円空さんを訪ねる旅(25)
伊勢市内に中山寺というお寺があって、そこに円空さんがおられるということは護法神の像とともに記憶に残りました。
中山寺の護法神は男前です。円空さんの護法神にありがちな変わった顔をしていないのです。
法を護るには、こわい顔とか奇怪な顔とか多少人間離れしている方が護れそうに想って円空さんは護法神を造像したのかなと私は単純に思っているのですが、護法神の中でもかなり初期に属する中山寺の護法神はまるでギリシャ彫刻のような彫りの深い顔をしておられます。
まだお会いしてない円空さんの中でもぜひお会いしたい方なのです。今回の伊勢志摩の旅の中でもメインになるお寺が、この中山寺なのです。
伊勢中山寺
(三重県伊勢市勢田町)
電話番号が分かりました。何でもこの寺は伊勢三十三観音のうちに入っていて、インターネットで公開されていました。これは期待できるぞ!と出かける前に連絡しました。「一般の方にはお見せしていません」あっさり断られました。「ああ…そうですか」それしか言いようがありません。
それでは、行っても仕方ないなと思いました。
三重県へ行くのですから、お伊勢参りをすることにしました。08・12・23のことです。初めて新名神高速道路を通りました。快適快適!トンネルは明るいし走りやすいし。亀山から伊勢自動車道に入ったのですが、伊勢までの時間は確実に短縮されました。
伊勢で自動車道を降りて、まず外宮へ行くことにしました。走っていたら、「中山寺」の広い駐車場があるではありませんか。あれ!ここやと思いました。お寺は道沿いにはないようですが、何とも広い駐車場です。外宮参拝を終えて、内宮へ行く道に中山寺はあるのです。
寄ろうか寄るまいか迷いましたが、どんなところか見に行くことにしました。それにしても広い駐車場です。100台ぐらい停められるのではないでしょうか。ここがいっぱいになることがあるのでしょうね。
中山寺(ちゅうさんじ) 号神護峯中山寺 |
所在 伊勢市勢田町 宗派 臨済宗妙心寺派 本尊 木造釈迦如来座像(法界印 江戸時代) 当寺は慶安四年(1651)伊勢国亀山城主石川主殿頭憲之(昌勝)が願主となり、妙心寺第137代当主愚堂東寔(大円宝鑑国師)(1579〜1661)の建立と伝えます。 境内の乾達婆堂は、釈迦八部衆の一である乾達婆神王を祀り、小児のかん虫封じに三百年の伝統を誇っています。 本堂は臨済宗本堂として規模壮大、古式方丈形式の手法をよく残し、県内屈指の遺稿であります。 脇壇に愚堂国師像、二代目雪潭豊玉像を祀るほかに、著名な円空(1632〜95)の彫像三体があります。 境内に山田奉行三枝伊豫守(1841没)小出豊前守(1848没)の墓碑と、徳田椿堂(1758〜1825)の句碑があります。 |
中山寺方丈 |
これが県内屈指というご自慢の方丈です。そしてここに円空さんがおられるようです。
この説明板には、三体とあるのですが最近もう一体見つかったそうです。それが美並にある円空の極初期像と同形式だったものですから、伊勢と円空さんの関係が見直されることになっているようです。
見せてもらえませんでしたし、もちろん写真も撮れませんでしたから、私が持っている本の写真を見て描いたものを紹介します。
極初期像文殊菩薩像(25.0cm)
この顔は確かに円空の仏です。美並町にある極初期像と同じです。目のつり上がった丁寧な彫りは円空です。この極初期像は寛文五年・1665年円空34歳頃の作とのこと。全体的に固い表現です。つり上がった目、蓮台左右の出っ張りが初期像の特徴を表現しています。
好き嫌いで言えば私はあんまり好きではありません。しかし嫌いでもありません。この顔は後の円空仏の中にも突然現れます。例えば愛染明王の顔に。
なぜ、伊勢にこの仏があるのか?です。自分の生まれ故郷美濃にあるのなら分かります。伊吹山にあっても納得です。美並村で自分の宗教的な立場を自覚したからそこに極初期像があるのは分かります。北海道・青森などの東北地方を巡錫する前の円空がなぜ伊勢に足跡を残しているのか、これは大変興味あることです。
仏像を彫り始めてすぐに伊勢神宮を参拝していたのです。
天照大神を円空がどのように理解していたのか、伊勢神宮どう思っていたかにその答えがあるのでしょう。内宮と外宮のちょうど真ん中のこの中山寺に極初期像があることは、円空が巡錫しながら造仏活動するためにも、伊勢神宮参拝が欠かせないと判断していたのかなと私は考えました。円空は各地で天照大神を男性として造仏しています。なぜ?です。無知だからではないと私は思っています。確信してのことだろうと思います。極初期像が中山寺にあることからみても、知らなかったとは思えないのです。となるとますます男性像の天照大神がなぞになります。この文殊菩薩像は大変興味深い像なのです。私は円空展の図版を見ながらこの絵を描いたのですが、この像は「とのこ」仕上げでもしたのでしょうか、表面にほこりの層のようなものが浮いています。これは何だろうと思っていて、確かめたいなと思うのですが。
護法神像(20.2cm)
これが、私がギリシャ彫刻のようだと書いた護法神です。栃尾観音堂の護法神と違って、一番少ない彫りで現しています。怒髪表現も抽象化の極みだと思います。表情は、こういうのは他にないのではないでしょうか。体部と頭部を2:1で表し、体部は斜め下部への彫り込みしかしていません。しかしこれで手を感じます。
円空仏には珍しく首があります。
背面には梵字が書かれているそうです。大日如来報身真言だそうです。円空展カタログによりますと、彫りが硬く、この頃の円空の足跡から推定して、寛文12年(1672・42歳)奈良大峯山へ向かった時の造顕が考えられる…とのこと。
不動明王(17.3cm)・大黒天像(14.8cm)
中山寺の大黒天は三面大黒、円空の大黒天の中では唯一。小槌、袋を持ち二重台座に乗っている。
不動明王は体を曲げている。両腕の彫り方に特徴がある。造像時期は護法神と同じ時期のようです。大峯山での修行の前にお伊勢さん参拝をしていることになります。
2008年12月23日撮影
2009・1・18(日)作成
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