円空さんを訪ねる旅(13)
河井寛次郎記念館
(京都市東山区五条坂鐘鋳町569рO75−561−3585)
河井寛次郎記念館に円空さんが一体おられることはずいぶん前から知っていました。あれ?こんな所にあるぞ!と思っていました。だから、全国の円空仏所在地地図などで京都2と書いてあったら、「このうちの一つは河井寛次郎記念館のあれやな」と思っていました。しかしずいぶん前に遠くから見ていたので、はて?どんな仏さんだったかなです。で、もう一度確かめに行くことにしました。
最近、「木喰」(2008年1月編集神戸新聞社3800円)を見つけ購入しました。そこに木喰仏2体がここ河井寛次郎記念館にあることも知りました。円空さんと木喰さんに会いに行ってきました。2008年5月12日のことです。
河井寛次郎記念館は清水焼の窯元が集まっている五条坂にあります。陶芸家であり詩人であり民芸運動家であった河井寛次郎ですから、新旧有名陶芸家の窯がある五条坂がふさわしいと思います。すぐ近くに清水六兵衛の窯もあります。もともと居宅と窯があった場所を現在記念館にしておられます。
京都の町屋にすっかり溶け込んでいるのですが、日本各地の民家(主に飛騨高山)を参考にしつつ、独自の構想で設計し、昭和12年に建築されたものだそうです。床は朝鮮貼りだそうです。こだわりの家なのです。調度品や家具なども寛次郎好みで自作品を並べています。
その中にコレクションも並べられており、その一つに円空・木喰があるというわけです。
河井寛次郎陶房にある円空
小さいタンスのような家具の上に円空さんはおられました。どうも薬師如来のようです。薬壺を持っておられます。優しい顔です。二段のかなり高い台座に座っておられます。こういう高い台座を作ったのは、寛文後期(1666〜1672)像の特徴です。臼座の上に蓮華座を重ねてあるように見えるのですが、よくわかりません。
「これは、もともとどこにあった円空仏ですか?」
と聞きましたら、
「わかりません」
とのこと、
「どのような経緯で河井寛次郎が手に入れたかは?」
「それもわかりません」
とのことでした。
個人蔵の円空さんがもともとどこにあったかというのは、分からないことが多いのでしょうか?
ついでに木喰についても聞いてみました。やはり同じくどこで手に入れたものかは分からないということでした。ちなみに木喰さんは現在全国の展覧会会場を巡回中だそうで、私が行った時は山梨で「木喰展」開催中と言うことでした。しばらく帰ってこないということでした。多分私が手に入れた「木喰」という先ほどの本はそのカタログだと思われます。ということは、今木喰さん訪ねてあちこち行っても、現在巡回中で会えないと言うことのようです。
河井寛次郎が、円空や木喰を所有しているのは柳宗悦といっしょに木喰を見にあちこち出かけている時に手に入れたのかなと想像しました。いつも拝せるように陶房に置かれていたのですから、大切に持っておられたことでしょう。河井寛次郎が亡くなったのが、1966(昭和41)です。円空ブームが興るのは昭和36年ぐらいかららしいのですが、河井寛次郎のことですからすでにそれ以前から円空を関心を持っていたのかなあ…などと考えておりました。
まあ正直なところ見るものがいっぱいあるわけではないし、寛次郎の陶器も好きな人とそうでもない人がいることでしょう。木やブロンズなどの彫刻もしかりです。
私はこの資料館の雰囲気が好きです。この記念館はゆったりゆっくり時間が流れています。椅子に腰掛けているとその座り心地のよさに感心してしまいます。座っていると眠気を起こします。書斎に置かれている臼を裏向けにしたテーブルはとりわけいいです。こういう書斎でゆっくり本を読んでいたいし、陶房の仕事場もこんな作業場がほしいなと思います。一度ゆっくりした時間を楽しみに訪問されたら如何でしょうか。900円はちょっと高額かなと思いますが、陶器に活けられた草花を見るだけでも「なるほど、このように活けると花も陶器も楽しそうだなと思いますよ。おすすめです。
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