木喰さんを訪ねる旅 (37) 濱田庄司記念 益子参考館 栃木県芳賀郡益子町 |
濱田庄司(1894~1978)は人間国宝に認定され文化勲章を受けた昭和を代表する陶芸家である。東京、京都、イギリス、沖縄などで学んだ後、益子で作陶を始める。柳宗悦とともに「民芸」運動を推進した。河井寛次郎、バーナードリーチ、富本憲吉、棟方志功らと親交を深めた。 柳宗悦の影響か、河井寛次郎も木喰仏を3体所有していたが、濱田庄司も1体所有していた。今回の木喰ツアーで拝観する木喰像は濱田庄司のコレクションである。柳のコレクションのある日本民藝館には8体の木喰像があるようだ。濱田がどのような経緯でどこから手に入れたものなのか、わからない。 この益子参考館には、濱田庄司の陶芸作品はもちろんだが、濱田が集めた日本と世界のお気に入りの品々が展示されている。登り窯や作業場、茅葺きの自宅豪邸も公開されている。大谷石がふんだんに使われている。 |
宇迦之神(うかのかみ)
(30.4cm)
この像は宇迦之神ということである。これが宇迦御魂之神ということになると、古事記に出てくる穀物の神。五穀豊穣、商売繁盛の伏見稲荷大社の祭神である。この像は稲荷神なのだろうか。 宇迦之神が宇賀神だとすると、体は蛇身になるはずだが…? 両手で地を突いているように見える棒は宝棒か?頭には塔のようなものを載せている。沓を履いている。襟元は木喰得意のキリシタンのような襟。ゆったりたっぷりした袖口の広い衣服を着ている。袴をはいているようにも見える。頭は長髪で肩を隠すまでに伸ばしている。女性神のように見える。 木喰のこの像は、文化3年(1806)5月頃に造像されたと別冊太陽「木喰の微笑仏」(平凡社1983年)とあるらしい。 文化2年から3年木喰は新潟各地を巡錫し、造像している。文化3年10月には、加勢大工をともなって京都丹波清源寺に現れている。濱田庄司はこの像とどこで出会い手に入れたのかは分からない。 背面に何が書かれているのか確かめられなかった。残念。 右の写真は大谷石の展示室前で撮らせていただいたもの。下の写真は展示室内で撮ったもので、この右にある遮光土偶は濱田庄司のコレクションで、この並びで展示してあった。大きさとかその赤漆を塗って磨いたよな感じで言うと、前日拝見した栃窪の民家の像のようだと思った。 |