藤尾磨崖仏
(寂光寺・大津市藤尾奥町13−11рO77−522−7739)
昔、京の都から近江へ出るメインの道は東海道。京都からだと三条通を通って逢坂山を越えて大津へ出ます。この道を「本関」と言ったそうです。
しかしこの一本だけではなくて、間道がありました。それは「小関(おぜき)越」という道です。「本関」に対して「小関」です。京都は琵琶湖から疏水をひくという大工事をするのですが、この疏水が一部「小関越え」と重なっています。
琵琶湖疏水を浜大津取水口から南禅寺まで歩いた時に、この藤尾磨崖仏を見つけました。あれ、ここだったのか…と思いました。第二堅坑(たてこう)が藤尾の集落にあり、その中に磨崖仏もありました。
藤尾磨崖仏の阿弥陀さんを見たのは石仏の写真集でした。どの本だったかもう忘れましたが、その美しさは記憶しています。
すぐにでも見せていただきたかったのですが、予約が必要でした。番号をメモしたのですが、その後機会を逸してきました。どうもご縁がないようでした。
今日、2008年9月7日(日)やっと藤尾磨崖仏との対面が実現しました。
磨崖仏のおられるお堂の前に下のような看板が立てられていました。
大津市指定文化財 彫刻 藤尾磨崖仏 十五躯(大津市藤尾奥町) |
小関越えの途中にあり、古くは「山田堂」「藤尾観音堂」と呼ばれる寺にありました。 高さ278cm・幅566cmの横長の花崗岩に、大小十五体の像と梵字が彫られています。 中尊は、像高148cmの阿弥陀如来像で、向かって右側に観音・勢至の両菩薩像、日狩り川には地蔵菩薩像が彫られています。阿弥陀如来像の光背外側に「延応二年」(1240)と読めそうな刻銘があり、像の様式から見ても鎌倉時代の作と考えられています。これに対し、他の諸尊は形も小さく、、彫法も粗荒なものがあるところから、後に追刻したと考えることができます。 昭和56年(1981)1月、大津市の指定文化財に指定されました。 大津市教育委員会 平成7年(1995)三月 |
寂光寺は日蓮宗のお寺です。何でも明治時代に改宗したのだそうです。寂光寺は鉄筋コンクリートの新しいお堂です。藤尾磨崖仏はその隣のお堂です。
お堂の鍵が開き、中へはいると住職が待っていて下さいました。御簾が上げられると、磨崖仏が現れました。ウーン見事!
何と行っても中尊の阿弥陀さまが美しいお顔をしておられます。
阿弥陀三尊は、観音菩薩と勢至菩薩を脇侍にした三尊像です。しかしこの阿弥陀さまの向かって左には地蔵菩薩がおられて、右に観音菩薩と勢至菩薩がおられるという変則型。私は梵字が読めないのですが、おそらく阿弥陀さんの舟形二重光背内の梵字は阿弥陀さまの「キリーク」でしょう。そして同じく中尊の左右に観音の「サ」と勢至の「サク」の梵字が描かれているのだろうと思いながら、拝ませていただきました。それにしてもお顔がよく残っています。相当深く彫られていて、厚肉彫りですが、丸彫りに近い印象を持ちました。
この磨崖仏は切りとられて壁に立てかけられているのかと思ったのですが、そうではなくて、磨崖仏の前面部をお堂内にして、壁を塗り、お堂の外に岩は出ているというのです。これは富山の日石寺の不動明王と同じです。
地蔵菩薩もよく残っていて美しいお顔をしておられます。観音・勢至菩薩の右にお釈迦様がおられるようです。 阿弥陀三尊と地蔵菩薩そしてお釈迦さんには蓮華座が用意されています。小像はよく分かりませんが後刻のようです。
住職から由緒書きをいただきました。このように書かれておりました。
寂光寺の磨崖仏についての由緒 |
この磨崖仏は高さ十尺横二十尺に互って山より突出した花崗岩を垂直に切って、その崖に浮き彫りしてあります、 中央に大きく阿弥陀如来像(中尊)その左に地蔵立像、右に観音立像勢至立像、釈迦立像の五体が浮き彫りされている。その上下に小さな像が五体ずつ彫られて、大小合わせて十五体あります。 作者は地元では「三井寺開基智証大師一夜の作」と伝えられているが、もとよりさほど古いものではないが、不明である。 中央に銘が刻まれているが、それを判読すれば 延応貳年庚子二月廿二日供養 とあり今から七百六十余年以前になります。 この寺は、もと山田堂と言われ又観音堂とも呼ばれています。この石仏は、もと露仏だったと思われますが、寺前の途は小関越といって逢坂山の本関に対する裏関に通ずる途です。昔は人通りも、多くて道行く人がここで一服し、清水を飲み弁当を使ったようです。かくてここに古い石碑が三基残っていて、その中に元禄年間了慶法師の文字が判読されます。 昔はこの奥に三井寺三千坊と呼ばれる多くの寺院がありましたが、織田信長の如意ヶ嶽最初の焼きうちに逢い殆ど焼失しましたが、次回の焼きうちにて僧堂も焼け、その焼跡にあった尊像を村人が見つけ一時預かっていた山田堂改築に伴いここに移された聖観世音菩薩があります。(新本堂)昭和六十一年十月東京芸大芸術学部、水野敬三郎教授一行が調査されました結果「紛れもない運慶派の一作ととして見事な出来映えを示す聖観音像に一同大いに感銘をうけました」とお言葉を戴いています。 平成十九年四月 寂光寺 住職 |
住職が
「あなたは、どの仏様とご縁があっておみえになったと思われますか?」
とおっしゃいました。私は、
「やはり、阿弥陀さまですね。私が今まで拝ませていただいた石仏の中で一番美しいと思います」
と申しました。
住職がなぜこんな質問をされたのか、不思議に思いました。
「住職は、この中でどの方とのご縁を感じておられるのですか」
と聞きましたら
「時によって変わる」
というようなことをおっしゃいました。
日蓮宗に阿弥陀信仰はありません。自分の宗派では信じない仏のお守りをされることはどういう心境なのか伺おうかと思ったのですが、嫌みに聞こえても本意ではないので聞かずに失礼しました。そのかわり、日蓮宗でなぜ鬼子母神をお祀りされるのか伺いましたら、丁寧に教えていただきました。
お忙しいのにお相手して下さいました。謝。
2008・9・7(日)撮影・作成