円空さんを訪ねる旅(21)

大和郡山松尾寺
(奈良県大和郡山市松尾山 рO743−53−5023)

松尾寺三重塔
 松尾寺は、厄除観音霊場・厄除祈祷の寺。舎人親王(日本書紀編纂者)ゆかりの伝承をもつ古刹で、古代からの大岩信仰とも関係ある神仏習合の寺です。
 場所は、私のイメージから言うと生駒にある矢田寺の近くで、郡山と法隆寺のある斑鳩の間というところでしょうか。
 近年この近くへは何度も訪れています。郡山城や矢田寺や滝寺廃寺跡などの石仏を撮るためであったり、斑鳩の法隆寺や法起寺の塔やコスモスを撮るためであったり、椿寿庵という椿の栽培をしておられるお宅を訪ねるためであったり。
 2008年10月13日、法起寺とコスモスの写真を撮りたくなって、ちょうどこの辺りを訪ねますので「そうだ!松尾寺へ円空さんに会いに行こう!」と出かけました。
 ところが、松尾寺の円空さんには会うことができませんでした。
 松尾寺の役行者倚像が見せていただけるのは、一年間で一回だけだというのです。11月1日〜10日「厄除観音奉納書道展」の会場である宝蔵殿に円空作役行者倚像はおられて、その時だけ公開されるというのです。
 仕方ありません。私はその時に行われていた七福神堂の大黒天(弘法大師作と伝えられている)を見せていただくことにしました。この大黒さんは大きな袋こそ持っておられますが、にこにこ顔のあのでっぷりした大黒さんではありません。憤怒像なのです。日本では大国主命と結びついてにこやかな福神ですが、初期像はこういうものだったようです。以前にもこういう憤怒像を見たことがありました。弘法大師作の大黒天はつい最近石山寺でも拝観させていただきました。行基作とか弘法大師作とか恵心僧都作とか言われるとまずウソだと私は思ってしまいますが、まあそれだけみんなから慕われ尊敬され多彩な才能を発揮された方々であるのでしょう。
 

(1)西国三十三カ所観音石仏

 松尾寺にはこの他に興味をひくものとして、西国三十三カ所松尾山石仏観音がありました。これはおそらく古くても江戸時代末、ひょっとしたら近代作のものです。小像ですがなかなか整ったお顔立ちの観音様群です。三つほど紹介します。
 この観音様たちはよだれかけを掛けておられます。写真を撮るのに外させてもらおうとめくりましたら…。まず、最初のよだれかけの下には大きなクモ、続いてヤモリ。以前にもよだれかけの下からゴキブリ始めゾロゾロとムカデなどが出てきて気持ち悪くなったことがありましたが、しばらく忘れておりましたので、飛び上がってしまいました。よだれかけを掛けるのはお地蔵さんだけだと私は思っていたのですが、信心されている方には申し訳ありませんが、私のようなものには迷惑なものです。

(2)役行者倚像

 2008年11月1日(土)、この日を待って、松尾寺を訪ねました。「厄除観音奉納書道展」は二カ所で行われていて、そのうちの特選中の特選が展示してある場所が、宝蔵殿でした。この書道展は書道教室の子どもたちの作品の中から選ばれているようでした。のびのびとした書が多いと思いました。
 これが、松尾寺の役行者倚像です。倚像というのは椅子に座っておられる像という意味です。高下駄を履いて錫杖と三鈷を持っておられます。この持ち物は最初からこのような金属だったのか、後の世に付け加えられたものなのか分かりかねますが、私は円空さんは自前の道具を持たせたのではないかと想像しました。載せられている台もおそらく円空さんの時代にはなかったものだろうと思われます。
 しかし、確かにこの役行者は円空さんの彫りです。
 まあ、なんと幸せそうな笑みをたたえておられる像でしょうか。円空さんの笑みは口元だけだと私は思ってきました。目は必ずしも笑っていないと思われるものが多いと思います。それは鼻から下の彫り方でそうなるのです。
 しかしながら、この役行者像は、目も笑っています。なんとも幸せそうなお顔をしておられる。顎髭がなかったら女性かと思うような優しいお顔をしておられます。

松尾寺の役行者倚像

 円空さんは修験道の道を究めようとしておられました。修験の根本道場大峯山寺がある山上ケ岳(1716m)から東南4kmに笙ノ窟という洞窟があります。円空さんはここで寛文13年(1673)(9月に延宝と改元)冬籠もりをしました。9月9日から3月3日までの半年間命がけで行われる修行です。この笙ノ窟は弥勒浄土への入り口なのだそうです。幅12m高さ3.3mあちこちから音を立てて清水が流れ落ちる標高1450mにある笙ノ窟(しょうのいわや)。ここでの修行で円空さんは確信を持ったようです。自分の験力に対しても自信がもてたでしょうし、56億7千万年後、弥勒菩薩が如来となって釈迦の代わりをする時に役に立つため入定するという確信も高まったことが想像できます。熊野権現の修験者たちとの交流で白山権現の修験者である円空さんは一まわりも二まわりもの成長をしたことでしょう。
 この後、延宝2年(1674)には伊勢路三重の志摩半島から伊勢神宮まで巡ります。時に円空43歳。大般若経を修復したり、仏像を彫ったり精力的に伊勢路を巡ります。そして阿児町の立神薬師堂で大般若経を修復してその奥書に「歓喜沙門」と署名しています。自信満々の円空です。
 その次の年、延宝3年円空さんは再び大峯山へ戻ります。この時にこの役行者像は造られています。
 この役行者像の裏面に「延宝三乙卯九月於大峯円空造之 法印二之宿」とあります。私はこの「法印二之宿」の意味が分かりかねるのですが、延宝三年九月の大峯山のお戸閉に下山したことになるそうです。(図録『圓空』長谷川公茂論文)
 なぜ大峯山で造られた役行者像が松尾寺にあるのかは不明だそうです。
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