木喰さんを訪ねる旅
(33)

京都来訪時の木喰
納経社寺と御宿帳記載場所


 木喰さんが京都市内に足を運び各所に納経したことが分かる資料が二つある。一つは『南無阿弥陀仏国々御宿帳』であり、もう一つは『納経帳』である。一体京都のどこを巡り、どんな速度で歩きまわったのかを この二つの資料を合わせ一覧表にしてみた。
 私がこの資料から気づいたことや思ったことをまとめてみる。

 *この表で「御宿帳」に記載されている日時は、その日朝時点(つまり前日宿泊した場所)を表している。「納経帳」の日時記載は当日各寺社で書かれたものである。

(1)丹波国分寺を拠点に

 江戸時代廻国の行者はどこに宿りながら全国各地を巡ったのか、その具体的な姿がもう一つ私にはイメージできなかった。しかし『南無阿弥陀仏国々御宿帳』を読んでみて、少しだがイメージが膨らんだ。
 例えば木喰さんの場合三月朔日に丹波国分寺で籠もったと書いてある。その前に西国霊場札所穴太寺に詣でた後、丹後国一宮(出雲大神宮)や鍬山神社に詣で、、丹後国国分寺を訪れている。そこでお堂に籠もったということになる。『御宿帳』はその後このように続いていく。

・三月朔日 タンバコクブンジ コモリキ(丹波国分寺 籠もりキ)
・二日 ヤマシロノクニ ヲウサカヤ 二十四文(山城の国 大坂屋 二十四文)
   アタゴフモト モクヒョウヘ(愛宕麓 杢兵衛) 
・三日ヨリ 九日迄 コクブンジ 十二文(3日より九日迄国分寺 十二文)
・十日 ヤマシロ クラマ ゴロウザヘモンキ(山城鞍馬五郎左衛門キ)
 
*( )内の漢字は私が直したものである。人名などは私の想像であり正確なものではない。
 
 丹波国分寺(亀岡市千歳町国分桜久保25)から愛宕山(愛宕神社)の麓で民家に泊めてもらい 翌日登山参拝したようだ。
 その翌日三月三日ヨリ九日迄、市内から亀岡まで戻り、国分寺から市内(ミヤコ)を目指して歩いたようだ。
 
 丹波国分寺は現在無住で史跡として本堂などが残っている。護勇比丘によって1774年(安永2年)ごろ或いは宝暦年間(1751~1764)に再建された。
 木喰の来訪時天明7年(1787)はまだ再建の熱が冷めていなかったと思われ、丹波国分寺の再興を目の辺りにして 日向国分寺再興(1788・木喰再興)に影響を与えたのではなかろうか。
 木喰さんの仏像は大きいものが多く、各家では彫らなかったであろう。ある程度の期間腰を落ち着けて彫刻しておられるように思う。
 この京都市内訪問は、あくまでも自身の見聞を広め、各寺社に納経することが目的の旅であったようだ。もし仏像を残した可能性があるとしたら、丹波国分寺かな。

(2)木喰さんが納経した社寺

①西国三十三ヶ所霊場
②各国国分寺
③各国一宮
④その他有名寺社
 浄土宗は百万遍知恩寺 黒谷(金戒光明寺)の二ヶ所。浄土真宗の寺は訪れていない。禅宗寺院も訪ねていない。例外は宇治の黄檗宗万福寺。ここの像は丸く大きく木喰の像と似ている。
 神社では愛宕、八坂、賀茂、伏見稲荷、北野天満宮を訪れている。
 「籠もり」と言う言葉があると、木喰さんは読経をしたのだろうか、阿字観で冥想に耽ったのだろうか、あるいは仏像を彫ったり絵を描いたり字を書いたり和歌(道歌)を詠んだりしたのだろうかと思う。

(3)木喰さんが動かなかった日

 京都市内で一日一ヶ所だけの納経は愛宕神社(白雲寺)と東寺(教王護国寺)である。愛宕は一日がかりの登山。東寺は真言宗の祖空海の寺。古義真言宗の僧から僧名をもらった木喰さんは東寺には思い入れがあったのだろう。亀岡から東寺まではとにかく距離がある。往復で十分一日かかる。
 納経しなかった日は三月四日と八日。休息日だったのか、雨天で動けなかったのか。
 御室仁和寺に注目した。この寺を最晩年に訪れ三体の仏像を納めようとしたらしい。既知の間柄であった可能性がある。
 三月三日に最初に訪れている。しかしその後三ヶ所巡っており長居した形跡はない。しかし翌日はどこも訪れておらす、もう一度御室仁和寺へ行ったのかも知れない。仁和寺も真言宗であり、何らかのつながりがあった可能性はある。
 又、三月二日愛宕麓杢兵衛(木兵衛)宅にお世話になった木喰さんは、近くの清涼寺(嵯峨釈迦堂)から納経を始めずに、仁和寺へ行き、清涼寺へ戻っている。地理不案内だった木喰さんが、間違ったとしてもおかしくはないが、本来なら愛宕麓(泊)→清涼寺→御室仁和寺→北野天満宮→丹後国分寺(泊)が普通だ。やはり仁和寺は特別だったのであろうか。

(4)「キ」は「忌」ではないか

  寄進者(宿泊提供者名)の下に「キ」とあることの意味が明らかでない。
  「コモリキ」は過去を表す「キ」だと思うのだが 人物名の後の「キ」は喜捨を受けたの意味なのか、「記す」の記なのか、「寄宿」の「寄」なのか。
 一番気になったのが下の使い方。
 一 (五月)十七日十八日 ”シンデンムラ ミダドウ 十三キ 
 「十三キ」というのは「十三回忌」の「忌」なのか十三という人物につくキなのか、どうだろう。

 木喰さんは日常的にお世話になった個人宅では各家の仏壇に「先祖供養」をしたのではなかろうか。それが木喰さんの廻国の姿だったかもしれない。
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