円空さんを訪ねる旅(38)
上宝ふるさと歴史館
(岐阜県高山市上宝町本郷)
上宝ふるさと歴史館は本郷にあります。ここには円空仏二十数体が展示されています。
以前は拝観料200円だったそうですが、現在は無料。年間1000名程度の参観者があるそうです。「絵馬展」が行われていました。こういう特別企画展をすると、地元の方々がお見えになって参観者が増えるそうです。「円空さんを見に来られる方は?」と聞きましたら、「他府県の方も地元の方でもそれほど多くはありません」とのことでした。
それほど多くの参観者があるわけでもないのに、なぜ、上宝町ではふるさと歴史館で円空仏を保管展示しておられるのかです。これは私の想像ですが、円空仏を盗難や風化劣化から守るのが一番の目的ではないかと思いました。上宝町の円空仏は、集落の小さい祠やお堂に伝わるものが多いようです。集落で管理・保存するのが難しいという判断ではないでしょうか。こういう形で展示してくださることは、私などはありがたいことです。
蔵柱田谷神明神社神像12体が、今年春東京国立博物館で行われた「飛騨の円空展」に出品後、ここで展示されていました。
ゆっくり円空さんを拝観させていただきました。
その魅力をぜひご紹介したいと思います。そして円空に興味を持っておられる方、ぜひ足を運ばれることをお薦めします。
神明神社狛犬(阿) | 虚空蔵堂善女竜王 | 地蔵堂観音(白山) | 神明神社白衣観音 | 神明神社狛犬(吽) |
T,上宝ふるさと歴史館の円空仏
(1)山吹地蔵堂・双六虚空蔵堂の三体
山吹地蔵堂・観音(白山)(39.5cm) | 双六虚空蔵堂・虚空蔵菩薩(45.5cm) | 双六虚空蔵堂・善女竜王(47.4cm) |
■山吹・地蔵堂・観音(白山)…背銘に「白山」とあります。この像に蓮座がありません。円空は菩薩像には蓮座をつけるそうです。だからこれは神像ということになります。白山の本地仏は観音さまということで括弧がきになっています。この観音さんの裏側にはたくさんの節が見えます。この像舌を出しています。ユーモラスで笑顔がなかなかいいですね。この像以外の地蔵堂にあった円空仏数体が40年ほど前に盗まれたそうです。
■双六・虚空蔵堂・虚空蔵菩薩と善女竜王…手に宝珠を持った高賀修験道の主神である虚空蔵菩薩、頭に宝冠のようなものを被っておられるようです。善女竜王は頭上に龍を被っています。彫りが三体よく似ています。
(2)尻高地蔵堂の不動三尊
尻高地蔵堂・矜羯羅童子(33.0cm) | 尻高地蔵堂・不動明王(40・0cm) | 尻高地蔵堂・制多迦童子(41.0cm) |
■尻高地蔵堂・不動明王三尊像…像高を比べると、制多迦童子が一番大きいのは不自然です。不動明王と矜羯羅童子の大きさはちょうどあっているように思います。ということは、本来は二種類の不動三尊があったものと思われます。こうやって見ていくと円空仏が失われたり離合集散したりしている様子が見えてきます。今そこにあるからもともとそこにあったとはなかなか言えないものなのだなと気づかされます。
尻高地蔵堂にはこの他に25.5cmの富士山型の頭をされた観音菩薩像もあります。
(3)中山地蔵堂の諸像
中山地蔵堂・護法神 (34.3cm) |
中山地蔵堂・地蔵像 (42.3cm) |
中山地蔵堂・聖観音 (53.3cm) |
中山地蔵堂・観音像 (31,1cm) |
中山地蔵堂神像 (41.0cm) |
■中山地蔵堂の諸像…そんなこともあるのかと思って聞かせていただいた話です。中山地蔵堂の円空さんは盗まれていた像が集められたものだそうです。何時のことか聞き忘れたのですが、とにかく紛失したものをとりに来るように言われて返却されたのがこの諸像なのだそうで、どこから来たものかが確認できないそうです。
護法神はずいぶんすり切れて角が無くなっています。木の節が面白いところにあります。地蔵像の台座は少し変です。蓮座は逆にくっつけられたようです。聖観音は蓮の模様の入った器を斜めに持っているおしゃれな像です。線だけで表情を簡単に表現しています。観音像の台座部分は後からくっつけたように見えます。神像の頭は烏帽子なのか髪の毛なのかどうなのでしょうか。
(4)宮原観音堂・在家観音堂・在家桂本神社・荒原観音堂
宮原観音堂聖観音 (48.9cm) |
在家観音堂馬頭観音 (39.7cm) |
在家桂本神社神像 (47.5cm) |
在家桂本神社神像 (47.5cm) |
荒原観音堂聖観音 (48.9cm) |
在家も宮原も、本郷のすぐ近くの集落です。在家は丹生川へ出るときに駒鼻峠(駒原)を通るのが近道で、この峠は大黒という名馬の産地だったのだそうです。だから、この像は馬頭観音だと「上宝村と円空仏」(後述)で上田豊蔵さんは主張なさっています。馬頭観音と言えば龍泉寺のものが有名ですが、他にこういう頭上に大きな馬を冠している例がないところから、善女竜王ではないかという意見もあるようです。私は歴史館で見ていたときは龍だと思いましたが、こうして写真で見ていますと確かに馬のようにも見えるなと思いました。
荒原は、上宝高原スキー場の近くです。この表情、山吹地蔵堂の観音(白山)に似ています。素敵な微笑みです。
(5)蔵林田谷神明神社神像12体
蔵林田谷神明神社円空仏12体(男神座像3体・神像9体) |
■蔵林田谷神明神社円空仏12体…この神像群は背面にその尊名が書いてありますので間違いありません。男神像3体は一番大きいまん中の伊勢大神宮(41cm)、向かって左の天照皇大神、そして右の天満宮。この3体は、頭に巾子冠を被っており、本来なら神官が身を包む衣は皺がよらないので衣文は入らないのですが、如来像のように体に衣文を刻んでいます。
二段目、三段目に並んでおられる円空さんたちは一見すると仏像のようですが、すべて本地仏だそうで神像です。神明神社ですから本来なら伊勢大神宮と天照皇大神だけでよいそうです。しかし、明治39年に神社の合祀令が出されて、小さいお堂のものが合祀されたかもしれないようで、全国各地の神々がいっしょに集まっておられるようです。(小島先生の解説)
頭が丸い如来形の八幡大菩薩、その他は頭部が細長い円錐形富士山型菩薩形です。天満宮2体、白山2体、住吉大明神、鹿島大明神、春日大日大明神がおられます。
ですから、天満宮だけでも3体、白山は2体です。少なくとも重複分は本来別々に祀られていたものが集められた可能性があるというのが、上宝ふるさと歴史館の解説に書かれていました。
私は円空さんの信仰が見える諸像だなと、思っておりました。神仏を一体のものとして敬う作仏聖の面目躍如です。その命名の仕方にきっと意味があるのでしょう。他の地域の神像群との比較もいるのかなと思いました。どの像も大きさが大体そろっていて、状態も美しく大切に祀られてきたのだなということがよく分かります。
(6)長倉神明神社の諸像
長倉神明神社狛犬(阿)(18.8cm)(吽)(19.0cm) 宇賀神(15.5cm) | 長倉神明神社白衣観音 (47.0cm) |
■長倉神明神社…狛犬も宇賀神もお茶目でかわいい。宇賀神は体がヘビで顔が老人という気色悪いものですが、円空にかかるとこうなります。体を左側に傾けているのもその傾き具合が狛犬(阿)と合っていておもしろい。私は円空の白衣(びゃくえ)観音というのは珍しいと思いましたが、白衣観音と命名したのは円空ではなく後世の人だということを聞いてなるほどと思いました。こういう場所で堂々と尊像名が書いてあると円空本人が命名したように錯覚してしまいます。
(7)個人蔵の円空仏
前左は蔵林の9.0cm観音像。前右は同じく蔵林の地蔵菩薩で6.3cm。特別な岩座の上に乗っておられます。後方左は長倉の12.8cmの観音像。後方右は新田の13.3cmの如来像。
U,「上宝村の円空仏」(上田豊蔵著・「円空研究4特集飛騨」円空学会編)を読んで
この論文が書かれたのは平成の大合併前でしょうから平湯温泉・新平湯温泉は上宝町に入っています。今、平湯温泉・新平湯温泉は奥飛騨温泉郷として上宝町と別れています。私の「円空さんを訪ねる旅」は新平湯温泉「禅通寺」から始まっています。私は長野から新平湯へ入ったものですから現在の上宝町は平湯の奥にあると思っていました。しかし上宝の方々は奥飛騨温泉郷は自分たちの住んでいるところのさらに奥だと思っておられるのだなと妙に感心して読ませてもらいました。江戸時代から上宝へ入る道は、神岡町から、古川町から、国府町から、丹生川町から、奥飛騨温泉郷からなど色々あったようで、それぞれの道に円空の足跡が残されています。地図を見ながら確かに山間の谷間の集落を丁寧に巡錫したのだなと思います。
この論文大変面白く読ませてもらいました。論文の構成と概要を書いておきます。
1,はじめに
ご自身のおじいさんは天保生まれだそうで、そのおじいさんが円空さんについて話しておられたことの紹介・又なぜ飛騨の奥の奥である上宝村を訪れたのかの考察がなされている。
2,平湯と円空
円空は平湯では落合屋という旅籠に逗留して病気療養したと、幾度も落合屋の老婆から聞いた。そして平湯に残る円空仏を紹介しておられる。
3,十国岳の歓喜天
十国岳頂上に小さなお堂があり、歓喜天が祀られていた。一重ヶ根では部落六組の代表が4月に十国岳に代参するのがならわしであった。しかしこの歓喜天を拝することは代参者にも許されなかった。今は保管の都合で一重ヶ根の禅通寺に遷されている。
しかし、上田さんは昭和36年に禅通寺の先住の在世中拝見されたそうである。本尊は黒くすすけた、人身象頭二天抱擁の歓喜天(17.5cm)で竹の厨子に納めてあったそうである。その時にもう一体十国にあった異様な像を見ておられる。それは、「今も 色々と取り沙汰されている」鼻の大きい像(21.9cm)で、「一体ではあるが、ただ鼻だけで象の姿を象徴した歓喜天(聖天)と思われる」と書いておられる。
4,禅通寺と円空仏
この寺で円空は1年あまり滞杖したのでないかと言われていること、その間に韋駄天、宇賀神、神像その他部落の堂から遷されたり、民家から鎮火を祈念して黒こげになったと伝えられる像や薬師像、歓喜天像等がある。禅通寺だけでなく一重ヶ根には村上神社の十一面観音、神明神社の神像、禅通寺の個人所蔵のものなど。村の古老の話では一重ヶ根の旧家42戸全戸にあったとのこと。
4,笠ヶ岳と円空
播隆が残した「迦多賀嶽再興記」のこと、本覚寺のことについて書かれている。
5,双六谷と円空仏
双六谷は双六岳を源泉とし笠ヶ岳の裏側を流れて中川部落で高原川と合流する浚谷。この谷ぞいの集落に円空仏が残されている。上流から桂峯寺にある三尊像がもともとあった金木戸、山吹、双六、(尻高)、中山など。(「上宝ふるさと歴史館」にある円空仏はこの谷沿いの集落が中心になっている)取り上げられている円空仏は以下の通り。
ア)双六地蔵堂安置不動明王
イ)現在桂峯寺にある金木戸の三尊像
ウ)山吹虚空蔵堂二体…飯盛山(虚空蔵山)を歌った円空の歌と共に「再拝」の語から円空は二度以上足を運んだのではという判断。
エ)尻高地蔵堂…円空の歌に尻高を歌ったものがある。
オ)中山観音堂…大正の頃か、仏像の盗難した犯人が捕まって、この部落の人が持ち帰ったもので、各地からの寄せ集めであることを書いておられる。
カ)桂峯寺付近…本郷から奥飛騨温泉郷へ向かう道の途中にあるのが長倉。その長倉の桂峯寺の韋駄天、長倉新明神社の狛犬などについて、対岸の鼠餅に、日光・月光像があったがなくなった。
キ)在家観音堂…馬頭観音像についてこの地が昔馬の産地であったことを根拠に馬頭漢音だと書いておられる。在家から駒鼻を超える道が高山に出る近道だったそうだ。
ク)蔵柱の円空仏…本郷から国府町へ通じる、蔵柱川に沿った細長い集落。蔵柱田谷神明神社の神像について。そして円空の「南無阿弥陀仏」の三幅の軸についてその裏書きについて書きしるしてある。
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