円空さんを訪ねる旅(8)
平成の円空彫(美並町)
美並ふるさと館の受付の方が大変親切な方で、何度も電話をかけて下さって、私と加藤昭秀さんを引き合わせてくださった。
加藤さん宅を教えてもらった私は車で向かった。国道沿いの歩道橋のすぐ近くに確かに加藤さんのお宅があった。たくさん平成の円空仏が置かれていた。以前に美並町にある道の駅で『力光』銘の円空仏(円空さんを訪ねる旅で紹介)を買ったことがあると言ったら、その方がすでにお亡くなりになっているとおっしゃった。その方は円空さんをそのまま写すことを得意にしておられたようで、自分はそのままを写すのではないとおっしゃっていた。
何でも円空彫りの大会があるのだそうだ。そこで何回も最優秀賞などをとっておられるそうで、今は審査員をしているとのことでした。若い頃は指物大工をされていたそうで、木を見る目、刃物を研ぐことに関しては初めから自信がおありだったようだ。下絵を木に描くことなく直接彫り進めるそうで、コンクールの時は人が二日間で一体彫る間に自分は二体彫るとおっしゃっていた。私は早彫りで有名なのだとも。
つい最近NHK番組「鶴瓶の家族に乾杯」で関市の円空仏が取り上げられていた。そこにも円空さんを彫っている方が紹介されていたが…と話を向けると、「あの人は私の師匠です」とのこと。この番組はなかなかおもしろかった。街角で「円空仏をしっているか」と鶴瓶と中尾彬が聞くと、「私の家にある」という女性が現れて、その方の家に見せてもらいに行くというハプニングが盛り込まれていて見ていてビックリした。弥勒寺の奥さんも犬の散歩しておられる姿が映し出されていた。
仕事場を見せていただいた。お話をされながら、10cm足らずの「いちいの」木ぎれに岩座の方から(つまり下から)円空さんを彫り始められた。それはわずか10分足らずで左の観音さんに彫り上がって私に下さった。私は今この像を携帯ストラップにして千光寺の護法神とともに持ち歩いている。
右の像は、私がわけていただいた善財童子である。
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