円空さんを訪ねる旅(47)
中津川市大杉地蔵尊の円空仏
(岐阜県中津川市加子母小郷)
大杉地蔵尊の本尊は行基作と伝わる像で非公開。お堂の裏手にある大杉は天然記念物。道を挟んで左手には文覚の墓。文覚は大威徳寺という寺をこの近くに建立。そこへ頼朝も訪れたことがあったらしい。 この文覚の墓、旧暦の7月9日の夜になるとどこからともなくナメクジが這い上がり、夜明けと共に消え去るという不思議な現象が今もある墓だそうだ。 文覚は若い頃遠藤盛遠という北面の武士であった。その頃、友人(源渡)の妻袈裟御前に横恋慕し、誤って袈裟御前の首をはねるという間違いを犯す。そのナメクジは文覚を許し慕う袈裟御前だというのだが…。 私の住む伏見区鳥羽に恋塚寺があり袈裟御前の墓がある。近くには「赤池」という血なまぐさい地名も残る。袈裟御前の墓はもう一カ所京の六地蔵巡りの一つ鳥羽地蔵の浄禅寺にもある。 |
撮影日:2014・10・26(日)
作成日:2014・11・8(土)
大杉地蔵尊の内陣にはたくさんの浮世絵の奉納額がありました。浮世絵の奉納額は珍しいのではないかと思いながら見ていたら「英泉」の名が読めました。美人画や春画で有名な渓済英泉は広重と「木曾街道六十九次」を出しているので、中津へも来ていた可能性があるなあ、これは肉筆か?と思いながら美人画を見ておりました。
円空の釈迦像
(41.0cm)
色々有名なものがある大杉地蔵尊ですからでしょうか、いただいたパンフレットにはどこにも円空仏のことはありませんでした。
穏やかなお顔の如来像である。背面頭部に「釈迦」の文字があり、背中から腹部にかけて大日三種真言。足から磐座にかけてに何か文字が見えるが腐食が進んでおり解読不明である。右の字は「六」のようであり、左の字は「舜」かなあと思った。ちょうど背面のまん中に節目がある。
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