円空さんを訪ねる旅(46)
白川町佐見の円空仏
(岐阜県加茂郡白川町佐見)
撮影日:2014・10・26(日
作成日:2014・11・3(土)
岐阜県加茂郡白川町へ中日文化センター主催の紀行講座で白川町佐見へ出かけた。今回も講師は小島梯次円空学会理事長。最初に公民館で下佐見に残されている民家にある円空仏二体を拝ませていただいた。
そのあと、上佐見へ移動し、庚申堂の青面金剛神(庚申)と八剱神社の観世音小松原大明神を見せていただいた。
(1)庚申堂と八剱神社の円空仏
八剱神社観世音小松原大明神 (48.0cm) |
庚申堂青面金剛神 (25.5cm) |
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「佐見なつか誌」というパンフをいただいた。その中に纐纈具幸さんが庚申堂と円空さんについて書いておられる。少し引用させていただく。
「寺前の稲荷山中腹に庚申堂がある(中略)小さな御堂では、今も六軒の農家により庚申講は続いている。(中略)
この御堂には本尊の他に円空作青面金剛神像(25cm)がある。憤怒のお顔と台座の三猿が特徴で、鋭い彫りだ。白川町の円空仏は大山白山神社周辺に多く、南は和泉・広野、北は無渡谷沿いに残っている。
下呂門和佐の蚕飼薬師堂にも、円空仏がある。そこは吉田へ抜ける伊佐峠の登り口にあたることから、円空は大山白山神社を目指し、吉田から大寺へ入ったと思われる。そして、庚申堂に宿を求め庚申像を作り置いたのかもしれない。(中略)
三百年の昔、病も死も抗うすべなく人々に訪れる。
そんな時、飄然と一人の乞食僧が現れ、枕元で快癒の祈祷をしてくれる。仏像を作り、祈りなさいと置いて行った。灯明の明かりが揺らめくとき、円空の仏は微笑む。白木の仏だが、生きて微笑む仏に見守られている。全てを仏にゆだねる安堵が、心に沁みたことだろう。
庚申堂に風が吹くと笹百合が揺れた。円空が風のように現れたこの佐見に生まれたことがうれしかった」
佐見を愛しておられる事が伝わるいい文章だ。庚申信仰が今も生きているというのに驚いた。この後紹介する民家の円空仏を説明してくださった時に、佐見は神道だと聞いた。白川町和泉のことを紹介したときに書いたのだが、明治維新後の苗木藩の「廃仏毀釈、神仏分離の徹底」の結果である。
(1)八剱神社『観世音小松原大明神』
一般的に円空の像名は判断着かないものが多数ある。
この像には背銘の中に「観世音小松原大明神」とはっきり書かれている。問題はこの小松原。一般的には地名か、神の名を記す。八剱神社及びこの近郊に小松原はない。又、円空仏の中にも他に類例のない尊名で、謎の大明神である。「観世音」と「小松原大明神」と仏名と神名を並べるのも他にはない。頭部に最勝を現す「ウ」首に観音を現す「サ」が書かれており、左右には大日三種真言を書いている。右に一種。左に二種重ねて書いている。円空が頭部に「最勝」を表す「ウ」を書き、大日三種真言を書くようになるのは、延宝七年以降の特徴であることからこの像は元禄期のものではないかと予想できる。(『円空研究7』(「円空仏の背面梵字による造像年推定」(小島梯次論文参照)
烏帽子を冠し、耳がない。頭部と衣服を黒く着色している。柿渋ではないかと聞いたのであるが、よく分からない。
(2)庚申(青面金剛神)像
(25.5cm)
庚申堂には本尊の庚申像があるので、本尊ではないが、円空が彫り残していったものである。
憤怒像であり、前屈みでうつむき加減である。宝珠を捧げ頭髪は怒髪。足に三猿〈見ざる言わざる聞かざる)を彫り磐座に立っている。私は今もなお庚申信仰がこのお堂で六軒のお宅で行われていることに感銘を受けた。大変だろうなと思いつつ、何か羨ましいような気分になった。
背面頭部には最上を表す「ウ」。背中から下には、大日三種真言が書かれいる。大日法身真言〈アバンランカンケン〉、大日報身真言〈アビラウンケン〉、大日応身真言〈アラハシャナウ〉の三種である。円空は生涯に通じて大日応身真言を〈アラバシャキャ〉と間違って書き通したらしい。
(3)個人蔵の二像
八剱神社近くの公民館で個人蔵の二体を拝見することが出来た。「さわってもよい」と言っていただき持たせていただいた。円空仏の本来の拝み方ではないかと思う。有り難い経験であった。
@観音
(8.8cm)
この円空仏の持ち主は佐見を離れておられるそうで、この日は特別に見せていただいた。珍しいのは厨子の中に入っておられること。おそらくこの厨子も円空が彫ったのではないかとのことであった。屋号が「ホキ」というお宅に伝わってきたそうで、「ホキ」とは嶮しいところの意らしい。筋目を入れた座の上に蓮華座を配しその上に富士山状の頭部の観音像である。
A観音
(28.9cm)
大変優しいお顔の観音像である。30cm余りある個人蔵の円空仏の中では大きいものである。どなたがお書きになった者か分からないが、こんな説明書きが付いていた。「烏帽子観音座像…さわら材を使った一刀彫であるが細工が細かく小刀かノミが使われたと思われる。いつの時代から本家に伝わったか不明であるが、成山村庄屋仲間の分散時、借金の代わりにもらい受けたものと言い伝えられる」
この観音像を所有されておられる方のお話しを聞くことが出来た。「五十年ほど前に円空仏だと気づいた。難病の時に藁をもつかむ思いでお願いをしたといういう話が伝わっている。宿賃の代わりにという話もある。庄屋さんが借金をして、借金のカタにもらってきたという話もある。真偽のホドは不明で自宅に円空さんがおられるということだけが確かなことである」
「いつもは仏壇の中に納めて拝んでおられるのですか」と尋ねましたら、「ご先祖様の位牌などと一緒に祀っている」とのことであった。この地方は神道で仏壇はないということをあらためて思い出した。この観音様のためのお厨子も用意されていた。
頭部は烏帽子ではなく火焔を現しているのではなかろうか。やや右斜め下を向いておられる。
背銘は頭部上に観音を表す「サ」その下に最上を表す「ウン」背中から下に大日三種真言が書かれている。
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