円空さんを訪ねる旅(61)
美濃加茂市観音洞円空窟
(岐阜県美濃加茂市下廿屋)
各地に円空が籠もって神仏を彫り残したと伝えられている洞窟があります。岐阜県美濃加茂市の観音洞円空窟その一つです。すぐ横を川が流れており、洞の中はぬかるんでおりました。写真のように「円空窟」という石碑が建てられています。右側には鉄板にその由来(下記参照)が書かれておりました。この円空窟の左上方にお社があり、その中に祀られていたのが右のような満面笑顔の馬頭観音像です。
美濃加茂市指定有形文化財 円空作木造馬頭観音菩薩立像 美濃加茂市指定史跡 観音洞円空窟 江戸時代の初め、円空(1632〜95)は全国諸国を巡り歩き多くの仏像を残しました。 ここ観音洞の洞窟の脇にまつられている馬頭観音は後藤家の愛馬の霊を弔うために寛文11年(1673)に彫られたものです。こぼれんばかりの笑顔をたたえた柔和な表情と自然をそのまま生かした木肌が見事に調和した円空初期の仏像です。 この洞には、かつてある僧が修行し、仏像を残していったという伝承がのこっています。 円空は窟聖ともいわれ、修業と造像活動の言い伝え洞窟が全国各地にあります。そのなかでもこの観音洞円空窟は『伝承』と『仏像』が同時にのこる貴重な史跡です。 円空のノミの音が今も聞こえてきそうな、そんな雰囲気が漂っています。 平成2年3月 美濃加茂市教育委員会 |
この仏像が彫られた年号や彫られた理由まではっきりしているのは、この小祠に「新奉彫刻 馬頭観音尊像以伸供養」「寛文拾一」「願主 後藤仁兵衛」などと書かれた棟札が残されていたためです。円空の名はなく祠を建てた大工さんの名前が記されています。
円空の仏像の制作年代が特定できるのは5400程あるうちの十数体に過ぎないことからも、この馬頭観音像が貴重であることがうかがえます。
馬頭観音
(56.6cm)
円空作の馬頭観音は、土地の要求に応じて七体彫られていると言うことです。この馬頭観音も願主である後藤氏の愛馬の弔いのため依頼されて彫られたようです。 寛文11年(1671)と言えば円空40歳。 北海道から戻って5,6年後のこと。鉈薬師、美並町で造像してすぐで、まだ几帳面で丁寧な彫りが印象的な時期です。この像も大変丁寧に衣文や蓮座などが彫られています。頭部の馬はかわいい感じですがそれらしく彫られています。何と言っても微笑がこの時期からあったということがこの像の魅力であり、驚きでもあります。背中には衣文でしょうか、5本のほぼ横線が彫られています。 足元の磐座に大きな節穴があり、材料に拘らない自然木を使った円空らしさが発揮されています。 この像を見ていて思ったのですが、この像は、一度洗われたのではないでしょうか。木肌が美しいのです。しかしながら、その木肌の美しさに比して、向かって左胸辺りに傷があります。後頭部に割れがあります。蓮座も一部損傷が見られます。ずっと小祠の中に340年おられたにしては不自然な美しさでした。 ついでながら、現在この像は美濃加茂市民ミュージアムに寄託されています。 |
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