木喰さんを訪ねる旅
(31)

河井寛次郎記念館
京都市東山区
五条坂鐘鋳町

①玉津嶋大明神
②釈迦如来
 京阪五条駅(現清水五条駅)を降りて五条坂を清水寺へ向かう。子どもの頃この駅を利用するのは、お盆に東大谷廟へ行くときか、陶器市(8月中旬)の時。京阪は地下に潜る前で北側の道は、活気のある商店街だった。若宮八幡宮(陶器神社)を越える辺りからは陶器を扱うお店が軒を連ね、作家さんの窯もあって、いかにも清水焼の本場であるという場所であった。
 今日は南側を通る。五条通は京都では珍しい広い通り(戦中強制疎開)で、上下六車線である。南側にも「高橋道八」の居宅跡碑があったり、清水六兵衛の工房があったりする。
 少し大きくなって、少し北にある松原通が秀吉頃までは五条通だったと知る。その松原通沿いに京都七福神巡りや空也像で有名な六波羅蜜寺があることを知ったり、幽霊飴本舗、「六道詣り」の六道珍皇寺など六波羅は髑髏原からきているなどと知るに及んで、鳥辺野、渋谷街道と結ばれて、また違った歴史的な意味ある地域に見えてきた。
 今日は、河井寛次郎記念館へ行く。私は3回目である。柳宗悦、浜田庄司らと民芸運動を起こした河井寛次郎は、その後富本謙吉やバーナードリーチとともに日本の陶芸界に大変革を巻き起こした。
 六兵衛工房の東の細道を100m程下がると寛次郎が自ら設計した記念館に着く。建物も部屋の中も気分が落ち着く。河井寛次郎は陶芸だけでなく木工作品の作家でもあり詩人でもあった。記念館にある机や椅子家具などなど。みな民芸運動に賛同した寛次郎の息がかかったものばかりである。
 ここに木喰仏があることを知ったのは、今から十数年前のことで、つい最近のことだ。
 生誕290年を記念する展覧会の図録で知った。2018年の生誕300年記念の身延町の展覧会で玉津嶋大神宮を拝見した。柳宗悦が民芸運動を興した影響でスポットが当たったものは、数々あるが、「木喰仏」もその一つだ。河井寛次郎は浜田庄司を介して柳宗悦と知り合ったそうだが、丁度その頃、柳は木喰研究に没頭していた。河井が木喰に関心を持ったのは、柳の影響あってのことであろう。寛次郎館にある2体(一燈園にあるものを合わせると3体)をいつどのようにして河井寛次郎が手に入れたのか、今となってはよく分からないそうだ。 

猪名川町個人宅で彫られた
玉津嶋大神宮
(50cm)

 「玉津嶋大明神は、紀州和歌浦に鎮座する神で、衣通姫(そとおりひめ)の別称があり容姿端麗な女性神とされる。
 木喰の玉津嶋大明神は、長烏帽子を冠り、袍衣、括袴(くくりはかま)、沓を履いた男性神として彫られており、衣通姫から抗議がきそうである。
 「文化四年七月四日」の日付がある四体の像の内、「松尾大権現」(猪名川市個人蔵)を除く「人麿大明神」(明石市無量光寺)「山邊赤人尊」(東京都目黒区日本民芸館)「玉津嶋大明神」(京都市河井寛次郎記念館)は、和歌三神といわれている。木喰は六百を超す和歌を遺しており、和歌に対する思いからの造像であろう。
「生誕290年木喰庶民の信仰の微笑仏」(2008年発行)小島梯次作品解説より

 後頭部にアーンク(最高位五点具足胎蔵界大日如来種字)が書かれ、背中中央に「玉津嶋大明神」の文字。
 目元優しく微笑んでおられるが、 眉が太い。首の回りのキリシタンの「ひだ襟」のような装飾を木喰は時々用いる。これは禁制に引っ掛からなかったのだろうか。16~7世紀盛んだったキリシタン信仰に対する弾圧も、木喰の時代18世紀になると見逃されたのだろうか。それよりこういうデザインをいつどのようにして木喰は自分のものにしたのだろう。
四国堂仏の一体
釈迦如来
(72cm)
 釈迦如来は、渦巻のような大きな螺髪が特徴である。木喰の釈迦如来は十五体が現存し、初出は宮崎県西都市三宅・木喰五智館の像であるが、最初から渦巻きようの螺髪で彫られている。
 木喰は、九州への行き帰り二度にわたって四国八十八ヶ所霊場を巡錫している。
 故郷山梨県丸畑に戻った時、近郷の村々の懇望によって、四国堂を建立、四国八十八体仏を造像することになる。協力者が段々脱落し、十三人にまでなるという難儀を経ながらも、享和二年(1802)に四国八十八体仏、大黒天、弘法大師像、自身像の合わせて九十一体の像を開眼させた。
 大正八年に、諸事情によりこれら九十一体の像が、四国堂から流出することになってしまう。大正十三年にこの内の三体の像が、偶々柳宗悦の眼にとまり、木喰仏が世に出るきっかけとなったのは歴史の皮肉といえるかもしれない。
 全国各地へ散逸した九十一体の四国堂仏の内(うち八体は南沢村の三軒に与えられた)、現在四十一体の行方が確認されている。「生誕290年木喰庶民の信仰の微笑仏」(2008年発行)小島梯次作品解説より
 玉津嶋大神宮に比べ大きい。いかにも四国堂仏だなという蓮座であり、その下の座である。この螺髪は木喰のイラストレーターとしての才能を表しているようだ。お釈迦様はインドの方で癖毛だったと思っていたのか、満開の花のような髪型がインドの仏祖釈迦にふさわしいと思ったのか・・・となるとガンダーラの仏像に関する何らかの知識が木喰にはあったのか・・・色々想像させる。  

河井寛次郎館と木喰仏

   河井寛次郎記念館には、木喰仏以外にも色々心惹き付けられるものがあります。京都の町屋にすっかり溶け込んでいるのですが、日本各地の民家(主に飛騨高山)を参考にしつつ、独自の構想で設計し、昭和12年に建築されたものだそうです。床は朝鮮貼りだそうです。こだわりの家なのです。調度品や家具なども寛次郎好みで自作品を並べています。
 私は二階の書斎がいいなと思う。風通しがよく、机も椅子も使い心地がよさそうで、しかも重厚です。
 座卓に使われているのは、大きな木の火鉢で、鑿跡が残っている。冬期になると火鉢になり、春夏秋は裏返して、座卓になると言うもので、カッコイイ!
 1階の居間の家具もあこがれます。
 お孫さんが学芸員をされていて、色々説明してくださいました。「ここは、私達の生活の生活スペースなのです」とおっしゃったのが印象的で、今もここに住んでいるという感覚で管理されています。
 左のスペースはもともと河井寛次郎記念館にあったもう一体の四国堂仏千手観音像(現在一燈園資料館)がいつも祀られていた場所です。戦時中に疎開されそのまま寛次郎が返却を求めなかったということでした。大八車で五条坂から山科まで運んだという話が残されているそうです。 

底面を見る

玉津島大神宮底面 釈迦如来像底面
 のこぎりで伐られ、墨つけがなされ文字も書かれています。カセイ大工青柳與清の仕事がはっきり見えます。はじめて見ました。木心はそのままにして彫っています。    この像は山梨で彫られたものですが、チョウナの跡がはっきり分かります。像の底面だけでなく背面にもチョウナの跡が見られました。 
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