円空さんを訪ねる旅(70)
蓮国寺の伝教大師
(岐阜県羽島郡笠松町・71cm)
蓮国寺は、日蓮宗のお寺だそうです。その寺に、円空の伝教大師像がある?のです。
円空は、法隆寺で法相中宗というちょっと不明の血脈を貰っています。天台宗寺門派園城寺(三井寺)でも血脈を受けています。自身が住職となった弥勒寺は三井寺の末寺になっています。円空は寺門派の祖である円珍をやはり尊敬していたように私は思ってきました。もちろん日本天台宗の開祖である最澄を敬わないはずはないと思います。しかし今まで拝観してきた円空仏の中に最澄の影はありませんでした。大変珍しい像であり、何か曰く因縁がありそうだなと思いました。
きっちりの厨子の中に入っておられました。頭と足元は腐食が進行しています。そのままでは立てるのは危険です。頭に化仏があります。こういう鼻をした荒子観音寺の千体仏にあったなあと思いながら拝ませていただきました。足が分かりません。磐座もないようです。お顔や化仏からお姿は観音菩薩のように思います。では、なぜこれが伝教大師像と呼ばれているのかです。
背銘です。右肩辺りに「伝教大師」の文字が見えるというのです。小島先生は「伝教大師」という文字と、左下にある意味不明のカタカナは読めるとのことでした。たくさん何か書いてあることは分かりますが、頭部に「…」があることぐらいしか私には分かりませんでした。円空はこんな読めない文字や種子を書くのでしょうか。他にもこういう例があるのでしょうか。その部分だけ拡大してみます。
小島梯次先生(円空学会理事長)の読みです。 まず、左側のカタカナです。 ニネニエキツモシニムチタハイメ その上に何か同じ大きさの漢字のようなものが三文字ぐらい見えますが、下の文字から想像するのが困難な意味不明の文字列です。 右の伝教大師ですが、そういえばそうかなと思いました。伝は旧字の傳です。しかしその下の教と比べると相当小さいと思います。 教の旧字は偏の部分は「メ」の下に「存」を書き、旁は「攵」です。どうも旧字ではないようです。 偏は「孝」のようですが、それ以外の墨跡があって、素直に「教」と読めるかどうか。私は右側の突き抜けたような「攵」を見ていて、教を二度書きしたのかなと思いました。 「大」が最初分かりませんでした。「教」の「子」の一部だと思っていたのが「大」の左はらいだとみると、ああ、「大」かと思いました。ここにも他の墨跡があって「太」か「犬」のようでもあります。 「師」は確かにそのように読めます。 総合的に考えてやはり「伝教大師」にしか読めないかなと思いました。 |