生誕300年の 木喰さんを訪ねる旅(23) 生家にある五智如来 (山梨県南巨摩郡身延町丸畑) |
2018年は、木喰さんの生誕300年にあたる。生誕地である身延町なかとみ現代工芸美術館で、「木喰展」(7/14~10/21)が開催された。ガンダーラの会が「木喰展と富士山を見るそして下部温泉」という1泊2日ツアーを計画された。「信玄のかくし湯」だという下部温泉にも魅力を感じたし、木喰の生誕地丸畑にも一度訪ねたいと思っていたので参加した。この展覧会の監修者である小島梯次全国木喰研究会評議員がガイドとして解説して下さるのであるから、こんな願ったり叶ったりのツアーはない。
10月10日(水) 名古屋駅午前8時出発
①富士山本宮浅間神社
②木喰展
③下部温泉(泊)
10月11日(木)
①木喰生誕地丸畑訪問(木喰の郷微笑館・木喰生家・四国堂・永寿庵)
②身延山久遠寺
名古屋駅 午後6時半到着 という日程であった。
「木喰展」のことから書いたらいいのだが、初めて拝見できた生家にあった五智如来のことから書いてみる。
(1)五智如来
左から順に、釈迦如来(85cm)、阿弥陀如来(88cm)、大日如来(84cm)、宝生如来(82cm)、阿閦如来(88cm)である。
五智如来というと、密教の金剛界五仏、退蔵界五仏に登場する五体の如来像である。この生家の五智如来は金剛界五仏である。不空成就如来は釈迦如来と異名同体らしい。最初不空成就如来がないのでおかしいなと思った。木喰の五智如来と言えば、宮崎国分寺に五智如来が本尊として残っている。生家にある五智如来と同じ五体である。
木喰が、15年ぶりに故郷丸畑に戻ったのは、寛政12年(1800)十月二十五日のこと。この像は、享和元年(1801)年永寿庵の修理後安置されたようである。木喰がこの像を彫ったのは寛政12年(1800)12月頃、木喰83才の頃と思われる。
永寿庵は、丸畑にある「木喰の郷微笑館」から徒歩10分ほどのところにあり、現在は無住で建物とこの五智如来を保存していた倉が残っており、下中央の説明板が草むらに倒れていた。生家はこの寺の檀家総代をしておられるらしい。。
(2)背銘はないか?
木喰は、メモ魔と言ってもいいくらい丁寧に記録を残している。自身が彫った像の背面にも種字、真言、尊名、彫刻した日時、願文、お経の一節など書いている。果たしてこの5体にも書かれているのかどうか、赤外線写真に挑戦してみた。
五体の裏側の写真を撮るために持ち上げた。相当な重量であった。
5体とも挑戦してみたが、はっきり文字が浮かんだのは下左のもの。宝生如来の台座に補修の跡があり、文字が見られる。「五行壽・」かなと思ったのだがどうだろう?五行と来たら菩薩と続いてほしいのだが、どうも壽に見える。他の写真も字のようなものは散見できるのだが、読めない。何か書いてあるようなのだが私の手に負えない。この五智如来の頭光光背に通常書かれる光明真言も黒ずみではっきりしない。