木喰さんを訪ねる旅
(20)

永隣寺
(群馬県富岡市下丹生)

 ガンダーラの会が、2017年12月3日(日)〜4日(月)「諏訪大社・万治の石仏と群馬の円空仏を見る」ツアーを開催され、参加した。円空仏拝観がこのツアーの主目的なのだが、思いがけず木喰仏とも会うことが出来た。
 ツアー二日目、群馬県渋川市水澤寺の円空さんを拝観したあと、富岡市の貫前神社に向かった。到着後ツアー参加者の希望で、貫前神社を参拝するグループと永隣寺の木喰仏を拝観するグループに分かれた。
 木喰は群馬に五回巡行している。そして二体の木喰仏を残している。渋川市雙林寺の「享和二年十一月十七日」という背銘のある観音像とこの永隣寺にある尊名不詳の像である。
 この頃の木喰の足跡を年譜(小島梯次著「木喰仏入門」(2014・まつお出版)で見るとこうなっている。
・寛政12年庚申(1800・83歳)十月廿五日、丸畑に戻る(『南無阿弥陀仏国々御宿帳』)
・享和元年辛酉(1801・84歳)丸畑・四国堂の四国霊場八十八体仏、自身像等を造像(背銘)
・享和二年壬戌(1802・85歳)二月八日、四国堂仏開眼供養
                 二月二十一日、「四国堂心願経」を書く(同書)

                 三月頃、四度目の廻国出立。長野県、群馬県を経て新潟県を再訪(『四国堂心願経』・背銘)
 故郷丸畑で念願の四国堂の大群像を彫り終えたものの様々に難儀していた木喰は失意のうちに故郷を離れ、四度目の巡錫の旅に出た時に群馬の二体は彫られたことになる。

尊名不詳像

 ご覧のように損傷が激しく尊名が決めにくい像である。
 この像の来歴をご住職からうかがった。それによると、この像は近くにあった福王寺の薬師堂にもともとあったのだそうだ。薬師堂は朽ちており、雨漏りがして老朽化していたらしい。福王寺が廃寺になり、昭和20年か30年代に永隣寺に移されてきたとのことであった。

 お顔が痛んでいて痛々しいのであるが、足や手の造形で類似像を捜すと、「役行者像」「金比羅大権現像」「山の神像」が候補になる。岩の上に足を開いて座り、手を衣で覆い隠している。しかし円光背があることが、それらの像と異なる。
 木喰は、背銘に種字・尊名・彫像年月日など丁寧に書くので、背銘を見てみよう。
   
 雨にうたれて、文字が判別できない。一文字でも判別できればと講師の小島先生はおっしゃっていたのであるが、私には何か書いてあることしか分からない。
 富岡市永隣寺から渋川市雙林寺を経て、越後(新潟)へ入った木喰さんは、長岡氏上前島の青柳家に世話になりながら越後各地に傑作の数々を残す。この像は四国堂の傑作群と越後の傑作群の中間期の像である。
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