円空さんを訪ねる旅(3)

奥飛騨袈裟山千光寺
(岐阜県高山市丹生川町下久保1553 рO577ー78ー1021)

 岐阜県へ行きたい。美濃・飛騨へ円空さんに会いに行きたい…昨年の夏から思い続けてきたことです。
 色々考えて、昨夏行けなかった千光寺へ行こうと決めました。もちろん、両面宿儺(りょうめんすくな)が見たいからです。
 他にも63体の円空仏が、千光寺円空仏寺宝館にあります。2008年春3月26日(水)出発1泊2日岐阜県へ「円空さんを訪ねる旅」は、北の端千光寺からはじめることにしました。
 京都から名神、東海北陸自動車道と乗り継いで正午には高山市に入りました。そこから一般道をナビを頼りに約40分、千光寺につきました。現在は高野山真言宗だそうです。ずいぶん広い境内で、山裾に石柱を建てた千光寺の門があり、そこからクネクネ曲がった狭い道を駐車場まで進みます。私は仁王門のある方ではなく、大慈門のある駐車場に車を止めました。山内には八十八カ所霊場巡りがあるようでかなり広域です。
 上の写真のようにまだ雪が残っています。千光寺は冬の間は拝観を中止しておられます。
 この大慈門からすぐ右手に、円空仏寺宝館がありました。

円空仏寺宝館

 円空が千光寺を訪ねたのは、貞享2年(1685)であったことが、弁財天座像(県重文)の厨子に記された年号からはっきりしています。円空54歳の時のことになります。彼は千光寺でその次の年まで一年近く滞在して多くの仏像を残しさらに「袈裟百首」という歌集も残しています。千光寺を拠点にして飛騨各地を巡ったようです。
 円空仏がここ千光寺に63体。
 さあ、中へ入ってみましょう。

立木仁王像(県重文)

 玄関入ると出迎えてくれたのは、立木仁王像のうちの一体。約200年前までは立木のままだったという。『蘭亭遺稿』に文化5年(1809)に根本から伐られて仁王門に移したと書いてあるらしいです。(お寺のパンフには150年前とありますが…)
 この立木仁王が有名なのは、彫られた時のことが「近世畸人伝」(寛政2年(1790)伴蒿蹊著 三能思考挿絵)に挿絵入りで紹介されているからです。ここで言うところの畸人は奇人であるが、今の奇人(変わった人)とは意味合いが違うようです。蒿蹊は、地位や名誉や金銭と言った世俗的なものを追い求めるのではなく、ひたすら道義を守ったり、美を追究する人を肯定的な意味で「畸人(奇人)」と呼んでいます。池大雅や中江藤樹などとともに円空が取り上げられているのです。
 円空のことが書かれている書物は、3冊あるらしいのです。
(1)「飛州志」(長谷川忠崇著1728年)…長谷川忠崇は17年間飛騨代官を勤めた人
(2)「近世畸人伝」(寛政2年(1790)伴蒿蹊著 三能思考挿絵)…伴蒿蹊
(3)「浄海雑記」(全精著 安政5年(1858)…全精は荒子観音寺(名古屋にあ千体以上の円空仏を有する寺)の当時の住職
 普通、死後時間が経過していない時に書かれたものが一番信用できるものである。円空が長良川の自坊弥勒寺(岐阜関市)近くで入定(断食して穴の中で即身仏となり、弥勒如来が出現される56億7千万年後に役立てるように肉体を残すこと)するのは、元禄8年(1695)64歳の時だそうですから、一番近い資料でも三十年以上経っています。今、問題にしている「近世畸人伝」は死後約100年に書かれたものです。しかしながら、円空の自伝や旅日記紀行文などが残されていないので、この三つの書物の記述は円空研究の基礎資料になるものと言えます。
*高山郷土資料館で撮影した「近世畸人伝」の関係ページ
この本の中で円空は次のように紹介されている。
 僧円空は美濃国竹ヶ鼻という所の人である。小さい時に出家してある寺にいたが、、二十三歳でのがれ出て、富士山に籠もり又加賀白山にも籠もった。白山権現のお告げで、弥勒寺を再建した。しかしそこにとどまらず飛騨の千光寺に遊んだ。千光寺の俊乗(無我の人この人も又畸人として紹介されている)と意気投合したからである。
 円空の持っているのは鉈一丁で、それで仏像を刻む。そして予知能力がある。そして仏像を作り人を難から救った。また蝦夷地に渡って法を説き『今釈迦』と名付けられた。後美濃へ帰り池尻で亡くなった。美濃飛騨では「窟上人」と呼ばれた。
この本の記述が円空の人物像を作る上で大きな影響があることが分かります。美濃竹ヶ鼻生まれの円空、鉈彫り円空、『予知能力があった円空「今釈迦」と呼ばれた円空、「窟上人」と呼ばれた円空です。特に千光寺のことが出てくるのは、俊乗との関係からであろうが、おおよそ間違ったことが書かれていると思われないので、美濃竹ヶ鼻生まれの円空も信用できるのではないかというのが、岐阜羽島生誕説を説く人たちの根拠のようです。

見学記(館内撮影禁止)

 先ほどの玄関の立木仁王さんだけ記念に写真撮影どうぞと書いてあったので撮ることができました。写真の通りで風雪に耐えてひび割れがひどいものです。もう一体の仁王さんは今にも崩れそうで気の毒な状態でした。ここから写真はありませんので、私のスケッチで紹介します。
(1)両面宿儺(りょうめんすくな)貞享3年(1686)高87.5cm
 両面宿儺…円空の晩年作の中で最高傑作のと評価されている作です。
 私の知るかぎり円空はこの両面宿儺をここ以外では彫っていないようです。
 両面宿儺は、飛騨の国を統治していた豪族で、約1600年前に千光寺を開創したと伝えられている人物です。日本書紀巻第11仁徳天皇65年に出てきます。そこでは、大和朝廷の皇命に従わない化け物扱いを受けています。体が一つ、顔が前後にあり、手は4本、手には弓矢を持つという姿に表されています。
 円空は、それを変えていて、顔は善悪を表し、善面を前にして、弓矢を斧に変えています。飛騨の国では両面宿儺はなじみのある英雄なのですから、円空も飛騨の人々の気持ちを共有して彫ったのでしょう。

 この像を見るために千光寺を訪れた私は、ナルホドこれか…と両面宿儺に見入りました。両面宿儺は円空仏の一番目に展示されていました。バックが緑の内装でその前のガラスケースの中にありました。思っていたより小さいなと思いました。悪面が憤怒をより強く表現しているように思いました。私は両面とも憤怒面だと思います。善面の持ち物や甲冑から、私は円空が両面宿儺を山仕事に従事しながらも戦うことを畏れぬ勇者として表現したかったのではないかと思いました。
 手の様子がよく分かりました。悪面の右手の人差し指がやたら長くて中指と薬指を折っています。左手は善面の肩を抱くようにしています。まるで、善面の陰に隠れて睨み付けているように見えました。
 
(2)賓頭廬像(県重文)47.4cm
 この像は、なでられて黒光りしており「なでぼとけ」と言われているようです。親しみやすい温和で笑みをたたえている像であるので、参詣者から慕われ愛され頼りにされてきたのでありましょう。そして、彫りあとと木目が微妙に交差したり平行したりしておもしろい効果を上げています。
 又「円空自刻像」だとも言われています。梅原猛さんは、上の両面宿儺こそ仏になった円空の自刻像だと言い、そうなるとこの賓頭廬さんが自刻像であるはずがないという説を「歓喜する円空」(2006・新潮社)で展開しておられます。この像は千光寺の畏友であり恩人である畸人俊乗ではないかと言うのです。
 ウーンどうかな?木喰戒をしていたと思われる円空がそういう象徴的表現を試みるでしょうか。私は「美並村と円空」(2000年美並村発行)にある五来重氏が円空の誓願をまとめられた「六、作仏(千体仏・万体仏・神像・自刻像)」に注目しています。この説は「美並村史下
にあるらしいのですが、自刻像を彫ることも誓願なのだとしたら分かりやすく彫りそうに思います。木喰は自刻像を多数彫りました。円空の場合自刻像だと書き残しているものがあるのかどうか調べなければ。 
(3)三十一体観音像
 千光寺のパンフには2体失って31体になっていると書かれており、三十三観音という説明になっています。
 しかし先ほどの梅原氏の著作には昭和の中頃まで五十数体あり、村の人は病気になると一体ずつ持ち帰ったと書いておられます。したがって三十三観音ではないと。お顔がみな同じであり、名古屋の荒子観音寺の三十三観音はみな顔が違うことも理由の一つに上げておられる。「観音三十三応現身」と2005年の「円空展」のパンフには書いてあるのですが。一体円空は何を彫ったのでしょうか。
 この諸像は「丸太(サワラ)を四ツ割にして4体刻んだものである。鉈ばつりの素朴な造りであり、非情におだやかな円空仏の特徴をただよわせている代表作ともいえよう」とパンフに書かれていました。
 私は…一度彫ってみようかと思いました。この観音像は円空仏の一典型であることは確かです。しかし今の私はその良さが分かりません。
 千光寺には、この他にも、不動三尊、金剛神2体(2mある大きな像)弁財天座像(扉に千光寺に滞在したのが貞享年間であることが分かる文字がある)などがありました。家へ帰ってから調べていたら歓喜天があったらしいのですが、あれ?あったかなと思い出せません。
 この他にも「円空画像」がありました。この像は関市にある弥勒寺の原像を江戸時代後期に写したものだそうですが、弥勒寺の原像が大正年間の火災で焼失したため円空唯一の画像だそうです。しかし、私はこの後行った高山市郷土資料館で同じ円空画像の扇面絵状の色紙を見ました。あれは何かな?その絵については、次の「円空さんを訪ねる旅(4)高山市郷土資料館」に続きます。
 ああ、それから千光寺「円空仏寺宝館」の売店で「護法神」のストラップと絵葉書を買ってきました。
 私が「円空さんの写真集はありませんか」と聞きましたら「切れている」とのことでした。残念です。千光寺の現住職は有名なお坊さんらしく、数冊の著書が置いてあり、TV出演のことも案内してありました。私はあまり興味がなかったので失礼しました。それから、金田何とかさんという俳優さんが両面宿儺の絵やスケッチを何枚も売店横のコーナーに置いておられました。この後に行く美並町でもこの方の写真を見ました。きっと円空ファンなのでしょうね。
円空さんを訪ねる旅 円空さんを訪ねる旅(1)
岐阜県奥飛騨禅通寺
円空さんを訪ねる旅(2)
大津市三井寺
円空さんを訪ねる旅(3)
飛騨丹生川千光寺
円空さんを訪ねる旅(4)
高山市郷土資料館
HPへ戻る 円空さんを訪ねる旅(5)
下呂市飛騨合掌村
円空さんを訪ねる旅(6)
金山町祖師野薬師堂
円空さんを訪ねる旅(7)
美並ふるさと館
円空さんを訪ねる旅(8)
美並平成の円空彫
円空さんを訪ねる旅(9)
岐阜羽島長間薬師寺
円空さんを訪ねる旅(10)
岐阜羽島中観音堂
円空さんを訪ねる旅(11)
岐阜市円空美術館
円空さんを訪ねる旅(12)
洞戸高賀神社円空記念館
円空さんを訪ねる旅(13)
河井寛次郎記念館
円空さんを訪ねる旅(14)
関市弥勒寺・円空館
円空さんを訪ねる旅(15)
天川村栃尾観音堂
円空さんを訪ねる旅(16)
飛騨国府清峯寺
円空さんを訪ねる旅(17)
高山市飛騨国分寺
円空さんを訪ねる旅(18)
下呂市小坂郷土館
円空さんを訪ねる旅(19)
大垣報恩寺
円空さんを訪ねる旅(20)
伊吹山太平観音堂
円空さんを訪ねる旅(21)
大和郡山松尾寺
円空さんを訪ねる旅(22)
磯部町上五知薬師堂
円空さんを訪ねる旅(23)
志摩市立神少林寺・薬師堂
円空さんを訪ねる旅(24)
志摩市片田三蔵寺・漁協
円空さんを訪ねる旅(25)
伊勢市中山寺
円空さんを訪ねる旅(26)
尾張荒子観音寺
円空さんを訪ねる旅(27)
尾張龍泉寺
円空さんを訪ねる旅(28)
豊田市民芸館
円空・木喰展(29)
美術館「えき」KYOTO
 
円空展(30) 
一宮市博物館
円空さんを訪ねる旅(31)
江南市音楽寺
円空さんを訪ねる旅(32)
津島市千体地蔵堂
 
円空さんを訪ねる旅(33)
津市白山町浜城観音堂 
円空さんを訪ねる旅(34)
津市真教寺閻魔堂
 
 円空さんを訪ねる旅(35)
三重郡菰野町明福寺
円空さんを訪ねる旅(36)
奈良県天川村
 
円空さんを訪ねる旅(37)
飛騨上宝町本覚寺 
 
円空さんを訪ねる旅(38)
上宝ふるさと歴史館
 
円空さんを訪ねる旅(39)
上宝町桂峯寺 
円空さんを訪ねる旅(40)
美濃市の円空仏
 
円空さんを訪ねる旅(41)
奈良斑鳩法隆寺
 
円空さんを訪ねる旅〈42〉
長間薬師寺から竹鼻へ
 
円空さんを訪ねる旅(43)
白川町和泉薬師堂
 
円空さんを訪ねる旅(44)
金山町祖師野八幡宮
 
円空さんを訪ねる旅(45)
金山町祖師野薬師堂
  
円空さんを訪ねる旅〈46〉
白山町佐見庚申堂他
円空さんを訪ねる旅〈47〉
中津市加子母大杉地蔵尊
 
円空さんを訪ねる旅〈48〉
下呂市温泉寺
 
日本の石仏めぐり 円空さんを訪ねる旅 木喰さんを訪ねる旅 HPへ戻る