木喰さんを訪ねる旅(18) (新潟県魚沼市) 正圓寺 |
新潟県魚沼市といえば魚沼産コシヒカリ。これしか知りません。新潟と言えば、米どころ、酒どころ。
そして木喰仏が全国都道府県第1位。私はもっとたくさんの木喰さんと会いたかったのですが、今回の旅行では魚沼市及び南魚沼市ではこの正圓寺のみでした。魚沼市の真福寺の三面馬頭観音は小栗山で作られた像ですから、小栗山と関係づけてぜひ見たかった像です。南魚沼市には大山不動明王(木喰が出家した場所の本尊)、妙見尊、愛染明王他ここでしか見られない像があったのになあ、残念。
雨が降ると周囲を感じる意識が失せて、正圓寺もマイクロバスから本堂へ早く行こうとしか思えませんでした。
聖徳太子像
(53cm)
聖徳太子像と言えば、上半身裸で合掌している像(幼児期像)、みずらを結っている像(少年期像)、成人し立派な髭を生やし冠位束帯した像などを思い浮かべるが、これは一体どうなのか?合掌、上半身裸は6歳までの太子を表現しているのだろうか。いや体型はすでに成人しているように見える。頭はみずらではない。よくわからないが、これが木喰のイメージする聖徳太子であったということだろう。よく知らない聖徳太子像を自己流に作るのが木喰流ということか。
私には背面に書かれている文字が正確に読めないので不正確かもしれないのだが…。
それで、色々参考にして解読を試みることにする。
頭光裏面、中央には「バク」(釈迦如来の種字)か。
背中には五行の文字がある。右から
「日本千タイノ内 寿百万歳
聖朝安穏増宝寿
太子尊 作木喰 八十七歳 花押
天一自在法門 五行菩薩
天下安楽興正法」
ではなかろうか。もう一行ある。
私が頂いた資料(高橋実氏作成)によるとこの像には「享和四年(1804)三月二十四日(享和四年(1804)は二月十一日に文化と改元)」と書かれているとあるので、一番左の行にはそれが書かれていると思われる。
「聖朝安穏増宝寿 天下安楽興正法」は仏説阿弥陀経の偈らしく、意味は「この世が安穏で幸福が増し、正しい仏法が興る」の意味のようだ。(「木喰仏入門」より)
寿百万歳とは何であろうか。目出度そうな文言だが、寛政九年(1797年)から文化2年(1803)年まで6年間200体を超す像に書かれた文字だという。(「木喰仏入門」小島悌二著P,100)