円空さんを訪ねる旅(37)

本覚寺
(岐阜県高山市上宝町本郷)

 2013年9月29日(日)中日文化センターの「奥飛騨上宝町へ円空仏に会う旅」ツアーに参加してきました。今回は
1,本覚寺
2,上宝町ふるさと歴史館
3,桂峯寺
の三カ所へ連れてもらいました。
 高山や千光寺、清峯寺へ行ったときに桂峯寺へも行きたいと思ったのですが行けなかったものですから、楽しみにして参加しました。上宝町へ円空が巡錫したのがはっきり確認できるのは、元禄3年(1690)9月26日(桂峯寺にある今上皇帝像の背銘文字)。円空59才の時ですから晩年にあたります。
 2013年1月12日〜4月7日まで東京国立博物館で「飛騨の円空展」が開催されました。千光寺の諸像を中心にして、清峯寺、高山郷土資料館にある円空さんなどの中に、桂峯寺の三尊像もありました。私は背銘に興味があったのですが、ほぼ読めませんでした。東京国立博物館は背銘に意味がある桂峯寺の像はそれが見えるように工夫して展示してくれていたのですが判然としない状態でした。
 桂峯寺の三尊像が一番興味のあることでした。二番目は、上宝町ふるさと資料館には上宝町にある主な円空仏二十数体が展示されているらしいので、上宝町における円空さんの足跡が辿れそうに思いました。
 本覚寺については、全く何も知らない状態で参加しました。講師である小島梯次さんの「お誘いのことば」によると、「本覚寺には僧形像が祀られており、又、円空が笠ケ岳で「阿観百日密行」をしたと記す播隆の「迦多賀嶽再興記」も残されています」とのことでした。つものように、バス内で、小島先生のレクチャーがありました。本覚寺については、二体の円空仏及び、播隆の書いた二冊の本と、本覚寺15世の「大ヶ嶽之記」の中に書かれている円空について話されました。

(1)本覚寺到着

 立派なお寺です。鐘楼、山門、石垣が立派で城のようです。本堂からは今から問題になる笠ヶ岳(2898m)が見えました。
 本堂でさっそくご住職がお話しされました。私が興味を持って聞いたお話しは以下のようなことでした。
「円空仏が評価されたのは昭和に入ってからで、それまでは乞食僧の作った仏像であって、それほど大切なものという認識はなかった。この辺りにはどの家にも円空仏があった。
 この寺は明治38年に本堂を焼失している。本堂の縁の下に多数の円空仏があったのだが、冬雪が降ったら、子ども達が縁の下から円空さんを出して、それをソリ代わりにしてすべって遊んだと聞いている。又ある時は円空仏をリヤカーに乗せて運び出したこともあると聞いている。円空仏は「火伏せの神」と言われてきた。だから置かれてきたのは台所であった。
 うちにあるのは、一体だけで、梅原猛さんは矜羯羅(こんがら)童子だと言っておられた」
とのことでした。

(2)矜羯羅童子か地蔵像か

   本覚寺にある円空像は像高23.5cmの左のような僧形像でした。
 バスの中でのレクチャーで小島先生は「円空の僧形像」についてお話しされていました。円空の僧形像は善財童子、聖徳太子、矜羯羅童子などと言われるが、地蔵菩薩像だと言っていいだろうとのことでした。
 本覚寺の僧形像は頭が尖っていて、首を左に傾けて、笑っているようで泣いているようなお顔をしておられる23.5cmの像です。眉、目は一本線で、鼻と口をやや窪めて表現したまことに少ない彫りで作られた像です。
 バスツアーの方の中に赤外線写真が撮れるカメラを持ってきておられた方が背面を撮影されていました。その梵字などを確認した上で小島先生は地蔵菩薩だと断言しておられました。今まで地元の教育委員会も背面撮影をされたようですが鮮明には写らなかったようで、「こんなはっきりした写真を見るのは、私も初めてです」と住職もおっしゃっていました。
 背銘から地蔵菩薩像だと言うのなら決定的だなと思いました。
 
 
 
 
(3)播隆と円空
   
 播隆(1782〜1840)は、江戸時代後期の浄土宗の僧侶。山岳行者であり、槍ヶ岳初登頂者。この本覚寺の椿宗という和尚さんの協力を得て、笠ヶ岳登頂を集団で成し遂げ、登山道に道標として石仏を置き、頂上に阿弥陀仏を安置して笠ヶ岳再興を成し遂げた僧です。
 「再興」というところが、円空との関係で問題になります。本覚寺には播隆が書き残した「迦多賀嶽再興記」(文政6年)と「迦多賀嶽再興権化帳」(文政7年)という書物が残されており、それを見せていただきました。又、この後行った「上宝ふるさと歴史館」には、播隆の道標石仏の実物がありました。本覚寺第15世椿宗が書かれた「大ヶ嶽之記」(文政8年)の模写本もありました。この三冊の本に円空が元禄年中に笠ヶ岳登頂していると書かれているのです。
 三冊とも、円空に関する記載にそれほどの差異はないのですが一応三書とも記しておきます。 
 「迦多賀嶽再興記」(文政6年・1823)
 元禄年中円空上人登頂大日如来ヲ勧請シ奉リ阿観百日密行之霊跡トカヤ
 元禄時代に円空上人が笠ヶ岳に登頂された。その時大日如来を勧請(神仏においで願うこと)され、阿観百日密行(座禅し瞑想する行)が行われた。笠ヶ岳はその霊跡(神秘的なことが行われた場所)と言われている。
 「迦多賀嶽再興権化帳」(文政7年・1824)
 其後元禄年間美濃国弥勒寺大行者圓空上人登山大日如来を勧請し阿観百日密行満願之霊跡也
 圓空が弥勒寺の僧で、大行者だと前著より崇めた書き方をしている。円空「上人」としているのも播隆の円空に対する尊敬の念を表していると言える。円空と播隆では活躍の時期が150年違う。その年代差を超えて円空という名を記したというところに意味がある。
「大ヶ嶽之記」(文政8年・1825) 
次デ元禄年間円空上人当郡五嶽練行之時、就中大ヶ嶽ハ阿観百日密行満願之霊跡也、即チ手ヲ大日如来ヲ彫刻シテ安置セラレタリ
 元禄年間に円空が当郡の五つの山々を練行したことを書き、笠ヶ岳に大日如来を彫り残したことを書き記している。椿宗という本覚寺の住職は円空を上人と呼び、笠ヶ岳登頂の先駆者として尊敬していたと思われます。乞食僧だと思っている僧を上人と記すはずはないと私は思うのです。当郡五嶽練行というのが、どの山々を指すのか分かりかねますが、地図を見ながら、硫黄岳、双六岳、笠ヶ岳、錫杖岳、穂高岳辺りかなと考えていました。
 本覚寺にはもう一体、箱に入った6.8cmの観音像があったそうで、小島先生の用意された資料には写真がありました。でもなくなっていました。何時の頃からかなくなっているとのことでした。写真で見ると、これは円空が民家によく彫り残す観音像のようです。
 我々が円空仏や書物を見せていただいているときに、住職がどなたから送られてきたと言って、数体の仏像を持ってこられました。古色を帯びた黒いその仏たちは、円空彫りでした。しかしどこか野性味がないもので、土臭さのない中々達者な彫りでした。どうも円空の仏ではなさそうでした。
 播隆さんについて思ったことです。浄土宗の僧侶が山岳修行をしておられたというのが不思議な気がしました。
 上宝町に元禄に訪れたと言われている円空ですが、小島先生はそれ以前にも訪れているのではないかと考えておられるようです。この本覚寺の地蔵像は元禄のものではなくもっと早い時期のものであろうと思っておられました。
と、書いてお終いにするつもりだったのですが、書き終わってから「円空研究4・特集飛騨」を読みました。その中に「笠ヶ岳再興記」(千田政義)という論文があることを見つけました。それを読んでいて、新しく分かったことや、あれ?と思ったことがあったのでそのことを書いておこうと思います。
1,播隆や椿宗は笠ヶ岳で円空仏を見ていない
 「再興記」によると、笠ヶ岳は、大永年間(1521〜1527)に本覚寺道泉が開山した。
 その160年後の元禄年間に円空が再興した。
 更に90年後の天明2年(1782)高山宗猷寺の南「(なんちょう)が同寺の北州と、それに本覚寺の嶺州をともなって笠ヶ岳再興をはかった。その後、40年後の文政6年(1823)播隆が再興したということである。
「飛騨編年史要」には、「天明3年6月)高山宗猷寺の僧、南「、高山町人野川某、船津町村牛丸某今見某と謀りて笠ヶ岳頂上に本地仏を安置す」とあり、本覚寺には「
迦多嶽大権現勧請施主名簿が残されているらしい。それには「大日如来 木仏故ニ今ハナシ 永井宗光」とあり、「天天壬明二寅 治夫六月吉祥日」と年号が入っているとのこと。
 そして「再興記」に播隆は、「堂宇廃壊シテヤウヤク金仏二尊残リ給フベシ」と記している。つまり天明2年南「の時にすでに円空の大日如来はなかったし、播隆も円空の木仏は見つけられなかったということである。

2,本覚寺に円空仏はなかった!?
 千田氏が円空仏は本覚寺にはないのかと当時の石井真玄師に尋ねられたら、「欄間に掲げられた円空仏の写真を見上げなが『「残念だがありませんよ。この奥にはありながらー』と、「奥」とは一重ヶ根の禅通寺である」と書かれている。続けて「なお本覚寺は明治38年に火災にあい、残ったものは『再興記』だけだった。こうして円空仏は火中に没して発見することはできない」と書いておられる。千田氏がこの論文を書かれたのはいつなのか分からないが、ここに書かれている通りなら、私が見せていただいた地蔵菩薩は、この論文が書かれた後に発見されたのであろうか。千田氏は播隆同様円空もまた本覚寺に錫をとどめたと思っておられるようである。
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