円空さんを訪ねる旅(43)
白川町薬師堂
(岐阜県加茂郡白川町和泉)

       

2014・9・17(水)撮影
2014・9・21(日)作成

(1)「神仏分離」「廃仏毀釈」と薬師堂

 国道41号で下呂方面へ向かい、飛騨川やJR高山本線に沿って行くと「白川口駅」に着く。その付近から62号で東へ向かうと白川町役場・和泉郵便局。・白川小学校のある近くに薬師堂はある。
 江戸時代白川町は苗木藩支配だった。苗木藩は慶応4年3月11日(1868…明治に年号が変わるのは9月8日)出された「神仏分離令」「廃仏毀釈」を忠実に実行した。慶応4年8月〜明治3年の間に、廃仏毀釈による白川町内の寺院取り壊し数4ヶ寺。苗木藩領内の寺院取り壊しは15ヶ寺(藩内すべての寺院・お堂・石像・仏具に至るまで破壊)に上るという。最初の神仏分離令で取り壊されたのは修験道の寺院で、その数9ヶ寺だそうだ。
 ところが、この和泉村は天領であったため薬師堂は廃寺の命令を受けなかったために残ったのだそうである。

(2)薬師堂への道

 白川小学校前から坂道を上っていくと、彼岸花や女郎花が咲き、ナツメがたわわに枝いっぱいに実をつけていた。各家は石垣を積んだ上に建てられている。今日は風がなく真っ直ぐに煙が上がるのどかな日である。

(3)薬師堂内

 この薬師堂の本尊はもちろん薬師如来であるが、客仏として鎌倉時代初期の聖観音座像(昭和42年岐阜県重要文化財指定)がある。この観音様は1km下流にあった室松寺の護摩堂の本尊だったが、先に書いた神仏分離令の際に室松寺が取り壊されたときにお仏壇共々薬師堂へ持ってこられたものらしい。明治政府の神仏分離と廃仏毀釈、そして合祀令で、それまで神仏仲良く共存してきた日本的な信仰形態は翻弄された。おそらく地方の生真面目な藩ほど熱心に中央政府の言う政策に合わせるために無茶なことをせざるを得なかったのであろう。いただいた資料にこう書かれていた。
「室松寺の知行は天領であった。神仏分離令によって、神仏混淆の習合思想に終止符を打ち、この地域の中で神仏混淆の中心的役割を果たしてきた修験道の寺、室松寺は取り壊された。室松寺の住職は、立ち退きを命じられ住職を辞し、神職になる旨、三宝院(京都醍醐寺)に願書を送っている。(慶応4年7月)この地、和泉村にも清明院、長徳院、本隆院あったが取り壊された」
 天井には天井絵が描かれている。十王像がお堂の左右に安置されており小さいながら立派なお堂である。

(3)和泉薬師堂の円空仏

 ここには三体の円空仏が残されている。天領だったおかげで残されたのである。地元の方からいただいた資料にこんな話が書かれていた。
「むかし和泉の茶店へ一人のみずぼらしい僧が来て一飯の施しを受けた。食べ終わった僧は白川の河原へ下りて行き、一本の流れ木をかかえて来、袋から一丁の鉈をとり出し、人々の目を見張っている中で鉈を振い、見る間に数体の仏像を彫って、飯の礼にと茶店に置いてさりげなく立ち去った」
 和泉薬師堂にある円空仏は「観音菩薩(地元では薬師如来)」「地蔵菩薩(地元では金剛神像)」「青面金剛神」の三体である。地元の方の話では、もともと和泉白川神社の若宮神社(現白川小学校のある場所にあった)にあった三体を白川小学校を建てるとき(1912年・大正元年)に薬師堂へ移したと言うことであった。
 この三体の取り合わせが不思議である。ご覧の通り大きさも幅も違う三体であるところから、明治39年に「合祀令」が出されたときに、いくつかの神社の祠におられたのが合祀されたと思われる。この「合祀令」で全国の小祠堂五万が失われた。

(4)青面金剛神像(65.0cm)

 庚申とも呼ばれる。この青面金剛神信仰はもともと中国の道教から生まれたらしい。庚申の夜三尸(さんし)という体内の虫が三匹はい出てきて、天帝にその人の悪事を告げ口するのだそうだ。庚申というのはカノエサルと読み、60日に一回回ってくる。この日に生まれた赤ちゃんは大泥棒になるという言い伝えもあるらしい。告げ口されてはたまらないので、一晩一所に集まって夜を明かすという風習のある地域がある。
 日本最初の庚申さんは京都市東山区の八坂の塔近くにある。しかし京都でこういう風習をしているということを聞いたことがない。長野県の安曇野へ行ったとき道祖神と同じく庚申さんもあり、今はどうかしらないがこういう話が書かれたパンフがあった。
 円空は最初に荒子観音寺で彫り、白川に3体、下呂に3体彫り残している。下呂合掌村で見た個人蔵のものは三面であった。足元に三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が彫ってあった。下呂・白川は庚申信仰が盛んだったのであろう。ここの像は背面に青面金剛神と書いてある。横顔凛々しい宝珠を持った像である。裳の下に大きな節のある材を使っている。

(5)地蔵菩薩像(42.0cm)

 薬師堂の説明板には「金剛神像」とあったが、頭の尖った僧形像は地蔵に間違いないとのことです。(講師小島梯次)
 横顔でよく分かるが、最少の凹凸で穏やかな表情を表現している。この目の線は簡単そうだがなかなかこうはいかない。4から5等身でややバランス的には悪いように思う。

(6)観音菩薩像(40.5cm)

 頭に化仏を頂き、宝珠を持った観音菩薩立像である。地元では「薬師如来」とあった。薬師堂にあり、手に持っているものを薬壺と見ての像名かと思われるが、手に持っておられるのは宝珠であろう。やや前屈みになっているのが横からの写真でわかると思う。頭部が細長く顔が小さいのでバランスはよい。蓮座に足を載せ、その下に磐座を配している。三角材を使って造像したことがよく分かる像である。この像も表情は線彫りで表している。
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