円空さんを訪ねる旅(68)

小祠堂の円空さん
(岐阜県)

 円空は、その仏像神像を社寺にも、お世話になった個人宅にも残している。
 これは私の勝手なイメージだが、円空が似合う場所は、小さ祠堂ではなかろうか。三重県磯部町上五知薬師堂、奈良県天川村栃尾観音堂、のように今も大切に集落の人々のくらしとともにある円空仏を見ると、円空さんも幸せそうだ。
 これから紹介する小祠堂の円空仏は、無住である。集落内にいくつもあるお堂に、それぞれ祀られている。
 そこを守っている方達は、一昔前までは、そんな価値のある仏像だと思っておられなかった。時に円空さんは重要な行事の主役であったが、しかし一方で子どもの遊び相手でもあった。今回紹介する円空さんはそういう愛されてきた小祠堂の円空さんである。子どもが円空さんを使って遊んでいるのを叱る大人がいると、円空さんはその夢の中に現れて、なぜ止めるのかと叱ったのだそうだ。
 円空仏の値打ちが上がった今の時代、無住の円空仏を狙う不届きな輩もいる。警戒に越したことはない。

(1)薬師三尊

 左から拱手された月光菩薩、薬師如来、日光菩薩立像。三体とも穏やかな表情。聞くところによると、一度盗難に遭われたが、戻ってこられたという。その過程で洗われたようで、色が白っぽい。そして下の写真のように背銘は日光菩薩以外は読みずらくなっている。中尊薬師如来は大きな薬壺を持っておられる。日光菩薩の背銘から推察するに、三体の背銘には、一番上に最勝の「ウ」続いて薬師如来の種字「バイ」、続いて尊名、そして三種真言が書かれていたようである。

(2)十一面観音・不動明王・毘沙門天

 この観音菩薩、不動明王、毘沙門天という三尊形式は天台宗や真言宗などの密教系にある。
 背銘を撮らせていただいたが、下の写真のように見事に墨跡が残っている。いつものように頭部に最勝を表すウ、その下にそれぞれの種字である観音は「サ」、不動明王は「カンマン」、毘沙門天は「ベイ」が書かれており、大日三種真言が書かれている。
 十一面観音は白山信仰と関係し、円空はたくさん彫っている。不動明王も多く彫っている。毘沙門天は四天王(持国天・広目天・多聞天・増長天)として祀られるときは多聞天と呼ばれている。日本では武神という側面と財宝神としての側面があり、えびす神の本地仏でもある。
 真ん中の十一面観音は、お腹がぽこりと出ている。円空の彫る十一面観音によくあるお腹の出方である。子安観音として、子を授かりたい人や安産祈願を願う人の信仰を受けてこられたようだ。左手に水瓶を持って目を閉じ穏やかな表情に見える。しっかり60Cmに満たない像であるが、十一面しっかり彫ってある。磐座の上に蓮座があり、素足である。
 毘沙門天は、三重宝塔を両手胸前で持つという形式で彫られている。よくある毘沙門天は、右手に宝棒、左手宝塔であるが、円空は胸前で衣に手を隠すため、このような彫り方で毘沙門天を表現したようだ。二重の磐座の上で沓を履いている。
 不動明王は右手に剣を持ち、左手に羂索(けんさく…なわのこと)を持つ姿で表される。この不動明王も剣を持っていた痕跡が右手にある。しかし左手がよく分からない。欠けたのか、彫らなかったのか。二重の磐座の上で裸足で立っておられる。不動明王は大日如来の化身だとも言われ、密教では大切にされてきた。五大明王の中心であり、煩悩から抜け出すことができない衆生を力づくでも救うという。
 75歳だという方に興味深い話をお聞きした。このお堂の横に川があって、その川で円空さんを流して遊んだそうである。その遊びはいつ頃までしていたのかと聞いたら、「昭和28年(1953)頃までやっていたと思う。上流にダムができて、川の水が濁りだして、泳げなくなり、そのうちにプールができて、円空さんと泳いで遊ぶことはなくなった」とのことであった。私は自分が円空さんと川遊びした人の話を初めて聞いたのでびっくりし感動した。やや、仏像の色が薄いのは川遊びをした影響かもしれない。しかし背銘の鮮明さはどうだろう。墨に何か加えられているのだろうか。
 また、この祠堂は下の神と呼ばれていて、上の神は山の上の白山妙理大権現を祀る神社だそうだ。そこにも円空さんは祀られているという。上の神の神社には、もう一体(合計2体)あったのだが、一体は近くの神明神社に移座されたということであった。上の神は南にあり、春祭りを行い、下の社は北にあって、秋祭りを行うのだそうだ。途中には御旅所もあるそうだ。御旅所では「やすらい」が行われ、坊さんが来られるという話もしておられた。
 京都で「やすらい祭」と言えば、京都の三大奇祭の一つで、4月第2日曜に今宮神社が有名だが、他にも玄武神社などでも行われる。この祭は平安時代、桜の花が散る頃に疫病が流行り、これは疫神が花とともに飛散するためと信じて花の精を鎮め、無病息災を祈願したことに由来を持っている。この小祠堂では、どんな「やすらい」をされるのであろうか。
 修験道に詳しい方が、上の神と下の神が南北にあることは、南北を行き来する命(輪廻)を象徴しており、下の神のこの小祠堂に子安観音がおられることの意味を解説しておられた。円空は、そういうことを十分理解した上で、ここにこの三体を造り残したのであろう。そうなると上の神のおられる神社の円空仏(元々の2体)は何なのか、気になるところだ。
 「この仏像、どこで彫られたのか」と聞いたら、近くの民家を指さして「あの家だと聞いている」とおっしゃった。「円空さんは、お世話になった民家に仏さんを残すことが多いが、その家にはないのか」と聞いたら「ない」とのことであった。「おばあさんの接待がよくなかったらしい」とおっしゃったのには笑った。事の真偽は不明だ。しかし三百数十年経ってもそういう噂が残ることが可笑しい。

(3)聖徳太子像

 僧形の聖徳太子像である。尊名は背銘に聖徳太子とあるから判明しているが、このお姿だけでは悩ましかったかもしれない。合掌しておられる。ただ、沓を履いておられる。円空が沓を履かせるのは、天部だというのも、地蔵菩薩(菩薩ですから裸足が円空の特徴)ではない証拠になるかもしれない。
 体に残る黒い点々が気になった。どうも動物の糞ではないかということであった。
 なかなか男前の聖徳太子さんである。
 元興寺の2歳の聖徳太子像は、上半身裸で合掌する童子の姿である。法隆寺の童形太子像はミズラを結って着衣をしておられる。円空の聖徳太子像と言えば岐阜羽島の中観音堂のものを思い出すが、あれは上半身裸でミズラを結っていた。円空の太子像はなかなかユニークである。
 私はこの小祠堂になぜ聖徳太子像がと言うことに興味があった。聖徳太子は観音菩薩の本地仏であるからこのお堂が観音堂なら分かるがそうではない。円空は法隆寺に大日如来像を彫り残している。聖徳太子を尊敬していたことは想像できる。円空が、法隆寺でどのような学びをしたのかは定かでないが、江戸初期の法隆寺には修験道や密教と結びついた教えを説くグループもあったようだ。聖徳太子の法隆寺に残した大日如来がこの疑問を解く鍵かもしれない。
 この聖徳太子像の背銘で、少し興味あることを教わった。まず頭部に最勝の「ウ」がある。そして帰命し奉る意の「オン」そして弁財天を表す「ソ」が書かれていて、その左に不動明王の「カーンマーン」、右に毘沙門天の「ベイ・シラマンダラ」が書かれている。真ん中下部には大きく尊名聖徳太子と書かれており、その左右には大日応身真言、左に大日報身真言が書かれている。この背銘から読み取ると、円空は弁財天に一番帰命していて、それを守るように毘沙門、不動という守り神を配していことになる。講師の小島梯次先生もなぜ弁財天なのか結論を出し得ていないと慎重に話しておられた。円空は、一尊多機能形式で彫るとよくおっしゃるのあるが、この聖徳太子像も又そういう像である。 
 
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