2009年11月7日〜11月29日
円空・木喰展(29)
(美術館「えき」KYOTO)
『円空・木喰展』が全国三カ所で行われるということを知ったのは、2009年夏に名古屋龍泉寺へ行ったときでした。馬頭観音三尊がすでに運び出されていたのです。広島・京都・愛媛三カ所だとのこと。広島も行こうと調べてみたのですが、JR広島駅から遠すぎてあきらめました。
おまけ県立愛媛美術館『円空・木喰展』
「えっ!また『円空・木喰展』行くの?」私の妻が愛媛県立美術館前で叫んでおりました。そりゃそうです。京都開催のときに3回も行っているのに何でまた愛媛まで来て見るのか?と言う疑問は当然です。
しかし行ってみなかったらわからないものです。美術館が違うと並べ方やライトの当て方が違って円空さんも木喰さんも印象が違いました。
まず、木喰さんの魅力を愛媛美術館はその並べ方で表現していました。もともと木喰さんは群像を残しています。それを上手に並べていました。円空さんも私は愛媛の勝ちだなと思いました。一体一体大切に扱われていました。
そして四国に唯一ある円空さんと二体ある木喰さんをフューチャーしていました。KYOTOえき美術館は狭すぎるのです。私の知り合いの方の神社の木喰さんの狛犬は京都で窮屈そうでしたが、愛媛では堂々としていて私までうれしくなりました。
それから私が問題視していた笑福亭晃瓶さんのあの音声ガイドはここでも貸し出されていました。本当に「テンショウコウタイシン」でいいのでしょうか?
愛媛のみなさん、ぜひ美術館へ。あんまり人が少ないのでちょっと応援したくなりました。愛媛の「円空・木喰展」なかなかいいですよ。
私もう一つ感心したのですが、常設展の方も充実しています。入館料は1200円です。京都は800円でした。たぶん常設展の金額が上乗せされているのでしょう。常設展は種田山頭火の書多数、福田平八郎の絵など見応えあります。2009・12・24(木)
愛知・名古屋・荒子観音寺千面菩薩 | 岐阜・下呂市・久津八幡宮烏天狗 | 三重・津市・真教寺十一面観音菩薩 |
京都に住んでいますがJR伊勢丹にある美術館「えき」KYOTOへ行くのは初めてです。主催は京都新聞社と美術館「えき」KYOTO。広島、京都、愛媛で半年間開催されます。監修は小島梯次さん(円空学会常任理事・全国木喰研究会評議員)。
噂ではJR伊勢丹の集客力がすごいとか、ホテル業界ではグランビアが一人勝ちしているとか、京都駅ビルができてからJR京都駅周辺に人が集まっているらしいと聞いていましたが、すごい人出でした。JR京都駅駅ビルは人・人・人であふれていました。
そのJR京都駅の伊勢丹にある美術館「えき」KYOTOで開催された「円空・木喰展」は、人があふれて困るほどではありませんでした。見たい円空さんや木喰さんの前にいたらすぐ近くで拝ませていただけました。最近京都国立博物館や京都市美術館などで開催される特別展はたいていすごい人数で入場制限しておられることが多いのですが、それに比べるとありがたいことでした。
(1)ポスターとチケット裏の文章
庶民の信仰 円空・木喰展 |
天平〜鎌倉時代に進化を続けた仏像表現は、、江戸時代には過去の作品を真似ることを中心とする停滞期に入ります。そんな時代、17世紀、18世紀にそれぞれ活動した造仏聖・円空と木喰は都を離れ、全国を巡る行脚僧として布教活動をしながら、独創的な仏像や神像を彫り歩きました。庶民との交流をとおして彼らが彫った木像の多くは、庶民の信仰の対象として守り伝えられてきました。 円空(1632〜1695)は、荒々しくも自由奔放で力強い鑿(のみ)あとによりデフォルメされた仏像を数多く彫りのこしました。32歳で仏像を彫りはじめてから64歳で入寂するまでの30年間の間に12万体造像したともいわれ、今までに確認された円空仏は5,340体にのぼります。 一方、木喰(1718〜1810)は、表情豊かな「微笑仏」と呼ばれるやわらかな笑みをたたえた丸みのある像を彫りのこし、62歳に初めて像蔵して以来、80歳で1千体、90歳でに2千体の造像を誓願し、93歳で生涯を閉じました。現在710体が確認されています。 本展では、円空・木喰がたどった土地に今もなお、守り伝えられる仏像や神像と資料、約200点をとおし、時代を超えて人々を魅了する2人の造形をご紹介します。 |
(2)今回出品された円空仏
仏 像 神 像 資 料 名 | 所在場所 | 都道府県・市町村名 | 仏 像 神 像 資 料 名 | 所在場所 | 都道府県・市町村名 |
1,釈迦如来 | 天徳寺 | 岐阜・関 | 2,十一面観音菩薩像 | 真教寺 | 三重・津 |
3,不動明王 | 中観音堂 | 岐阜・羽島 | 4,聖徳太子 | 中観音堂 | 岐阜・羽島 |
5,鬼子母神 | 中観音堂 | 岐阜・羽島 | 6,観音菩薩 | 大智寺 | 岐阜・岐阜 |
7,地蔵菩薩 | 大智寺 | 岐阜・岐阜 | 8,観音菩薩 | 三蔵寺 | 三重・志摩 |
9,観音菩薩(木端仏) | 少林寺 | 三重・志摩 | 10,護法神 | 少林寺 | 三重・志摩 |
11,薬師如来/阿弥陀如来(両面仏) | 明福寺 | 三重・三重郡 | 12ー1,馬頭観音菩薩 | 龍泉寺 | 愛知・名古屋 |
12−2,熱田大明神 | 龍泉寺 | 愛知・名古屋 | 12−3,天照皇太神 | 龍泉寺 | 愛知・名古屋 |
13,観音三十三応現神のうち(木端仏)1帝釈天 2大自在天身 3長者身 4優婆夷身 5阿修羅身 | 荒子観音寺 | 愛知・名古屋 | 14,千面菩薩のうち | 荒子観音寺 | 愛知・名古屋 |
15,柿本人麿 | 願成寺 | 愛知・名古屋 | 16,阿弥陀如来・観音菩薩 | 弥勒寺 | 岐阜・関 |
17,伝 秋葉神 | 弥勒寺 | 岐阜・関 | 18,大黒天 | 円空美術館 (旧津島市個人) |
岐阜・岐阜 |
19,稲荷大明神 | 中観音堂 | 岐阜・羽島 | 20,不動三尊 (1不動明王 2矜羯羅童子 3制多迦童子) |
円空美術館(福岡飯塚市個人旧蔵) | 岐阜・岐阜 |
21,役行者 | 大善院 | 埼玉・さいたま | 22,閻魔王 | 月蔵寺 | 栃木・日光 |
23,稲荷大明神 | 滝尾神社 | 栃木・日光 | 24,観音菩薩 | 栃木・日光 | |
25,不動三尊 (1不動明王 2矜羯羅童子 3制多迦童子) |
清瀧寺 | 栃木・日光 | 26,愛宕山 | 円空美術館 (高賀神社旧蔵) |
岐阜・岐阜 |
27,大聖天 | 円空美術館 (高賀神社旧蔵) |
岐阜・岐阜 | 28,歓喜天 | 円空美術館 (高賀神社旧蔵) |
岐阜・岐阜 |
29,荒神 | 円空美術館 (高賀神社旧蔵) |
岐阜・岐阜 | 30,地蔵菩薩 | 弘誓寺 | 岐阜・高山 |
31,観音三十三応現身のうち | 千光寺 | 岐阜・高山 | 32,不動明王 | 素玄寺 | 岐阜・高山 |
33,稲荷大明神 | 相応院 | 岐阜・高山 | 34,如来 | 相応院 | 岐阜・高山 |
35,普賢菩薩 | 円空美術館 (各務原市寺院旧蔵) |
岐阜・岐阜 | 36,秦蛇大王守 | 円空美術館(美濃市會代個人旧蔵) | 岐阜・岐阜 |
37,宝冠阿弥陀如来 | 大智院 | 岐阜・岐阜 | 38,不動明王 | 岐阜・関 | |
39,毘沙門天 | 岐阜・関 | 40,十一面観音菩薩 | 岐阜・関 | ||
41,宇賀神 | 愛知・岡崎 | 42,観音菩薩 | 愛媛・四国中央 | ||
43ー1自由妙理大権現 | 富山市 猪谷関所館 |
富山・富山 | 43−2白山金剛童子 | 富山市 猪谷関所館 |
富山・富山 |
43−3白山不思儀十万金剛童子 | 富山市 猪谷関所館 |
富山・富山 | 44,伊勢太神宮 | 神明神社 | 岐阜・高山 |
45,天照皇太神 | 神明神社 | 岐阜・高山 | 46,天満宮 | 神明神社 | 岐阜・高山 |
47,天満宮 | 神明神社 | 岐阜・高山 | 48,天満宮 | 神明神社 | 岐阜・高山 |
49,住吉大明神 | 神明神社 | 岐阜・高山 | 50,春日大明神大明神 | 神明神社 | 岐阜・高山 |
51,八幡大菩薩 | 神明神社 | 岐阜・高山 | 52,鹿島大明神 | 神明神社 | 岐阜・高山 |
53,白山 | 神明神社 | 岐阜・高山 | 54,白山 | 神明神社 | 岐阜・高山 |
55,石動木 | 神明神社 | 岐阜・高山 | 56ー1十一面観音菩薩 | 子安観音堂 | 岐阜・高山 |
56−2不動明王 | 子安観音堂 | 岐阜・高山 | 56−3毘沙門天 | 子安観音堂 | 岐阜・高山 |
57−1観音菩薩 | 藤ヶ森無量堂 | 岐阜・下呂 | 57−2善女龍玉 | 藤ヶ森無量堂 | 岐阜・下呂 |
57−3善財童子 | 藤ヶ森無量堂 | 岐阜・下呂 | 58,薬師如来 | 岐阜・下呂 | |
59,烏天狗 | 久津八幡宮 | 岐阜・下呂 | 60,大日如来 | 久津八幡宮 | 岐阜・下呂 |
61,観音菩薩 | 久津八幡宮 | 岐阜・下呂 | 62,住吉大明神 | 久津八幡宮 | 岐阜・下呂 |
63,法相中宗血脈 | 弥勒寺 | 岐阜・関 | 64,大般若経 | 片田自治会 | 三重・志摩 |
65,千面菩薩厨子 | 荒子観音寺 | 愛知・名古屋 | 66,仏性常住金剛宝戒相承血脈 | 弥勒寺 | 岐阜・関 |
67,妙法蓮華経経典二 | 弥勒寺 | 岐阜・関 | 68,被召加末寺之事 | 弥勒寺 | 岐阜・関 |
69,近世畸人伝 | 愛知・稲沢 |
(3)3回も見に行ってしまった
私は11月7日(土)の開催初日に出かけました。監修者の小島梯次さんの作品解説を聞きたかったのですが、出がけに手間取って私が着いたらすでに解説が始まっていました。30〜50名くらいの方が小島さんの解説に耳を傾けておられました。
@円空美術館所蔵の円空さんはもともとどこにあったものか?(1回目に思ったこと)
私が今回の作品展で興味を持っていたことの一つに、岐阜市にある円空美術館の作品が多数出品されていることがありました。円空美術館の作品はもともとどこにあったものなのか、時代はいつのものなのかを知りたいと思っていました。今回多数出品されているということは、小島さんは円空美術館の円空さんに対して相当高い評価をされているということだと思います。しかし梅原猛氏やその他円空に関する最近の著作を執筆されている方々で岐阜市の円空美術館蔵の作品にふれて円空を語る方がおられないので前から不思議に思っていたのです。これは今回の展覧会の特徴の一つだと私は思っています。
今回出品されている円空美術館蔵の作品の旧蔵地は今回のカタログの小島さんの文章に書かれていましたので、上の表に書き加えておきました。一つ今までの疑問が解決しました。
A円空はなぜ天照皇太神を男神にしたのか?(2回目に思ったこと)
11月23日(月)に2回目出かけました。今度は音声ガイド(笑福亭晃瓶)を聞きながら拝観することにしました。
音声ガイドは作品の横にある解説以上のものではありませんでした。
音声ガイドで「天照皇太神」を「テンショウコウタイシン」と言っていました。あれ?「アマテラスオオミカミ」やろと思ったのですが、これは興味あることでした。なぜそう思ったのかといいますと、円空は何体か「天照皇太神」を彫っているのですが、男神に彫っているのです。
立松和平さんは「芭蕉の旅・円空の旅」(NHKライブラリー2006年11月発行)の中で、このように書いています。「円空は天照皇太神を数多く彫っている。これがすべて男神像なのだ。これはアマテラスのことで、今日の日本では誰でも女神であることを知っている。しかし、円空の時代に「古事記」や「日本書紀」を簡単に読むことができたとは思えず、天照皇太神は太陽神であり、神の中の神であるというほどの認識しかなかったと思える。つまり女神であることを知らなかった」と書いておられる。
果たしてどうでしょうか?円空は日本の神についてそれほど無知だったのでしょうか。私は意識的に男性にして表現した可能性があると思っています。三重県にしかも何度も伊勢神宮へ行っていた円空が間違うでしょうか?私はなぜなのかは分かりませんが、意識的だと思っています。
小島さんが笑福亭晃瓶さんに我々の常識として考えている「天照皇太神(アマテラスオオミカミ)」じゃない「天照皇太神(テンショウコウタイシン)」とわざと発音させているのかもしれないと思いました。
いや、小島さんはまさか解説で「アマテラス」を「テンショウコウタイシン」と言っているなんて思ってもいないのかもしれません。
*と、書いてから3回目に行ったときに、音声ガイドを貸し出ししている方に、上に書いたことを質問したら、「小島さんは音声ガイドには関係しておられません」とのことでした。ということは、笑福亭晃瓶さんや京都新聞社の独断?無知?新説?になります。
展覧会の入場料が800円で音声ガイドが500円ですから音声ガイドは決して安くないのです。チェックはされたと思うのですが…。謎のままです。
B今回の展覧会に出品したかったができなかった円空仏は?(3回目に思ったこと)
11月26日(木)に3回目出かけました。図録も一応目を通していましたし、今度は冷静に展覧会としてどうかを見ることにしました。
作品リストを見ていただきたいのですが、岐阜県郡上郡美並町のものは一体もありません。円空の出生地候補の一つである「美並ふるさと館」にある円空仏の協力は得られなかった可能性があると思いました。小島さんの主張「以上述べてきた諸点から「御木地土作大明神」を「木地師」に結びつけることはできないし、ましてそこから円空が木地師であったなどと飛躍することは到底できない。私は円空の木地師説は否定されるべきだと思う、同時にそこから導き出された美並出生説も承認することはできない」(円空木喰「庶民の信仰」の系譜2009より)が出展を困難にしているのかと想像しました。
小島さんが考える最高の円空展出品作品を知りたいと思いました。ほとんどの作品を見てこられた方が選ぶ理想の円空展に欠かせない作品を知りたいと思いました。たぶんカタログに写真で引用されている円空さんすべて集めたいとお思いなのだろうと思いました。
(4)円空・木喰展「庶民の信仰」私的総括
三重県の円空仏の展示は充実していた。特に真教寺の十一面観音の丁寧さ、少林寺の護法神像や観音菩薩の朽木を使った造像など見応えがあった。片田に伝わる大般若経も「これか…」という思いで見せていただいた。
それに比べると飛騨千光寺や名古屋荒子観音寺、岐阜羽島の中観音堂からの出品は一級品の円空さんではないと思った。
龍泉寺の馬頭観音三尊の出品はよかったが、背面をしっかり見せてほしかった。『日本修行乞食沙門」とあるらしい。このあと開催予定の愛媛美術館の解説(三館合同の会議での話)では背面もしっかり見えるように工夫するとあったので期待していたのだが、会場が狭いためか期待はずれであった。小島さんは円空仏背面の梵字研究の第一人者だけに編年をご説明されるのかと思っていた。
岐阜県郡上市美並町の円空さんが皆無であったこと、高賀神社からのものは円空美術館の愛宕山などの小品であったことも残念であった。
北海道・東北からの出品がなかったのも残念であった。私は有珠善光寺の「江州伊吹山平等岩僧内」という背銘のある観音像をかねてより見たいと思っている。
関東を巡錫した頃の円空は充実していたと私は写真を見ながら思ってきた。今回日光の清瀧寺の不動明王三尊はとてもよかった。埼玉にある円空さんは見る機会がこれからもおそらく少ないと思われるのでぜひこういう展覧会で取り上げてほしいと思った。群馬県富岡市一之宮・貫前神社旧蔵『大般若経』断簡や茨城県笠間市月祟寺の「御木地土作大明神」という背銘のある観音さんも実物が見てみたいと思う。
私は薬師如来を円空さんはたくさん造っておられるように思う。それだけ病で苦しむ人々のための造像が多かったのであろう。円空流だが薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)と十二神将は儀軌通りに造っている。この薬師信仰を物語る円空仏が明福寺の両面仏と下呂市の蜂の巣の跡がついた像だけでは物足りないと思った。
神像は円空の信仰を考える上で重要だと思う。神も仏も同じように敬う日本人の信仰が円空の造像活動の中に生きているのを確認できるからである。しかしながらその造形はちっともおもしろくないと私は思う。造形的なおもしろさで言えば善女竜王など龍を頭に冠した像をぜひ見たかったと思った。円空の龍はおそらく雨乞いと関係すると思うのだが、庶民の信仰を考えると必要だったのではないかと思う。
とまあ無いものねだりのような意見を書いてみた。
今回の展覧会の監修者である小島梯次さんという方は「円空研究」と「行動と文化」の論文をいくつか読ませていただいたことがある。若くから円空を追い求めてこられた方のようである。その論文はいつも冷静で憶測を挟まず、史料から事実を丹念に読み取ろうとされておられるように思う。
円空研究では、想像でそれがいかにも事実であるような通説がいくつもあるようだ。研究者が物語を作ってはいけないと小島さんは思っておられるように思う。梅原猛さんの「歓喜する円空」も立松和平さんの「芭蕉の旅・円空の旅」も想像力豊かでおもしろいが、断定していいのかなと思うことがある。両書とも長谷川公茂さんという円空学会の一番偉い方が同行して円空さんをごらんになり著作されている。お二方とも長谷川さんの人となりをほめておられる。そしてその研究成果や推論もお使いになっている。きっと長谷川さんという方は相当魅力的な方なのであろうと推察している。小島さんは察するに相当昔から長谷川さんとのおつきあいのある方のようである。しかし円空研究に関しては同調することと異論のあるところをはっきりさせながらおつきあいしてこられたように私は想像している。今回のカタログの中で、特に小島さんが力説しておられると思うことを箇条書きしておこうと思う。
@木喰は円空の影響で造仏活動に入ったという事実はない
A円空も木喰も水に浮かべて造像したという説ははなはだ疑問だ
B円空の母洪水死説は肯定できない
C円空美並誕生説・木地師説は肯定できない。以前小島さんは羽島竹ヶ鼻説出生説を書いておられた。今回も「竹ヶ鼻」の持つ意味は極めて大きい」と書いておられる。
D32歳までの円空については不明と結論せざるをえない。(高田寺で修行した、美並町粥川寺で得度したなどの説がある)
E寛文3年以前の美並町にある九体、関市の一体は円空作と認めない。
F北海道の蓮の花を持つ観音を来迎観音という必要はない。
G円空は元禄八年弥勒寺で入定(生きたまま土中に入り56億7千万年後の弥勒如来を待つ)したと言われているが疑問だ。「個人的心情としては円空を入定させたいと思っているが、断定することに躊躇も感じている」
他にも小島さんの見解表明がなされていることがあるのだが、私の特に興味あったこと八点である。この見解表明は五来重、池田勇次、長谷川公茂、梅原猛、立松和平批判になっている。なかなか気合いの入ったカタログでありおもしろい論文である。
あと一日の展覧会である。明日は小島さんが2回目の説明会をされるらしいが、私は用事があっていけない。誠に残念。
興味のある方は足を運ばれてはいかがでしょうか。もっとはやくこのページを作りたかったのであるが、それも残念であった。
2009・11月28日(土)作成
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