木喰さんを訪ねる旅19

(新潟県小千谷市吉谷村四ッ子地区)
大日如来石仏
  大変駐車しにくい場所に車を止めなくてはならなくて、降車に手間取った。木喰が石仏を彫る…大変珍しいことである。木喰の石仏は、茨城にあったらしいが、流されて今はないという話をされている方がおられた。
 確かに木喰仏の特徴を持つ像である。髪の毛、表情、後背いずれも木喰だと思う。しかし、本当に木喰がわざわざ石に彫ったのだろうか?何のために?この像と同じ絵柄の軸があるらしい。果たして木喰が彫ったものかどうか、この石仏像に対する関心はそこに集中した。
 

四ッ子大日如来石像佛

 池の横の斜面に二十三夜塔とともに祀られていた。かなり大きな石の中にこのような比率で彫り窪めてある。鼻が欠けている。三重の後背を背負い金剛界大日如来の智拳印を結んだ座像。
今回いただいた説明プリントに事務局長高橋実氏(「木喰仏を巡る旅」(新潟日報事業者・2011)が書かれた文書があるので、それを見てみよう。高橋氏が慎重に言葉を選んで書いておられることに注目したい。
 吉谷村四ッ子区の旧家渡辺家に宿泊を乞う。同家の記録には、ネズミ色の袷のまま、布団に寝ず蓆に身を横たえた。早朝読経しつつ冷水を浴び仏壇に参拝。その後彫仏。炉端で家族に人の道を説いた。米飯を断ってそば粉の練り食を食べ、万事丁寧謙虚であった等が活写されている。四ッ子では、木喰作と口伝されている全国唯一の石彫仏、大日如来像(140cm)を遺す。人々に信仰され、近年まで毎年八月末に祭礼が行われて来た。枝豆と米粉団子をお供えし、現九月一日にはおはぎを供え祭礼としてきた。他に恵比寿、大黒天の小像(約6Cm)を渡辺家に彫り置き今日に遺る。
 今回の全国木喰会新潟ツアーのガイドは全国木喰会研究会会長の広井忠男氏であった。広井氏はこの像が木喰作であることに何の疑いも抱いておられないようである。
 その著書「廻国放浪の作仏聖 木喰」(日本海企画社発行2017年5月)には、この石仏の所持者の方の家に伝わる話をまとめた先代の冊子を大変詳しく説明されている。そしてこの像を見学した柳宗悦一行がこの像を「全国木喰上人遺作中随一の傑作であると賞賛をし、折紙をつけた」とも記されていると書いておられる。
木喰が彫ったのか?
 木喰が彫ってはいないのではないかという疑問は次のような観点根拠からである
@木喰の石仏が他にない。
A木彫りのノミも石彫りのノミも両方持って木喰は旅をしていたのか?
B後背部に書かれている「光明真言」の種字が両側に一文字ずつはみ出して下に書かれている。木喰はそんなへまはしない。
 ここからは推定になるが、同じ絵柄の軸を見た石工が後年彫ったのではないかというのである。
 この石ずーっと回ってよく見ると色々な文字や、絵のようなものが彫られた後が見られた。
 その中で明らかにこの木食に関すると思われる文字を拾うと…。 

木喰に関する文字

■左(裏面に刻まれていた)
文化元(1804)甲子年七月日
願主 渡部徳右門

■右(大日如来像右下)
天下和順
天一自在法門

ではないかと思う。どうも筆跡が違うように思う。木喰の文字と比べると左はかなり上手すぎる。右よりはもっと伸び伸びした字を書くのではなかろうか。

 

木喰は石仏彫刻から始まった!?

 「円空と木喰」(五来重著:淡交社・平成9年再編集刊)にこんな記述がある。
 「彼(木喰)の修行と彫刻は大山修験をのぞいてはかんがえられない。木食と言うことも修験道の十界修行のうち、飢餓道におちないための穀断行であるが、彼の彫刻は修験のおこなう磨崖仏や石仏の彫刻がもとである。元来、大山石尊権現は神仏分離以前は不動明王石像といわれ、または大槻の自然木に彫刻された明王権現ともいわれる。木喰仏が一木彫成であること、立木観音、立木薬師などの立木像の多いこととおもいあわすべきである。また石尊詣りの大山土産は木地挽物が江戸時代から有名で、木彫りの伝統もある」(P,190)
 滋賀県蒲郡竹田神社の狛犬のことが書かれている箇所にこんな記述がある。
 「世には会津塔寺の立木観音や近江大津の南郷町立木観音のように、立木をそのまま丸彫りした立木像もあるが、いずれも巨石や立木に神霊をみとめる原始宗教からでた修験の信仰である、このように聖に石仏・磨崖仏をつくる習性があるということと、木喰行道が聖であったということと、木喰仏に石仏・磨崖仏の手法がみいだされるということと、佐渡金北山で石像大黒天を彫ったことと、彼は近江蒲生町T神社でも狛犬を彫ったということがそろえば、磐城稲荷五社大明神の石造唐獅子を木喰行道が彫刻したという可能性は、彫刻したに違いないという要請的判断までゆくのではないだろうか」(P.245)
 四ッ子で石仏像を見ながら、そして確かどこかで木喰は石仏を彫ることから始めたという説があったと思って、帰って調べたら、五来重氏の論説であった。
@彼の彫刻は修験の行う磨崖仏や石仏の彫刻がもとである。
A聖には石仏・磨崖仏を彫る習性があったということ
B木喰仏に石仏・磨崖仏の手法が見いだされること
と断定されているのだが、その手法に具体性がないので、木彫の手法と石彫の手法の具体的な違いをぜひ説明して欲しかったと思う。
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