円空さんを訪ねる旅(65)
高山市丹生川町岩舟不動堂
(岐阜県高山市丹生川町柏原)
2016・4・17(日)、中日文化センター移動講座「飛騨へ円空仏に会う旅」に参加してきました。今回は岩舟公園集会場休憩所に移座されている岩舟不動堂の不動立像他三体と荒城川神社の二体をまず拝観させていただきました。
そして高山市へ移動し「飛騨高山まちの博物館」を拝観しました。「東山三社の至宝展」が特別展と書いてありました。でもたまたまなのか前身の「高山市郷土資料館」の時を含めて今まで3回訪れているのですが、東山神明神社の柿本人麿像や東山白山神社の如意輪観音像はよくあるのでこれらの像は寄託され常設されているものと思っていました。
私が「高山市郷土資料館」を初めて訪れたときは有料でした。霊泉寺地蔵堂の愛染明王像も見せていただきました。立派な施設を新築されてから現在は無料で公開されています。円空仏を目当てに訪れた私は、室内が暗すぎると思いました。ライトのあて方も錦山神社稲荷三尊像などは中央の像だけに当たって他二体が影になって見にくい。飯山寺護法神は入口からの自然光が入って乱反射しています。勝久寺牛頭天王の背銘を見せようという配慮がないのも残念です。
旧高山市内の円空仏の優品をお集めになっての展示だと思うのですが、特別展なら平成の大合併で大きく市域を広げられた高山市が丹生川町、国府町、上宝町、久々野町などの円空仏を順々に見せていただけたらと思いました。いやすでにしておられて私が知らないだけかもしれません。高山市こそ「飛騨の円空展」が一番ふさわしいように私は思います。
(1)不動明王立像
(133cm)
顔は迫力満点で、しかも程よい品がある。。やや右下を見ている。円空はわざとそうしたのか、自然にそうなったのか。お腹がぽこんと出ていて足が短い。私がそう言う感想を言ったら、同行しておられたMさんが「本来幼児体型にするのが正しい」とおっしゃった。私は今仏像彫刻を習っているが、足や手は確かに幼児、赤ちゃんのように彫るように言われた。しかし不動明王は筋骨隆々でマッチョにするものだと思っていたので、「あ、そうなのか?」と初めて知った。私には体全体のバランスが悪いように思える。足をもっと立体的にした方がいいのになどと文句をつけたくなる。剣は後捕、羂索はない。 高山市内にある素玄寺の不動明王(172.8cm)は、表情に醜悪さを感じる。素玄寺のは鱗模様がもっと細かく足元の衣が風になびいているように向かって左に動いていて躍動感があり、その点では素玄寺がよい、剣と羂索はいっしょに彫られている。 丹生川町千光寺には「不動明王(95.8cm)及び二童子像」がある。こちらはやや体をS字にくねらせている。真正面を向いたなかなか整ったお顔をされている。頭頂は尖っていて、頂蓮(頭にいただく蓮)ではなく莎髷(しゃけい…頭頂に結われた髪)だと浅見龍介氏の解説にあった(「飛騨の円空展」カタログ解説)。そう言えば三体とも頭蓮ではなく髪を結っている。剣と羂索は失われている。 不動明王のお顔では、天地眼(右眼で天、左眼で地を睨む)や牙上下出(右の牙は上向け、左の牙は下向け)がよく見られるが、円空は天地眼はやらず牙上下出は行っている。 背銘に梵字が書かれている。頭部に最勝(ウ)。その下に不動明王の(カーンマーン)。右手に退蔵界大日如来法身真言(ア バン ラン カン ケン)。左肩に金剛界大日如来(バン)がある。(らしい)私には全く読めないので小島梯次先生の受け売りである。浅学の私は時々思うのだが、背銘に書かれる円空の真言や文字には力強い堂々としたものと、ひょろひょろした情けないものがある。この不動の梵字はなぜこんな弱々しいのか。 |
不動明王の底部である。のこぎりで伐ってある。 私は前から円空の黒い色の像は何か色が塗ってあると思ってきた。おそらく墨だろうと。中には柿渋もあるかもしれない。線香やロウソクの煤だけとは思えなかった。この像の底部そして不動明王の背中に墨を塗った跡が流れ出している。やっぱりなあと思った。やはり着色されていたのだ。これは建築材であろう。 背銘の文字が弱々しいのは筆を使わなかったからではないかとおっしゃる方がおられた。表面の着色には刷毛を使ったのだろうか。和歌を詠む円空が筆を持参せず旅をするだろうか。右は白山町佐見の庚申(青面金剛神)像の梵字。実に力強い。それに比して、岩舟不動堂の他の三体の梵字は弱々しい。尊名の漢字は力強いのにである。何か理由があるように思うのだが。 |
(2)国中一宮大明神
(54cm)
何とも愛らしいというか可愛らしいお顔をされている。やや顔を右に傾け左前方を眺めておられる。円空後期、最少の彫りで目鼻表情を表現するあの技法である。 拱手しておられ、衣を下から持ち上げられているようにも見える。衣文の線がそう感じさせ衣服にボリューム感があるから暖かそうにも見える。 頭部は折烏帽子であろうか。オシャレな冠り物である。 背銘である。頭部に最勝を表す(ウ)がある。首筋すぐ下に弁財天の(シリー)があるという。そしてまん中に大きく「國中一宮大明神」とあり、国中一宮のすぐ右に、その読みを表すかのようにカタカナで「カウノミヤ」と書かれている。右には退蔵界大日応身真言(ア ラ ハ(バ) シャ ナウ(キャ)が書かれている。いつもの通り最後のナウをキャと間違っている。 「カウノミヤ」は「国府の宮」のことであろうということであった。飛騨一ノ宮は「水無神社」。「国中一宮大明神」は水無神社祭神を意図して円空が地神を彫ったものと思われる。 円空が「國」と書くとき「日本」なのかその「國」(この場合飛騨)なのか桂峯寺の今上皇帝像の「当國」でも問題になる。ここは、日本ではなく飛騨であろう。 弁財天(シリー)が書かれているのも水無神社であり、水を司る神であることと関係があるのではないかと思ったがどうだろうか。 |
(3)僧形合掌像
(51.7cm)
「国中一宮大明神」とこの僧形合掌像は一木ではないかと合わせてみたが、一木ではなかった。ひょっとして三尊形式を意識して彫られたのかもしれないとその可能性を考えてた。しかし一体は座像、一体は立像であるからその可能性は薄そう。この像は童子像かもしれないと言えば言えそうである。矜羯羅童子か制多迦童子の可能性もある。
そこで背銘。何とも弱々しい梵字だが、頭部に最勝(ウ) そして背中中央に「国中一宮大明神と同じ退蔵界大日応身真言(ア ラ ハ(バ) シャ ナウ(キャ)が書かれている。まず確かな証拠にはならない。
見れば見るほどこの合掌像頭の形が異常に尖っている。SFの宇宙人を思ってしまった。手は丁寧に両手の指を彫りだしている。足は衣で隠れているのだろうか。地蔵菩薩なら足があるはずなのにと思う。では、何だろう?自刻像?いや円空は果たして僧形姿であっただろうが、頭を丸めていたかどうか、これも謎だ。
見れば見るほどこの像は魅力的な顔をしておられる。特に横顔がいい。
底部であるが、三角形をしており、不動同様墨を塗ったことが分かる。