円空さんを訪ねる旅(66)
高山市丹生川町荒城川神社
(岐阜県高山市丹生川町森部中田保)
岩舟公園集会場に岩舟不動堂の三体と共に、荒城川神社の二体もお祀りされていました。この二体は小さいもので上の写真の左側は折烏帽子を被った神官姿に、右は頭が尖ったような富士山型の頭部で、観音像のように見えます。ま、どこにでもある目立たない円空仏だなと言う印象です。
しかしこの両像の興味はその背銘にあります。そのあれこれを考えながら書いておこうと思います。
(1)本地観音天照皇太神
(31.8cm)
頭部に最勝(ウ)が黒々と書かれている。その下、首筋から背中上部に弁財天を表すシリーが書かれている。岩舟不動堂の國中一宮大明神と同じである。円空は天照大神(皇大神)の本地仏は大日如来ではなく、観音菩薩にしているとうかがった。右に書かれている本地聖観音とアマテラスが同じだという意識でこの背銘は書かれたと想像できそうだ。となると、この像のシリーは何を表すのであろうか。「國中一宮大明神」は水無神社が水の神様であり、弁財天は水を司るということで納得したのであるが、こちらの方はどうも納得がいかない。円空は天照大神を男神として彫っている。聖観音の「サ」なら何も思わないのであるが疑問が残る。 私は左の方に胎蔵界大日如来法身真言が書かれているように思う。又、天照皇太神と「太」を書くのも円空の信じるところのようだ。「本地」も「木地」に見えないだろうか。「本」を「木」と間違って書くくせがあったのかもしれない。天照皇太神の下にもう一字何か書かれているのも気にかかる。何だろう? 上の写真、この像の足元であるが、足に見えないだろうか。基本的に円空は神像には足は彫らないのだそうだ。この神像には事情があって足を彫ってしまったのか。 |
(2)生身○尊
(13.7cm)
折烏帽子、拱手(衣の中に両手を隠す)の神像である。 この像の背銘も謎の多いものである。 まず、後頭部には最勝(ウ)。 私にはよく分からないのであるが、その下中央と左右に三行、胎蔵界大日如来法身真言(アバラランカンケン)と書かれている。中央の真言下にこういう尊名があるのかと思われる尊名が見える。「生身○尊」である。小島先生のお話では「生身」と書かれた円空像は三体あるそうである。その下の文字が読めない。「尊」は相当間延びした大きい字で上の赤外線写真では大のように見えるのは尊の一部である。 |
生身○尊の「○」は何と読むのだろうか?
勝手な想像ですので、真に受けないで読んでいただきたいと思います。
初め見たとき、偏の部分は立心偏かなと思いました。そして旁側の下に衣が書かれているように思い「懐」ではないかと想像しました。会意兼形声文字である「懐」は「ふところにいれる」「心の中に思いを抱く」また、その「思い」「胸の内」「なつく」のほか「兄弟」などの意味があります。旁の方の文字は目からたまる涙を衣で隠す様子を表した文字で、心との会意で「胸中や懐に入れて囲む、中に囲んでたいせつに暖める気持ちを表す」(「漢字源」より)のだそうです。
生身懐尊…生身は本当の神像あるいは仏像だと言う意味だとお聞きしました。わざわざこれこそが本当の神仏だと命名する必要がこの神像に果たしてあるのかどうか、私にはそれほど気合いが入ったあるいは新しい境地に入って彫ったとも思えません。私は、この像のお顔を彫っているときふと懐かしい誰かを思い出して命名したのかなと思いました。
もう一つの可能性として考えました。
生身釈尊ではないかと思いました。釈の旧字は偏は同じで旁は上に横目、下に「幸」です。偏の部分が「のごめ」に見えるところからの発想です。ちなみに「のごめ」の字は「釈」と釉」以外ありません。ただ、上の身のはらいが下まで及んでいるのでどうかなと思います。旁の方も必ず間違いないとも言えません。ただ、尊名としては無理がないかなと思いました。神像ですからお釈迦様はないかなとも思いますが、本地垂迹説では伊弉諾尊を釈迦如来とすることもあるようですから、可能性はあるかと思います。
荒城川神社の主祭神と由緒由来
主祭神 | 由緒由来 |
菊理姫命(くくりひめのみこと) (白山神) 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 伊邪那美尊(いざなみのみこと) 倉稲魂神(うかのみかたのかみ) (稲荷神) 五十猛神(いそたけるのかみ) 火結神(ほむすびのかみ) |
創祀未詳なれども、里伝に曰く、慶長年間茂住宗貞なる者国主金森候の命により、此の地に金鉱を開き、郷里(越後大野)より白山大神を奉祀したりと云う。此の地は古来金生山として名あり。別て慶長の頃宗貞が、佐渡の抗夫多数を召して多量の黄金を採掘せしめし事実あり。今なお佐渡屋敷、宗貞平と称する地域あり。当神社は往昔此の地宮ヶ洞に在りしを、現在の地に移したりと云う。現に跡地を有す。年代不詳。明治四十二年八月森部地内稲荷神社、伊太祁曽神社、秋葉神社を合祀し旧白山神社を現在の荒城川神社と改称す。 |
伏見稲荷大社の祭神の一番は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)でここで云う倉稲魂神と同じであろうと思われます。由緒書きと照らすとこの神は明治42年に合祀された神です。
伊太祁曽神社は和歌山県にあり、スサノオノミコトの子で国中木を植えて廻った木の神様「五十猛命(いたけるのみこと)」を祀る神社です。古事記には大国主神を災難から救った神と記録され、”いのち神でもあります。ですから、この神も明治に合祀されたことになります。
火結神はイザナギ・イザナミの子だというのですが、静岡県浜松にある秋葉神社が火防の神ですから、この関係ではないでしょうか。
菊理媛命(白山比淘蜷_)は、イザナギ、イザナミが黄泉の国で諍いをしたときに仲裁をしたと言われている神で、石川県白山比盗_社ではこの三体が主祭神です。元々の白山神社はこの三神が祀られていたのでしょう。
さて、円空作の「天照皇太神」と「生身○尊」はどこに祀られていたのでしょうか。どうもピッタリする祭神はおられないように思います。小島梯次円空学会理事長も移座の可能性について言及されていました。この二体由来来歴は未詳ながら、なかなかおもしろい背銘をお持ちの二体だと思いました。
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