 私のお知り合いが年に1回か2回平和を前面に打ち出したコンサートや催しの案内を送って下さる。ご自身のお父さんを戦争のために失われ平和遺族会の会員である。笠木透さんが生きておられるときから続いている。木津川マラソン大会もその人が企画の中心に据わっておられた。今年のお知らせに奥様の健康状態が芳しくないことが記されていた。返事を書かなければ…と思う。
8月12日(月)
娘の出産
 一ヶ月ほど前から、娘が二人目を出産するので家に帰ってきている。
 上の子は二歳半。口も達者になってきて色々お話しする。よく動く。家の中でじっとさせておくわけにもいかないので、何をして遊ぶか、どこへ出かけるのかなど考える。
 近くの児童公園へ二、三度連れて行く。鉄道が好きなので踏切を見に行く。自宅からJR、近鉄、京阪の駅方面へ行くと、数分ごとに電車が通る。しかし猛暑になってから、足が遠のいている。
 家の近くに児童館がある。無料で広く、乗れる自動車もあっていいのだが、小学生が夏休みになると来るので、思い通り遊べない。少し離れたところには幼児が遊べる施設がある。ここも無料で遊べるのだが人が多い。
 とにかく外は暑いので、散歩に出かけるのも熱中症が心配である。鉄道記念館、水族館、動物園なども考えるが、「暑いやろうな」で中止。
 車で15分ほどの商業施設にキッズランドがあるというので出かけた。ここは有料で入会金が300円余りで大人も子どもも1時間420円の使用料がいる。
 私も妻も、遊び、食事、おやつ、入浴、排泄、洗濯、買い物のあれこれで毎日が過ぎていく。
 今日が出産予定日だったのだが、まだその兆しはない。
 下の子が生まれたら、どんな顔するのかな?常に「お母さん、ママ」と甘えているのだが、どうなるのか、興味もあるし心配でもある。
8月9日(金)
蝉時雨 
 他の言葉が出てこない。暑い。
 家の中でエアコンかけて扇風機回している分には快適だが、一旦外に出たら38度を超す猛暑。
 一週間前孫と散歩していたら、蝉時雨。大きな木のある場所は一体何匹の蝉が鳴いているのだろうと思うぐらいの大音響。姿を見つけようとするが見つからない。やっとクマゼミの姿があった。
 一週間後の昨日、同じ道を通って児童公園へ行った。踏切とJRの電車を見に行ったのだが、セミの鳴き声が大人しい。蝉の種類がこの一週間で変わったのだろうか。
 木の根元に、蝉の死骸が転がっている。アブラゼミとクマゼミだ。
 小学生の時、昆虫採りに網とカゴを持って出かけるのだが、お目当てのカブトムシやクワガタのいる場所は特別で、子どもの私には分からなかった。よく採れてブンブン、とんぼ、いつでも採れたのが蝉だった。よくおしっこもかけられた。アブラゼミがほとんどでクマゼミは大きくて羽が透き通っていたのでカッコイイのであこがれたものだ。でも最近、アブラゼミの生息する場所は、大気汚染が進行している場所だと知り、ガッカリ。
 昨日今日のような暑い日に浴びる蝉時雨はそれはそれで似合っている。それが昨日のように、鳴き声が弱々しいと「どうしたんだろう?」と思う。
 7月20日(土)
参議院議員選挙
 明日投票である。争点も選択肢も多い。にもかかわらず投票率はもう一つらしい。所謂無党派層の大量投票が望めないのだ。その時々の風を起こすムーブメントが起こらないのだ。この時々の風が吹かない選挙はつまらない。選挙前に2ヶ所のマスコミから世論調査の電話が掛かってきた。
 京都選挙区の候補者を知っているか、誰に投票するのか、比例区は何処の党に入れるのか、現首相を支持するか、投票に際して何に関心があるかなどを、ボタンで押す。
 こう言うのを一定数やるとつまらないほど早く選挙結果が分かってしまうようで、「当選」や「当選確実」はすぐに出る。出口調査とこの事前調査で、選挙管理委員会が投票箱開ける前から「当確」を出す準備をしているのではないかと思うほどTVの選挙速報がおもしろくない。
 我々はいつのまにか「あきらめ」のいい国民になってしまった。「だれがやっても同じ」という厭世観。魅力的な個人やPartyがないのだ。相手が強ければ強いほど、弱い個人やグループは力を合わせなければ強者を倒せない。一人区で立憲民主、国民民主、共産、社民が何とか力を合わせたのはよかった。
 京都選挙区は定数2である。現職は自民と共産。そこに立憲が新人を立てた。私は思うのだが、立憲の候補者と共産の候補者が、自民を挟み撃ちするぐらいの選挙戦をしないと、この野党共闘の本気度は本物ではない。現実には共産と立憲が競ることになったとしても、二人を勝たせて欲しいと両候補の宣伝カーが訴えてこそ、現状を変えたいのだなと有権者には理解できる。
 7月11日(木)
清水三年坂美術館
 昨日、雨がふらないだろうという予報だったので、清水三年坂美術館へ行ってきた。
 場所は、五条坂と三年坂がぶつかるところから三年坂の方へしばらく戻ったところ。
 NHKの「日曜美術館」とTV東京「なんでも鑑定団」で、この美術館所蔵品が取りあげられることがあって知った。ここの所蔵品は、幕末明治の超絶技巧を誇った日本の工芸品である。七宝、金工、蒔絵、京薩摩など。TVで見ていて、「すごいなあ」「美しいなあ」「細かい細工だなあ」と思った。最初みたのは確か「ヘビ」でニョロニョロ動かすことが出来る金工細工であった。その後、並河靖之の七宝にも驚いたし、最近では安藤録山の象牙細工もビックリした。
 三年坂美術館はかわいい美術館であった。作品が小さいのだから、それにあっている。二階では「帝室技芸員の仕事」という特別展があって、並河靖之の作品がたくさん展示されていた。
 幕末から明治に、世界で行われた万国博覧会で評価を受けた日本の工芸家たちが創り出した作品の多くは、海外に出たようだ。ここの館長はそれらを蒐集されたらしい。刀剣、甲冑で培われた金工の技術はこういうところで生かされたようだ。それでも時代の流れの中でいつのまにか、忘れ去られ、工房も消えていったようである。
 京都には、江戸時代の絵画(若仲他)を多く所蔵している美術館、北大路魯山人の作品がある美術館、河井寛次郎館など特徴ある美術館がいくつかある。
 清水寺周辺は、和服姿の中国、韓国などの人々で溢れていた。幸いその人たちの関心はここには及んでいないようで(いや、日本人の関心も)ゆっくりのんびりゆったり鑑賞できる。入館料800円。月、火が休館日である。 
7月9日(火)
スタンダード 
 今、学校では「スタンダード」という言葉が席巻しているらしい。
 もとよりその意味は「標準。基準」、また、標準的であるさま。「スタンダードな形式の車」のように使うと広辞苑にはある。
 学校ではこのように使われるらしい。
 「それはスタンダードにありますか?」
 「スタンダードにないことはしないで下さい」
 これは、教科指導の内容、指導方法はもちろん、生徒指導、生活指導など学校で行われる全ての活動が、「スタンダード化」していることを意味している。文科省、教育委員会がスタンダードを決める。それに沿って各学校ではしかるべき会議研修会を経て、「スタンダード」が決められる。
 「学習指導要領」というものが決められていて、教育内容はこれで規定されている。これに様々な縛りが様々に付け加わる。モデル実践も提示されて、行き着いた先が「スタンダード」なのであろう。
 こんな例が指摘されていた。教室移動時には「教師が先頭に立ち、2列で私語は慎み音を立てずにあるく」。「プール入場時は列を乱さず、私語を発せず、静かにシャワーを浴び、決められた場所に迅速に座り、教師の指示を待つ」「教化指導法では、①問題提示②グループ討議③代表発表④全体討議⑤全体確認」などということが決まっていて、それにそった指導案を立て、研究授業に臨むらしい。もちろん、「文集作り」「学級通信作り」などはスタンダードにないため「スタンダードにない」という理由で、発行禁止になるらしい。
 私が務めていたここ5年程前には、まだ、プール指導で最後は「自由時間」というのがあって、ロングビート板に乗ってみんなが、大歓声をあげ、それが水泳指導の一番楽しい時間だった。今は自由時間はスタンダードから消えたらしい。しばらく前にのプール指導時の児童死亡事故以来ロングビート板は学校のプールからなくなったと聞いた。児童の安全確保とか集団の秩序は当然大切だ。しかしどんどん「スタンダード」を重視する学校が増えることが、子どもが学校に魅力を感じることに繋がるのであろうか。
 30年前勤務した学校の校長は、教職員を前にこうおっしゃった。「みなさんは、それぞれに個性的な魅力や力量を持っておられる。存分にそれを発揮して仕事をして下さい」その頃も、学級崩壊、反社会的行動などの「荒れ」が問題になっていた。しかもその「荒れ」は病理的な側面を抱え、単純に経済的理由とは言えない「内面的な寂しさ」を抱えていた。
 不登校、引きこもり、発達課題、いじめ、自殺などますます子どもの問題は「規律」や「スタンダード」で律しきれないところへ進んでいる。
 その時期に「スタンダード」で乗りきれるほど問題は単純なのであろうか。   
 6月22日
スマホの使い方
 スマホに変えて約1年。使いこなせない。電話かけたりメールを送ったりは何とかできる。しかしスマホで買い物したり決裁したりはできない。何かを調べるのもパソコンの方がなれていて速いので、余程のことがないと使わない。「ヘイシリー」と読んで聞いたら応えてくれるという機能を使うが、とんちんかんで要領を得ない。
 先日、電車に乗っていた。隣の若い女性が、スマホの画面を見ながら髪を触っている。鏡代わりにしている。なるほど、画面が真っ暗で、まるで銅鏡のように写るのだ。新しい使い方で、これなら私も使えそうだ。
 そんな話しをしていたら、ある方が「ぼくは、懐中電灯代わりにしている」とおっしゃった。夜中に灯りがつくので便利だと。これも使えるなと思った。本来の最先端の使い方はさっぱり分からないのが情けない。 
 6月20日(木)
佐渡
 最大震度6強の地震速報が18日夜10時22分から各局とも報道し始めた。
 現場の映像がないためアナウンサーは同じ原稿を読み続けた。新潟や山形はすでに津波が到達していて、佐渡はまもなく到着するので、すぐに高台や少しでも高い場所に避難してくださいという内容であった。映像がない分、頼りないと同時に不気味でもあった。
 実は6月8日~10日まで佐渡にいた。全国木喰研究会主催「佐渡木食遺作見学ツアー」に参加していた。佐渡は初めてであった。名古屋の先生やお仲間といっしょに参加したのだが、何分名古屋までの道のりが遠く、10日(月)後半見学予定の木食仏は拝観できなかった。三ヶ所ほど見学できる予定だったのだが。
 佐渡の木食仏は初期に属するもので、あの独特の「微笑仏」ではない。
 佐渡という場所にも興味があった。私が佐渡に興味を持った順に思い出してみると、佐渡おけさや佐渡情話など民謡や歌謡曲の影響がある。時代劇などで出てくる「島流し」「金山」などのことばからのイメージがある。その後順徳上皇、日蓮、世阿弥なども流されたことを知る。時代劇に出てくる「流人」は手に入れ墨を入れられて、二度と本土へ戻れない人達であるというものであった。
 今は「朱鷺の島」「金山の島」というのが観光の目玉になっているようだ。キラリウムという施設が今春開館した。「佐渡金山」を映像などで紹介している。江戸幕府を支え、ヨーロッパに多大な影響を与えた金銀山発掘というのがアピールポイントであった。
 では、私が持っていた罪人や無宿人が流され、金銀山発掘に強制的に従事させられたというイメージは間違ったひどい情報なのだろうか。平成初年に閉山になったらしいが、採算がとれなくなったことが原因のようである。鉱毒の問題はどうだったのかなど、気になった。
 それにしても佐渡に人がいない。シャッター商店街が連なり、国道に空き家が目立ち、人が、とりわけ子どもがいない。そこを津波が襲うと言うニュースに無事を祈った。
5月16日(木)
なら仏像館 
 奈良国立博物館の旧館は明治に建てられた近代建築で重要文化財に指定され、今「なら仏像館」という名前になっている。本館の特別展は毎年行われる「正倉院展」で時々足を運んでいたが、藤田美術館展のついでに、なら仏像館にも足を運んだ。特別展のチケットで入れる。
 2014年から15年にかけて改装された後はどうなっているのかしらなかったのだが、素晴らしい。飛鳥時代から各時代の名品がずらり並んでいる。
 昭和4年頃、興福寺の阿修羅像、天燈鬼、竜燈鬼、無着世親像、法隆寺の百済観音、秋篠寺の伎芸天、東大寺釈迦誕生仏、聖林寺十一面観音等々今国宝や重文に指定されている奈良を代表する仏像は廃仏毀釈で行き場を失って、奈良帝国博物館に寄託されてのだそうだ。その後各寺が独自に国宝館などを建てられるようになって、帰っていったのだという。
 それでもなお今も残る名品の数々に驚いた。美しい像も迫力のある像もユーモラスな像も多数あった。当麻寺の山内西南院の尼藍婆、毘藍婆像に一番興味をもった。
 これは写真がないかとミュージアムショップへ戻った。旧館と新館を結ぶ通路にある。「なら仏像館名品図録」と「みほとけのかたち」2冊買った。2冊とも奈良国立博物館の出版である。オールカラーで150頁を越える本である。この本、何と千円であった。正直ビックリした。文庫本は別にして、近頃出版される本で千円という価格の本、しかも中身の濃い本があることに今も驚いている。いい本に出遭った。
 薬師寺に行く度に国宝「八幡三神座像」はどこにあるのだろうと思ってきた。平安時代の作でとりわけ神功皇后像が美しい。彩色も見事で、一度実物を拝観したいと思ってきたのだが、やっと分かった。奈良国立博物館に寄託されていたのだ。「名品図録」で分かった。今回は見られなかったが、次回行った時に聞いてみようと思う。
5月15日(火)
藤田美術館展 
 奈良国立博物館で開催中のこの美術館展、よかった。
 国宝9点を含み重要文化財が多数あった。ジャンルも広く個人(三代)がよくこれだけ集められたと感心すると同時にその財力に驚く。廃仏毀釈後続々と外国へ流失する日本文化の粋を瀬戸際で食い止める役割を果たされたのだなと思いつつ、きっと楽しかったのだろうなと思った。
 この展覧会の目玉は「曜変天目茶碗」である。一時間以上待たなければならない長い列が博物館内で出来上がっていた。私は若いころに「茶陶」という本で油滴天目茶碗の宇宙の星雲を思わせる文様に心奪われた。藤田美術館の「曜変天目茶碗」はその中でも最高に美しいと思った。あこがれの茶器に会えた。
 会場出口付近に記念撮影用のパネルがあった。2m近くに大写しした「曜変天目茶碗」といっしょに写真を撮るという企画である。写真を撮ってきた。しかし本物をいろいろな角度から撮れたらまた違った魅力が見つかるかも知れないなと思った。
 他に、快慶作「地蔵菩薩立像」「玄奘三蔵絵」など見ごたえがあった。
4月30日(火)
10連休 
 平成。令和、天皇、皇后の番組で、連日お祭り騒ぎである。
 そう言う中でお茶の水女子学園中等部に侵入して包丁二丁を銛のようにした凶器を皇位継承第三番目の未成年の机に置いて立ち去った犯人とおぼしき人物が捕まった。早い、捕まるのが。最近は各所に設置されたビデオをつなぎ合わせた情報で容疑者の足取りを追えるそうで、今回もそれが活躍したらしい。渋谷のハロウィン事件で軽乗用車を壊して暴れた数名の人物もこのシステムで後を追い、住所まで特定し検挙したのだそうだ。 
 4月28日(日)
一遍聖絵と時宗の名宝展
 膝痛はましになった。まだ正座は出来ないが歩くのに支障はなくなった。
 腰痛がひどい。脊椎が滑っていて狭くなり、血管や神経を圧迫しているのが原因らしい。上り坂を100m歩いたら骨盤付近と脊椎周辺がだる痛い。
 腰と膝が痛いと歩くのが億劫になり、何か運動しようかという気持ちにもならない。悪循環で運動しなければ治るものも治らないと思いはするのだが…。
 柔軟体操や散歩とか水泳がいいらしい。外へ出なくなった。このままパソコンやTVの番をして弱っていくのは願い下げだ。
 これではならじと、昨日京都国立博物館へ「一遍聖絵と時宗の名宝展」へ、自転車で出かけた。すっかりタイヤの空気が減っていて、自転車屋さんまで押していった。国立博物館まではJRの駅で3駅ぐらいの距離。肌寒かった。
 「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」キャンパスメンバーズ向け講演会を聞くことが出来た。一遍聖絵を大きくUPして説明があるのかと期待していたら、白黒のコピーをもらってそれを見ながらのお話しであった。「二河白道「と「お札配り(賦算)」「念仏踊り」「熊野詣」「善光寺詣」など断片的に聞こえてくる言葉を聞きながら寝てしまった。
 その後、ゆっくり見て回った。最近の企画展では珍しくガラガラである。私が一番知りたかったのは、法然、親鸞と続いた鎌倉浄土教の流れの中で、一遍はなぜ熱狂的に支持されたのかであったが、さっぱり分からなかった。きっと絵巻の詞書きが読めないことに関係するのだろう。行基や空海は民のために土木工事をしたり、病気を治したりする。空也は疫病で亡くなった人々を弔って都を歩きまわった。一遍は謎のままである。
 夕方5時から「春のコンサート」があるというので、また講義室へ行った。大阪のお医者さん主催のコンサートのようだった。広島交響楽団のコンサートマスターのバイオリン、大阪芸大演奏学科要員の方のチェロ、主催者の医院でケアマネをしておられる方のピアノに、ご本人の歌(バリトン)とチェロという編成で、13曲聴かせてもらった。ゲストという形で他のピアニストと小学生ダンサーも参加しておられた。
 久しぶりに自転車に乗って、講義を聞いて、展覧会を見て、音楽聴いて…寒くて疲れて帰ってきた。日没がきれいだった。
4月23日(火)
春全開 
 梅に鴬というが、梅にメジロはよく見るが鴬は花札でしか見たことがない。私の家の近くで鴬の声は聞く。立ち止まって探すがめったに見つからない。一度だけ姿を追ったことがある。カメラを持っていたので、何とかとろうと努力したが徒労に終わった。何しろ動きが速く、落ち着きがない。それ程色が美しいわけでもない。
 しかしあの鳴き声は天下一品。昨年秋に畑に巣箱を設置した。春になったら何か巣作りをしてくれないかと楽しみにしているが何の気配もない。鴬なら最高だなと思っている。
 遅咲きのあつものの桜が満開。藤も咲いた。牡丹が咲き始めている。アイリスも美しい。暖かくなってきて、一気に春が全開だ。 
4月14日(日)
近畿作文の会大会 
 昨日京都で近畿作文の会研究大会が開催された。午前中は全体会であった。
 噺咲屋達郎さんの紙芝居「りょうめんすくな」を見せてもらった。達郎さんは私の元同僚で、児童文化研究をしてこられた。今プロの紙芝居師として活躍の場を広げている。円空縁の両面宿儺を楽しく拝見した。
 その後、座談講演会をした。堺市の安井小学校で学校あげて作文教育に取り組んできた勝村謙司さんのお仕事から学んだ。勝村さんのお仕事は、朝日新聞大阪版で連載紹介された後、「こころの作文」(かもがわ出版)というタイトルで出版されている。1年間取材のため教室に入った宮崎亮記者、神戸大学大学院川地亜弥子准教授にも加わっていただき私が司会進行を担当した。
 修学旅行にも同行したという宮崎記者は教室の中で子ども達が「忖度ではなく以心伝心で繋がって、仲間を受け入れようとしている姿」を報告しておられた。忖度は力のあるものの意にそって自分の意思決定を変更することであり、以心伝心は、両者(この場合教師と子ども、子どもと子ども)が同じ心意気である点で全く違うという説明に感心した。
 川地准教授は勝村さんの仕事は「書く」ことも大事にしているが、「読む(聴く)」ことに特徴があることを論じ現代教育におけるその大切さを論じながら、授業や子どもの接し方の臨機応変さに言及された。
 勝村さんの子どもに対する愛おしいという想いと、どの子も決して見捨てないという信念が伝わる座談講演になった。
 午後からは分科会に別れて近畿6県からのレポートを学び合った。  
4月6日(土)
期日前投票 
 明日早朝に出て遅く帰ってくるので、期日前投票に行ってきた。
 市・府議会議員の投票である。空いていた。前回行ったときは大勢の方が投票に見えておられたし、マスコミ各社も数社いて賑やかだった。投票終えてエレベーターに乗ったら、何時も期日前だという方が、「やっぱり国会議員選挙に比べたら少ない」と言っておられた。逆のように思うのだがそのようである。身近な問題に候補者がどう取り組んできたのか、これからどう取り組むのか詳しく聞きたいのだが、選挙カーは名前の連呼しかしない。
 「総理と副総理の事業だ」「それを忖度して国の事業にした」と発言した国交省副大臣が辞任した。さすがにアウトだと与党内からも意見が出ての辞任劇が昨日。
 こういう「忖度政治」「利益誘導政治」が蔓延って歪んでいる。利益誘導で票を欲しいものと与えるものがいるから悲観的になる。
 私の今住んでいる地域は、交通機関から離れている。JR駅、私鉄まで徒歩15分かかる。買い物に出るにはさらに時間がかかる。私の家から坂道を10分以上登ったところにも住宅街がある。数年前からコミュニティバスを走らせて欲しいという要望が出ている。市会で取りあげた議員もいるが、「赤字になるのは明らか」「一体誰が利用するのか」「道路が細くて駅が作れないし、走らせることもできない」など否定的な意見で話が進まない。「どこを走らせるのか、どこに駅を設けるのかの計画案を出せ」という逆ギレ意見も出ているらしい。住民側からは「このまま推移すれば、数年後私たちの年齢のものは、暮らせなくなる。今は電動自転車とバイクや車に乗れるから住んでいられるけど、しばらく経ったら…」という声が上がっている。全くその通りで、私も例外ではない。
 伏見中央図書館の狭さ展示本の少なさも問題だろう。私は比較的よく利用する方だが、いつも本を読むスペースは満席である。同じ伏見区でも醍醐図書館は立派である。深草や久我の杜には小学校の図書館と共有している図書館がある。文化観光都市京都を標榜しているにしては貧弱だと思う。
3月29日(土)
火を燃やす 
 畑に妻が地域のエコグループの方から教えてもらった「ロケットストーブ」がある。もし災害などが発生したときに、コンロ代わりになるという。。
 ここ3日間、畑で出た枝を燃やしている。やっぱりコツがあって、火が消えないように工夫しなければならない。これがなかなかおもしろい。
 NHK『美の壺』で家の中に炉を切って囲炉裏を楽しんでいる人々を紹介していた。今になれば優雅でお金のかかる趣味だ。そんなことはできないけど、ロケットストーブを使って何かできないか考えてみようと思う。ます焼き芋はできそうだ。これから初めてみることにする。 
3月22日(金)
麻雀 
 私の母がお世話になっている介護施設では、ホールを地域に開放されている。
 土曜日は、民謡や詩吟教室が行われている。第1木曜日と毎週月曜日、土曜日は喫茶が開かれ、1杯100円でお変わり自由である。私は喫茶のある日の第1木曜と第3月曜日11時からギターを持って歌を歌いに行っている。一応ボランティアということだが、下手くそな歌とギターを聞かされるのは迷惑千万に違いない。でも毎回10数名多いときは20名を越える方がお越し下さる。童謡唱歌、田端義夫からビートルズ、三橋美智也、春日八郎からAKB48、いきものがかりや福山雅治、何でも歌う。私も楽しんでいる。
 ある日曜日昼頃に行ったら、ホールで何か催しをしておられる。何をしておられるのかと思ったら、20人以上の方々が麻雀に興じておられた。大学生になった頃、高校時代の友人に誘われて1,2回麻雀をしたことがある。しかしその後全くしたことがなかった。なるほど、麻雀は年配のものが集まりやすい。それで思ったのだが、齢を重ねると付き合いが疎遠になる年配の者も、麻雀を通じて集まれば長く続けられそうだ。
 今から麻雀を学ぶことにした。昨日親戚のベテランに教えてもらった。面白そうだ。どういうわけか家に麻雀パイはある。 
3月3日(月)
100万アクセス
 
 今日中にアクセス数が100万に達しそうである。午後4時にカウンターが999949をカウントしている。HPを開設してから16年半。よく飽きもせずに続けてきたものだ。
 今の関心事は、このカウンター100万になったら0000000に戻るのかどうかである。掲示板や私自身のメールアドレスを公開していた頃は、見てくださっている方とのコミュニケーションがあって、それはそれでおもしろかったのだが、変なメールや困った書き込みがあって消した。最近はスマホを使ってフェースブックなど、情報発信の方法も多様化した。今更違うもので自己表現する気もないので、このまま続けようかと思う。
 先日、今は28歳になっている教え子と遭った。「先生のHP、『ご連絡下さい』って書いてあるのに、連絡先が書いてない」と笑われた。確かにHPに掲示板やメールアドレスなどの情報があった頃の名残だなと、帰ってきてから消した。
 「ぼちぼちいこか」…始めた頃は自戒の言葉だったのだが、 本当にぼちぼちいかないと危ない年齢になってきた。
 これからも時々アクセスいただけるとありがたく存じます。
 2月26日(火)
北野天満宮
 久しぶりに天神さんへ行ってきた。すごい人出であった。観梅と合格祈願(学問成就)と露店、それに周辺の有名店(和菓子など)様々な物が目当ての人出である。
 昨日は、近くにある花街北野の芸者さんの姿も見られた。ぶらりぶらりと歩いた。
 弘法さんと並ぶ天神さんの出店は、最近始まったフリーマーケットのスケールではない。食べ物の店、ゲームの店、衣料品の店、道具屋さんの店、陶器の店、工芸品の店、花屋さん、植木屋さん、とにかく古い雑多なものを商う店等々が軒を接して品物を並べている。
 中に自分の作品を並べている店があった。板に猫相が悪いふてくされた猫が描かれている。そして一言「何か?」などと一言書いてある。達筆だ。「日本語が上手く話せません」と書かれたものを手にとって、大笑いしながら外国人の若い女性が写真を撮っていた。高額な大きい物で1万円。すずめとお地蔵さんの絵柄の物もあった。心が動いたが我慢した。買って帰っても「どこに飾るの?」と言われるに違いない。
 もう一軒。動物の小さい木彫り(表面つるつる)を売っている店があった。こういう店ではカバを探す。いた。リアルなモノではなくデフォルメした。印象としてはカバといえばカバ、個性がない。でもカバだと分かると買ってしまう。800円。
 梅はまだ五分咲きか。今週末ぐらいが最高か。
 膝と腰が思わしくないので、境内の牛の膝をさすってまわった。 
2月20日(水)
ノーベル平和賞 
 仕事の性格上この賞の一番近くにいて、チャンスがあるのは政治家だろう。が、なかなか該当する人物は出てこない。それは政治家のやることの評価が万人を納得させるものにはならないからではなかろうか。
 アメリカファーストのトランプ氏は正直で、そのものズバリのことをするから、相手の国の人々や世界の非難をまともに受ける。「人類愛」「博愛」に基づく政策を行う政治家ならいざ知らず、対極にあると思われるトランプ氏が我が国の総理大臣から推薦されたことを公表した。「日本の上空をミサイルが何度も飛び、核兵器の脅威にさらされていることから救った」のだから日本に感謝されている証だという意味のコメントだった。
 あれ?そうだったっけ?アメリカ本土へ北朝鮮のミサイルが届くだけの性能を持っていることが明らかになってアメリカが慌てて交渉を促進させたのではなかったっけ。日本のためだった?
 日本の安倍首相が本当に感謝しているのなら正々堂々と国会で認めればよいのだが、推薦したともしてないとも言わないのは、どういうことか。推薦状数枚の紙切れでトランプが喜ぶなら安いものだと思っているのだろか。
 私が、トランプ氏ならこう思うだろう。「安倍は、本当は俺のやっていることをノーベル平和賞にふさわしいなんて少しも思っていない。それよりトランプから頼まれたから、今世界の先陣切って推薦状送れば、点数が稼げる。それで俺がいい気分になって、日本に対して貿易問題でも、北朝鮮問題でも、少しでも日本のためにやってくれると期待しているのだろう」
 戦後ずっと日本はアメリカの「ポチ」だと思われ子分いや家来扱いのままだ。防衛や経済の多くををアメリカに依存し続けている限り従属関係は解消することは難しかろう。対等平等に尊敬し合う関係になった暁にノーベル平和賞に推薦しては如何であろうか。
 拉致家族会の方々と昨日会談されたというニュースもあった。安倍首相はトランプ氏と電話会談で、拉致問題を取りあげてもらい、自身の考えを伝えてもらうという話をすると約束していた。人に頼まずに自ら乗り込んでいく気はないのか。拉致家族の方はそう思っているのではないか。安倍首相になって長い。今年中に最長の総理大臣になるらしい。自ら拉致問題を最初から取りあげてきたと自負する安倍首相も歯がゆかろう。ポチがしっぽ振ってるいや~なイメージが増幅したニュースだった。  
 2月10日(日)
近畿作文の会大会
in京都
 作文教育は、文を書くことそしてクラスの友達が書いた文を読み合うことで成り立つ教育活動である。書きっぱなしではだめで、それを読み合い感想を言い合って、集団の中で書いた本人が「書いてよかったなあ」と思えることを目ざす。また、人として分かりあうことも目ざす。いじめ問題、不登校問題など今子どもの内面を探る方法が模索されている時代だからこそ大切にしたい実践だと言える。
 当然だが、誰が書いた作文なのかはとても大事なことになる。しかし名前が明らかになることで書いた本人や関係者が不利益を被ったり不当な偏見の目にさらされることの無いように、十分な配慮がなければならない。
 最近作文教育の研究会で管理職(校長・教頭)から「名前は出さないと職員会議で言いましたよね」と指導を受けたという報告があった。学校全体で保護者からのクレームなどの問題発生を未然に防ぐために、子どもの作文に名前は出さないという命令が出されているというのである。また、作文の内容によっては、ストップがかかるという。それほど保護者との関係にナーバスになっているとも言えるのだが、子どもや保護者の人権を守るという観点より、トラブルになりそうな種を除去するということに力点があるようだ。
 この20年間に、教室で発行される文集や学級通信に、色々規制が加わった。まず発行するまえに「事前決裁」を受けるようになった。発行責任者は担任の名前ではなく、校長の名前にするようになった。これは一見すると教師を護ってくれているようにも見えるが、教師の自由や創意工夫を縛ることにもなる。その結果どんなことが進行したかというと…。
 学級の文化活動としての通信や文集は、中身の薄いお知らせ中心の面白くないものにならざるをえなくなり、画一化していった。足並みを揃えることが強調され、学級独自の発行物は出しにくくなった。
 作文教育は、日本独自の教育方法で世界に誇れるものだと思うのだが、昨今の規制は教師を萎縮させている。
 担任教師のみなさん、自ら規制を作ることなく、子どもの表現を楽しまれたらどうでしょうか。子どものかわいらしさや健気さに気付くことから教育は始めたいものだと思うのです。
 4月13日(土)10:00~16:00 第30回近畿作文教育研究大会を開催します。
 場所は京都教育文化センター。参加費1000円。全体会は「座談による講演」『綴り、読み合い、育ちあう子どもたち』。昨年出版された「こころの作文」(かもがわ出版)の著者である勝村謙司さん(大阪綴方の会)、宮崎亮さん(朝日新聞記者)、川地亜弥子さん(神戸大学大学院准教授)、コーディネーターは、私小宮山繁です。午後には分科会。ぜひ。
1月31日(金) 
横綱審議会会長の意見
  玉鷲の優勝で終わった大相撲。貴景勝は豪栄道に千秋楽敗れて大関昇進の話はなくなった。
 横綱審議会会長の今場所をふり返ったコメントを読んだ。稀勢ノ里はよくやった、鶴竜、白鵬は大きなケガをしたように思えなかった。という内容だったようだ。要するに鶴竜、白鵬はもっとやれるのに途中休場して横綱の勤めを果たしていないのではないかということであろう。それに比べて、稀勢ノ里は限界までよくやったという評価のように読み取れた。私も鶴竜や白鵬が休んだとき、早いもん勝ちで休んだ方が恥をかかずに済むから休むんだろうなと思った。
 しかし、どうもモンゴル出身の横綱と日本出身の横綱で差を付けているようでどうもいただけない。稀勢ノ里には大甘で、白鵬や鶴竜には直言すぎないか。
 それより、2人の横綱の力が落ちてきていることの方が深刻なのでは無かろうか。勝ってもサーカス相撲だし、負けるときが脆すぎる。稽古場では圧倒的に強いらしいが、稽古場と本場所では作戦の立て方が違うだろう。御嶽海のように稽古場では全く力を発揮しない関取もいるようだ。
 若い力士にはチャンスだ。貴景勝、御嶽海、北勝富士、阿武咲、豊山、竜電、阿炎。もうベテラン中堅の玉鷲、碧山、妙義龍、千代の国、遠藤などなどが抜け出して優勝争いを引っ張り出したらおもしろいのになあと思う。宇良が幕下でまたケガしたらしい。心配している。
1月28日(月)
スポーツ中継と嵐 
 先週は色々なスポーツ中継があった。
 まず、相撲が盛り上がった。横綱は全員休場。大関は3人中1人休場。出場した2人も勝ったり負けたりで頼りないことこの上ない。それでも何とかなるのだからさすがは大相撲なのだろうが、なんか騙されたような気がする。玉鷲と貴景勝、途中休場の御嶽海の活躍がなかったら散々だっただろう。
 テニスの錦織圭はすごかった。最初から綱渡りの勝利の連続でそれはそれで感動ものだった。勝ち抜いたそのメンタル面の強さに驚いた。大坂なおみの全米に次ぐ全豪優勝は快挙である。しばらく大坂なおみ時代が続く予感がする。これからも楽しみだ。いつか錦織がナダルやジョコビッチを抜いて世界一になってくれればもっと盛り上がることだろう。
 サッカーは正直期待外れである。試合がおもしろくない。点を取り合うわけでも、圧倒的に勝つわけでもなく、明らかに格下相手に苦戦を強いられている。解説者だけが、勝ってよかったと大騒ぎして、アジアで勝つことの難しさを語り(何十年同じ事を言うのか)あんなおもしろくもない試合でファンが増えるのだろうか。点をとる選手がいない。どっちみちとれないのなら、もっと若い選手を起用すればどうか。ドリブルでボールをとられる堂安、テクニックを披露しようとして相手に見抜かれている乾、得点に絡めない南野、もっと解説者は「何しているんだ、交代させろ」と言えばいいのに、何も言わずに褒める。何がいいのかさっぱり分からない。
 大阪女子マラソン、福士復活が大きなテーマのようだった。しかし途中で倒れケガをした。顔と両膝から出血していた。大事な選手なら素早く対処すべきだった。
 スキージャンプの小林選手が大活躍している。しかし日本では表彰台に上がれなかったようだ。高梨沙羅選手は今季は金メダルが取れない。2年前の快進撃は影を潜め、昨年のオリンピックで銅メダルがやっとだった。
 一世を風靡してもその期間は短い。世間はすぐに忘れる。衰えるとさっと波が波がひいていく。
 「嵐2020年末活動休止」のニュースが飛び込んできた。ファンでもないし1曲も彼らの歌が歌えない私にしたら、どうでもいいニュースなのだが、すぐに止めないで2年もの間「やめるぞ、やめるぞ」と言い続けるのはどういう気分なのだろう。それぐらい仕事が詰まっているということなのか「止められない事情」があるのか。かわいそうになあ、いっしょにいたくないのかもしれないのだとしたら。  
 1月26日(土)
大相撲
 稀勢の里が初日から3連敗したことで、八百長ではないことが証明されたのは皮肉だった。綱渡りみたいな相撲の大横綱白鵬。それでも全勝でさすがだと思っていたらまさかの3連敗で、優勝争いは玉鷲が単独トップの2敗。白鵬の負けっぷりが力のかげりを証明している。鶴竜も休場でいつ引退してもおかしくない状況だ。
 御嶽海は膝のケガで今場所はもうだめだろうと思っていたら、復活して3連勝で勝ち越した。昨日も勝った後、しばらく動けないようで足を引きずっていた。あと2日再起不能の大けがにならないことを祈るばかりである。
 貴景勝は急速に力を付けて勝っている。押し相撲の人は馬力はあるが安定感に欠ける。長く相撲を取り続ける人は四ッ相撲だ。転換期が来るのだろうがどうするのかな?貴乃花親方ははやまったなあと思う。弟子が大活躍するのが少し遅かった。  
1月10日(木)
円空の和歌
 
 昨日、名古屋市市民活動推進センターでガンダーラの会主催の「円空講座」があり、参加してきた。午後からなので新幹線を使わず、在来線で行った。京都から米原、米原から大垣、大垣から名古屋という快速を乗り継ぐ。2時間45分かかる。新幹線なら40分余。
 この2時間45分が楽しい。読書に専念できる。行きは何か円空に関する読み物を持っていく。米原過ぎると伊吹山が見える。米原からしばらく車窓から伊吹山を眺める。円空に会いに行くぞという気分になってくる。帰りは自由に読みたいものを読む。
 「円空講座」は初参加で、会場不案内だったものだから、通常10分で辿り着けるはずが40分以上ウロウロしてしまった。膝が不安定で時々「ピクッ」と痛みが走った。
 円空の「酒」を歌った和歌6首が取りあげられた。原文写真が資料で配付されたのだが、古文書独特のくずし字である上に、当て字も多い。円空の文字はクセがあって上手でない。読みにくいことこの上なく、まず読み下すのが難しい。その上神仏を称えるものが大半で、おもしろ味に欠ける。一度読んでみようかと試してみたが、早々に退散した。
 しかし、逆に考えると、円空の信仰と造仏の基調になるものを考察するのに残されている1600首は貴重であり、不可欠なものの1つになる。
 講師の小島梯次円空学会理事長の説明を聞きながら、原文と読み下された文を読み比べ、その歌意を探っているうちに分からなくなるの繰り返しで、時間が経過した。
午の年 泉能(の)酒越(を) 汲上て(汲み上げて) 我皇能(の) 春のいさ三(み)に 
 例えばこの歌だが、こう読めるようになるのがまず一苦労である。次に意味を考えるのだが、「午の年に泉の酒を汲み上げて、我が天皇は春をいざ見に行こうとしておられる」ということと「午の年に泉の酒を汲み上げて、我が天皇は勇み立っておられる(ますますお元気だ)」が二つを併せているように思う。つまり「いさ三(み)に」を「いざ見に」と「勇みに」の掛詞ではないかと思ったのである。
 「酒」を歌った円空の和歌が今回のテーマであったが、「神」「泉」「御神酒」との関係で歌われていた。自分が酒に酔っぱらっていい気分になっている円空は想像できなかった。泉の水を酒と比喩的に表現しているように私には思われた。和歌を詠っている時の円空は他人からの評価は別にして、和歌が詠める自分の世界を楽しんでいるように思う。
 円空の歌集「けさ百首」が「古今和歌集」を本歌取りしているというのは有名な話だがそういう楽しみ方ができるぐらい和歌を学ぶ意欲があったということになる。
 2,3月と講座は続く。「恋」「季節」を取りあげられる予定。  
1月7日(月)
特定検診

 
 今年度の特定検診が1月中であることを知らせてもらったので、行ってきた。
 本当は人間ドッグに入ってしっかり調べた方がいいのだが、どうも億劫だ。来年は申し込んでと毎年思うのだが、電話をかけて予約するのが面倒で、胃カメラやバリウムを飲んでひどい目にあったことがあるので躊躇してしまう。
 幸い病院は混んでなくてすぐにしていただけた。「尿を採取します」と言われたのだが、出がけにしたばかりで「出そうもない」と言ったら、「おられる間に」という返事。大丈夫かなと思ったが何とかなった。
 実はこの数週間何を食べてもおいしくないし、食べる量も減っている。食欲が無く胃が重い。それも診てもらいたくて特定検診にかこつけて行った。ひょっとしたらと思って、今飲んでいる膝の薬の成分表示してある資料を持っていった。大当たりで、膝を治す薬は胃を荒らすようで、その治療薬もいっしょに服用しているから大丈夫とのことであった。ひとまず安心したのだが、膝の痛いのも辛いが、食欲が無く食べ物がおいしくないのもおもしろくないものだ。
 そう言えば、膝のお医者さんが薬の説明してくれたとき「痛み止めと、胃潰瘍に効く薬云々」と言っておられた。私は膝の炎症を抑える薬と胃潰瘍の薬は同じなのかと思ったのだが、とんでもない誤解であった。
 早く膝が完治して、食べ物もおいしく頂きたいものだ。   
1月1日(火)
再生
 去年の正月に、自分は元気でもいっしょにやってるテニス仲間が元気でなかったらテニスも続けられないと言うことを書いた。この時、自分の膝がいかれて、自分が仲間に加われなくなるなんて思ってもいなかった。まさか自分の体に変調が来るとは。
 去年1年間でいくつもあれ?ということがあった。髪の毛が白くなり、ボリュームがなくなり透けてきた。頭の中も物忘れが激しい。クイズ番組を見ていると言葉が出てこないのにガッカリしてしまう。。
 坂道を歩いていると股関節と腰が痛くなってきて何度も休憩して腰を叩かなければならない。歩くのが遅く、みんなに抜かれてしまう。
 膝痛のおかげで筋力の低下、柔軟性のなさを痛感した。
 自分の老いや痴呆エピソードを笑っていられる間は、余裕があった。どこかでまだまだ大丈夫だと思っていたが、深刻になってくると笑えなくなる。ブレーキとアクセルの踏み間違いという老人の交通事故がニュースになると、私は何才で自動車運転を止めることになるのだろうと考える。自動車の安全技術の向上はめざましい。車の買い換えを勧められた。今度が最後になるであろう車だなと思う。
 今年は再生の年にしなければならない。   
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