円空さんを訪ねる旅(55)

清涼山永国寺
(名古屋市中区橘)

 名古屋地下鉄名城線「東別院駅下車」徒歩10分。東別院とは東本願寺の名古屋別院で私が訪れた2015年10月21日本堂など工事中であった。京都の本山も御影堂、阿弥陀堂大規模修復中で、親鸞750年御遠忌法要でどこも力が入っているようである。駅を降り、地下道から出てくると名古屋テレビの建物が目に飛び込んできた。そして東別院の大きな屋根。
 東別院は広大な敷地を尾張徳川家から与えられたようで、隣接している下茶屋公園というのは東別院の新御殿の庭であったらしい。もともとここは信長の父信秀が天文年間(1542〜1548)に古渡城を建てた場所で、その土地を拝領したことになる。
 その東別院のすぐ近くに栄国寺はあり、松原幼稚園、切支丹遺跡博物館などを併設している。
 栄国寺のある場所は尾張藩が寛文4年(1664)にキリシタン二百余名を処刑した場所である。当時この一帯は千本松原という刑場であった。キリシタン処刑後、藩の刑場は清洲の土器野へ移された。二代藩主徳川光友は、寛文4年から5年にかけてこの地を開発した。そして刑死者の菩提のため、寛文5年(1665)清涼庵を建立し、貞享3年(1686)形態を整え、栄国寺と改めたという。
 キリシタン受難と大いに関係のあるこの寺院にはキリシタン関係の遺跡遺物がある。千人塚、キリシタン灯籠、踏み絵、マリア観音、かくし弁天、切支丹禁止令の高札などがある。この寺にある切支丹資料は、美術品収集家故佐藤圭一氏のコレクションであったらしい。また、同氏は円空仏も蒐集されていたようで、他の寺の円空仏に関係しておられるそうだ。
 「慶安二(1649)己丑年五月廿五日」「南無阿弥陀仏三界万霊等」「施主岡新兵衛」の文字を記した名号碑がある。慶安2年(1649)にも相当数の切支丹が処刑されておりこの名号はその時のものと考えられる。
 寛文4年、尾張藩の切支丹のうち中心になって布教活動をしていたものはここで処刑されたが、藩内各地でその他に2000人が処刑されたという。
 ちなみに円空は寛永9年(1632)美濃の生まれ。寛文3年(1663)美並での造像で歴史の舞台に登場する。
顕彰碑 千人塚全景 「南無阿弥陀仏三界万霊等」名号

栄国寺の円空観音菩薩立像
(32.9cm)

 32.9cmの観音像である。胸前によだれかけでもかけておられるようで、衣文が見えないのはどういうわけか。やや材が左に曲がっているようで、自然に体全体が右に傾いている。やや右を向いておられる。衣の下に両手を隠しておられる。 頭は渦巻き状。お顔はすり減っているようで、かろうじて目や口の線が判別できる。鼻も削れているか欠けているように思う。
 背銘は頭部に最勝を表す「ウ」が書かれているので延宝7年以降の作であることが判明する。(延宝7年までは「イ」を書いていたが、白山神託を得た後、「ウ」に変わる)背面は大日如来の三種真言である。右大日法身真言「ア バン ラン カン ケン」。まん中は「大日報身真言「ア ビ ラ ウン ケン」、そして左に大日応身真言「ア ラ バ シャ ナウ」(ただし、円空は終生「ア ラ バ シャ キャ」と誤記し続けた)
 栄国寺のこの像について池田勇次氏が「円空の原像」(2003)P.59〜60にかけて「円空はキリシタンではないが、宗派にとらわれない遊行聖である」と断りながら次のようにキリシタン殉教者との関わりを論じておられる。
 「鉈薬師や正覚寺にみられる農民風の諸像は、キリシタン殉教者の供養のためではないかとの指摘がある」と青山玄氏の「『円空造仏の動機』を肯定的に紹介されている。そして「寺伝によると、円空がこの寺を訪れ、刑死した殉教者のために、この像を彫ったとのことである」と書き、さらに又、円空の十二神将で有名な正覚寺でも大きな穴を掘って刑死者を埋めたこと、その殉教者の妻が、尼となり、その後所有地も寄贈して亡き夫の冥福を祈ったと扶桑町史にあることを紹介しておられる。鉈薬師、正覚寺、の十二神将にみられる農民風の顔や音楽寺の悲しみにたえる荒神像は、キリスト教殉教者、アイヌの民との交流、海難事故とその供養との関係で考えておられるようである。
 『円空の隠し文」(伊藤治雄)では、荒子観音寺の千面菩薩はキリスト教の教えを隠しながら殉教者を供養するために作られたと結論づけておられる。伊藤氏もまた栄国寺とその寺の由来にふれて、円空がキリシタンの処刑を悼んでいたことが、その造仏活動に影響を与えたとお考えのようだ。
 キリシタンとの関係が深い栄国寺で円空仏があることが円空とキリスト教との関係を想起させるのだが…。
 前住職のお話では、古い位牌の中にこの円空の観音菩薩立像が紛れ込んでいたとのこと。
 私は北海道から帰ってすぐの寛文9年(1669)頃に寺を訪れ、この観音菩薩立像を彫り残したというのなら、処刑からまだ数年のことであり理解できるのだが、この観音様は延宝7年(1679)以降というのが気になる。間が空きすぎていないか。その後他に円空とキリスト教との関係が見いだせないのもどうかと思う。博愛精神で供養したのだろうか。
 少なくとも、この観音菩薩からはキリスト教の影は見えない。円空が気合い込めて切支丹供養を願ったという迫力は感じなかった。
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