木喰さんを訪ねる旅

(32)

岡谷市
諏訪市
NO 廻国年月 訪問地 像名  年齢  
天明6(1786)4月8日
         4月14日
茅野市社宮寺
諏訪郡法隆寺観音堂
十一面観音
普賢菩薩
69歳  第3回廻国 
 丸畑で四国堂仏開眼供養(享和2年2月8日)。四国堂心願鏡を書く(2月21日)。三月に4回目廻国出発。    
享保2年(1802)4月4日 諏訪郡下諏訪町念仏講 薬師如来
金比羅大権現
85歳  第4回廻国
(新潟へ)
  享和2年(1802)4月  岡谷市  拝滝不動尊  85歳  第4回廻国 
享和2年(1802)から文化3年(1806)にかけて新潟各地を巡錫し各地に仏像を残す。
文化2年(1805)自らの米寿を祝し正月朔日、八木版画を送る。     
文化3年(1806)5月20日 岡谷市中谷不動堂
岡谷市
不動明王
文殊菩薩
89歳  第4回廻国
(京都行き) 
文化3年(1806)12月8日京都府南丹市清源寺で造仏。明満仙人に。
文化4年(1907)蔭涼寺。(日本二千ノ内ナリ)と記す。 
 4 文化4or5年(1807or8)  諏訪湖周辺で書画を残す  大日如来図他  90歳
or91歳 
第4回廻国
(猪名川帰り) 
 
諏訪湖周辺の岡谷、諏訪、茅野に木喰さんの巡錫の跡が残されている。4期の来訪があった。
 木喰さんは、生涯に4回の廻国をした。その3回目の廻国の時、佐渡から故郷の丸畑に戻り、その2週間後に出発し、長野県に着いた。長野から東海・北陸・近畿へ赴き、四国、九州へ向かった。木喰69歳の時のことである。(NO.1)
 第4回目の廻国時の長野来訪は、故郷丸畑で四国堂仏を残したあと、再び佐渡へ向かう途中である。(NO.2)。新潟でめざましい造像活動を展開し、加勢大工青柳興清を連れて、京都へ向かう途中、ここで活動した。(NO.3)
 さらに、兵庫の猪名川から再び此の地を訪れ、その先は不明となる。

(1)享和2年の木喰仏
第2回来訪時

不動明王
(29.5cm)

 「拝滝不動」というらしいのだが、果たして不動の上や下にあるのは滝なのか火焔なのか。滝よりも火焔ではないかと思う。右手には剣を持っていたのではなかろうかと思うのだが・・・。
 享和2年4月木喰85歳の時の作。岡谷市の文化財に指定されている。
薬師如来
■像容
 薬師如来の頭部は本来なら如来肉髻だが、木喰は長髪で頭上に丸い髷を結ったように造る。大きな薬壺を持ち衣服をたくしたように持っている。
■背銘
日本千タイノ内 八万歳
聖朝安穏増寶壽
  天一自在法門
バイ 薬師如来 木喰 八十八才
          五行菩薩(花押)
天下安楽興正法
 享保二年四月四日
 
・木喰は「歳」を「年」の意味に用い「才」を年齢の意味に用いる。
・聖朝安穏増寶壽と天下安楽興正法は阿弥陀経にある願文。
・享保2年は1802年で、木喰85才。
・天一自在法門というのは、宗派にとらわれない自らの立ち位置の表明であろう。「八宗兼学」と同じ意味合いで使うようだ。
金比羅大権現
 この像は役行者像と言われているようだが、金比羅大権現に間違いないだろう。
 この前の薬師如来に近い場所で伝えられてきた木喰仏である。
 この像容と同じ金比羅大権現を私は新潟で拝見した。上前島の金比羅堂、長岡市の崇福寺である。
 諏訪から新潟へ廻国に向かっていたということで、新潟の前に彫られていたことが分かる。
 この像は近現代彫刻を見ているようだ。目が窪み二十まぶたになった老父に見える。
 衿付近の飾りはキリスト教の宣教師のようにも見える。

(2)文化3年の木喰仏
第3回来訪時

■不動明王(79.0cm) 
 微笑仏が木喰仏の代名詞だが、この像はやや趣を異にし迫力で迫ってくる。
 火焔を彩色を施すことで強調し、髪の毛や眉を黒く彩色して効果を上げている。色が見事に残っていて感心した。秘仏として大切に保存されてきたのであろう。背面も文字が見事に残っている。
*1天下和順    作
       天一自在法門
(カーンマーン) 不動明王 木喰(花押)
                  八十九才
日月清明  *2文化三寅歳  五行菩薩
                 五月廿日ニ
*1:「日月清明」「天下和順」は無量寿経の偈 *2:文化3は1806年 
■文殊菩薩
(30cm)

背銘
天下和順  作
天一自在法門
(マン)文殊菩薩   木喰(花押)
        八十九才
日月清明 文化三寅年 五行菩薩
         五月十四日ニ

 はじめて木喰さんの文殊菩薩像を拝見しました。
 頭の表現がユニークです。木喰さんの薬師如来に似ていますが、この像は二重になった帽子のような頭頂部になっています。
 左手に経文を持ち、結跏趺坐して岩に座し、膝下には獅子がいます。
 沓を履いておられるように見えます。
木喰という文字のこと
 今まで背銘を何度も見てきたのだが、諏訪地方の木喰仏を見ていて、はじめて気づいたことがあった。
 私は口偏をしっかり書いたのだろうと思いこんでいた。しかし左の写真のように「食」に「゛」を打って書いていたようだ。これは軸を見ていて教えていただいたのだが私には新発見であった。
 木喰さんは寛文4年にはじめて「木喰」と書き、長い間「木喰」と「木食」を併用したらしい。文化3年「明満仙人」と改名してからは「木喰」に統一される。
 これは不動明王の背銘の「゛」のある署名だが、改名直前の記名になる。

木喰さんの軸
(第3回第4回来訪時)

 諏訪地方に猪名川から帰ってからの軸が多数あることが分かった。木喰さんの最晩年のことは不明であるが、4回目の廻国をして戻って来られたことは、この軸群の年号からはっきりする。から
①南無阿弥陀仏名号軸 ②年徳軸  ①南無阿弥陀仏名号軸
(文化3年89歳)
天下和順 天一自在法門
南無阿弥陀仏 木喰 八十九才 (花押)日月清明  五行菩薩
年徳軸
(文化4年90才)
一番上のクルクルした模様は意味不明。
福は内 まめで 納むる 年のくれ
めったむしょうに まめの 世の中
神通光明 木喰 明満仙人(花押)
 
③阿字軸
皆人は 神と佛のすがたなり
なぜに其身を しんぜざりけり
           九十才
神通光明 木喰 明満仙人(花押)
*返り花に「僧・佛・神」。三宝は(仏・法・僧)だと思うが、「神」が入っている。
蓮華の上にある梵字は阿弥陀三尊のもの勢至菩薩(サク)、阿弥陀如来(キリーク)、観音菩薩(サ)。
④五点具足阿字軸
神通光明 木喰 九十才(花押)
明満仙人
返り花に「「僧・佛・神」の文字。蓮華の上に「ア」の梵字が荘厳されてある。周囲を波の模様で囲み光明真言が囲んでいる。阿字観という冥想をするときにこの軸をかけるそうだ。(古義真言宗)木喰さんのレタリングセンス見事。
金剛界大日如来図
天下和順 日月清明
返り花に「「佛・法・僧」の文字。
神通光明 木喰明満仙人
大日如来の宝冠の中心点にコンパスの針穴がある。衣に梵字多数。
③阿字軸  ④五点具足阿字軸  剛界大日如来図 
     
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