円空さんを訪ねる旅(10)

岐阜羽島中観音堂
(岐阜県羽島市上中町)

 長間薬師寺で道を教えもらった私は、南へ向かって歩き始めた。道々円空仏の幟があったり平成の円空彫り作品が並べられている。しばらく歩くと新幹線や東名高速道路の下を通った。神明神社もあった。こういう名を見ると円空さんがおられるような気になる。
 約1kmで突き当たりの道を右折(西へ)。中観音堂のかなり広いガレージに出た。そのガレージの周囲には平成の円空彫りの数々が並べられている。何でも年に一度羽島市主催で二日間にわたって、このガレージで、全国から集まった人々によって現代の円空彫り大会(?)が行われ、来年で終わるとか。これのことを美並町の加藤昭秀さんは言っておられたのだ。東海地方を中心に円空彫りの達人たちが腕を競い、その作品を羽島市が色々な場所に並べているのだ。
 一体だけで見ると、よく彫ってあるなと思う。しかしながらこれだけ並ぶとそれぞれの作品のアラが見えてくる。もともとは、円空さんの模刻であるから、本物を知っていると、「こういう感じとちがう」などと自分の感性で評価してしまう。等身大に彫られているのでよけいにそう思うのかも知れない。
 上の写真、左の建物が、中観音堂(昭和47年建)。そして右が羽島円空資料館である。中でつながっていて、観音堂拝観は無料だが、資料館入館は300円である。建物前に、僧形托鉢姿の円空のモニュメントがある。
 どこから入るのだろうかと入口を捜していたら、観音堂の前にいた人が「こっちです」と声をかけてくださった。
 観音堂は、お寺ではない。資料館と共に地元の方がおもりをされているようである。
 中へ入って賽銭箱にお金を入れながら拝ませていただいた。正面に十一面観音、左右に壇が設けられておりそれぞれに円空さんが並んでおられる。
 「すみません。写真を撮ってもいいのでしょうか?」と申しましたら、「資料館へ入られるのなら」とおっしゃった。「もちろん、見せていただきます」もう、心はウキウキ。ちょっと期待はしていたが、まさか、まさか中観音堂の円空さんが撮れるとは…。

(1)岐阜羽島円空資料館内の中観音堂小像

 中観音堂の円空さんを拝観するのは少し後回しにして、先に隣の資料館を見せていただくことにした。

 まず、ビックリしたのが「うすおく乃いん小嶋 江州伊吹山平等岩僧内 始登山 円空」という背銘のある観音像から始まったことである。あれ?北海道の有珠善光寺の奥の院洞爺湖の小島にあるはずのものがなぜ?といぶかっている私に、「ここにあるものは、型を取って作ったものですから、本物そっくりです。私、これの本物みたことありますが、同じです。ここにあるものは、さわることもできます」と言って、わざわざ背銘まで見せてくださった。そう、中観音堂におられた方は、私について来て次々説明してくださった。
 私はそういうレプリカが作られていることにびっくりした。そういえば、「荒子観音寺の円空仏」(小島梯次・『行動と文化研究会」1987)の中で「荒子観音寺から護法神のレプリカを借りてきて、云々」という箇所を見たことがあった。本当にあるのですね、こういうレプリカが。全国の有名な円空仏のレプリカがここには集められている。上の写真の壁側と中央の台に代表的なものが四十数体はあろうか。
 レプリカだと思うと有り難みがなくなる。でもこういうレプリカを本物だと言って置いておけば見破れないだろうなと思った。有名寺院で公開される国宝や重文の絵画仏像はほとんどがレプリカだと聞いたことがあるが。
 上の写真の一番手前のガラスケースに中観音堂にある30cm以下の小像四体が展示されている。
金剛童子像(19.7cmヒノキ) 稲荷神像(29.3cm・マツ)

 
 この中の五輪塔(12.2cmヒノキ)は円空が作った五輪塔としては珍しいもので、荒子観音寺にもう一例があるだけだそうだ。
 金剛童子像と呼ばれている像は、怒髪とその表情に惹かれる。手がなくその身体を不自然に湾曲させている。四角い材をこのように彫り込んだ円空の立体意識の妙を感じる像である。
 稲荷神像ははたして狐なのか?えらい太めだ。この木は朽木である。円空は何を彫ったのか?
 説明してくださった方は、あちこちの円空さんを見て回っておられるようであった。そして、「私たちは、円空さんがここの(岐阜羽島上中)生まれでなくてもよいのです。でも産湯が見つかってはっきりしたのと違いますか」とおっしゃっていた。「美並が誕生地だと言いだしたんは、竹下さんのふるさと創生事業の一億円からでしょう。町長が美並にしたかったのではないですか」「美並だという証拠(書物)はない」ともおっしゃっていた。
 私は美並町でもここでもとても親切にしていただいているので「はあ、はあ」としか言いようがなかった。しかしながら、今円空さんは生誕地であってほしいと願っている人たちに大事にされているのは確かである。
 この岐阜羽島誕生地説を唱える人の中に、円空はふるさとで疎外されていたという方と、そうではなく暖かい交流と崇敬があったと見る方がおられる。
 「歓喜する円空」(梅原猛・2006・新潮社)は、円空は「まつばり子(私生児)」で疎外されていたという立場で書かれている。そして母は洪水で亡くなり(この地は輪中で有名。低湿地で水害多発地であった)そのために出家したのだという。
 「円空ー羽島市の円空仏ー」(鈴木正太郎・昭和51年)でも「(たたりの話しなどを例に挙げながら)円空は村の中にあって疎外された存在ではなかったかと感じられる。このことは、古老の一部に『円空さまはまつばり子(私生児)やったげな」と語られていることと合わせて、いっそうその感が深い」と書いておられる。
 それに対して、「羽島市の円空仏」(小島梯次・1998『行動と文化』21号)では、ここ上中町中観音堂周辺を生誕地と見るより「近世畸人伝」や「祖師野薬師堂の木札」にある「美濃国竹ヶ鼻」をそのまま信じて、竹ヶ鼻を生誕地にして「その近在地である中村に観音堂を建立した、という風にも考えられる」と書かれている。さらに小島氏は、中観音堂にある十一面観音は官材で作られていること、観音堂近辺総ての民家に円空仏が遺されていること、そして一再ならず中観音堂を訪れていることなどから、「私はむしろ暖かい交流と円空への崇敬さえ感じるのだが、ここまでは思いすぎだろうか」と書かれている。
 この小島氏は、この論文の中で「円空ブームがおきる以前の昭和33年3月の日付のある羽島市教育委員会社会教育課からもらった冊子『円空上人伝』には『円空上人の逸話伝説』の項目が設けられており、羽島市を含む9話が掲載されているが、母親のことは全く触れられていない」と書いておられる。円空出家の動機は「予母(わがはは)の命に代わる袈裟なれや法の御形(みかげ)は万代をへん」の円空の和歌からも〈母の死〉に関係するだろうことは認めつつ冷静に、あれこれを区別して論を組み立てておられる。
 円空さんの出生や出家についてさらに造像についても絶対の証拠がなく、断片を集めて推論している状態のようだ。声の大きい人や影響力のある人、権威のある人が「こうだ」と言えばそうなるようなことにならないようになるといいなと私は思っている。
 それにつけても、梅原猛さんの「歓喜する円空」の影響力は抜群のようだ。梅原さんはこの中観音堂へ三回お見えになったそうだ。この本の出版後「円空さんを見に来る人が増えました」とおっしゃっていた。そしてもっと多くの方に来てほしいと望んでおられた。「写真を撮らせていただいたお礼に私も自分のHPで紹介します」と申し上げたら喜んでくださった。
 このHPを見てくださった方、ぜひ岐阜羽島へ足を運んでください。

(2)中観音堂の円空さん

 円空資料館から観音堂へ戻って、円空さんたちの前にある木枠(柵)越しに写真を撮ろうとしたら、「中へ入れますよ」と開けてくださった。私は諸仏のすぐ前まで近づくことができた。ありがたい、本当にありがたいことである。

(1)十一面観音像(223.0cmヒノキ)

 「背面に四角にくりぬいたあとがあり、その中に円空上人の使った鉈が入っているという。しかし、これを見た者は目がつぶれるといわれていてまだ見た者はいない」と言う伝説のある像である。
 中観音堂に残されている像の内、背銘があって造像年がはっきりしているのは、延宝7年銘を持つ護法神だけである。この護法神ともう一体の護法神そして円空資料館にあった金剛童子像は、この十一面観音他の諸像とは形式が明らかに違う。この十一面観音は円空が北海道東北から帰ってきてからしばらくしての像であり、円空初期作品の寛文期のものであろうと思われる。この像は製材された官材(九カ所の押し型・紋様あり)を使っている。そして角材から造像されており、これは円空初期像の特徴であるらしい。そういえば、中期以降の円空仏は丸材を三ツ割り四つ割りに割ってその角張った部分を生かして彫っている。

(2)寛文期初期像群(左側)

@観音像 A聖徳太子像(南無太子像) B鬼子母神像 C阿弥陀如来坐像 D大日如来坐像
67.2cmクス 102.5cmヒノキ 103.5cmヒノキ 67.5cmヒノキ 30.3cmヒノキ

*ただし、@の観音像は丸太に彫られていて寛文期初期の特徴を有していない。かといって、延宝7年まで下るとも思えず、その中間に位置するようである。

(3)寛文期初期像群(右側)

E神像 F弁財天像 G不動明王像 H大黒天像
58.0cmヒノキ 68.5cmヒノキ 73.9cmヒノキ 57.5cmヒノキ

(4)延宝期中期像(右側)

護法神像 護法神像
46.2cmヒノキ 45.0cmヒノキ
 これらの像の中でCとEとGの背中に刳貫・埋木がある。
 「岐阜羽島の円空仏」(小島梯次・行動と文化)を読んでいると一体一体についておもしろいことがたくさんあるが、書ききれないので省略。
 梅原猛氏は神像は父親、鬼子母神が母親、聖徳太子は円空自身だろうとおっしゃっていたとか。円空さんはそういう風に像に何かを投影して彫るのだろうか。梅原氏は中観音堂は円空が亡母鎮魂のために建てたと言う前提で考えておられるので、そういうことになるのである。
 中観音堂には以前もっとたくさんの円空仏があったそうである。明治の中頃まではよく大水があり、その度に堂内の円空仏はぶくぶくと浮いていたらしい。このため像がずいぶん傷んで、盆や正月にはよく整理して燃やしたらしい。燃やした円空仏は何百体か数え切れないという。「円空ー羽島市の円空仏ー」(鈴木正太郎・昭和51年)より 
 私が一生懸命楽しく写真を撮っていたら、近くの人がお越しになった。ご夫婦のようであった。お二人の「般若心経」の読経で私は振り返って初めて気がついた。私の撮影は終わりに近づいていたので、急いで木枠(柵)の中から出て私もいっしょに「般若心経」を口ずさむことにした。お二人は二度読経された。私より年輩のお二人であった。奥様は目が不自由なご様子であった。たぶん日常的にこのように読経にお見えになるのであろう。円空さんは現役で活躍しておられる!と私は思った。こういう光景を目の当たりにすると、私にはこういう円空さんの拝み方はできないなと思ってしまう。
 おそらく円空さんはこういう熱い願いに応えるべく熱い祈りの心で仏様や神様を彫られたのであろう。 

(3)円空産湯の井戸

この中観音堂のすぐ近くに産湯の井戸といわれる井戸があった。その井戸のある場所に住んでおられる方は、円空彫りをしておられるようで何体もの円空さんの模刻があった。
 中観音堂に別れを告げて、私は歩くことにした。時間は11時10分を回ったところであり、時間はたっぷりあった。歩いていて名鉄の廃線跡があった。名鉄に見捨てられたのだなと思った。歩いているとコミュニティバスが走ってきた。長間のバス停で時間を調べたら一時間に二本走っていた。
 結局私は新幹線羽島駅まで歩いた。およそ40分あまりであった。途中食事をしようかとも思ったが適当な場所がなかった。駅前も無愛想というか何というか、要するに何もないのだ。何でも市の中心部は竹ヶ鼻らしい。ここへ行っても円空さんに出会えそうもないので私は岐阜市へ行こうと決めた。岐阜市内に「円空美術館」があるとどこかで読んだように思ったからである。そう言えば岐阜市内の円空さんというのは聞いたことないなあと思いながら、おぼろげな記憶を辿っていた。
 羽島から岐阜市へは名鉄を使うしかない。JRは通っていない。名鉄新羽島駅から名鉄岐阜までそれほど時間はかからなかった。1時後に私は岐阜市に着いていた。
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