円空さんを訪ねる旅(27)
龍泉寺
(名古屋市守山区竜泉寺1丁目902番地 рO52−794−3647)
龍泉寺は荒子観音寺と同じく尾張四観音の一つです。この龍泉寺には三尊形式の馬頭観音と千体仏があります。荒子観音寺が1245体、津島・地蔵堂に1008体、それについで円空さんが多くおられる寺です。確か563体です。どんなところなのか興味津々で訪ねることにしました。
京都から新名神を通って東名阪自動車道松河戸ICでおりて5分ほどで龍泉寺到着しました。案外早く行けたので意外でした。
お城みたいな宝物館の中は、こんな感じでした。下の写真をよく見て下さい。
あれ?みなさん、お気づきですか?円空さんがおられません。後ろの壁に影だけ残してどこかへお出かけしておられました。
それは!?!?!ないやろ!?!?!円空さん!?!?!
馬頭観音三尊(熱田大明神・馬頭観音・天照皇太神)
2009年9月初めから2010年1月末まで広島(奥田元宋・小由女美術館)・京都「美術館『えき』KYOTO」・愛媛(愛媛県立美術館)と三カ所で「円空・木喰展〜『庶民の信仰』の系譜」という展覧会が企画されているそうで、それに出品するため、一週間前に馬頭観音三尊は運び出されたとか…。
龍泉寺へ円空さんが訪れたのは延宝四年(1676)のこと。
円空さんは大峯山での修行を終えて寛文13年(1673)奈良県吉野郡天川で護法神他四体の像を造ります。さらに延宝2年(1674)伊勢志摩で造仏活動をし、大般若経の修復を行います。大峯山での修行で修験僧としての自信を深め、「伊勢の地で思想的に一大転換を成し遂げ、さまざまな興味深い仏像を作ったが、翌延宝3年(1675)、再び大峯山に登り、山伏の修行をしたらしい」「そして同年九月大峯山の山上ケ岳に、寺では大日如来と伝える阿弥陀如来像を残している。これは数ある円空の阿弥陀如来座像の中でも、とりわけ慈悲円満な仏の像であろう。また今は奈良県大和郡山市の松尾寺にある役行者像も、この時に作られた像であろう」(梅原猛「歓喜する円空」P.268)
龍泉寺の馬頭観音の背銘に「龍泉寺大悲大慈観音 延宝四年丙辰立春大祥 日本修行乞食沙門」と書かれているらしのです。ちなみに荒子観音寺の『浄海雑記』には「延宝四年極月廿五日」という日が書かれているので、龍泉寺の後で荒子観音寺の諸像が作られたのであろうということらしいです。
何れにしても、絶好調時の造像であろうと思われます。私は必ずしも龍泉寺や荒子観音寺の円空さんが最高傑作だとは思っていません。個人的な趣味からいえば晩年の飛騨地方の円空さんが好きです。まだ見たことはありませんが栃木や埼玉の円空さんがすごいなと思います。それでもこの時期の円空さんが大切な位置にあることは理解できます。この時期大量の千体仏を作ったのは何故なのだろうと思います。
龍泉寺千体仏
ここに並ぶ千体仏は、龍泉寺にのこる560体のうちの200体だそうです。お寺の説明では延宝4年7月に尾張地方で大水害があってその供養のために作られたのではないかと書かれていました。
わずか5cmほどの仏たちです。私が作るとしたら切り出しナイフを使うだろうなと思いました。円空さんは何を使ったのでしょうか。こういう小さい仏を彫っている姿を想像するとちょっと楽しくなります。
よく見ると、かわいいのです。観音さんかなあれ護法神もいると思いながら見ました。
ちょっとUPしてみたいと思います。
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