木喰さんを 訪ねる旅(30) 佐渡博物館蔵 (佐和田個人寄託) 大黒天 |
佐渡木喰ツアー2ヶ所目が佐渡博物館であった。ここには宗教民俗コーナーがあって、その中に木食さんの大黒天があった。すでにガラスケースから出して、私たちが見やすいように準備して下さっていた。木食さんの
大黒天
(94Cm)
保存状態も大変よい大黒天像である。太い眉、目元、口元に微笑を浮かべている。アゴひげを蓄え、大黒頭巾を被り、右手に打出の小槌、左手に大きな袋を持って肩にかけている。因幡の白ウサギに出てくる大国主命と同じだ。
この大黒天は、右手が米俵に乗っている。左膝は立て膝で、右は左へ流すように伸ばしている。
一番下にネズミが彫ってあり、そのネズミのシッポや顔がホンモノのネズミにかじられている。
大黒さんが乗っている丸いものは何だろう。石ころを積み上げているのだろうか。
佐渡の木喰仏その種類
No | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | |
仏神名 | 自刻像 | 九品 阿弥陀仏 |
「ア」字像 | 大黒天 | えびす大黒 | 地蔵菩薩 | 薬師如来 | 観音菩薩 | |
数量 | 1 | 9 | 1 1 | 8 | 1対(2) | 6 | 2 | 2 | 31 |
このまとめは、「木食さんの佐渡」(萩原光之著・2008・アサヒメディア)をもとに分類した。1,2の自刻像と九品阿弥陀仏は昭和17年(1942)平沢大火で焼失している。柳宗悦の写真が残されており、近く自刻像が復刻されるらしい。
これを見ると、佐渡で彫り残したものは、大黒天(荻原氏は12体と書いておられる)と地蔵菩薩が多いのが分かる。個人蔵のそれらが多いところからも、佐渡の方々の願いは、福徳成就、子どもを守ってほしい、苦楽救済という誰もが願う信仰であることが分かる。木食さんは、そう言う声に応えて造像されたのであろう。
大黒さんの姿
小島梯次先生と、この大黒天像を見ていたときに、小栗山観音堂の大黒さんとこの像の大黒さんの違いについてうかがった。私は全く違いに気づいていなかった。新潟県小栗山観音堂や京都丹波八木町蔭涼寺の大黒さんは、米俵の上の自分の持っている大きな袋に乗っている。しかしこの像では、袋は肩にのせ米俵を左側に立て、肘をついている。
佐渡の大黒像にも色々あって、大きな壺の上に米俵があり、もう一俵米俵を立てて肘をついているものもある。よく見かける2つの米俵を縦に並べ両足で立つというオーソドックスなものもある。
一番変わっているのは三面大黒天で、同一面に正面は大黒天、左に弁財天、右に毘沙門天がある。江戸時代の版画に同じ趣向のものがあるらしい。
これは私の印象だが、大黒天像はすでにこの頃に微笑をたたえており、その像容は完成形を迎えているように思える。
それに比べて、地蔵菩薩像は、未だ木喰独自の彫りではない。目をつむり冥想しており、口元もほころばず表情が硬い。
背面である。木食さんは全く背面からこの像が見られることを意識していない。 たくさん文字があるようであるが、木の模様でもあるようで悩ましい。 左の写真には、「年」と読める文字が見える。その上が、「二」なのか「三」なのか分からない。「子日」と読める字もあり、しっかり読めたら、作像あるいは開眼の日が分かるかもしれない。 |