円空さんを訪ねる旅(50)
美濃市恵照院
(岐阜県美濃市前原)
2015年3月12日「ガンダーラの会」主催の「美濃市、岐阜市の円空仏を見る」に参加させていただいた。この会は名古屋で西域の仏教やその美術や文化について、学習及び研修研究を行っておられる団体である。円空仏講座もその一環のようで、講師は小島梯次円空学会理事長。講座を毎月開催しておられ、見学会、講座、旅行なども行われているというアクティブで魅力的な会である。
美濃市恵照院には2体の円空仏がある。1体はやや右に傾いておられる頭の尖った地蔵菩薩。もう一体はよく民家に彫り残されてい小観音菩薩。恵照院では奥様が説明してくださった。
(1)地蔵
(54.0cm)
このお像、ガラス越しで(水族館用だとか)見せていただいた。さらにセンサーが施されているらしく解除できないとのことで、写真がおかしな具合にしか撮れなかった。 とんがり頭で優しいお顔の宝珠を持った円空さんである。この尖り頭は智証大師(円珍)の像を模したのではないかと言われているそうで、私はなるほどと思って聞いた。平安時代初め、最澄が天台宗を日本に広める。しかし最澄の教学は未完成であった。それを弟子である円仁・円珍が体系づけた。だが、天台宗は円珍派(三井寺・寺門派)と円仁派(延暦寺・山門派)に分かれ抗争を繰り返す。円空は三井寺で学び血脈を受け、円空仏を残している。円珍は頂相も彫刻も確かに尖り頭である。 体全体が右に曲がっている。今回小島先生がご用意下さった資料によると背面はちょうな(手斧)がけした彫り後が地層のように荒々しく残っている。おそらく建築余材を木成りに彫って作ったためにこのように傾いておられるのであろうとのことであった。 ここからはお寺の奥様のお話。 「江戸時代、この辺りでたくさん子どもが亡くなり地蔵菩薩が彫られた。円空最晩年にここに立ち寄りこのあと、関の弥勒寺で入寂したと伝わっている。この近くの民家にもたくさん円空仏があったようだが、それほど大切に扱われなかったようで、現在いくつぐらい残っているかは不明」 磐座の上に蓮座があり、その上に沓を履いた地蔵さんがおられる。衣の模様が鱗状になっている。背面に文字はない。 「果たして最晩年といえるかどうか…」という声があった。 しかしながら、なかなか魅了的な地蔵菩薩像である。 円空仏を管理するのは大変だなと思う。 |
(2)小観音像
お気の毒にお顔が分からなくなっている。よく民家に円空が彫り残している10cmほどの小観音像である。
特徴として、裳懸座が長いことがあげられる。これはある時期の円空像(寛文後期)に見られる様式である。この像はお寺に伝わったのではなく民家のものが伝わっているのかもしれない。美濃市は関市と郡上市の間にある。何度も円空が歩いたであろう土地である。どんなものが出てきてもおかしくない。
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