木喰さんを訪ねる旅
(36)

木喰薬師堂
栃木県鹿沼市栃窪
  
 

 2022年10月22日(土)~23日(日)全国木喰研究会が会員主催の見学会を開催。
 全国木食戒研究会も事務局の交代やコロナ禍で、ここ3年思うように活動できずにきました。
 参加者は福島、茨城、静岡、愛知、京都、兵庫などからでした。
 3年越しで計画し、実施して下さった地元のIさん父子、事務局長のMさん、解説などをして下さったK先生、他熱心な木喰方々のおかげで
楽しい見学会になりました。
 行程は以下の通りです。
10月22日(土)JR宇都宮駅集合→栃木県鹿沼市栃窪木喰薬師堂→ホテル泊*佛国寺(中止)
10月23日(日)濱田庄司記念益子参考館→昼食(ほうとううどん)→茨城県立歴史館(円空仏拝観)→JR水戸駅

鹿沼と栃窪
大きな看板  薬師堂前に如意輪観音像が3体  
 鹿沼と言えば「鹿沼土」を思い浮かべます。鹿沼土は農業、園芸などで使用される土で、通気性・保水力に優れサツキやランなどの栽培に適している。雑菌をほぼ含まないので挿し芽に適している便利な土です。この鹿沼土、群馬県の国定忠治で有名な赤城山の3万年の噴火で偏西風に乗って栃木や茨城に降り積もり、150cmの層に積もっているらしいです。
 私が栃窪という地名に出会ったのは、いつのことだったか定かでないのですが、木喰に関心を持ってからのことです。
 今回の見学会の最初の訪問地「鹿沼市栃窪薬師堂」は、バス停前にあり、大きな看板が出迎えてくれました。すぐ前を2車線道路が走り、道路の向かい側は柳宗悦が書いているとおり氏神さんを祀るお社がありました。
 
薬師堂前の栃木県文化財指定を受けていることを告知する看板の写真 
 南無阿弥陀仏佛国御宿帳に見る栃窪薬師堂
 
 この栃窪薬師堂を世に知らしめたのは、民芸運動で有名な柳宗悦でした。柳は山梨で木喰仏に出会い木喰の生家に赴き、「宿帳」他を写し、木喰研究の手がかりを得ます。宿帳にある栃窪が出てくる箇所は上の写真にある通りの記述です。「宿帳」ですからどこでどんな仏を彫ったは記述していません。しかしこの栃窪の記述では「村に薬師十二神建立」とあるのですから、木喰仏が存在するに違いないと柳は思ったのです。何しろあしかけ六ヶ月滞在しているのですから。*安永9年(1780)9月から五ヶ月間滞在
 柳宗悦が栃窪訪問時のことを書き記しています。「木食上人」(講談社文芸文庫)より
「この九月二日私は一人朝早く東京を立って、汽車を鹿沼駅でおりた。【中略)
「村には一つよりないと聞いた堂へ兎に角私は道を急いだ。併しそれが果して上人が建立した薬師堂であるかは分からない。達するや私は格子の間から暗い中を覗いた。形は定かには見えない。だが幾多の像が蹲っている。私は幾秒かの後に来る悦びを予想して、釘附けられた扉を開いて中へ入った。
*この後詳しく十五体の薬師三尊、十二神将の様子、背銘のこと、弟子白道のこと等を記し、「恐らく栃窪に見出されたこの一群の像は、上人初期の作として最も代表的なものであろう」と書いています。 
 薬師三尊と十二神将
月光菩薩56.2cm   薬師如来72.2cm 日光菩薩56.2cm 
 おそらく泥絵の具で彩色されたのでしょう。
 木喰仏独特の「微笑」はありません。日光、月光菩薩は見分けがつきにくいのですが蓮華を持つ向きが違います。十二神将は怒髪のもの、兜をを被るもの武器のようなものを持つもの,持たぬもの様々です。背面には像名や弟子白道のことが記されています。
 12神将の高さは50.0cmから55.8cmとまちまち。
 薬師如来の背面に長方形の穴が開けられています。この中に小仏が2体あり、いっしょに撮られた写真も見せていただきましたから,以前は胎内仏があったのでしょう。
背銘を読む
 栃窪薬師堂の所像で特筆べきことがいくつかあります。
 ここから書くことは「木喰仏入門」(小島梯次著2014年・まつお出版)から学んだことばかりです。
 今回背銘を詳しく読み確かめることはできませんでした。
■特筆すべき事①木喰が初めて如来、菩薩以外の像を彫った
十二神将は木喰が初めて彫った天部である
■特筆すべき事②
木喰はこの当時弟子白道と行動を共にし、いっしょに造像していた
・月光菩薩背銘に、「日本廻国行者 行道 白道(花押)の文字がある。(上右の写真参照)
・十二神将の一体には「作 相州伊勢原町 日本廻国行者【花押)白道」とある。行道の文字はないが、伊勢原町は行道の居住地であり、行道のデザイン化である。
・もう一体には、「日本廻国行者■■(花押) 同弟子百道」とある。
■その後白道とは
『御宿帳』に「(天明元年(1781)五月五日六日七八迄 ナガクボ(現長野県小県郡長和町長久保)弟子と別れたということであり、この弟子が「白道」と考えられる。この後、「行道」は佐渡に渡り、「白道」は故郷の塩山市へ戻っている。栃窪でいっしょに仕事し始めたのが安永9年(1780)十月のことであるから、およそ半年後に別行動をとったことになります。
 白道は、北海道に同道し、廻国しており、いつからの師・弟子関係だったのかは明らかではない。

個人宅に残されている木喰仏

 地蔵菩薩
47.0cm
阿弥陀如来
30.8cm  
大黒天
37・5cm 
 この三体の像は、木喰さんが栃窪滞在中にお世話になった方にお礼として彫り残していったものだそうです。薬師堂にある像と違って、色づけがされていません。丁寧に表面を磨き漆を塗布したのではないでしょうか。その後木喰さんから頂かれた方々が大事に磨きこのような光沢を放った状態になったのではないでしょうか。
 私たちの見学会のために、わざわざ薬師堂までご持参下さいました。
 先の『円空仏入門」によりますと三軒のお宅に四体のこのような像が残されているそうです。阿弥陀如来像と大黒天像は一軒に二体あり、地蔵菩薩像は一軒にあるとのことでした。もう一体大黒天像があるそうです。ご持参していただいた二軒はご親戚だそうで、お堂を管理しておられる方もご親戚とか。歴史を感じます。
 栃窪の民家に残された大黒天像は木喰最初の大黒天像だそうで、大きな袋を肩にかけ大黒帽子を被り、手に小槌。足元には米俵、ひょうたん。ネズミもいます。木喰作の大黒天は三十二体確認できるということでした。背銘に、行道、白道両人の名がある像もある。

大金庫の内陣と大谷石の収蔵庫

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