円空さんを訪ねる旅(64)

大治町宝昌寺
(愛知県海部郡大治町大字花常字東屋敷3)

(1)大治町と明眼寺

 ガンダーラの会からご案内をいただいたとき、海部郡大治町大字花常?えらい名古屋から遠いところへ行くのだろうなと想像しました。京都市内近郊で郡のつくのは乙訓郡大山崎町ぐらいで、まして大字のつく場所は思いつきません。
 ところが、予想とは大違いで名古屋駅からバスで30分足らずで到着するところにありました。人口3万人で、現在は名古屋のベッドタウンとしての役割が大きいようです。
 ここに明眼寺という寺があります。江戸時代には眼病治療で名をはせたそうで、各地から治療に訪れたらしく、後水尾天皇の三女の目を治療したところから勅願寺になったのだそうです。200人以上が入院できる設備を有する大寺院だったようで、現在の町役場、公民館、小学校はその境内だったと説明されていました。明治時代になって医療制度が近代化して廃れたそうですが、「真島」さんというお医者さんは、その末裔であるとか、近くにはあのグアム島で最後まで日本兵としてゲリラ戦を闘った横井庄一さんの家も近くにあるそうです。
 この明眼寺にも円空仏が二基あったが盗まれたと、この寺の住職を兼務しておられた故今東光師が「現代人の日本史」に書いておられるそうです。

(2)宝昌寺の観音像
(23.5cm)

 宝昌寺は、名古屋市営バス1番乗り場(ここがわかりにくかった)から乗車、大治町役場前で下車。徒歩10分ほどで到着しました。料金は210円。(安い!)寺へ行くまでの道曲がり角には「円空仏」の案内表示がありました。
 宝昌寺は曹洞宗のお寺だそうです。檀家はなく12月16日には火渡り神事をし、大般若経の輪読をして祈祷をする火伏せの秋葉山信仰の寺だそうです。また寺門の左手には稲荷神社があります。豊川稲荷(だきにしん信仰)は曹洞宗と関係があり、この寺もその影響下にあるとのことでした。4月12日(火)八重のさくらが咲いておりました。 
 この寺に、円空寛文期の初期像があります。大変整った顔をした男前の像だと思います。顔に立体感があり全体のバランスもよく丁寧な像です。堅いという評価もあるのですが私は好きです。この像に興味が引かれるのは底部の刻字とその由来に謎があるところです。
 耳朶長大相は、寛文期に見られるもので、多治見市普賢寺の観音菩薩像で取りあげました。この背面には真上からやや右に向かって曲線がほぼ等間隔に7本彫られています。梵字その他文字はありません。これも寛文期の初期像の特徴です。蓮の花も丁寧に彫られています。肩はなぜ型で、胸と上の境目は深く彫り、膝や手を前面に出し衣文は筋彫にしています。衣文はリアルに描く努力をしていると思います。表面を丁寧に仕上げています。
 定印の上に蓮をのせるところも、なぜか左手を上にするのも普賢寺と同じで円空の特徴です。
 台座がありません。多分最初は普賢寺同様、磐座の上に蓮座があったものと思われます。しかし蓮座のはじまるところから切り取られています。
 

(3)北海道・東北から帰ってきて最初の仏像か?

 この観音像の底部の刻書を見て下さい。「寛文八丁未 園空造」とあります。
 丁と未が読みずらい状態です。誰かがほじくったように見えます。先ほど書きましたが、もともと磐座の上に蓮座があったのをのこぎりで切り落としたものです。そののこぎり面に刻字されているのです。背中の斜め線、耳朶長大相、ひきしまった表情、丁寧な仕上がりなど初期像の特徴を表しているので、円空が北海道から尾張へ戻ってきた最初の頃の仏像であることは想像できるのですが、果たしてこの刻字はどの程度信頼できるのかが問題です。
 磐座の下あるいは背面に刻字されていたのなら問題ないのですが、切られた面への刻字です。ただ、像の形が変更されるときは、像に書かれていた文言は記しておくのが通例だそうです。ですからこの文字は信憑性が高いとのことです。
 この「寛文八」とその下の「丁未」は合いません。「寛文八」年は「戌申」だそうです。「丁未」は「寛文七年」なのです。こういう場合は「干支」年を優先するというのが歴史の通例だそうで、「寛文7年丁未」が正しいだろうと言うことで、下記の小島梯次先生の年表は、そのように書かれています。

*背面写真写真撮影前田邦臣氏

小島梯次著「円空と木喰」(東京美術・2015発行)を参考に年表を作成してみました。
私の知る限りこの宝昌寺の刻字を積極的に年表に記しておられるのは小島先生だけで、「円空 微笑みの謎」(長谷川公茂著2013年)の年表は、次の鉈薬師にとんでいます。「円空心のありか」(池田勇次他著惜水社2008)でも宝昌寺のこの観音像の刻字については取りあげられていません。
 先程の事情(台座の切り取りと円空自刻でないこと・年号と干支の不一致)が影響しているのかなと想像しました。そして次のもう一つの謎についても疑義があるので他のお二人は取りあげられないのでしょうか。
  年月日 円空年令 日時・場所 仏像名・神社寺院名
 @ 寛文6丙午
(1666)
35 8月11日
北海道広尾郡寿都町
海神社・観音(背銘)
 A 寛文7丁未
(1667)
36 愛知県海部郡大治町 宝昌寺・観音(底面刻書)
 B 寛文9己酉
(1669)
38
10月18日岐阜県関市雁曽礼
愛知県名古屋市千種区
白山神社・白山本地仏三尊を造像(棟札)
鉈薬師の諸像を造像(張氏家譜)

(4)宝昌寺観音像はもともとどこに?

 大治町役場に残る「寶昌寺寶物古器物古文書目録」という古文書があります。これにこの円空仏のことと思われる「薬師如来」のことが記されています。蓮を薬壺と間違えて「薬師如来」としています。
「一、薬師如来 壱躰 座像木製台座堅共々荘飾無し 寛文八年中円空作 丈六寸六分 堅七文二分 横四寸巾八寸 明治六年九月村上良音寄附」とある。「明治三拾六年五月十九日 海東郡大治村大字花常寶昌寺 住職 林禅晃 壇信徒総代 村上 良音」
 これを見ると、円空がこの寺で造像したのではないことがわかります。村上良音という人物が明治6年にこの像を宝昌寺に寄附したのです。小島先生の著作「円空仏入門」によりますと、この村上良音は春日井市松河戸の観音寺等の住職をしていたとのことです。小島先生は、尾張の人である良音が持っていたのであるから寛文七年には尾張に戻っていたのであろう推論されています。私は村上良音という人物と円空との関係がもっとはっきりしないものかと思いながら聞きました。
 ご住職の奥さんは「この観音像はもともと良音の念持仏で、持ち歩くのに大きすぎて不便なため笈に入れられるよう切ったのではないか」という長谷川公茂氏の推論を話しておられた。

(5)小観音像
(8.7cm)

 宝昌寺にもう一体。この像は、円空がお世話になったお宅へ彫り残していく小観音です。おそらくこの像は在家からの寄進ではないかと言うことでした。後ろの梵字や類似品から延宝7年以降のものであろうとのことです。
 
 
梵字が五文字書かれています。
 頭部にウ(最勝)が書いてあるのですが黒くて見にくい状態です。
 背中のまん中の上にあるのが観音の(サ)。
 腹部から下まで右側に不動明王(カンマン)。
 左は毘沙門天(ベイシラマンダヤ)。
 そして一番下不動明王(カンマン)下部左に吉祥天(シリー)。
 円空は白山の託宣を得てからこのパターンで梵字を書くそうです。一尊で多数の仏の加護を期待してこのように梵字を書くのか、観音を護る三尊の梵字を書くのか、よく分かりませんが難しそうで有り難がられたかもしれません。
  
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