木喰さんを訪ねる旅 (35) 柏崎十王堂 |
2020年11月12日(木)新潟県柏崎市関町にある十王堂を訪ねた。 上の左が2004年震度7を記録した新潟中越地震前の十王堂で、右が現在の十王堂である。 十王堂は関町会館という町内会管理の建物の中にある。 柏崎の駅から徒歩で2,30分だった。駅の観光案内所でいただいた地図を頼りに歩いた。 JRを跨ぐ長い道路を越えたら、国道8号だった。右へ言ったら柏崎市立博物館のある赤坂山方面。左へ行ったら枇杷島という交差点。その道を右に折れてしばらく進むと目的の十王堂に到着した。十王堂の木喰さんはこの日全部市立博物館で展示中。 それで外観の写真でもと思って近づいていったら、お隣の酒屋の方が声をかけて下さった。 「中を観られますか」と尋ねていただき、入らせていただいた。中に会長さんもおられてお話ができた。 |
(1)十王堂内部
掛けてあった法被 | 本来なら十王などが居並ぶ仏壇 | いただいたパンフレット表紙 |
(2)本来ならこう居並ぶはずの十王堂木喰仏
上左が、本来十王堂にあった閻魔大王を含む十王像と、葬頭河婆像、賓頭廬尊者の12体である。 私が訪れたとき、柏崎市立博物館で企画展「かしわざきの木喰さん」展が開催中で、すべての木喰仏が出品されていた。通常葬頭河婆像と十王像中の3体、計4体は博物館に寄託されているので、博物館で拝観できる。したがって、普段は閻魔大王含む十王像7体と賓頭廬尊者の8体がここで拝観できる。 この十王堂の木喰仏は、文化2年(1805)新春にここを訪れ、八十八歳の米寿を迎えた時の作である。 木喰の「はちぼくの歌」読み込んだ版画が右である。この自身を描いた絵を見ると、彫刻の自身像とは少し違う。禿頭だが両側面にはまだ少し頭髪を残している。顎髭を伸ばし、片肌脱いでいる。 |
はちぼくの歌 木喰の身ははちぼくやあけのはるおもしろそふなぎょけいなりけり |
八木の文字を合成すれば八十八になる。木喰らしいユーモアセンスのある歌である。 88歳の新年を迎えて、まだまだおもしろそふな御慶を見つめる生命力あふれる歌である。 |
(3)愛される木喰さん
葬頭河婆像 | 賓頭廬尊者 |
十王堂をお護りになっているのは関町の方々で、この12体の木喰さんを愛し誇りに思っておられることがお話をしてよく分かった。2008年東京の国立博物館で開催された「対決 巨匠たちの日本美術」展の時では、「円空VS木喰ー仏縁世に満つー」と比較された。この十王堂の木喰仏がポスターに使われ、木喰仏はここの十王堂仏のみであった。つまりこの十王堂の木喰仏が全木喰仏を代表すると企画者は評価したと思われる。 この時関町では、十王堂の木喰さんを応援するためにバスを仕立てて、東京まで出かけたとおっしゃっていた。 私は室内にあった写真などを撮らせて頂いてこのページを作成している。有り難いことであった。 十王堂には木喰さんはおられないことが分かっていたのだが、どんな所か見たくて会館前をウロウロしている私に声をかけ、中に招じ入れ説明をして下さったことは幸運だった。 |
(4)木喰さんは水車小屋で像を彫った
私はこの後、柏崎市立博物館の特別展示をもう一度見て京都へ戻ることにしていた。 博物館のある赤坂山へ向かって歩いていたら、川と交差した。 この川にあった水車小屋で木喰さんは十王像などを彫ったと伝わっていると言うことであった。川の名前は鵜川と言う。 |