円空さんを訪ねる旅(60)
金山寺の十一面観音
(岐阜県各務原市各務西町)
各務原には3カ所円空仏があるそうです。講師の小島梯次先生(円空学会理事長)によると貞享始め頃の作と思われるということでした。円空の仏像の中で背銘のないものが、この時期に表れるというのです。飛騨千光寺の仏像にもありません。貞享というのは5年間(1684〜1688)しかありません。延宝のあとの天和と元禄の間の実質4年ほどの間と言うことになります。
その前後の円空を追うと…。
寛文13年(1673)大峯山での修行で確信を得た円空は、奈良県天川村栃尾観音堂に残る諸像を作り、延宝2年(1674)三重県志摩片田及び立神で大般若経の修復をして、扉絵を描きます。宗教的歓喜を得た円空は芸術的大転換をします。その作風は「抽象化・省略化」へ向かいます。延宝4年(1676)尾張へ戻った円空は、龍泉寺や荒子観音寺で精力的に造像した後、延宝7年(1679)美並町で彫った仏像4体に「是有廟 即世尊 延宝7年6月15日」と白山の信託を受けたことを書き記します。そして延宝9(1681)関東へ向かい、貞享1年(1684)岐阜県関市高賀神社に姿を現し、名古屋荒子観音寺で血脈を承けています。貞享2年(1685)には飛騨千光寺で弁財天を彫っています。元禄期にはいると飛騨とのつながりが密になります。
つまりこの像を彫った頃の円空は、晩年の飛騨での落ち着いた作品群を創り出す序章の時期であったと言えるのではないでしょうか。
左手に水瓶を持ち、右手は与願印を結ぶ十一面観音。耳は彫る気がなくなっているようです。腹部下部に鱗模様を施しています。裸足で蓮座に乗り、その下には磐座。蓮座は仏を表し、磐座は自然を表しているそうです。ふくよかなお顔で口元は笑みを浮かべているように見えます。この十一面観音には背銘がありません。
■話題になったこと
その1,円空と十一面観音
この像もそうですが、確かにポテッとお腹がふくれています。そう言えば中観音堂も太平観音堂も出ていました。母性の象徴として、妊娠している女性をイメージしたのでしょうか。
十一面観音は白山神の本地仏です。現在68体の十一面観音及び十一面千手観音が確認されている中で、不思議なことに、名古屋市八田にあるものの、尾張には少ないということでした(愛知には七体とか)。あの大量の円空仏の残る荒子観音寺にもないというのは、不思議と言えば不思議です。尾張では、高賀修験であることや美並での修行の影響を公にすることがはばかられたのでしょうか。
その2,水瓶が何か変?
この水瓶、右側面から見ると、前へ倒れています。口が手間へ折れ曲がっているのです。口の形状も蓮の蕾を表しているのか少し膨れていて、、なぜなのだろうということになりました。そのうち、見る角度によっては赤子の顔に見えると言う方がおられて、そう言えば見えないこともないという話が出ました。これは、水瓶を持っているのではなく赤子を抱いているという見方が出てきたのです。しかし、片手で、赤子の首を持っているようなことは考えられないという意見も出ました。赤子の顔のように見えるでしょうか。
その3,頭部に何面あるのか?
頭上から撮らせていただきました。周辺に 10面、そして頭上に1面、全部で十一面確 かに彫ってあります。 3cm四方に満たないところに顔を彫るの は、中々のことだと思うのですが、上手なも のだと感心します。 |
日本の石仏めぐり | 円空さんを訪ねる旅 | 木喰さんを訪ねる旅 | HPへ戻る |