円空さんを訪ねる旅(4)

高山市郷土資料館
(岐阜県高山市上一之町75)

円空の画像(千光寺にあったものと同じです)
 高山市郷土資料館に円空仏があるらしいというのを私はどこで読んだのか思い出せない。あるのかないのか分からないまま、とにかく行ってみることにした。郷土資料館は高山の古い町並みの古道具屋さんがたくさんあるところにあった。
 しかし、本当に円空さんがおられるのか分からない。展示紹介がしてあるところを見たが、円空のエの字もないので、もう入るのは止めようと思って古道具やさんで土人形を見ていた。でもどうも気になるので、資料館の受付で尋ねてみることにした。すると、受付に円空コーナーがあることが紹介してあった。やっぱり円空さんが呼んでくださったようだ。
 受付で、写真を撮っても良いのかうかがったら、フラッシュをたかなかったらよいとのこと。「わかりました!」私は張り切って返事をすると急いで円空さんのおられるコーナーへ急いだ。

円空コーナー紹介

 円空コーナーは四畳半ぐらいスペース。そこに二つのガラスケースが向かい合わせにある。右の陳列台に8体、左に2体。そして、このコーナー前の廊下に1体。計11体の円空仏があった。
 まず、円空仏コーナーにあった説明をそのままうつしておく。
円空仏
 円空(1632〜1695)は、美濃国の生まれで若い頃に出家し、自ら一生に12万体の仏像を彫る宿願をたて、仏像を刻みながら諸国を巡りました。円空の仏像は派手な装飾はなく、荒削りで素朴なものです。
 飛騨には丹生川町の千光寺をはじめとして、各地に多くの仏像を残しており、晩年の技法も円熟した次期のもので秀作がたくさんあります。円空の彫り方は独得で簡素な中にも深い心情を表す芸術性が見られます。
僧円空について
 円空は寛永9年(1632)美濃国(現羽島市)に生れ、若い時出家して天台密教を学び12万体の造仏を発願し、仏像を刻みながら各地を遍歴した。
 丹生川村の千光寺の俊乗和尚を意気投合して二回訪れ逗留し、丹生川、上宝、荒城の谷々に多くの仏像を残した。
 飛騨に入ったのは晩年の技法も円熟した次期で秀作が多い。
牛頭天王(勝久寺・高山市大新町・30.3cm)
 この像は、円空仏コーナーの前の廊下に一体だけ大切そうに特別なガラスケースに入れられていた。護法神かな?と私は思った。護法神…文字通り法を守るために神や仏を守る使命を負った神様である。円空は、たくさん護法神を作っている。護法神こそ円空のことを知る手がかりになる神像だと私は思っている。
 さて、これがなぜ牛頭天王だと分かったかと言うと、「円空展」カタログにあったからである。その説明を引用します。
「牛頭天王は。元インドの祇園精舎の守護神であり、日本では京都八坂神社、愛知津島神社の祭神であったことが知られる。像容は怒髪で頭上に牛を載せ、甲冑に身を固めた姿が一般的とされる。円空は牛頭天王像を六体遺しているが、牛を頭に置く像、烏帽子神像、怒った顔の像など様々な形態にしている。
 勝久寺の牛頭天王は、怒髪であるがお顔が穏やかに微笑んでいる。身体部はほとんど彫刻されておらず、背銘の「牛頭天王」が書かれていなかったら、尊名に困る像である。
 と、言うことは、私はこの像を2005年の「円空展」で見たことがあったようで再会したことになる。

ここにおられましたか、思惟菩薩像さん

思惟菩薩像 (東山白山神社・高山市若達町・高75cm幅41cm)
 円空が初めて飛騨入りしたのは貞享3年(1688)で丹生川村千光寺に留錫し、第二回目は元禄3年(1690)とされているから、この思惟菩薩像はそのいずれかの期間に製作されたものである。わずかな年月の内に飛騨各地に巡錫して数百の造仏結縁の仏行をされたことは驚くばかりである。飛騨にとっては天来の高僧として崇められている。
 この菩薩像は歯痛の観音、或いは知恵の観音として親しまれ、又珍しく耳のある作として注目されている。
 弥勒菩薩ではないかと梅原猛さんが書いておられる。京都太秦広隆寺の国宝第一号弥勒菩薩半跏思惟像にならって造仏されたであろうと。岩座の上に蓮華座を造り、その上に片足を立てた状態で頬に手を当てる思惟像。円空が京都太秦広隆寺へ足を運んだ?私は斑鳩中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像の方を見た可能性が高いと思う。法隆寺のすぐ隣だから。いや法隆寺には金銅仏で弥勒菩薩半跏思惟像はたくさんあっただろうから、それを見て参考にしていると思った。
 いやはや素敵な像である。高山市郷土資料館へ来てよかったなと思った。
 非情に丁寧に造仏していることがよく分かる。円空の仏の中に時々こういう丁寧さが見える時がある。私はこういう円空が好きだ。上の牛頭天王のようなこれ以上省略しようがないほどの抽象性を感じる神仏表現も円空だし、こういう丁寧さも円空なのだ。不思議な人である。

続いて、金剛神像一対(飯山寺)

金剛神像一対(飯山寺・220cm)
 円空の優秀作として万人に賞賛され、円空展にはしばしば出品されるので、全国的に有名になっている、と説明に書かれていた。実は千光寺の金剛神一対を見たあとだったので、ここの金剛神の方がいいなあと思いながら見ていた。手に持っていいるのは金剛杵(こんごうしょ)。でも何となくお公家さんの持っている柄杓みたいに見える。まあこういう顔の恐い神さんが持つはずないなと思うけれど。円空の顔の彫り方がよく分かる像である。金剛神は勿論憤怒像であるが、鼻を高くするために口の周りを彫り窪めて凹凸を強調している。そうすることによって何となく笑っているように見えてしまう。アルカイックスマイルである。憤怒像の眉毛や目尻表現もなかなか効果的だと思う。目のフチを深く掘ることで表情が大きく変化している。簡単なようでなかなかこうはいかないものである。.

初めて見ました愛染明王像(霊泉寺後霊泉寺

愛染明王像(飯山寺・像高67cm幅19cm)
 素朴な作の多い円空彫像の中で、この像は儀軌(仏語で規則の意にもかなった入念作である。以前、千島町霊泉寺(千島町の通称で愛染寺)にあったと言われている。大正時代に国道端の飯山寺直系の普門堂に安置され、その後飯山寺に移った。
 頭に獅子を乗せている。一面で手が6本ある。普通弓を持っているが、この像は持っていないようだ。密教の道具を持たせている。目が額にもう一つあるのだが、円空は×印で表したのだろうか。
 何とも4本の手が窮屈そうだ。伏し目がちでこの愛染明王は孤独な印象を受ける。

いかにも円空らしい仏が六体

竜神
(14.7cm)
観音菩薩立像 神通寺烏天狗
(19.3cm)
観音菩薩立像 観音菩薩立像 宗猷寺観音菩薩47.0cm
(光背は後補)
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