円空さんを訪ねる旅(49)
庄中観音堂の円空仏
(愛知県尾張旭市庄中町南島)
庄中観音堂へ行くには、名古屋駅から地下鉄東山線に乗って「藤が丘」下車(約30分・300円)。ここから名古屋市営バス1番乗場「東谷山フルーツパーク」行きに乗車し「庄中天王」で下車(約12分・210円)する。その後徒歩5分で着く。 庄中観音堂の諸像は2010年一宮市博物館の特別展「円空展」で拝観させていただいたことがある。その折であったと思うが、普段は厳重に鉄格子の中に入っておられて、こんなよい状態では拝観できないと説明があった。 今回、拝ませていただける機会を得てなるほど確かにこれはなかなか厳重に管理されているなと思った。円空仏を盗難の危機からどう護るかが管理者・所有者の方々の大きな悩みになっている。バリアの中で円空さんは「これはこれは」と微笑んでおられるのだろうか、嘆いておられるのだろうか。 この観音堂には、五体の円空仏と、一体の円空が修復した藤原時代の観音像が安置されている。五体の円空仏のうち三体は三尊像(観音・不動・毘沙門)であり、残り二体は如来像(阿弥陀・薬師)である。57cm〜123cmの五体である。円空の作の中では大きな像と言えよう。制作年代は延宝4年〜5年頃ではないかとのことであった。円空は45〜46歳。大峯山から伊勢志摩の修行を終え、充実期とも言える時期の作である。私は地理的な位置関係がよく分からないのだが、講師の小島梯次先生によると、竜泉寺、オオモリ(漢字が分からなかった)、庄中と続くらしく、荒子観音寺で造像した後ではないかということであった。円空の傑作の中に入る諸像だと思った。 |
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訪問日2015・2・18(水)
作成日2015・2・20(木)
(1)三尊像(観音菩薩・不動明王・毘沙門天)
このような状態で本尊藤原期の秘仏聖観世音菩薩のお厨子向かって左側にひとかたまりになっておられる。 一番後ろに観音菩薩(123cm)。右手が顔の直ぐ下にあり親指と他の指を大きく開けておられる。何か話しかけているようにも見える。左手は蓮華を持っておられる。頭が大きく5等身ぐらいで、バランスはよくない。頭髪の上は何か模様のような宝冠を被っておられるようだ。時々思うのだが、円空が持たせる蓮の茎が太すぎてマツタケのように見えてしまう。表情は穏やかである。 不動明王と毘沙門天は91cmと同じ大きさ。毘沙門天と不動を合わせると元々一木であったことが分かる。不動明王の背面はちょんながけした跡が残っており、これが建築古材であったことを暗示している。毘沙門天と聖観音の背面は、これは何で伐ったのであろうか。鋸でひいたあとではない。鉈で割って少しならしたように見えるが、そんな大きな鉈があるだろうか?よく分からないが、背面を整えようとした形跡はない。背面に何も書かれていないのは、三尊とも共通している。 不動明王はバランスもよい。お顔も穏やかである。牙上下出でもなく天地眼(左右天と地をにらむ目)でもない。 毘沙門天を「護法神」と書かれていた。多宝塔を持っておられるし、これに近い甲冑と兜を着た毘沙門天は他にもあるので間違いないだろう。 観音を主尊として脇侍に不動・毘沙門とする三尊形式について、「円空展」カタログ(一宮博物館・長谷川公茂著)にはこうあった。「円空の造顕した三尊形式の中に慈恵大師創案の三尊があるが、本堂(庄中観音堂)の観音・不動・毘沙門の三尊が、それに当たる。円空は慈恵大師三十四代目の弟子であると自書しているが、同大師像を五体も造顕して遺している」小島先生のお話では、この三尊形式の例は他に春日部観音院(埼玉)だけだとのことである。私は岡崎市の経津主神社や羽島郡慈眼寺の毘沙門天と不動明王ももともとは三尊だった可能性があるのではないかと思いながら「円空展」カタログ(一宮博物館)を見ている。 |
(2)阿弥陀如来像と薬師如来像
阿弥陀如来(67.1cm)と薬師如来(54.0cm)は厨子の向かって右側にこのように縦に並んでおられる。ご覧の通り、足元を見ることができないのは上の三尊像と同じである。右側にオリのような鉄格子がある。この鉄格子が須弥壇全体を囲っている。 前の薬師如来は元々特別な厨子に入っておられたらしい。厨子に合わせるため蓮座の下にある磐座を半分に伐ったらしい。こういう例はよくあるとのことであった。今でこそ円空仏の評価は高いがしばらく前までは平気でこういうことが行われた。それは円空仏がそれだけ身近だったとも言えよう。高さが阿弥陀如来と違うのは阿弥陀如来は伐られなかったためである。 二つの如来像、よく似ている。衣文と頭部及び蓮座磐座はほぼ同じ。印相が違う。阿弥陀如来は常印。薬師如来は禅定印の上に薬壺を持っておられる。表情は薬師如来の方が穏やかで優しい。目が弧を描き、口が左右に小さくより深く窪めてある。それが微笑んでいるように見えて安心感を醸し出している。 阿弥陀は死ぬことを怖がらなくても私が極楽へ導いてあげますよという安心感を与えてくださる如来であり、薬師は病やケガから自由にしてくださる如来である。どちらも私たちに一番身近な如来である。穏やかで優しい…それが顔や立ち居振る舞いにまで現れていたら最高だろうなと思いながら円空仏を見る。 背面は阿弥陀さんはちょうなを使ったままの状態でギザギザである。薬師さんは比較的つるりとしている。背面に文字や種子はない。 久しぶりに穏やかな円空さんを見て、真似て彫ってみようかなと思った。 |
(3)主尊聖観世音菩薩
秘仏ですからもちろん拝観はできません。しかし資料としていただいたレジュメに円空が修復した藤原仏が載せられており、説明もしていただけた。その時に分かったことをまとめておく。
@大きさは158.3cm
A一木づくりで、両手と台座を円空が修復したらしい。生え際から少し上の宝冠部も円空修復の可能性があるかもしれない。
Bこの観音さんは聖観音と伝わっているが、頭部に規則的な穴が開いており、もともとは十一面観音であっただろう。
C台座(磐座)下部にほぞ穴が見られ、建築古材を利用したことが分かる。
D足は円空がよく彫る素足で平べったく四角い足である。
お堂の鍵を管理しておられる女性と少し話した。今はその方が鍵の管理をしておられること。お寺も関係しておられること。昔は「観音講」もあって人がお亡くなりになったら「ご詠歌」を詠う習慣もあったが、今は全くなくなったこと。そう言えば私の祖母が亡くなった頃(40年ほど前)はご町内でご詠歌を詠ってくださる方がおられた。いつの間にかそういうことがなくなって、自宅葬儀は少なくなりホール葬に。それも少なくなり、親族だけの家族葬が主流になりつつあるらしい。私もそれでいいと思う。考えると葬式の形式がこんな急速に変化している時代も珍しいのではないかと思うのだが、どうだろう。
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